近況

 1月6日に帰国して、日本での生活を再スタートをしています。しばらくは体調がすぐれず、仕事も詰まってしまって焦りました。振り返ると、大規模な時差ボケだったのかなあ、と……頭では日本に戻ったという意識があるけど、体のほうは急激な変化が受け入れがたかったのかもしれません*1。ちなみに、帰国していちばんの印象は「太陽がまぶしい!」でした。ベルギーの薄暗い冬を過ごしていたので、日中は明るくおだやかな光が溢れる京都の冬に、しばらくなれませんでした。おかげさまで、今は冬季うつっぽい気分も去り、元気に仕事をしています。

 昨日は、私が題材になったドキュメンタリー番組がNHKで放送されました。2月4日に再放送がありますし、NHKプラスでも観れます。

www.nhk.jp

 この番組は、半年以上前にディレクターの中村さんからご依頼があり、撮影協力を引き受けたものです。とは言っても、最初からテレビに興味がなく、出るのをしぶっていたのですが*2、中村さんの率直な「あなたを撮りたい」という気持ちに押されて承諾しました。しかし、テレビの番組というのはとっても難しいものです。私も中村さんも、器用なほうではないので番組の製作は一筋縄ではいかず、新人ドライバーが崖っぷちを走るような地獄のデスロードとなりました。本当に、本当に大変でした。

 いざ放映されてみると、けっこう面白い番組になったんじゃないかと思います。私自身は、あちこち笑い転げながら観ました。いつも通りの私が登場して、いかにも言いそうなことを言っていて、飾りけのない率直な映像になっていました。旧知の友人も「普段どおりのあなたがテレビに出てきてびっくりした」と言っていました。本人は、1時間も普段の自分が動く姿をまじまじとみることになり、変な気持ちもしましたが……*3

 本の内容の朗読もしていただいているんですが、なんだか「実写化!」とか「アニメ化!」とかそんな気分で観てました。声優さんが演じてくださったからかもしれません。もともと、自分でもフィクションを書くように、自分の話を書いているのですが、それが極まって、もはや本の内容は別人の話のようで面白かったです。そう思うと、私の喋ってる映像は原作者インタビューみたいですね。ナレーションと朗読が別の方なのが、とても良い効果になってたんじゃないかと素人ながらに思います。

 製作過程ではいろいろ考えることもあり、最終的には中村さんに全てを託すかたちになりました。途中、「この人は何を考えてるんだろう」と思うこともありましたが、最終的に番組を観て「そういうことか」と納得しました。やっぱり、製作者の「想い」や「意図」は出発点になっても、完成品で相手に伝えてナンボですね。それは、テレビ番組でも論文でも同じだと思いました。

 それにしても、私もいろんな人に、好きに書くことをゆるされてきたし、受け入れてもらってきました。だから、自分も「好きに作ってもらおう」と思ったんですが、それは本当に最後の最後でやっと辿り着いた気持ちです。表現の「対象にされること」については考えてきたつもりですが、予想以上にハードだったし、自分を省みるきっかけになりました。

 そして、本が瞬く間に売れてアマゾンでは在庫切れになっています!(しばらくすれば、入荷されると思います)他方、SNSでの反響はそこまで多くなく、「違う層に情報が届いたんだな」と思いました。やっぱり強いメディアですね。

 さて、1月のはじめには、「文藝」新春号の批評特集に寄稿した論考が発表になりました。私は同人BL小説やケータイ小説の書き手と、筑豊の炭鉱の女性たちのサークル活動を、「素人の創作活動」の視点から接続することを試みています。

 そのなかでは、森崎和江の著作も引用しました。森崎の著作の復刊は、大阪府立大学の博士後期課程にいた大畑凛さんが牽引されたようです。大畑さんの森崎についての解説は大変わかりやすいです。なにより文章の切れ味が鋭く、感銘を受けました。そして、同窓だと気づいて少し嬉しかったです。地味な大学ですが、面白い仕事をする人たちが先輩、同期、後輩にいつもいます。私も、研究を頑張っていきたいと改めて思いました。

 

*1:ベルギーが楽しくて、日本に帰りたくなかったし!

*2:動画って、なんだか恥ずかしいしね……今も恥ずかしいです。

*3:「光で眉尻とんじゃってる、もっと濃く描けばよかった」とか、しょうもないこと思いますね。

近況

 帰国が近づいてきました。こちらで仲良くなった人たちと別れを惜しむ日々です。なんとか、ベルギー滞在を延長できないか画策しましたが、とりあえずは「本帰国」が決まっています。職業柄、予算さえ取れればまた飛んでこようと思っています!

 渡航前は想像もしなかった生活でした。私は15年くらい前から、なんとか海外での研究を目指して画策してきたのですが、何度か経済面や進路の問題で失敗してしまい、がっくりしていました。語学の上達も遅くて劣等感も強かったです。なので、「今更、海外に行くなんて、遅すぎるのでは?」という気持ちがすごく強くて、「私はここで何を得て帰れるのだろうか」(しかもコロナ渦の真っ只中)という暗中模索の日々から始まりました。

 いま、思えば、周りにはめちゃくちゃ恵まれていて、すぐに友だちができたし、英語でのコミュニケーションもぼちぼちとできるようになってきたし、なんの心配もなかったんですけど! わけがわかってないので、目の前のことに全力投球しては空回ってたのが1年目でした*1。2年目に入ってやっと、スムーズに生活ができるようになったところで帰国になりました。なので、残念だという気持ちがすごくて「あれもこれもやりたかった」「もっとできたことあった」という想いが残っています。十分、やれるだけやったんだと思いますが……

 在外研究のスタート時はコロナ渦での渡航で、大学の事務員さんたちにはお骨折りいただくことになったし、周りの心配を振り切る形になってしまったんですが、本当に来てよかったです。

 さて、最近の仕事なのですが、英語論文が公開されます(電子版先行)。The International Journal of Restorative Justiceの、「アートと修復的正義」のついての特集号に掲載されます。私は水俣での朗読活動を取り上げました。過去の水俣病の記憶を引き継ぐ取り組みのなかで、将来世代へどうやって伝えるのかについて、現地の人たちが悩みながらやっている活動する様子を紹介しています。啓発や当事者の声の代弁に焦点を置かず、アートという媒体を用いて、当事者の声を第三者が共有する試みが持つ可能性を論じました。

www.elevenjournals.com

 この特集号はとても魅力的な論文が満載で、DV被害者がフラメンコを踊ることによって自己解放する試みや、ボードゲームを通した修復的正義の可能性、テロリズムの加害者・被害者の対話から生まれるアートなど、これまでに聞いたこともないトピックがたくさん紹介されています。私自身、これからアートについてもっと探究していきたいとも思っているのですが、修復的正義の研究者がこんな多彩で驚きに満ちた研究をしているのは心強いです。これから、まだまだ開花していく領域だと思います。

 Modern Timesさんでは、「千と千尋の神隠し」を取り上げて論じています。今回、しみじみ思ったのですが、私は働くのが好きなんですよね。もちろん、労働問題が山積しているし、私も非正規で働いているので理不尽だと思うこともたくさんあります。でも、非常勤講師の仕事にしろ、バイトでやっていた不動産の接客業にしろ、それ自体は「楽しいな」と思うこともありました。働かないで、お金がもらえるならそれに越したことはないですが。「頑張ってお金を稼ぐぞ!」という気持ちもいつもあります。(私がその才があるのかとか、実際に儲けられるかどうかは別にして)

www.moderntimes.tv

 それから、今年一番びっくりすることが、今日、起きました。感染症の専門家の岩田健太郎さんが拙著をツイッターで取り上げてくださっていました。

 もちろん、岩田さんの名前は拝見していますが、私と全く立場の違う方だと思っていました。一部の意見が全く相容れないことも間違いないでしょう。でも、その岩田さんが、自分の文章を読んで、重く受け止めてくださったことに、めちゃくちゃびっくりしました。「届いてしもうた」と、スマホを見ながらつぶやいてしまいました。私はとにかくこの本は「一所懸命書いた」ので、それを「一所懸命読んだ」と言ってもらえて、こういうこともあるんだな、と……。私はすぐ思い詰めて「もうダメだ」「どうせ伝わらない」と諦めがちですが、そういうのは良くないと反省しました。(そして、伝えてくださってありがとうございまし)

 これからも「頑張って書いていきたい」と素朴に思います。突き詰めて考え、言葉を選んで書いていけば、どこかの誰かが受け取ってくれると信じて、精進したいです。

*1:しかも、1年目は、冬の季節うつみたいなのになりかけたところに、ウクライナ戦争が勃発して、余計にわけのわからない精神状態に! でも、楽しいこともいっぱいあったし、英語の会話で自分を表現しきれないフラストレーションをぶつけるべく、論文書くのをめちゃくちゃ頑張りました。その頃、日本では著書が出版されたんだけど「あ、ありがとうございます!!」みたいな感じで現実感はなかったです。もったいなかったかも?!

近況

 ベルギーはすっかり冬に入ってしまいました。霧が立ち込めて寒いです。帰国が迫っているので、最後にあちこちどこかへ行きたいと思いつつ、外を見ては「今日は家にいよう」と思う毎日です。最近、谷川雁を熱心に読んでいるのですが、こんな一節がありました。

(前略)いま森のなかは露がいっぱいなのです。雨が降っているわけではありません。夜明けから霧が立ちこめ、樹々の葉をぬらし、梢のほうから順に下のほうへ、階段を三段くらいずつ跳びおりるように、ぽたぽたしたたっています。森の全体にやわらかい小さな打楽器の音がしています。

 これがこの辺りの〈つゆ〉の基調なのですね。梅の木はありませんから、梅雨じゃない。遠くの雷はあっても、驟雨にはなりにくい。すっぽり霧をかぶってぬれている日々がつづきます。この霧をうっとうしいと見るか、美しく動く白い素材と見るかによって、この地方の六月の風景観は一変することになります。(25-26頁)

不知火海への手紙

不知火海への手紙

  • 作者:谷川 雁
  • アーツアンドクラフツ
Amazon

 谷川の書いているのは、彼が50代で移住した長野・黒姫の六月の霧についてです。ここで述べられているのは緑の茂る黒姫の初夏の霧のことであり、今のベルギーの十二月の霧とは別物でしょう。でも、正直、ベルギーの霧を「うっとうしい」(私はいつも1時間、歩いて街まで出るのです)と思っていた私は、ちょっと反省したのでした。もちろん、私もこの地に来た直後は、霧が立ち込める農場をずっと眺めていたくらい、とても美しいものだと感じていました。でも、生活のなかで人間の利便性を基準に自然を価値づけるようになるまで、あっという間です。それはそれで、私の生きる現実でありつつも、違う目で風景をとらえることを忘れずにいたいと改めて思いました。

 それはともかく、この「不知火海への手紙」は私はこれまで手に取ったことがありませんでした。谷川といえば、切り詰めた言葉で綴られた詩や、観念的な運動論がよく知られていると思います。たしかに彼は左翼運動のスター詩人であり、筑豊の労働運動のリーダーでした。同時に、こうして彼の書いた後期のエッセイを読むと、独自の言葉で自然をとらえていく文章は優れており、ネイチャーライティングの名手でもあると感じました。「なぜ、谷川雁に熱中するのか」は自分でも謎ですが、もう少し読んでいくつもりです。私は文章が上手い人が好きだ、という理由に尽きるかもしれませんが……

 WebメディアModern Timesの連載では、高畑勲宮崎駿の「太陽の王子ホルスの大冒険」を取り上げました。この作品は、今は懐かしい社会主義リアリズムにのっとって作劇されていますが、若き映像作家たちのコントロールを外れて、いくつもの破綻があります。その一つが、ヒロインのヒルダでした。そこにこそ、この作品の魅力があると論じています。こうやって、シリーズで書いていくと、私の芸術観は「作品が破綻した〈そこ〉から光り輝く真の芸術性を生み出す力が、アーティストの天才性である」というオーソドックスなものだなあとしみじみ思います。ちょっと古臭くて保守的なくらいです。そんな話をこうして好きに書かせてくれるModern Timesさんには頭が上がりません。この記事は特に掲載してもらえて嬉しかったです。

www.moderntimes.tv

 ところで、インターネット上で論争相手や、思想信条の違う人に対する「からかい」の行為の是非が議論されているようです。私の記事も引用されていました。

davitrice.hatenadiary.jp

 確認すると、私がTwitterのアカウントを削除したのはベルギーへ出立する5日前でした。その後、私は国内学会にも出席しておらず、こうした「からかい」の文化ともほとんど接することがありませんでした。その結果、精神的に安定し、研究に打ち込むことができました。個人的には、このような文化とは距離をとってよかったです。

 私は「からかい」という行為のなにが面白いのかよくわかりません。美しいものが生み出されるわけでもありませんし、学術的には無価値です。それでもたくさんの人が「からかい」の行為を続けたいと思うということは、たぶん、そうすることで「楽しい」と感じる人たちがいる、ということでしょう。なので、「からかい」を続けたい人たちは、そのコミュニティ内で楽しむと良いのではないでしょうか。

 幸い日本のアカデミアでも、同世代や若い世代の研究者のなかには、もっと安心して議論できる場を作りたいと思っている人たちはいます。お互いに敬意を持って、建設的なフィードバックを送り合うような研究者のコミュニティを作ることは可能です。私もまだ不安定な身分ではありますが、自分たちの新しい研究のアイデアを形にしていくことのできる場を拓いていくことに貢献したいです。もちろん、従来の「厳しい議論」や「糾弾型議論」が好きな人たちもいるので、その人たちはその人たちで、私たちは私たちで、研究を進めていくのが良いと思うようになりました。「べき論」に陥らず、学会報告や論文といった「目に見える結果につなげる」という目的を、しっかりと見据えていきたいと考えています。

ブログを書かなくなった話。

 小島アジコさんの記事を開いて、「それな」と思った。

最近、同年代のブロガーの人がブログや文章を書くことに対して、書く意欲が減っていくということを書いていて、自分も何か書こうと思ったけれども。

 

めんどくさいのでやめた。

orangestar.hatenadiary.jp

 私の場合は単純に、締め切り迫った原稿がいくつもあって焦ってるときに限って、「ブログ書こうかな」と思い*1、「書いてる場合じゃないだろう」と考え直すパターンが多いです。空いた時間は研究資料読みたいし。どうせのんびりするなら、Netflixでドラマか映画を観るし。なんなら、人と会っておしゃべりでもしたいし。めちゃくちゃ普通のこと言ってるな、私。むしろ、なんであんなに一生懸命ブログを書いていたんだろう、という不思議な気持ちになる。嫌なコメントとかいっぱい飛んでくるのに、毎日、毎日、キーボード叩きまくって、取り憑かれたように書いた。楽しかったんですけどね。

 そういえば、珍しく「はてなブログ」について語ったりはしました。英語だけども。修復的正義の研究仲間のBrunilda Paliが、対談の企画をしてくれてそこで少し触れています。

I was a blogger. In Japan, in the late 2000s, a weblog by a company called Hatena became popular. At that time, academics, activists, professional writers, students, and citizens debated each other regardless of their status. I started blogging as a feminist, using my pen name around 2007 and discussing the issue online on a pretty much daily basis. I wrote book reviews about sexual violence and domestic violence, made my arguments about pornography regulation, and wrote essays about my experiences of sexism (except for sexual violence). I also engaged academics in debate, sometimes harshly criticising them.

Blogging was a common phenomenon for our generation. Those of us born between 1970 and 1982 are known in Japan as the ‘lost generation’. Due to the recession and the popularity of neoliberalism, we were subjected to fierce competition as youths and were forced to work hard for low pay. As a result, we were under-skilled in the workplace, and many of us are still in unstable employment. We were therefore blogging in the late 2000s as a tool to raise our voice. We argued that youth suffer not because of individual ability or responsibility but because of distortions in the social structure. Some of them published several experimental magazines and self-published newsletters, attempting to raise issues about the economic difficulties of young people and new forms of sexuality in the wider Japanese society. Unfortunately, the movement did not make it to the big waves and faded away. As one of those who was part of it, I believe that it did not succeed in changing society.

www.restorotopias.com

 こんな感じですぐ近況報告になってしまい、全然、中身のある記事は書けないのでした。「今ある締め切りが終わったら」と、毎月思ってる気がします。そんなに仕事が多いわけでもないと思うんですけどね。「締め切り」というものの重みかな。たとえ1年後の締め切りでも、ずーっと「あれを書かねば」と思い続けるものなのかも。原稿のご依頼をいただくようになったのも最近のことで、私がこういう仕事の仕方に慣れてないのもあるでしょうが。

 それから、大学での就職が決まらず、不安で「やれるうちに少しでも研究進めたい」という焦りもあります。焦ったからといって成果が上がるわけでもないけれど、焦ってしまうのが人間というもの。こう書いていると、ここのところ、いつも焦ってる気がする。「やりたいことがたくさんあるので時間が足りない」という気持ちがあるがゆえの話なので、それはそれでいいことかもしれない。

 そのほか、ブログ書くのが億劫になった人の記事。

fujipon.hatenablog.com

pha.hateblo.jp

*1:今も。いい加減、目の前の英語論文の修正やらないとどうにもならないけど、ワードファイルを開いて2時間が経過したところです

近況

 ベルギーはすっかり秋が深まり、グレーの空と雨の毎日です。心の準備はしていたものの、うつうつと日々を過ごし、家でぼんやりする時間が増えました。帰国が近づいているので、もっと遊びに行ったり博物館を見て回りたい気持ちはあるのに、休日は「部屋の掃除ができたら上出来」というのが現状です。仕方ないので、ソファで文学作品を読んだりして、そのまま寝落ちしたりしています。街も人がまばらだし、そんなもんなんでしょうね。

 先日、エディンバラ大学で開催されたAsian Philosophcal Textの第4回大会に参加し、報告を行いました。初めて知った学会なのですが、細分化された人文系の学問を統合し、領域横断的に「哲学的なテキスト」を議論する場で、とても面白かったです。私自身は、ずっと水俣の人たちの手記や機関紙などをテキストとして扱い、哲学的に研究してきたので、それを受け入れてもらえる学会が見つかったのは本当にありがたいです。

philevents.org

 それはさておき、渡欧して1年半以上が経っているわけですが、自分の英語力に対するフラストレーションは強くなるばかりで、そこは本当に悩んでいます。もちろん、以前よりは格段にリスニングもスピーキングもできるようになりました。こっちに来るまで、正直、私は自分に対する期待値が低かったので「ちょっと話せるようになればいいわ」くらいに思っていました。でも、やればやるほど欲が出るし、できない自分に腹が立つし、帰国は迫っているし、絶叫しそうになります。語学の上達に近道はないので、焦らず努力を続けるしかないのですが……ただ、以前は「私は英語はできない(たぶん永遠に)」と漠然と思っていたわけで、今の「私は英語が下手だ」のほうが、まだ前向きになっているという気はします。

 普段は相変わらずコツコツと研究をしています。もうすぐ英語の査読論文が出版になりますし、某雑誌へ寄稿した原稿もそのうち公開されるはずです。来年の見通しがなかなか立っていないのですが、ありがたいことにポツポツとご依頼はいただいているので、論文や商業原稿の執筆を中心にした生活になりそうです。本人は大学教員としての正規の就職*1を希望していますが、狭き門なので思うようにはいきません。研究費を獲得して、あと5年は研究を続けるのが目標です。

 WebメディアのModern Timesでの連載は続いています。今回は労働編で3回続きます。第一回は、宮崎駿の労働運動と高畑勲の関係などを中心に書いています。もうすぐ公開される第二回では「太陽の王子ホルスの大冒険」について論じています。正面から宮崎・高畑の社会主義思想を取り上げた渋いシリーズですが、ご覧いただければ幸いです。

www.moderntimes.tv

 さて、お知らせです。長らく活動していた、同人サークル「ズレフェミ屋」ですが、本日(11/20)開催された文学フリマ東京をもって、活動停止・解散となりました。これまで、当サークルに来てくださったかたにお礼申し上げます。最初は栗田隆子さんと二人で始めたサークルだったのですが、いろんな方が合同参加や冊子の委託をしてくださいました。サークルを訪問される方も多彩で、賑やかな活動でとても楽しかったです。ありがとうございました。

 今後は、個人で細々と同人活動を続けようと思っています。新しいサークル名は「薄明通信」にしました。英語だとTwilight Communicationです。気分を一新して、ロマンティックな名前にしてみました。次回は1/15の文学フリマ京都に参加予定です。新刊の谷川雁オマージュのエッセイ集が出せればいいなあと思っています。

bunfree.net

 「なんで、谷川雁なのか?」という自分でも謎の展開なんですが、同人誌は思いつきが一番大事なのです。そして、表紙のデザインを考えたり、印刷所の見積もりを眺めたりしていると、本当にワクワクしてきて「ああ、同人活動最高だなあ」と思いました。なにより、本文の原稿が上がらないと、本は出せないんですが……でも、出したいなあと思っています。

*1:私は授業をするのが好きだし、できれば小規模なゼミとかやりながら、楽しく若い人とともに学ぶ環境づくりをしたい、というふんわりした気持ちがあります。でも、今のアカデミアの状況では叶えるのが一番難しい夢かもしれませんね。

貴戸理恵「「生きづらさ」を聴く」

 

 社会学者の貴戸理恵さんから、新著をご恵投いただいた。タイトルになっている「生きづらさ」という言葉は、ネットでも何度も議論を呼んでいる。ひとを嘲笑する表現として「あのひとは生きづらそうだ」というネットミームもあるようだ。また、社会構造から生まれる問題を、個人の主観的な「つらさ」という感情に還元する言葉であると批判されることもある。長く「生きづらさ」の問題に向き合ってきた貴戸さんは、その批判を受け止めながらも、実際に苦しむ人々に「あなたの問題はあなたのせいではなく、社会の問題なのだ」と(上から目線で)突き詰めればいいのか、と問い返す*1。貴戸さんは次のように述べる。

 個々の人びとがが抱く「独自の人生を切り抜け、歩んできた」という実感は、「他でもない自分の人生」という圧倒的なリアリティのもとで、「社会のせいにしたくない」という誇りや、「数字などの平板な記述によって解釈されうるものではない」という足元の複雑性の手放しがたさを帰結する。こうした社会構造的要因の指摘においそれとは説得されない人びとの素朴な感覚は、「自分の人生を定義するのは自分だ」という主体的な意識を下地としている。その下地に働きかけることなしに、本人の認識を変えようとする営みは、「上から目線」の「啓発」「教育」にならざるをえないだろう。

 社会構造的要因に目を配りながら、当事者による状況定義から出発することが必要だ。そのとき、人びとの足元に転がっている「生きづらさ」という言葉は一つの足がかりになると考えられる。(39頁)

 このように貴戸さんは、「あなたが苦しんでいるのは社会が悪いのです」と教えるのではなく、その人たち自身の言葉に耳を傾け、「生きづらさ」をキーワードにして、現代社会で何が起き、どのように生き延びる術と困難があったのかを明らかにしようとする。ここでいう「生きづらさ」は、10の構成要素「無業および失業」「不安定就労」「社会的排除」「貧困」「格差・不平等」「差別」「トラウマ的な被害体験」「心身のままなさらなさ」「対人関係上の困難」「実存的な苦しみ」に分節化される。ある人が「生きづらさ」を語ろうとするときの、その人のなかにあるいくつかの要素が同時に、まじりあって現出してくることがある。これらの要素は、現代社会の支援制度では、医療・福祉・労働などの各部門により個別に対応されている。「生きづらさ」をキーワードに語ることは、個人の体験を外側から分析するのではなく、本人が内側から吟味し、整理し、理解していくことになり得る。

 このような「生きづらさ」について語る場とし設定されたのが、「生きづらさからの当事者研究会(づら研)」である。この本では、づら研のメンバーの語りをもとに、かれらの体験がまとめられている。メンバーは子ども時代の貧困や虐待経験がある人もいれば、経済的には恵まれながらも教育虐待や不登校の経験を持つ人もいる。かれらの「生きづらさ」は全く異なり、「づら件」で集まるときに、必ずしも共感できるわけではないし、壁もある。しかし、対話のなかで、それぞれのメンバーが経験や考えの違いを理解し、ほかの視点を得ていくような過程がづら件では生まれている。たしかに「生きづらさ」は社会問題を、個人の苦しみへと転化し、自分のことで頭がいっぱいで身動きさせなくするところがある。他方、それをほかの人びとと語るなかで、希望が見えてくることもある。貴戸さんはこのように書く。

「生きづらさ」は、それを抱えている人自身が問題に取り組み、個人的な事情の向こうに構造の問題を見通していく契機にもなりうるのだ。「生きづらさ」という言葉を通じて自己の特徴や傾向を理解することで「自分の人生を生きる」うえでのある種の「落ち着き」のようなものを得ていくことがある。「落ち着き」とは、諦めや絶望ではなく、「過去は消すことはできず、この人生の延長を生きるしかない」と腹をくくることであり、あがきや落ち込みも含めて、一筋縄ではいかない自己を受け入れていく態度である。そのように自己の「生きづらさ」を理解することで、他者の「生きづらさ」に想像をめぐらせることができるようになり、その向こうに共通の構造を見通すことにも開かれていく。(288頁)

 ここには逆説的な状況がある。一度、社会構造から離れ、個人の「生きづらさ」に焦点を当てて語り、他者と対話するなかで、社会構造が見えてくるのである。つまり、社会と個人が「生きづらさ」をキーワードにした他者との対話によって、接続されるのである。

 貴戸さんは、このような異なる人びとによる対話のなかで浮かび上がる共同性は、これからの社会運動の駆動力になることを示唆している。かつてのマイノリティ運動は、差別と闘うために同じ属性を持つものが集まり、共同性を構築した。しかしながら運動体は内部の多様性を肯定するため、同じ属性を持っていてもお互いの階級・ジェンダー・民族等による異なりを認めようとし、ときにはそれが分裂を招いていもいく。「づら研」はそうではない、共通の属性を持たないものたちが共同性を構築するための模索の場でもあった。貴戸さんが、そのなかで鍵を握ると考えたのは「違和を表明できる場や関係性を生み出し続けるプロセスのなかに、新たな連帯を見出す(298頁)」実践であったと考える。すなわち、「同じであるからつながれる」のではなく「つながれなさを通じたつながり」である。

これを象徴するエピソードがある。かつてある参加者が「自分はここにいていいのかな、と思ってしまうことがある」とづら研での居心地の悪さを漏らした。さまざまな参加者の経験を聴いていると「無業ではない自分には、暴力被害を経験していない自分には、ここにいる資格はないのではないか」と思えてしまう、というのである。この発言に対して、「自分もそう思う」とその場の多くの参加者が共感を表した。「自分は「私たち」に含まれていない」というつながれなさの感覚は、まさにそれについて共感し合うことを通じて、つながりへの感覚へと接続されていったのだ。(298-299頁)

 ここにも逆説がある。「自分にここにいていいのかな」という自己否定的な問いかけする者に対して、「あなたはここにいていいのだ」と相手を承認する言葉ではなく、「私もそう感じる」という自己否定的な声が応じることで、共同体の包摂性を高める。誰かが安心させようとする気遣いではなく、みんなが不安であることを共有することが、その場の安心感を培っていく。

 貴戸さんの本を読みながら、私はいろんなことを思い出していた。私のいろんなことの出発点は、性暴力被害者の自助グループがある。そこはまさに「同じ属性を持つものの共同体」で、それだけに内部は濃密で分裂もあった。その限界をいやというほど思い知った。私はその後、別のやり方を求めて、いくつかの属性を問わない読書会や研究会*2を転々とした。自分自身も、2018年に「環境と対話」研究会を立ち上げ、地元で細々と対話の場を設けようと試みてきた。だから、「づら研」で生起している共同性はとてもよく理解できる。異なる人びとの対話には希望がある。

 それと同時に、私は「その前」があったこと、つまり「同じ属性を持つものの共同体」の経験を持つ(人が複数いた)からこそ、「異なる人びとの共同体」を志向できたのだろうとも思うところがある。私たちはすでに、「同じであること」を求めて何度も失敗して痛い目に遭っていた。だから、人びとの異なりに耐え、対話をすることができた。最初から、異なる人びとと出会っていたら、果たして自分はそんなふうに振る舞えたのかわからない。

 私は、「同じ属性を持つものの共同体」と「異なる人びとの共同体」は「あれか、これか」の二択ではないのだろうと思う。前者のあとに後者を経験すべきという、発展段階論的なものでもなく。本当は個人が前者も後者も、必要とするときに参加する場があれば理想的だと思う。同時に、自分がこうした「場」を大事にしてきたからこそ、このような共同体の脆さも痛感している。「場」と「制度」の違いはそこにある。あるとき、きらきらしていたように見えた場も、ちょっとしたことで壊れたり消えたりする。それを維持しようとすると、場の力は失われる。とても抽象的な話になってしまったが、「場の運営」に関わってきた人には伝わるのではないかと思う。

 ところで、本の要点とは全く関係ないが、私が衝撃を受けたのはある「づら研」のメンバーの語りである。

小さい頃は子どもの「醸す」身体性がすごく苦手だった。幼稚園くらいに周囲の園児たちのむんむんした空気が怖かった。(115頁)

 これは、私の幼少期の感覚と全く同じだ。これまで、こんなふうに言語化されているのを見たことがなかったので、読んだときには叫びそうになった。「まさにそれ」であった。子どもなのに、子どもが近づいてくると「やめてくれ」という気持ちになった*3。子ども時代の私は(脳の問題として)感覚過敏だったのだろうと思う。色も匂いも音も、耐えるべきものだった。ちくちくしたセーターが嫌で、硬い布の服が嫌いだった。できれば、ずっと本を読んで家にいたかった(が、そんなことは家庭では許されなかったので、できるだけ人の少なそうな場所でじっと時間がすぎるのを待っていた)。空想世界に逃げて、現実をシャットダウンしようと試みた。この人の語りは、現在も感覚過敏が続いていることへ移るが、私はどんどん感覚は衰えていった。なので、自分は今はかなり鈍感になり、ぼんやり生きていると思っているが、元々がいろんな刺激を脳が拾いすぎるタイプだったのだと思う。ちなみに空想癖だけは治らなかったが、オタクだったので友人の大半も似たようもので、それは気にすることなく大人になった。

*1:これはマルクス主義者による社会運動が長年やってきたことだ。水俣でも同様のことは起きており、肝心の水俣病患者からは全く支持を得なかったことが記録されている。

*2:そのなかには、貴戸さんとやっていた「づら研」とは違う研究会もあった。急にそのときのことを思い出して懐かしくなったりした。

*3:私が子どもを産まなかった理由のひとつでもあると思う。もう大人なので子どもは可愛いと思うし、近づいてきても嫌ではない。そして、一部の子どもは「自分に関心を持たない大人」である私を無害だと判断して近づいてこようとする。私はぎこちなく交流するのだけれど、それが楽しいわけでもなく、多くの大人が子どもに対して覚える興奮感のようななものが、私にはわからない。

栗田隆子「呻きから始まる 祈りと行動に関する24の手紙」

 

 友人の栗田隆子さんが、新著を出版された。栗田さんは、1980年代後半、日本がいわゆるバブル景気に湧く時代に青春期を迎えた。学校制度に違和感を持ち、社会への関心を寄せるなかで、高校に入学するとどうしても学校に行けない「不登校」の状態に陥る。自分でもコントロール不可能な「不登校」という状況と格闘するなかで、キリスト教の信仰に入っていく。神の声を聞くという体験に救いを得ながら、栗田さんは再び社会を問い、運動のなかに飛び込んでいく。そのなかで、疲弊しうつになりながら、再び神に出逢い直す。この本は、月刊誌『福音と世界』の連載がもとになっており、キリスト者としての栗田さんの考えが綴られるとともに、1980年後半から現代に至るまで続く労働や貧困、差別の社会問題が語られ、両者が重なりながら語られていく。キリスト者だけではなく、なにかをよすがに生きてきた人たちに響く本だと思う。