「劇場が閉じた」ことの意味

 新型コロナウイルスの影響で次々と劇場が閉じていく。それに対して、演出家の野田秀樹は「ひとたび劇場を閉鎖した場合、再開が困難になるおそれがあり、それは「演劇の死」を意味しかねません」と訴える文章を発表した。

野田秀樹さん『劇場閉鎖は演劇の死』 公演自粛に意見書」『朝日新聞デジタル』2020年3月1日

https://www.asahi.com/articles/ASN3164G4N31UCVL00B.html

 

 この意見書で、野田さんは劇場閉鎖の前例を作ってはならず、できうる限り、劇場閉鎖を避けるべきだと述べている。また、文章の中で「演劇は観客がいて初めて成り立つ芸術です。スポーツイベントのように無観客で成り立つわけではありません」の書いたことにより、スポーツに対する無配慮を批判された。

 このような文脈で「劇場」を閉じるべきか否かという議論があったのだが、先日書いた「『演劇』と『労働』」*1というエントリーに、「劇場」をめぐって鋭いブックマークコメントがついた。以下である。

id:Nihonjin 単に「お芝居」でなく、労働者側的な意味での「演劇」っていうと俺の中では唐十郎みたいなイメージなので、仮設のテントでなく劇場という建築物と結びつく演劇人は権力側、つまりここで言う会社側の人間だと思ってる

 

 私は先のエントリで、労働者が演劇作品を鑑賞することを通して、生の実感を得ることで擬似体験的に日常生活からの解放を経験する意義があるというようなことを書いた。上のコメントは、そのような労働者にとっての演劇の意義があったとしても、それは「劇場」外で行われるテント芝居のようなものではないか、と指摘している。

 つまり、「劇場」という建築物の中に演劇という事象を囲い込み、チケットを買った人だけがそこに入場できるという制度そのものが、権力側によって作られており、労働者はそこから疎外されているということである。そうであれば、劇場の閉鎖による「演劇の死」とは、あくまでも特権階級の人々にとっての「演劇の死」にすぎないということになる。これはとても鋭い批判であると思う。

 そもそも、演劇に「劇場」は必要だろうか。世界的に著名な演出家であるピーター・ブルックは著書『なにもない空間』で次のように述べる。

 

なにもない空間 (晶文選書)

なにもない空間 (晶文選書)

 

どこでもいい。なにもない空間ーーそれを指して、わたしは裸の舞台と呼ぼう。ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る。もうひとりの人間がそれを見つめるーー演劇行為が成り立つためにはこれだけで足りるはずだ。(7頁)

 ブルックが簡潔に述べているこの文章が、演劇の本質を表していると言えるだろう。演劇とは「見る者」と「見られる者」がいれば成立する。 つまり、演劇の本質とは自己と他者の相互行為にある*2。他方、ブルックは現代では演劇が誤解されていると指摘する。

ところがわたしたちがふつう言う演劇とは、必ずしもそういう意味ではない。真紅の緞帳、スポットライト、詩的な韻文、高笑い、暗闇、こういったものすべてが雑然とひとつの大ざっぱなイメージの中に折り重なり、ひとつの単語で万事まかなわれているのである。映画が演劇を殺す、などとわたしたちは言う。そのときわたしたちが思い描いているのは、実は映画の草創期のころの演劇、つまり切符売場やらロビーやらリクライニング・シートやらフットライトやら装置転換やら休憩やら音楽やら、そういったものによって現される演劇であって、まるで演劇とは本来こういうものにほかならないのだといわんばかりだ。(7頁)

 上のブルックの文章は1968年に発表されているため、現在読むと、やや古めかしかったり違和感もあるかもしれない。だが、言っていることは、いわゆる建築物としての「劇場」は演劇の付属物であって、演劇の本質ではないということである。すなわち、本質的な意味では演劇は(建築物としての)「劇場」は不可欠ではない。なぜならば、自己と他者の互いのまなざしの間に生まれる「劇場空間」こそが演劇に必要であるからだ。むしろ、「劇場」という制度から解放され、街頭や野外、テントなどによって形成される「劇場空間」の探究が、1960年代以降の現代演劇では行われてきた。その意味で、Nihonjinさんが提起している、建築物としての「劇場」を守ろうとする態度は、権力側につくことでしかないという指摘は一理ある。

 それでは、演劇が本質的には「劇場」を必要としないのであれば、演劇とその他の事象の境目はどこにあるのだろうか。自己と他者の相互行為の場は無限にある。たとえば、隣にいる人に鉛筆を借りることも、協力しあって掃除することも、誰かと料理をすることも相互行為である。そこに誰かが「劇場空間が成立している」と言ってしまえば、それが演劇になってしまう。演劇の概念が無限に広がり、「なんでもかんでも演劇」になってしまう。そうすると、演劇の概念は空虚で力を持たないものになる。

 たとえば、スポーツを観戦する観客と、スポーツ選手の間にも劇場空間は成立しうるだろう。甲子園球場で行われる阪神戦はまさしく演劇的である。応援団長の身振り手振りに合わせて、いっせいに観客は選手に向かって声を張り上げ、応援のメッセージを送る。また、ミスがあれば立ち上がって罵声を浴びせかける。それに応じて、選手は気分を盛り上げたり、プレッシャーに苦しんだりする。ここには「見る者」と「見られる者」の相互行為があり、劇場空間が立ち上がっており、演劇的行為が行われている。そういう意味ではスポーツには、演劇と重なる側面がある。

 だが、スポーツの本質はそこではないだろう。たとえば、阪神戦で無観客で試合をしたとする。そこにはいつもの興奮や盛り上がり、選手の緊張感もなく、試合の醍醐味にかけるかもしれない。しかしながら、その欠落感は、得られた試合の勝敗結果を損ねるものではないだろう。同様に陸上選手の競技会が無観客で行われて世界記録が出たとして、「これは観客がいなかったから、結果に意味はない」とはならない。やはり、記録は記録だろう。つまり、スポーツには演劇的な側面はあっても、本質は「見る者」と「見られる者」の相互行為ではないということである。

 ほかの例にしても、相互行為があったとしても、鉛筆を借りたつもりで、それが存在しない鉛筆であれば、「鉛筆を借りた」とは言えないだろう。だが、演劇ではそれがありえる。なにもない空間、小道具すらなにもない中で、架空の鉛筆をパントマイムで貸し借りする。それを観客が見ている。ここでは、実際に「鉛筆を借りる」ことは起きていないのに、「見る者」と「見られる者」の相互行為は存在する。掃除にしても、料理にしてもそうだ。相互行為はあっても、掃除も料理も実際には完了しない。なぜならそれは演技であって、実際に掃除も料理もしていないからである。にもかかわらず、観客は演技者が掃除や料理をしたところを「見た」。この「見る」だけ、「見られる」だけという生産性が全くないこの行為こそが、演劇の本質である。

 ここまで突き詰めて考えていくと、もはや建築物としての「劇場」など本質的な意味では演劇に必要ないということになる。では、新型コロナウイルスによって「劇場が閉じた」ことに問題はないのだろうか。これについて二点を書いておきたい。

(1)比喩としての「劇場が閉じた」こと 

 私はここまで究極的な意味で、演劇は「見る者」と「見られる者」の相互行為であると書いてきた。だが、この相互行為こそが、今回の新型コロナウイルスの影響で妨げられている。今回の感染症は、人間同士が会い、話すことで広がっていく。だから、感染症の蔓延を防ぐために、私たちは極力相手との接触を減らすようになる。これはまさに、相互行為を自粛するようになるということである。

 つまり、演劇は本質的な意味で撤退を余儀なくされている。単純に建築物としての「劇場」が閉じただけではない。「見る者」と「見られる者」が存在する場所、すなわち「劇場空間」が閉じられていく。現状では街頭、野外、テントにおける公演であっても、感染拡大防止のために自粛が要請されている。その意味では、建築物としての「劇場」だけではなく、あらゆる「劇場空間」が閉じられていったのである。

 おそらく演劇人は敏感にこのことを察知している。これまでも検閲や不況によって「劇場」が閉鎖されたことはたびたびある。また、既存の「劇場」に新しい表現が受け入れられないこともある。もちろん、それらも演劇人にとって由々しき問題ではあるが、「劇場がダメなら他の場所に飛び出そう」という発想はこれまでも繰り返し出てきた。たとえば、もともとの小劇場演劇は、既存の「劇場」では公演できない新しい創造の場を自分たちでつくろうとして始まっている。演劇人*3にとって弾圧や抑圧、既存の芸術との闘いは新しい表現を生み出す原動力になるはずである。

 ところが、新型コロナウイルスの演劇に対するインパクトは、場所を変えても「見る者」と「見られる者」の相互行為を行おうとする限り、自粛せざるを得ないということになる。他者に接触しようとすること自体が危険であるからだ。これは、従来の「劇場」の閉鎖という意味以上に大きな影響を与える。もっと言ってしまえば、演劇人としては、自分たちの武器の全てを取り上げられたような気分に陥るのではないか。

 もちろん、今回の新型コロナウイルスによる建築物としての「劇場」の閉鎖をきっかけに、オンラインでもさまざまな試みが生まれ始めている。この状況に陥ってからまだ数ヶ月であるため、革新的な新しい演劇の表現や劇場空間のありかたは見えてきていないが、世界中の「劇場」の閉鎖をきっかけに、こちらが想像もできないような作品が出てくるような可能性もある。そのとき「見る者」と「見られる者」の意味を問い直すような動きもあるかもしれない。

 ただ、今はまだその形は見えてきていない。だからこそ「劇場が閉じた」ということのショックは演劇人には大きいのだろうと推察はできる。

(2)実験室としての「劇場」

 さて、これまで本質的な意味で演劇には建築物としての「劇場」は必要ないと私は論じてきた。確かに本質を突き詰めていればそうではあるが、私は演劇には便宜的には「劇場」があったほうが良いと考えている。それは、「劇場」には社会における実験室としての意義があるからだ。

 建築物としての「劇場」は奇妙な場所である。お互いがこれからつくりごとの世界で、お芝居を擬似体験するという前提で、お金を払って中に入っていく。「これから舞台で起きることは間違いなく虚構ですよ」という確約がなされている*4。「劇場」では騙すものと騙されるものの共犯関係があるのである。その結果、得られるものは「安心」である。観客は安心してここで起きていることが虚構であると楽しむことができる。たとえ、舞台上で人が殺されても、慌てて救出にいく必要はない。なぜなら、これは虚構であるという暗黙の了解があるからだ。これに対する強烈な違和感を持ち、「演劇は嫌いだ」という人もいる。それはそうだろう。「劇場」は不自然で人工的に作られた場だからである。

 これは科学の実験室を想像してもらうとわかりやすい。実験室では極力、データに影響が出ないように、実験環境を整える。実際の世界で起きている自然現象にそのまま立ち向かうのではなく、人工的な空間で一定程度の結果を得ることを目的としている。中には「実験室のデータでは生身の人間や世界のことはわからない」という人もいる。それも一理あるが、科学実験であるからこそわかることもある。

 同じように「劇場」で行われていることは、社会と切り離され、実際に身の回りで起きている問題に直接的に関わっていくこととは異なる。だが、その密室の中で実験的に行われる虚構の中で、初めてなにかの「事実」に触れることがある。それが、前回の記事で書いた「生の実感」であるかもしれないし、ふだんは見ないようにしている自分の感情や人間関係の機微かもしれない。そこで得られる「なにか」は言葉にし難い、感性的な経験だろう。

 そうであっても、そうした「なにか」を得ようとする観劇体験は、やはり建築物としての「劇場」にいく人だけに与えられる特権的なものにとどまる。ここでいう「特権」とは、単純に経済的な格差だけではない。子どもの頃から演劇に触れる機会や、劇場にいく機会があったか。また、自分の必要なものが「劇場」で得られると思うことができるか。こうした目に見えにくいが確実にある人々の格差がある。そして、演劇人の側がその格差を打ち破るような仕掛けを作り、劇場をより開かれたものにしてきたか/これからしていこうと思うのか、は私にはわからない。

 繰り返しになるが、私は演劇を専門として研究しているわけでもなく、観客としても少し「劇場」から遠ざかっている。私は原理的には「劇場」は社会に「実験室」として存在意義があると考えているが、そうした実験としての演劇を志す演劇人がどれほどいるのかわからないし、少数派ではないかと感じている。なので、この記事も、一つ前の記事も、あくまでも演劇の理念について書いたものであって、実態にそぐわないかもしれない。ただ、このような文章が演劇について語りたいが、語る言葉がまだ足りないと感じている人の、何かの助けにはなるかもしれないとは思う。

*1:「演劇」と「労働」 https://font-da.hatenablog.jp/entry/2020/05/09/142954

*2:これについては、同様の指摘が次のブログにもある。nyakapoko「平田オリザのいう「演劇の意義」を解釈する(https://nyakapoko.github.io/post/10_engeki/

*3:野田や平田がそこに当てはまるかどうかはおいておいて、本質的な意味で

*4:そうではないこと標榜した演劇作品もあるが、ここは一般論としてそうしておく。

「演劇」と「労働」

 ここのところ、演劇の話題が続いている。演劇人が新型コロナウイルスの影響で公演や稽古を中止せざるを得ず、経済的影響が劇場、劇団、舞台の技術スタッフ等多岐にわたり大きいため、支援を訴えているのである。野田秀樹鴻上尚史横内謙介といった著名な演劇人が声を上ているが、いま、もっとも注目を集めているのが平田オリザである。平田さんは、その発言に対して批判が殺到し、炎上し続けていると言ってもいいだろう。

 特に議論を呼んでいるの、平田さんがNHKの「おはよう日本」で日本の政府による支援策の課題を指摘した点である。平田さんは、以下のように製造業と比較して、演劇に対する支援策の難しさを述べている。

製造業の場合は、景気が回復してきたら増産してたくさん作ってたくさん売ればいいですよね。でも私たち(引用者注:演劇人)はそうはいかないんです。客席には数が限られてますから。製造業の場合は、景気が良くなったらたくさんものを作って売ればある程度損失は回復できる。でも私たちはそうはいかない。製造業の支援とは違うスタイルの支援が必要になってきている。観光業も同じですよね。部屋数が決まっているから、コロナ危機から回復したら儲ければいいじゃないかというわけにはいかないんです。批判をするつもりはないですけれども、そういった形のないもの、ソフトを扱う産業に対する支援というのは、まだちょっと行政が慣れていないなと感じます。

「文化を守るために寛容さを」劇作家 平田オリザさん(NHK NEWS おはよう日本

https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2020/04/0422.html

 以上で平田さんが指摘しているのは、産業構造が異なれば、経済支援のスタイルも変えなければならないということである。これまでの日本政府の経済支援は、主に製造業を中心としてモデル化されてきた。製造業の場合は、一時的に減産しても、インフラへの投資や商品開発、業務効率化などを通して増産することができれば、収益をあげることができる。そのため、政府の支援策も増産のチャンスを増やすような投資を助けるための、低金利融資や補助金のスタイルになりやすい。たとえば、経産省の施策の一つである「持続化補助金*1」はまさにこのスタイルであり、現在も新型コロナウイルスの影響を受けた事業者への補助金を増額している。他方、演劇をはじめとした芸術分野や観光業*2では、そもそも「増産」ということが難しい。そのため、「増収によるリターンを目指す投資」とは異なる支援策が必要だと言うのである。

 しかしながら、この平田さんの発言は「製造業」に対する無理解であるとして、厳しく批判されることになった。なぜならば、製造業はもちろん、あらゆる業界が新型コロナウイルスの影響で苦境に立たされている状況だからである。確かに製造業の工場の多くは自粛の対象となっておらず、稼働しているところも多い。だが、すでに工場で従業員での感染例は出ており、この状況で出勤して働かなければならない従業員は感染リスクに直面している。また、今後はウイルスの影響で世界的な不況に突入する可能性が高く、減収も予想される。従業員も今後、雇用が不安定になる不安も大きくなっているだろう。決して、新型コロナウイルスの状況が好転すればもっと儲けられるという楽観はできない。

 もちろん、平田さんも製造業を貶めるという発言意図はなかっただろう。しかし、この状況において、製造業の苦境を過小評価しているというふうに、ネット上で捉えるひとが多く激しい拒否反応が起きた。平田さんはこれらの批判に対して、次のように補足記事を書いている。

「NHKにおける私の発言に関して」

http://oriza.seinendan.org/hirata-oriza/messages/2020/05/08/7987/

 上の記事の中で、平田さんは自らの発言が製造業を貶めているというのは悪意的な切り取りによる解釈であり、実際には産業構造に合わせた支援策が必要だとしか言っていないと主張している。また、政府も芸術分野における支援策については検討中であり、今後の採用可能な異なる支援スタイルとして「座席稼働率をもとにした演劇人への支援策」の例示もしている。

 私は演劇は全くの専門外なので、詳しいことはわからないが、平田さんのこの主張はおおむね妥当なのだろうと思う。他方、私は専門外とはいえ、大学の学部生の時には演劇を研究し、文化政策についても興味を持って本をよく読んでいた。だから、平田さんの主張は「だいたいわかる」と同意するのであって、そうでない人に文化政策やアートマネジメントからのアプローチであることや、その意義は伝わらず、ただただ「批判を受け止めない人」であるという印象が強まったようだ。平田さんと批判者の間の話はあまり噛み合っていない。

 さて、平田さんの発言の意図や妥当性の話はさておき、「演劇人が製造業の人を見下しているのではないか」という疑念は、ある程度、多くの人に共有されているのではないだろうか。つまり、今回の平田さんの発言はきっかけにすぎず、もともと、演劇人は「労働者を見下しているのではないか」と怪しんでいたが、それが爆発したということである。では、なぜそのような疑念が広がっているのだろうか。

 この点について、姫田忠義『ほんとうの自分を求めて』を取り上げて考えてみたい。なぜなら、姫田さんはまさに「製造業」の労働者であったが、演劇の魅力に取り憑かれ、会社を辞めてしまったという人だからである。 

ほんとうの自分を求めて (クリエ・ブックス)

ほんとうの自分を求めて (クリエ・ブックス)

  • 作者:姫田 忠義
  • 発売日: 2013/12/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 姫田さんは1928年に神戸で生まれた。姫田さんの父親は8歳から丁稚奉公をし、朝鮮半島へ船に乗って出稼ぎにいき、兵役を果たしたあと、ガス工場で70歳まで勤め上げて、結核で倒れて亡くなった。姫田さんは子どもの頃から父親に「遊び人(あそびど)になるな、働き人(はたらきど)になれ」と言い聞かされていた。ここで言う「遊び人」とは、無職の人やぶらぶら遊んでいる人、ばくち打ちなどに加えて、音楽家や画家、小説家なども含んでいる。当然、演劇人も「遊び人」であった。

 姫田さんは戦争が始まると16歳で少年飛行兵に志願し、軍隊に入った。そこでは上官に殴られ、敵襲がくれば死を覚悟した。また、地雷を抱えて敵の戦車の前に転がり出る対戦車肉弾攻撃の訓練もしていた。ところが突然終戦の知らせを受け、姫田さんは呆然とする。そして、故郷に帰ると兄の支援もあり神戸高等商業学校(現在の兵庫県立大学神戸商科キャンパス)に入学した。入試にある「デモクラシー」という言葉に面くらい、授業もまだろくにないので旅に出る。あまりの社会変化に呆然としながらも、哲学書を読み漁り、卒業論文では「価値とはなにか」について必死に書こうとするが書ききれずに卒業した。まだ勉強したいという気持ちはあったが、食うためにとにかく新扶桑金属工業(現在の住友金属工業)に1948年に就職する。

 姫田さんは研修で工場で働いた後に、労務課の賃金計算係に配属される。しかし、計算が苦手でよくミスをして周りの女子社員に助けてもらっていた。そんななかで姫田さんは、会社の演劇部の若い女子社員に「演出をやってほしい」と頼まれる。しかし、姫田さんは父親の影響もあり、芝居など大嫌いで、学校の演劇部も「なんてにやけたやつらだ」と思っていた。だから断ろうとするが「あんたは理屈いうさかい。理屈がいえれば演出ぐらいできるでしょ」という意味不明な理由で押し切られ、仕方なく引き受けることになってしまう。

 姫田さんは会社の演劇部に入ると、それまで「遊び人のすること」として嫌ってきた芝居の世界に魅了され始める。姫田さんはその理由は、誘ってくれたのが同じ会社働いている人々であり、かれらが「ひと一倍まじめな働き手」たちであることを知っていたからだという。姫田さんは以下のように書いている。

 そのひと一倍まじめな働き手たちが、昼間の仕事が終わり会社のクラブにあつまってけいこをはじめると、まったく人がかわったようになった。せりふのひと言、ひと言に敏感に反応し、笑い、泣き、おこった。そしてその感情の高ぶりが、けいこの外まではみだし、本気で笑い、泣き、おこった。勤務ちゅうにはぜったいに見せることのないはげしい感情の起伏だ。私はそれに目をみはり、心をうたれた。そして私自身も、そのはげしい感情のうずのなかにとびこんでいった。(116頁)

 姫田さんは、芝居を始めるまでは会社員として感情をあらわにしないようにして生活してきた。仕事に感情は邪魔だからだ。だがそうやって感情を抑制することで、感受性が鈍るのではないかとおそれるようになる。また、姫田さんは身の回りの人々が押し殺してきた感情を、演劇作品の中で代弁したいと考えるようになる。たとえば、職場で知らないうちに事件に巻き込まれ、仕事を失って悩み苦しむ弟の代弁を試みた。自分たちの置かれた状況を演劇を通して表現することの面白さにのめり込んでいくのである。

 その姫田さんの転機となるのが、会社内に発生していた「珪肺患者」を作品にとりあげようとしたことである。珪肺は製鋼業に起こりやすい職業病であるが、当時は法律で取り扱いが決まっていなかった。そのため、会社は社員が珪肺病であると訴えても、肺結核であると退けようとする。その珪肺患者と会社側の攻防戦が社内では起きていた。姫田さんはそこで「なんで珪肺とみとめてくれんのや! おまえらはわいを見殺しにする気か!」という声を聞いた。また、ほかの人からは珪肺患者が会社の診療所の医師に「会社がみとめてくれへんのはおまえのせえや! おまえが診断書を書かんからや! わいはおまえを殺すぞ!」と迫った話を聞く。患者の数は多くなかったが、その人たちの生命にかかわることとして姫田さんは重く受け止め、せめて芝居の中で代弁してあげたいと思うようになった。そのための台本を書き始める。ところが、そこで次の壁に直面した。

ひとつのことばが私の耳おくになりつづけていた。「わいはおまえを殺すぞ!」、珪肺患者が、診療所の医師にむかってなげつけたことばだ。このひと言に、どれだけふかい、重い思いがこめられていることか。おれが代弁しなきゃならないのはこれだ、これだけだ、と私は思った。そしてそのためには、舞台の上でこのことばをしゃべらせてはいけない、患者を演じるものがこのことばをしゃべれば、そのとたんに、このことばにこめられた思いのふかさが、重さがすっとんでしまう、ただのおしゃべりになってしまう、と私は思った。芝居の演技者は実際の患者ではない、だからどんなに真剣に熱烈に、演技者がその患者の気持ちになろうとしても、しょせんはまねをしているにすぎない。とするなら、こういうもっとも大事なことばをつかわないで、しかもこのことばのもっている思いのふかさ、重さをあらわす方法はないだろうか。幾晩も私は考えつづけた。そして思った。そうだ、医師を殺すことだ。ことばでしゃべらず、じっさいに(芝居のなかで)医師を殺す。そういう方法でしか実際の患者の思いのふかさ、重さをあらわせないと思った。(122頁)

 このように、姫田さんは苦しんでいる当事者が心から発した言葉を、他者が「演じる」ということについて、考えを掘り下げていったうえで「殺す」という表現に転化することに思い至る。これはまさしく演劇的な転化であると言えるだろう。当事者の声を代弁するだけであれば、シンポジウムを開いて活動家や研究者、支援者などが語ることもできるだろう。だが、姫田さんは、当事者の叫びとしか言えない「極限状態の言葉」を、他の人が代わりに語ることはできないと考える。だから、それを語るのではなく「実際に殺してしまう」という虚構の物語に書き換えるのである。それを演じることにより、当事者の「思いのふかさ、重さ」を表現しようとした。だが、姫田さんは次の壁に直面する。

会社の勤務がおわると寮にとんで帰り、書くことに熱中した。医師を殺す場面まではそうとうなスピードで書いた。が、そこへきたとたんにペンが進まなくなった。いざその場面になると、どうしても医師が殺せないのだ。私はあせった。「これは芝居や、絵空事や。現実の殺人とはちがうんや」、なんど自分にいいきかせたことか。だが、だめだった。たとえ絵空事のなかでも、私はどうしても人が殺せないのである。「なさけないやつやなあ、おまえは」、私は自分がはがゆかった。とうとう殺しの場面はやめてしまった。できあがったものは、患者や医師の真理をごたごたとしゃべるおしゃべり劇でしかなかった。「おれはなんで殺せなかったんや」、書きおわったあとも私はそう自分に問いつづけた。昼間の勤務ちゅうなのに、ぼんやり思いにふけっていることがあった。そしてあるとき、その昼間の勤務ちゅうに、はっと思いあたった。「そうや、おれはなにかに遠慮してるんや。それで思いきって書けなかったんや。なにに、だれに遠慮してるんや? 会社や! おれは会社に遠慮してるんや!」(122-123頁)

 姫田さんは、自分が「殺す」場面を書けないのは、会社に遠慮があるからだと思い当たる。もちろん、自分がこんな脚本を書いたことで批判されるおそれもある。それに、会社の演劇部の作品であるから、演じた同僚も批判されたり、社内の立場が悪くなったりするかもしれない。姫田さんは自分がそうしたことをおそれていることに気づく。そして、次のような心境に陥る。

「こんなことじゃ、おれは思いきった芝居が書けへん。いや、芝居が書ける書けんの問題やない。おれが思いきった自由な考え方、生き方ができるかでけへんかの問題や。こんな右を見、左を見しているような生活をつづけていたら、おれはきっとあかん人間になってしまう」(124頁)

 姫田さんはこのように思い悩むようになる。先輩からは「なれ」の問題だと言われるが、このような生活になれてしまっていいのかとさらに逡巡する。そして、もっと生きている実感を得たいという気持ちはますます強くなり、ほかの事情も重なり、退職して東京に出て演劇をやって暮らしていくことを決意する。ところが、会社の上司は頑なに退職願いを受け取らず、阻止しようとする。その上司は与謝野鉄幹と晶子の子どものうちの一人だった。ついに姫田さんの退職が決まった後、この上司はのみ屋でこんなふうに語った。

「君、芸術家というのはよくよく貧乏を覚悟せなあかんぞ。おれはそれをよう知っとる。おれの親はもう徹底的な貧乏やったからな、おれにはそれがこたえた。芸術家になんかになるもんかと思うた。それで君をそういう道にすすませとうなかったんや」「住友には川田順歌人)や源氏鶏太(小説家)がいる。みんな会社につとめながらやってる。君もそうやれ、とおれは思うてた」「これからの日本は、おれの親の時代のようにこじきしてても食えるというようにはいかんとおれは思うてる。戦前までの日本は、十年周期ぐらいで景気がようなったりわるうなったりしよった。それでおれの親のようなひとでもなんとか食えよった。けど、これからはちがう。この会社にしても日本全体にしても、これからさきどう生きのびていったらええか、考えてみればお先まっくらや。そんな時代に、おおそうか芸術家になるか、しっかりやれ、いえると思うか」(139-140頁)

 上司は芸術家の家族に生まれ、現実を知っているからこそ、姫田さんを止めようとした。この上司の言葉に頷く人が、現代では多いかもしれない。これは1953年ごろの話である。経済的に先行きが見えない社会で、若者が芸術家になろうとするのを親心として止めようとしたのである。

 また、姫田さんの両親も演劇をやっていくことには反対した。父親は「遊び人」になることに怒り、母親は泣いた。また、姫田さんが高等教育を受けることを支援した兄も怒った。兄は学歴差別の中で苦しんできたからこそ、姫田さんを無理してでも進学させたのである。だからこそ、住友金属工業への入社は家族の誇りであった。姫田さんはこれらの家族の期待を裏切り、仕事をやめ、演劇のために東京に出ていくのである。

 その後、東京に出た姫田さんはどうなるのだろうか。ここから先の姫田さんの人生はさらにあちこちに転がり続けるので、気になる人はぜひ本を読んで欲しい。姫田さんは、アイヌの暮らしを記録したことで有名な映像作家であり、日本の映像人類学の先駆者であると位置づけられ、国際的にも高く評価されている。

 では、この姫田さんの話から何が言えるのだろうか。第一に、少なくとも1950年代には演劇人は「遊び人」であるとされ、冷ややかな視線が注がれていたということである。勤勉な労働者によって、芝居をして遊んでいるようなものは、唾棄すべき存在なのである。今でも日本社会では、汗水流して働くことこそが、人間にとって大事なことであるという規範は強く、勤労意識も高い。近年はワークライフバランスなどの言葉も取り沙汰され、「労働」と「余暇」、または「職場」と「プライベート(家庭)」の両方が人間には必要であるという主張も強まっている。しかしながら、まだまだ労働を重視する価値観は根強い。

 だが、姫田さんの話を見ていくと、まさに労働から表現の欲求が生まれているのがわかる。演劇部の活動で、ふだんは見られなかった同僚たちの人間としての生々しい感情の表現に触れ、自らも押し殺してきた感情を解放させ始める。また、身近な人や職場で起きている問題を、演劇の表現を通して代弁しようと試みる。姫田さんの話の中で、労働と演劇は全く切り離されていない。むしろ、労働の経験こそが、姫田さんの演劇作品を生み出しているのである。ここで、両者は繋がっている。

 その意味で演劇は、本来は労働者にとって必要なものでもあるはずだ。多くの人は賃金を得るために働く中で、自分を押し殺し、意に沿わぬ行為もせざるをない。たとえば、学校でのいじめであり、職場での差別であり、家庭内の暴力であり、近所でのいさかいであり……その息苦しさや抑圧を感じていたとしても、言葉にすることは難しい。その中で演劇を見ることは、自分たちの葛藤が舞台上で演じられているのを目にすることになる。舞台上の虚構の物語の中に入り込むことで、普段から抱えている、言葉にならないような何者かが語られ、俳優の演技によって解放されていくのを擬似的に体験できる。そのことにより、観客もまた生の実感が得られるのではないか。

 第二に、それでも演劇は労働者としての生活の規範を逸脱しうるということである。もし、労働者演劇こそがすばらしいとすれば、姫田さんの退職を止めた上司のように、働きながら芸術を続ければよかった。だが、姫田さんは労働の中で自分の生きる実感は奪われていき、感受性が鈍り、「あかん人間になってしまう」と感じるようになる。だから、姫田さんは職場をやめてしまうのである。そして家族の期待を裏切ることになる。

 労働者としての生活を守るためには、珪肺病の問題も見なかったことにして、職場の仕事を感情殺して淡々と行うべきだろう。だが、姫田さんは演劇を通してそれができなくなっていく。目の前にある問題を代弁し、その当事者の思いのふかさ、重さを表現したいと考えるようになる。だが、それを決行すれば労働者としての生活は破綻してしまうかもしれない。そのため、姫田さんは演劇と労働のどちらかを選ぶしかなくなって、仕事をやめてしまう。その意味で、演劇は労働を否定するものになり得る。

 その意味では、演劇人は現代社会の「生贄」であるとも言えるかもしれない。観客となった労働者は、客席から演劇を観ることで、「生の実感」を擬似体験することはできるが、実際の労働者としての生活は失わずに済む。演劇人が安定しない経済状況で、作品生活に魂を削って打ち込むことで、労働者はその成果を対価を払って受け取ることができる。だからこそ、演劇は社会で必要とされるのではないだろうか。ふだんは心を殺して働かねばならないとしても、劇場に行き、生の実感を得て擬似的に解放される。その倫理的善悪はおいておくとして、それは(今よりもっと)多くの人たちが求める経験になり得ると思われる。

 第三に、では日本の演劇は実際に、そのような社会の問題に向き合うような作品を制作しているのだろうか。また、そのことを姫田さんのような水準で語れるのだろうか。私はこの点についてはまったくわからない。そもそも、私が第一と第二に述べたような演劇への期待は、実際の演劇人の実情とはかけ離れたもののようにも思う。姫田さんの本が出版されたのは1977年であり、今よりずっと実存の悩みが真剣に取り扱われた時代である。また、私はロスジェネ世代にあたり「自分探し」世代でもあるので、姫田さん本の表題にある『ほんとうの自分を求めて』というテーマは共感するが、現在は「本当の自分なんてない」というニヒリズムのほうが優勢である。私は姫田さんの言葉は深く受け止めるし、心が動かされるが、それが今の演劇にそぐう話題であるのかわからない。ただ、世代にかかわらず、このような姫田さんの語る演劇の経験こそが、心に刺さり、演劇に引き付けられる、という人も一定数はいるように思う。

*1:「持続化給付金」が最大200万円を給付し、その使用目的を問わないのに対し、「持続化補助金」は最大50万円(新型コロナウイルスの影響がある場合は100万円)を、設備改修、商品開発、業務効率化などに対する投資を補助する。補助金の書類では新型コロナウイルスの期間を増産に向けた「助走期間」であるとみなすことが推奨されている。

*2:しかしながら、「持続化補助金」では宿泊業への補助の強化は明記されているので、経産省側では観光業でも増産が可能だとみなしているということだろう。実際に、Wi-Fi環境の整備や多言語対応、会計処理の整備等で補助申請をする観光業の事業者も多いと思われる。

男性から男性へ語ること

 ナインティナイン岡村隆史さんの発言が大炎上している。岡村さんは2020年4月27日のラジオ番組の「オールナイトニッポン」で以下のように発言した。

苦しい状態がずっと続きますから、コロナ明けたら、なかなかのかわいい人が短期間ですけれども、美人さんがお嬢やります。これ、何故かと言うと、短時間でお金をやっぱり稼がないと苦しいですから、そうなった時に今までのお仕事よりかは。 

スポニチによる書き起こし記事を参照)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200427-00000196-spnannex-ent

 はじめに書いておくが、私はこの岡村さんの発言は下劣だと考えている。この発言から滲み出るのは、「経済的に苦境に陥った女性たちを高みの見物をして楽しむ態度」であり「その女性たちの頬を札びらで張る態度」である。すなわち、経済的に恵まれ*1、安全な場所から女性たちの困難を見下ろして楽しんでいる態度が、岡村さんの発言からは読み取れるのである。これは下劣であり性差別的であると言えるだろう。

 それと同時に、岡村さんの発言に対する周囲の反応は総じて批判的でありながら、実は内容は様々に異なっている。そして評価が大きく割れたのは、上記の発言が起きた翌週の、4月30日の「オールナイトニッポン」で矢部さんが出演し、岡村さんを批判したこと、さらにその内容についてである。矢部さんを支持した人もいれば、批判した人もいる。私はどちらかと言えば、矢部さんを支持する側に立っている。

 そこで私は矢部さんによる岡村批判を中心に、以下で3つの点について書いておきたい。なお、この件について考えるためには、実際に当日のラジオ番組を視聴したほうが良いと思う。2020年5月4日まではradikoというアプリで番組がいつでも聴ける状態であるので、ぜひ確認して欲しい。岡村さんと矢部さんのやりとりは、あくまでも話し言葉*2の掛け合いであるため、書き起こしでお互いに伝えようとしているニュアンスがわかりにくい。

(1)痛みとともに語ること

 矢部さんの発言は、フェミニズムの視点から厳しく批判されている。これは、矢部さんが岡村さんの発言の背景には、性差別があるが、それを是正するために女性と付き合い、結婚するべきだという趣旨の話をしたからである。これは、男性が自らの偏見を乗り越えるために、女性を道具的に使おうとする態度であるとして批判された。矢部さんの発言は、一見、反性差別のようだが、実際には男性同士が女性について勝手に役割を決めて負わせようとする、性差別的振る舞いだというのである。

 これについては、実際の発言内容の字句を追っていけば、全くその通りだと言えるだろう。矢部さんは、岡村さんを批判する中で、典型的な家父長制に基づく男性像を何度も披露している。たとえば、「女の人はすごい」「男のほうがアホだから女の人に甘えてしまう」「結婚して子どもができたらお母さんが監督」などの発言は、男性が女性に抱く「聖母」の幻想であると言えるだろう。男性も女性も同じ人間であり、互いを尊重していくというシンプルな反性差別ではなく、家父長制の中で女性の地位を向上させようとしているにすぎない。全くラディカルではないため、フェミニズムの視点からは不十分であると言われていることには私も同意する。

 それと同時に、私は矢部さんの発言を素朴に「よい」と思った。なぜなら、このラジオ番組で矢部さんが言葉に詰まりながら、岡村さんに伝えようとしていることは、「人は変われる」ということだと聞き取ったからだ。矢部さんは一方的に岡村さんに「説教」する形をとっているが、実は自分の恥もさらしている。19歳の頃の矢部さんは、すぐに芸人として芽が出た岡村さんとは違い、自信をなくし自分の殻にこもってしまい、周囲の先輩ともうまくいっていなかった。その頃の矢部さんに、岡村さんは「性格を変えろ!」と一喝した。それから、矢部さんは自分を変えようと努力し、先輩たちとのコミュニケーションを取るようになっていき、上手くいくようになった。だからこそ、矢部さんはいま、49歳の岡村さんに「性格を変えろ」と言うのだという。

 ここで、矢部さんが「変えろ」だというのは、先の発言内容だけではなく、女性や目下の人に対する態度の全てである。特に女性に関しては、岡村さんは過去にトラウマを持っていることもあり、女性を敵だと思っているところがある。また、「全く女っ気がないとは誰も思っていない」と指摘し、いくらでも女性とデートのチャンスがあるのに、それを自ら拒み、風俗をネタにするキャラに徹しているのだと言う。その流れで矢部さんは「結婚したら?」と岡村さんに投げかける。この矢部さんがいう「結婚」という語の意味は、トラウマを乗り越えて女性と向き合い、相手の両親と会っていくなかで、社会的に関係を認めてもらうプロセスから逃げないということを含んでいるようにも思う。

 矢部さんは、自分たちの世代もまた男尊女卑の影響を受けており、父親や祖父もそうであったことを認めている。それでも、矢部さん自身は結婚して子どもを育てる中で、女性に対する見方が変わっていったと考えている。だからこそ、矢部さんは変わるために岡村さんに結婚を勧めるのである。

 この話についても、フェミニズムの視点からは、やはり批判があるだろう。一番の問題は、「女性と向き合うこと」=「恋愛」「結婚」という前提があることである。職場であったり、趣味の場であったり、人間はいくらでもさまざまな人と出会っていく。その人たちと正面から向き合い、価値観を揺さぶられ、自分の中にある偏見から脱していくチャンスはいくらでもあるはずである。それにもかかわらず、問題の解決を恋愛・結婚に絞ってしまうことは、それ以外の社会的な場にいる女性や自分と異なるさまざまな人たちのことを軽視し、向き合わないということになってしまう。岡村さんであれば、一緒に芸能の仕事をやっていく中でも、女性と正面からぶつかり、変わっていくことはできるかもしれない。その可能性が頭にない、という時点で、矢部さんもまた偏狭な女性観を持っていると言えるだろう。

 それにもかかわらず、矢部さんが「良い」と思ったのは、自分の中の経験から変わったことを伝えようとしているからである。パーフェクトに反差別である人はいない。矢部さんが家父長制に縛られ、偏狭な女性観を持っていようとも、自分の恥をさらしながら「変わっていこう」と岡村さんに呼びかける姿は、私は良いと思う。

 これは私自身がフェミニズムについて学ぶことは、自分の痛みと向き合うことと同義であったからだろう*3。私にも、こういうしょうもない、差別から抜け出そうとする思い出はいくらでもあるし、今も現在進行形である。こういうあがく姿は、格好良くもなければ、他人に言って褒められるものでもない。多くの間違いも含んでいる。ただ、失敗しながらでも「人は変われる」と信じ、同じ立場から仲間に向かって呼びかける姿はとてもフェミニズム的だと思う。フェミニズムには「個人的なことは政治的である」という言葉があるが、矢部さんのやっている「自分の痛みや失敗」から社会的な問題を思考し、岡村さんに語りかける態度は、それに重なって見える。

 逆に言うと、私は男性がほかの男性を断罪する態度をフェミニズム的だとは思わない。たとえば、貧困問題に取り組む藤田孝典さんは、岡村さんと矢部さんのやりとりを受けて、岡村さんの変化を望むとし、次のように批判している。

これを契機に、岡村氏やニッポン放送などが率先して、社会の中で女性が困窮に苦しみ身体、性を販売しなければならない異常な社会構造があることを改善するため、具体的な行動を起こしてほしい。
日本の社会福祉社会保障は未だに脆弱なもので、なおかつ女性が安心して働けてゆとりある生活を享受できる労働環境にもなっていない。
相変わらず、政治や社会運営の決定権者は岡村氏など男性中心で、それゆえに女性の福祉も極めて残余的で粗末なものとなっている。

つまり、岡村氏には早く混乱期から立ち直り、謝罪の意識をどう次の言動につなげていくのか、ということが問われている。

岡村隆史氏のラジオ番組内の謝罪『変わらなければならない』について」

https://news.yahoo.co.jp/byline/fujitatakanori/20200501-00176281/

 上の藤田さんは、日本の福祉支援の不足により、困窮した女性たちが「性を販売しなければならない異常な社会構造」としている。そして、このような状況が起きるのは、福祉制度を整えるべき政治や社会運営を支える人材が「岡村氏など男性中心」であるからだとしている。そして、岡村さんは変わり、社会を変えるための言動をとらなければならないとする。

 私は藤田さんはほとんど意味不明の発言していると捉えている。第一に、「性を販売する」というのはどういう意味か。風俗業をはじめとするセックスワークでは、労働者が性的なサービスを提供する。たとえば、教員であれば教育に関するサービスを提供するのであり、教育を販売するわけではないだろう。そもそも「性」や「教育」は概念であり、直接売り買いできる物質的基盤を持たない。

 第二に、セックスワークが存在するのは異常な社会構造ではない。この社会で働くセックスワーカーに対して、あなたたちが労働することは異常であるというのは、剥き出しの差別意識である。これまでセックスワークについては、フェミニズムも含めて膨大な量の議論が行われてきている。そのなかで、セックスワークについて論じる様々な立場がありえるが、「異常」という言葉を使うのは不適切である。あえてその言葉を選んだのは、藤田さんの差別意識だと言わざるを得ない。

 第三に、藤田さんは2019年10月にTwitterで「女性解放運動などないに等しい」と言い捨て、フェミニストから強烈に批判された。「岡村氏など男性中心」のなかに、藤田さんも含まれていると指摘されたのである。それからまだ半年しか経っていない。それにもかかわらず、岡村さんを切り捨て、自分は「良き男性」の地位にあずかろうというのは、あまりにも拙速な態度ではないだろうか。人間は失敗をするし、差別にとらわれている。そういう自分をなかったことにして「反差別」の旗印のもとに政治的発言をすることを私は肯定しない。

 私は人が変わるというのは、ダサくて時間がかかり、目に見えた成果がでないことだと考えている。いくら自分が変わったと言っても、他人からみれば変わっていないこともある。それに比べれば「社会を変えよう」と声を上げることは、格好良く他人から称賛を浴びることもあるだろう。上の藤田さんの発言を支持する人も多いようだ。だが、私はこのような態度は、自分の考えるフェミニズムとはもっとも遠いところにあると思う。

(2)「非モテ」の人からの反論

 しかしながら、矢部さんに対して別の角度から批判が浴びせられている。矢部さんの発言は、男性に対する「恋愛して結婚しなければならない」という圧力として働くという批判である。

「矢部の発言が独身差別・非モテ差別でないなら何だと?」

https://anond.hatelabo.jp/20200501134024

 これだけではわかりにくいと思うので補足すると、10年以上前から「非モテ」に関する議論がネット上では起きている。このなかで、男性は「恋愛や結婚をしなければならない」という価値観を内面化しているため、強迫的に「モテなければならない」と考えるようになるという指摘があった。これらは「非モテ」問題と呼ばれ、たとえ、恋愛や結婚を経験したとしても、モテに対する強迫観念はなくならず苦しむとされる。そこで、恋愛や結婚に対する義務感から解放されることが必要だと言われたのである。

 私はこの非モテ問題は関心を持って、丁寧に議論を追っていたほうだと思うが、最後まで心からの理解には至らなかった。ただ、この問題の当事者が切実であったことは間違いないし、矢部さんの「恋愛や結婚から逃げたからお前は成長できないのだ」という発言は、非モテの人たちに対する呪いにはなり得ることには同意する。矢部さんは岡村さんの個人のライフヒストリーに即して、その発言をしたとしても、恋愛や結婚についての強迫観念を持つ人へ圧力をかけることに加担したという指摘はあてはまるだろう。

 ただし、それを踏まえた上で、「非モテ男性の差別発言」にどうアプローチすればよいのかは見えてこない。岡村さんが恋愛や結婚に対する強迫観念を持つがゆえに、女性に対して敵対心を持ち、実態がわからないまま恐れたり憎んだりしているとして、そこから解放されるにはどうすれば良いのだろうか。もちろん、非モテであっても自ら恋愛や結婚をしないという決断によって解放され、性差別にいたらない人もいるだろう。だが、今回は岡村さんがそうでなかったから問題になっている。ここは非モテ問題の議論を追っていた私がいまだにわからないところだ。

 一つの可能性は「メンズリブ」や「男性学」の取り組みを引き継いでいくことかもしれない。たとえば、西井開さんはこれらの系譜を汲んでいるが、「僕らの非モテ研」を立ち上げた。西井さんはこの立ち上げについて、以下のように語っている。

非モテ研〉を始めたのは理由が二つあって、一つは僕も恋愛で苦しんだ経験があったので、非モテに悩む男性や童貞に対する謂れのないバッシングが許せなかったんですね。ひとくくりにしてコミュニケーション障害だとか、女性をモノ的に見ているだとか、それが腹立たしかった。ただ逆に非モテを抱えた男性が、憎しみを増幅させてミソジニーのような暴力的な方向に行くのも歯がゆかった。やはり背景には何か思いがあるだろうし、それを細かく見て行きたい。そして苦しさを共有できる場があったらなと思った、というのがあります。もう一つは〈男の勉強会〉というのは性自認が基本的には男性寄りの人たちが来る場、という形でやってたんですね。ただ「男性」という大きな枠組みだとあんまり深い話にならないような感触があったんです。それよりももっと内面を、こういうことを感じたり思ったりする、苦しんでるっていうのをもっと話してほしかった。生きてる上での違和感みたいなことから自分を語るきっかけは生まれてくるので、そのフックとして「非モテ」というのは使えるんじゃないかな、というの思いがありました。

 

対談「2010年代メンズリブ対談 -メンズリブのこれまでとこれから-」『うちゅうリブ』

 

https://uchu-lib.hatenablog.com/entry/2018/07/06/140958

 

 

 西井さんの「非モテ研」や、対談相手である環さんがやっている「うちゅうリブ」では、ほそぼそとした集まりの中で、「男性」の問題について語り合う場を作っている。

 かつては薬物依存の問題は「ダメ絶対」として、薬物を使うこと自体を強く否定するキャンペーンが行われた。また「二度とやりません」と依存者は約束しなければならないと考えられていた。しかしながら、依存者はこのようなメッセージを見れば見るほど、薬物を使う自分を否定し、その苦痛から逃れるためにさらに薬物を使う。そのため、今は薬物依存者は自分の苦しみと向き合い、依存から抜け出すためには、当事者団体や自助グループにつなぐことが必要だとされるようになった。

 私は差別発言についても似たところがあると思う。発言に対する厳しい批判は必要だと思うが、そこから「二度とやりません」と約束させたり、社会的地位を奪ったりすることでは、差別はやめられないのではないか。表面的には差別をやめたように見えても、それは差別を隠すことがうまくなるだけではないか。その意味で、差別発言をしたあとについても、一人で差別をやめるように努力したり、恋愛や結婚をしたりするのではなく、同じように変わっていこうとする人たちが繋がる場が必要だと思う。

 私自身が、自分が変わりたいと思っていた時に、ともに活動に取り組んだ仲間の存在に支えられたので、余計にそう思う*4

(3)「かわいそうさん」について

 さて、私自身が岡村さんと矢部さんのやりとりを聞いて、一番印象に残ったのは「かわいそうさん」についての話である。矢部さんは、岡村さんは仕事のスタッフや周囲の人々から「かわいそうさん」として扱われていると指摘する。岡村さんは2010年に体調を崩し、休養ののちに復帰した。それ以降、みんな岡村さんに対しては優しくなった。また、女性に対する劣等感をネタにしていることもあり、他のタレントが言えば炎上することも、岡村さんの場合はそうならなかったという。結果として、岡村さんは自分を変えるきっかけを失い、ぬるま湯に安全してしまったのだと矢部さんは批判する。

 この矢部さんの言葉は、苦しい渦中にある人に向けられているのではない。実際に、矢部さんは、岡村さんが体調を崩した時には、本人が仕事を続けることを希望しても、率先して休養することを勧めた。しかし、今の岡村さんに対しては「かわいそうじゃない」と突きつける。もっとかわいそうな人はいっぱいいるのに、お前は「かわいそうさん」のポジションをとり、そこに甘えているのだ、と批判するのである。これは、休養中や復帰後も親身になって岡村さんを支えてきた矢部さんだからこそ言えることだろう。

 これは非常に身につまされる話だった。私自身、若い時にたびたび「かわいそう」としか言えないような目に遭ってきた。それを、自分で認め「かわいそうさん」であると開き直ることでしか、乗り越えられない局面もあった。不思議だが、その状況が過ぎ去っても、当時の「気分」のようなものはいつも自分の中に残っている。いまは、あのときほど大変ではない、と思いつつも、いつでも「かわいそうさん」であった自分に引き戻される。人間の心の動きであるのだから、それ自体を否定する必要はないのだろうが、そこに慢心すると他人を傷つけることになるというのは、薄々わかっていた。抽象的な書き方をしているが、私のいわんとすることに思い当たることのある人もそれなりにいると思う。

 「かわいそうさん」の言葉は、間違っても第三者が他人を断罪するために使うものではない。自分や身近な人たちが生きていく中で、はっと気付くようなものだろう。この矢部さんの発言は上の二点のジェンダーの問題とは別に、大事なものを言い当てているように感じた。

*1:この点について、ブックマークコメントでご指摘いただきました。岡村さんは風俗を利用する男性たち一般に向かって呼びかけているため、経済的に恵まれてはいない人たちの立場にも寄り添って発言しているということでした。確かに、ここはリスナーへの呼びかけですから、私の取り方には語弊があったので撤回します。

*2:もっと言えば関西弁での個人的な話をするときの掛け合いである。いつもよりやや声のトーンを落として、断言調で相手に迫る。私自身は関西人なので馴染みのあるコミュニケーションだが、他地域の人にそれが伝わるのかはよくわからない。

*3:ちなみに私は「フェミというよりはウーマンリブ」と言われることが多い。実際に私がもっとも影響を受けたのはウーマンリブの活動家・田中美津なので、間違ってはいない。1970年代風で古くさいとも思われがちだが、私は人間が差別に抵抗するエネルギーを炸裂させる源は理性ではなく情念だと考えているので、自分の「痛み」から出発することを大事にしている。

*4:そして今も私は、活動の場作りに熱心であるし、それは大学で授業を進めていく上でも意識していると思う。優劣を競うことではなく、ともに変わっていく仲間を得ることが、一番その人の学びを進め、次の一歩に踏み出す力になると考えている。

近況

 2020年4月1日より、学術振興会特別研究員(PD)に採用されました。受け入れ機関は関西大学です。3年間の任期ですので、できる限り、研究成果をあげられるよう努めたいと思います。

 2020年9月からは欧州での在外研究の予定で、受け入れ先も決まっています。しかしながら、COVID-19の影響がありますので、まだどうなるかはっきりとはわかりません。

 海外渡航計画に伴い、2020年3月31日をもって全ての非常勤講師の仕事を退職いたしました。3 コマを担当した同志社大学では、初めて大学教員として教育に携わり、多くの経験を積ませていただきました。4年間の講師の仕事はいつも楽しかったですし、思い出すと微笑んでしまうようなエピソードでいっぱいです。授業ではトライ&エラーを繰り返しながら様々なアプローチを導入し、学生とともに社会問題や思想的課題の考察に取り組みました。付き合ってくれた学生たちに感謝いたします。また、同僚の非常勤講師の先生方とは仲良くさせていただき、いつも休憩時間は笑いがたえず、楽しい時間を過ごしました。加えて、経験の浅い私はベテランの先生方から教育方法についてアドバイスをいただきました。事務員さんたちにも、いつも親切に助けてもらいました。短い期間でしたが、本当に恵まれた講師生活だったと思います。ありがとうございました。

 大学の就職状況は常に厳しく、私も先行きは全く見えていませんが、いつかまた教員の仕事に戻ることのできる日を楽しみにしています。

 

話さなくていい、声を上げなくていい

 大学や専門学校で講師を務めるようになり、授業では次の2点を伝えるようになった。

「話さなくていい」「嘘をついてもいい」

 私が教えている学生のほとんどは、20歳前後で若い。かれらの多くは、こちらが思っているよりも素朴で純粋で、「嘘をつきたくない」「誠実でありたい」と真剣に考えている。かれら自身の自己像がどうであれ、講師の立場にある私は、いつもかれらのその「若さ」としか言えないものに触れることになる。

 私は授業でセンシティブな話題に触れることが多い。病気、障害、自殺、貧困、民族差別、性差別。そして「性的なこと」を扱うこともある。私は行政や民間で、性暴力やDVの講演の経験は重ねているが、大人はある程度、こうした話題になると心を閉じる。言葉を選んで話しているつもりだが、「聞きたくない」「話したくない」という態度を取る人もいる。部屋を出ていく人もいる。それらは私にとってありがたいフィードバックになり、自己の講演を修正する材料になる。ところが、学生は刺激の強い話題であるほど、目を見開いて沈黙して、こちらの話に聞きいる。普段、寝ているような学生が急に体を乗り出して聞き始めることもある。これはありがたいことではあるが、とても危険だ。

 大人が話を聞くことを避けようとするのは、自分の身を守るための防衛本能だ。「傷つきたくない」という咄嗟の判断である。ところが、学生は身を守るより先に、自分の心を全開にして受け止めようとしてしまう。それは美徳ではあるが、結果として、こちらの想定を超えて話した内容を重く受け止める可能性もある。もしかすると、意図せず深く傷つけてしまうかもしれない。だからと言って、センシティブな話題を避けることもおかしい。差別や暴力の話、内面に関わる話を避けることは倫理的に問題がある。

 そこで、私は大惨事を避けるために「話さなくていい」「嘘をついていい」と伝えている。問題が自分の心に突き刺さり、受け止めきれないときに、そのまま言葉にしてしまうことは、トラウマを晒すことである。たとえば、心理相談等の閉じられた空間でなら、比較的、安全に話すことはできるだろう。だが、教室という集団の中で、トラウマを晒した場合、周囲からの二次加害が起きることもある。もちろん、「話したくて、話した」という場合は、私は講師として二次加害を防止するために動くし、できる限り、ひどいことにならないように尽力するつもりである。だが、「話さなくてはいけない」「本当のことを言わなくてはならない」という義務感に突き動かされ、望まぬ形で話してしまうことを恐れている。

 そもそも、私はずっとネットで「声を上げさせない」運動をしている。特に「泣き寝入り」という言葉を使わないように求めてきた。過去には、産経新聞の記事に対してこのような批判を書いた*1

正義漢ヅラをして、被害者を追い詰める人たち

https://font-da.hatenablog.jp/entry/20130818/1376831679

 もちろん、「問題を告発したい人が声を上げることができる」ような社会を目指すことはとても良いことだ。また、それを支援する必要もある。同時に、当事者が身を守るために「声を上げない」ことを選ぶことができることも重要だ。当事者が被害経験を話すことも、トラウマを晒すことになり、非常に負担は大きい。それは周囲が気軽に「やってほしい」というようなことではない。

 当事者が「声を上げる」ことは社会を変える大きな力になるだろう。だが、社会を変えるよりも、自分の身を守ることを優先することは、何も悪いことではない。声を上げない選択をすることは、当事者の権利である。「声を上げる」ことで、「声を上げない人」の負担を減らすことができるかもしれない。だけれど、本来は「声を上げなければならない」状況自体が不当であり、「声を上げる人」が苦しむことは、「声を上げない人」の責任ではない*2。望まぬ形で「声を上げる」ことにならないように、周囲は配慮する必要がある。

 私は、「話すこと」や「声を上げる」ことに対しては、慎重であるにこしたことはないと考えている*3。また、「私が話す」や「私が声を上げる」ことと、他人に対して「話してほしい」「声を上げてほしい」と言うことは違う。その一線は引いておきたい。

*1:なお、産経新聞のその後の連載は(私の批判とは関係ないと思うが)軌道修正されている。→ https://font-da.hatenablog.jp/entry/20130822/1377145158

*2:もちろん、もし「声を上げない人」が「声を上げる人」を攻撃するのであれば、「声を上げない人」の責任でもあるだろう。そして、「声を上げない人」にとって、「声を上げる人」の存在がプレッシャーとなり、攻撃してしまうことはままある。だが、それはまた別の話である。

*3:私もまた、「話さないこと」や「声を上げないこと」はたくさんある。それは自分を身を守るスキルであるし、そうできるようになって良かったと思っている。かつて、私自身が、何もかも話さなければならないと信じていた。

「小さな組織」を作る

 私の良さは少人数の組織の方が発揮される。理由は明白で、私は個別・具体的な人間関係のなかで、思想的な議論を深めていくのが得意だからだ。個人的な経験を掘り下げて、そこから得られる強烈な「確信」のようなものを、少人数の関係の中で分かち合い、言葉にしていき、「それがなんであるのか」を探求する。そういう場作りには長けている。

 他方、大人数の組織に入ると私は元気がなくなる。まず、誰かが何かを思いつくと、それに対する反論が先に出てしまうので、「新しい発想」を潰すことになってしまう。また、「みんなでやろう」と誰かが言えば、「やりたくない理由」をいくつも思いつく。つまり、「頑張ろうとしている人」の意を削ぐ能力が発揮される。

 私が大人数の組織にいて良いことがあるとすれば、その中で孤立しがちだったり、悩んでいたりする人が、「私だけではない」と思えることである。だが、私自身は「またうまくやれない」という疎外感を深めるので、大人数の組織にとどまることは難しい。(私は諦めが早いので、そういう組織からは黙って気配を消して、いなくなることが多い)

 私としては、大人数の組織に適応しようとするよりは、少人数の組織のなかで力を発揮したいと考えている。しかしながら、少人数の組織は、なかなか目に見える成果が上げられない。また、大人数の組織の「下部組織」として扱われることもある。しかし、「小さな組織」には、それ独自の良さがあるはずだ。

 小さな組織は無名であり、新規参入者が少ないため、濃密な人間関係が凝縮されていき、時にはトラブルの原因となる。現代では、オープンであることが良しとされ、透明性が重視されるため、このような組織は時代には逆行している。しかしながら、私たちの根幹に関わるような話は、「開かれた場」では難しいのではないか。「家族」や「友人」のように特定の情愛の結びつきを求めるのではなく、「団体」や「ネットワーク」のように公共に還元する成果を求めるのでもなく、あるトピックを手がかりに、コミュニケーションそのものだけが求めるような組織のあり方がある。それには、それの良さがある。

 この地味な良さをどうやって自分の言葉にしていけるのか。そういうのが、私の一つの課題だと思っている。(そして、こういう話は社会運動や社会思想の中で繰り返し行われてきているので、普遍的な問題なのだろうとも思う)

ネット上のフェミニズムについて

 思わぬ形で炎上してしまったので、何度かこれまで書いてきたネット上のフェミニズムについて、アップデート版をメモがわりに書いておく。

 

私はネット上のフェミニズムを切り離さない。

 ネット上で一部のフェミニストが「ツイフェミ」「ネットフェミ」「ミサンドリスト」などと呼ばれて批判されている。私はかれらとほとんど思想的に接点はなく、主張も重なるところはない。だが、かれらがフェミニストを名乗る限り*1、自分と切り離すつもりはない。かれらもまた、私と同じフェミニストである。

 そのことは、私がかれらを批判しないことを意味しない。私はトランスフォビア、セックスワーカー差別に反対するし、表現規制には慎重な態度を取る。必要な場合は、かれらを批判する。ただし、私の批判はフェミニストとして、フェミニストに向けて行うものである。私は、被差別の当事者以外が、フェミニストの肩書を引き受けずに、フェミニズム批判する場合、それに同調しない。なぜなら、フェミニストとして社会を変えていく意欲のない者の「批判のための批判」には私は関心がない。私は「フェミニズムをよくする」ためではなく、「被差別者の告発に連帯する」ために、フェミニズムを批判する。

 以上についてはこれまでも何度か書いた。下に例を挙げておく。

フェミニストとしてトランス差別・排除に反対します」

https://font-da.hatenablog.jp/entry/2019/02/08/124056

「ネトフェミだったら何なの?」

https://font-da.hatenablog.jp/entry/20150323/1427073197

私はネット以外でのフェミニズムの活動を重視する

 上の批判を行ったとしても 、私と立場の違うフェミニストはおそらく、考えを変えることはないだろう。人間の思想信条は生活や人生に根ざしたものが多い。ネットで批判されたくらいで変わるような思想信条は、逆にあまりにも脆弱である。また、「他人を変えようとする」ことより「自分を変えようとする」努力の方がずっと有益だと私は考えている。

 フェミニストとして日々を暮らすことは、異なる価値観を持つ人と出会い続けることである。ネット上でどれほどフェミニストが増えたように見えたとしても、社会ではいまだ少数派である。もしかすると、性暴力やDV、セクハラについての考え方は10年前に比べれば変わってきているかもしれない。そのことは肌身で感じている。それでも、いざ何か起きたときに、フェミニストとして立ち上がろうと決意する人は多くない。

 私自身は、これまで何度も書いてきたように、フェミニストになることを他人に勧めたことはない。なぜならば、これまで自分がフェミニストであると名乗り、性差別や暴力の問題に取り組むたびに、周囲との軋轢に苦しんできたからだ。私は私の、生活と人生の文脈の上でフェミニストを名乗っているが、他人が同じ苦しみをすべきだとは思わない。それぞれができる形で性の問題に取り組めば十分である。

 そうした日々の暮らしの中で、できる限りの性差別や暴力への抵抗を続けていくことが、フェミニストの活動の本筋である。それはとても難しいことで、私も十分に実行できていると思えたことはない。それでも、たとえば私であれば、学会内の性差別的な構造を指摘したり、性差別や暴力で悩む同僚や後輩を(非常に小さな力ではあるが)支えたりするかたちで、フェミニストとして末端ながら活動していきたいと考えている。このことのほうが、ネットで何か言うよりも、フェミニストとして生きる上で重要だろう。

 私はネットでものを言うことにより、フェミニストとしての自己の一部を確立してきた。しかし、私の思想信条の大半は、ネットの言説ではなく、具体的な人々との関わりのなかで培われている。私はヴァーチャル空間ではなく、現実世界でフェミニストであることに、重きを置くべきだと考えている。

 現実世界で、フェミニズムを学び、活動につなげていく方法について書いた記事を以下に挙げておく。

「大学に行かずにフェミニズムを学ぶ方法」

https://font-da.hatenablog.jp/entry/2019/11/01/202311

 私はネットの「フェミニズム」「反フェミニズム」の変化を肯定する

 ネット上でフェミニズムは毀誉褒貶の激しい領域で、常に論争の的になってきた。私がネットを始めた頃にも、「フェミナチ監視掲示板」があり、フェミニストを危険視する人たちがいた。フェミニストは理性を持たず感情的なので、フェミニストが力を持ってしまえば、社会が危機に晒されると考える人たちである。今も似たような危機感を抱く人たちはいるだろう。「あのような危険人物たちを野放しにしてはいけない」という言説は私もよく目にする。

 当時と今の違いは、「フェミニズムに関心を持つ人」の総数である。近年はメディアや出版業界でフェミニズムが流行っており、有名人も言及するようになっている。フェミニズムは「売れるコンテンツ」になっているのである。そのことはメリットもデメリットもあるが、結果として、多くの人たちがフェミニズムに関心を持つようになっている。

 十年前にフェミニズムに関心を持つ人たちは、支持派にしろ反対派にしろ、性の問題に思い入れがあることが多かった。反対派であっても、自分の人生や生活でトラウマティックな経験や、強烈な想いを抱えた人が、熱意を持ってフェミニストを批判した。どちらにしろ、自己の問題とフェミニズムが緊密につながっていたのである。

 しかしながら、フェミニズムがよく知られた問題になると、もっと気軽にフェミニズムを支持したり反対したりする人たちが出てくる。フェミニストにならなくても、強い思い入れがなくても、フェミニズムに物申すのである。それは一般的に言うと良いことである。十年前は、性差別や暴力に無関心な人たちが多かった。それが今は、どんな形であれ、「なにか言いたい」気分が広がっている。社会を変えるためには、多くの人たちの目に触れる形で問題を議論の俎上に上げなければならない。

 ただし、この場合、フェミニズムの支持派も反対派も、主張の色合いは変わるだろう。正直に言えば、私は十年前の濃密なフェミニズムの議論の方が、苛烈ではあっても刺激的で、魅入られる部分があった。もちろん、私も二十代であり、若かったのもあると思う。今のフェミニズムの議論は「自己の葛藤」よりも「何が正しいか」「どちらがより良いか」という議論が中心であり、私はあまり惹かれない。また、性についての自己吐露的な言明であっても、もうその型が出来上がってしまったように感じることもある。これは私が歳をとって感受性が鈍ったことが原因でもあるだろう。

 なんにせよ、フェミニズムは変わった部分もあれば、変わらなかった部分もある。私は変化した部分は肯定的に捉えてよいと考えている。時代に応じて社会運動は変わっていく。私は「私が何をするのか」が重要であり、流れの中で泳いでいくだけだと思っている。

 

*1:名乗ってない人をフェミニストと呼ぶのはおかしいし、やめるべきだ。