平鳥コウ「JKハルは異世界で娼婦になった」

JKハルは異世界で娼婦になった

JKハルは異世界で娼婦になった

 この小説は「異世界」で性暴力と闘う女の子たちの物語だ。そして、「この世界」で性暴力と闘う女の子へのエールだ。作品の中では、「この世界」で女性の多くが見聞きしても「なかったことにしよう」と自分に言い聞かせている「日常生活の中で隠される暴力」が延々と描かれる。レイプ、セックスワーカーに対する暴力、慰安婦問題……そうした暴力に直面しても、この作品の中で女の子たちは生きる道を探しているし、諦めない。女の子たちはシスターフッドを信じ、優しい男の子たちの価値を信じ、社会が変わることを夢見る。そういう内容が、若い世代に向けた小説の中で明確に描かれている。
 小説の舞台は、男尊女卑の「異世界」で、ハルは生活のために娼館で働き始める。仕事を懸命にこなしながらも、「異世界」の性差別と不条理に憤る。そして、なにひとつままならない状況に置かれたハルは、雨の中で自由に遊ぶ男の子たちに心の中でこうつぶやく。

 子どもはどこの世界だってキラキラしてる。あたしもキラキラしたい。どこにいたって自分は自分だって言えるくらい強くなりたい。
 雨に降られたくらいで腐ってるあたしは、絶対にあたしらしくないんだ。
(120頁)

 このあと、ハルは男の子たちに混じって遊び始める。この場面以降、ハルはこの世界で自分の生きる意味を問うていく。ハルは「異世界」に来る前には、自分の人生を受け入れ、そこで適応していくことに専心した。ところが「異世界」にきてからは、「私はこんな世界はNOだ」と言い始める。なぜなら、「異世界」はハルにとってあまりにもあからさまに男尊女卑だったからだ。ところが、その差別への抵抗を重ねていく中で、ハルは「異世界」と「前の世界」を比較し、逆照射して「この世界(私たちが住むこの現実)」で受けていた不可視化された性差別や性暴力も浮き彫りにする。
 その意味で、この小説は児童文学の伝統的なスタイルを守っている。少女は、「異世界」に行くことで「この世界」を相対化し、「生きることの意味」を問い、自らの使命を見出そうとする。読者は主人公と一緒に物語世界を冒険する中で、自らの「この世界」に対する見え方も相対化し、変えていく。その意味で「子ども向け」の作品である。
 この小説は確かにあらも多いし、「大人の読者」は眉をひそめるかもしれない。Twitterでは、「設定の粗さ」や「文章の拙さ」が批判されていたようだ。また、性描写を見て「エロ」だと思ってしまうと、読み違えるだろう。この作品はエロ要素はほとんどない。ほとんどの性描写は男性の暴力性をつまびらかにすることに費やされている。また、読者の中には無意識に「性差別や性暴力に対する告発を避けよう」として、「これはつまらない」という感想に至る人もいるかもしれない。しかし、それはそれでいいだろう。この作品は若い読み手に向けられている。読むべきは暴力の中を生きる女の子たちだ。私はこの作品をフェミニズム小説と呼びたいが、それもまた「大人の読者」によるラベリングなので禁欲的にもなる。そんなことより、対象読者がなんの意味づけもなく「面白い小説」として、この物語の世界に入っていくことが重要だろう。そう思って、この記事でも小説の内容には立ち入らなかった。
 少しだけ感想を言えば、私もきっと若い時に読んだら「ハルやルペやキヨリたちと心の中で友達になっただろう」と思った。でも、今の私が挑むのは、魔物の森と魔王の呪いだ。それが大人になるということなのだろう。とてもよくできた構成の小説だった。