近況

 欧州では再びCOVID19の感染状況がよくなく、12月のホリデーで移動する人が多いなか、「どうなるんだろうか」と多くの人が不安に思うような状況です。新たな変異株についての情報も出ており、手強いなあと思っています。

 私は秋に新しい英語論文を書いて、もうすぐ投稿します。まだしばらくは、研究成果の報告は英語が中心になりそうです。最近は研究の重心をアートに移していて、今回も思い切った議論をしているので査読が大変心配なのですが、新しい挑戦がうまくいって、発表できるといいなあと思っています。

 先日の対談企画に参加された方が、ブログに感想を書いてくださいました。たくさんものもを受け取ってくださって、ありがたく思っています。私はまとまった結論のある話がうまくできず、だいたい矛盾に満ちたことをそのまま話すのですが、参加された方がそこから多くの意味を引き出してくださり、豊かにしてくださっていて、感謝しています。

kmnym.hatenadiary.jp

 さて、いくつかのイベントのお知らせをいただいたので、こちらでも共有します。ひとつめは、薬物依存回復支援者研修(DARS)ついてのセミナーです。リモート参加も可能だそうです。有料で事前申し込みが必要です。

www.ryukoku.ac.jp

 ふたつめは、関西での水俣病センター相思社職員による講演会です。12月10,11日が滋賀、13日が京都です。

www.soshisha.org

 特に私が注目するのは、12月11日の守山である「水俣から琵琶湖へ」の講演会です。チッソ守山工場で、労働運動を牽引した細谷卓爾さんは、びわ湖の石けん運動へも深く関わっていきいます。細谷さんの活動については、関西大学の大門信也先生が論文「草の根サステイナビリティの論理とその条件 : 滋賀県粉せっけん運動に着目して」で検討しておられ、大変勉強になりました。

hosei.repo.nii.ac.jp

 また、細谷さんについての本も出ています。(解説は大門先生です)

 私もこの講演会はぜひ参加したかったです。こればかりは日本を離れていて残念ですが、興味がある方はぜひ足をお運びください。

伊勢俊彦「歴史的不正義からの回復 いかにして被害は語りうるものになるか」

 『唯物論と現代』に掲載された論文「歴史的不正義からの回復  いかにして被害は語りうるものになるか」を著者よりご恵投いただきました。ありがとうございました。

 本論文では、過去に起きた歴史的不正義について、当事者の語りをいかにして受け止めるべきなのかが検討されている。例に挙げられるのは韓国における日本軍戦時性暴力被害者(主に「慰安婦」)の語りである。著者は、移行期正義(transitional justice)と 修復的正義(restorative justice)を比較検討し、真実和解委員会が戦時性暴力をに果たす役割と、その困難について考察する。日本軍戦時性暴力の被害者の語りは、主に韓国の民間団体により記録が行われてきた。しかしながら、民間団体が継続的な活動をすることには限界があったことが指摘され、戦時性暴力の場合でも、公的機関が真実和解委員会を設置する必要があることが浮かび上がる。

 他方、真実和解委員会で性暴力被害を聞き取るためには、いくつかの注意点があることを著者は述べる。まず、性暴力の被害の形態について、社会のマジョリティが抱きやすい型にはめられないように努めなくてはならない。次に、著者は小松原織香『性暴力と修復的司法』(成文堂、2017年)を参照し、「聞き手」が「語り手」とパーソナルな関係を築く対話の手法が必要だと指摘する。さらに、記録が社会的通念や公式の歴史観に沿うように整理される危険を除去しなければならないと、著者は考えている。以上の検討をもとに、日本軍戦時性暴力被害者の場合は証言者が減ってきているために、現実的な真実和解委員会の設置は困難が大きいが、同様の事例においては検討が可能であると、著者は提言している。

 さらに、著者が注目するのは、戦時性暴力被害者の語りの「聞き手」である。小松原の性暴力事例における修復的正義の研究が、個人としての被害者・加害者の二者関係に焦点を絞るのに対し、歴史的不正義は組織的・集団的な人権侵害である。そのため、加害者個人の責任追求するだけではなく、集団として責任を引き受ける主体を構想することが必要となる。また、時間の経過により、直接の加害者や、命令者、国家や武装組織などが、もうこの世にないこともある。著者は、そうした場合はその責任の継承者が、被害者に対し応答せねばならないと考える。たとえば、日本軍戦時性暴力の場合は、日本国である。加えて、著者は責任主体を「国家」という抽象概念だけではなく、被害者に関わるコミュニティの人々を想定している。すなわち、関係する一人一人の人間が、被害者の聞き手になることで、語りの生成に関与するかたちで責任を負うというビジョンを提示するのである。そして、著者はそれらの語りは何度も繰り返され、継承されていくことを以下のように述べる。

(略)歴史的不正義の被害についての語りは、ある時点において完成し、最終的に不変なかたちで確立するのではない。歴史的不正義の被害は、歴史に刻まれ、時が流れ、新しい世代が生まれ、社会や政治体制のあり方が変化する、そのあらゆる段階で、繰り返し語られなければならない。語りの主体も、人権侵害行為の直接の被害者やその家族から、新しい世代へと交代していかねばならず、聴き手もまた次々に新しい世代へと変わっていく。こうした新たな話し手と聞き手の関係の中で、被害は語り直される。(68-69頁)

 以上のように、著者は歴史的不正義の語りは、次世代へと継承されなければならないことを論文の末尾で示す。重要なのは、これらは記録として歴史を残すだけではなく、語り手と聞き手の関係性自体を継承していく必要を著者が述べていることである。本論文は、特に、被害の隠蔽や矮小化が行われているときには、被害者の尊厳の回復のために、語り直していくべきであると結論づけている。

 この論文では、私の『性暴力と修復的司法』が論文の中で大きく取り上げられ、参照されている。この本は、私の博士論文を下敷きにした初めての単著で、至らない点も多くあり、恐縮であるが、私の提起した主体モデルを活用いただいたことに心から感謝している。

 

 加えて、この論文には多くの刺激を受けた。第一に、「集団的な責任主体」についてである。私は博士論文を執筆後、性暴力から公害(水俣病)へと研究のフィールドを移した。その際に直面したのが、まさにこの「集団的な被害者性・加害者性」である。従来の修復的正義研究の多くは、個人と個人の対話関係に光を当ててきたが、集団的な被害・加害関係をどう扱うのかについては、まだまだ議論の途上である。私がいま、滞在しているルーヴェンカソリック大学でも、集団的被害者性(collective victimhood)と修復的正義へ注目する研究者が増えている。

 その際に、重要となるのは、まさしく著者が試みた移行期正義と修復的正義の比較である。著者は、宇佐美(2013)*1と松本(2017)*2の二論文を検討する。移行期正義と修復的正義の共通点は、被害者中心のアプローチであり、かれらの語りに焦点が当てられることになる。松本(2017)は、「慰安婦」の被害の回復のために、日本政府が事実を記録し、記憶を継承し、そのうえで金銭的賠償を行うことは、修復的正義の実現の意図が見出せると考える。他方、宇佐美(2013)は、修復的正義が被害者の癒しを強調することがあるのに対して、移行期正義における真実和解委員会は、あくまでも真実解明によって被害者の尊厳を象徴的に回復するのであり、心理的な癒しの有無は問わないと考える。両者の比較を通して、著者は次のように述べる。

松本が、明らかにされた事実にいかに対処するかを論じているのに対し、宇佐美は、事実に対処する前提として、事実がいかに明らかにされるか、その過程をも考察の範囲に含めていると言える。(59頁)

 言い換えれば、移行期正義が真実の究明を優先するのに対し、修復的正義は被害者のニーズを満たすことを優先する。著者の考察に沿えば、移行期正義と修復的正義は実践レベルではよく似ているが、理念レベルでは進む方向が異なっている。

 第二に「語りの継承」である。私は、まさにいま、水俣病の研究でこの問題に焦点を当てている。この問題には、おそらく「集団的被害者性」も関与している。公害が与えるコミュニティへの影響もまた、直接の被害者やその家族だけではなく、そこで暮らす人々の多くへ及ぶ。そのため、公害でも、コミュニティの歴史の一部として、残されたものが被害者の語りを継承することを、被害者自身が望むことがある。私は水俣病患者の田上義春さんの遺した、「今のままでは、患者は犬死にじゃ。払った犠牲も強いられ続けている犠牲も患者がいなくなれば、みんな忘れられてしまう。おどんたちの生きた証ばどげんかしてのこせんもんじゃろうか」という言葉を重く受け止めている。

 他方、この二点について突き詰めて考えていくと、ある暴力や犯罪の被害者が、「真実」と「癒し」のどちらをもとめるのか、また「集団的」であるか「個人的」であるのかの線引きは、どこまで明確であるのかは怪しい。たとえば、性暴力被害者の多くは、修復的正義で加害者に対して「なぜ、私だったのか?(Why me?)」を問いたいと考える。つまり、被害者は癒しではなく、真実を追求することを望んでいる。加えて、家族・親族からの性暴力被害であった場合、問題が次の世代に及ぶこともある。これまで、家族の問題は「虐待の連鎖」というような言葉で、「行為」を次世代へ継承されることのネガティブな側面だけが強調されてきた。しかしながら、家族・親族関係において、親世代から子世代へ「なぜ、いまの私たちがこんなふうな関係なのか」を説明するときに、性暴力被害の記憶が語りなおされ、継承されることもあるだろう。すなわち、かれらのファミリーヒストリーのなかに、性暴力の「行為」ではなく「語り」が編み込まれる余地はあると考えられる。さらに、それに対して家族・親族の「負の歴史」を次世代へ背負わせることを批判する人もいるだろう。たとえば、親が犯罪者の場合、子は被害者の語りを聞く責任はあるだろうかーーもしかすると、「親を殺された子」が、「加害者の子ども」と話をしたいということはあるかもしれない。それは実現すべき対話だろうか、それとも避けるべきだろうか。

 そう考えると、戦争や公害(環境問題)に限らず、修復的正義において、語りの世代継承の是非を問う議論は深く掘り下げている必要があるように思われる。これらの提起は、従来の修復的正義が、一世代限りの個人の関係に閉じて被害・加害関係を捉えてきたのに対し、集団的・歴史的に被害・加害関係を捉える視座を与えてくれるだろう。これは、修復的正義の新しい議論の展開をもたらし得ると、私は考えている。

*1:宇佐美誠(2013) 「移行期正義 解明・評価・展望」『国際政治』第17号、pp.43-57.

*2:松本克美(2017)「従軍「慰安婦」被害に対する法的責任論 修復的正義の視点から」『コリア研究』第8号、pp.1-12.

近況

 ベルギーはすっかり秋が深まってきて、空は雲りがちで、朝夕の冷え込みが厳しくなってきました。これから欧州の長い冬が続くので、少し憂鬱にはなります。ベルギーのコロナの感染者は増加しており、マスクの着用義務は強化されました。3回目のワクチン接種もする方向で動き出しています。ただ、街のオープンな雰囲気は続いていて、カフェやレストランも賑わっています。今年の春頃に比べれば、ずっとのんびりしています。また、私は大学の研究科の知り合いも増えてきており、研究は順調に進んでいるのでよかったです。

 このたび、英語の査読論文が掲載されました。タイトルはThe Role of Literary Artists in Environmental Movements: Minamata Disease and Michiko Ishimure(環境運動における文学者の役割 水俣病石牟礼道子)です。石牟礼が水俣病運動で提起した「もうひとつのこの世」のビジョンを、道徳共同体と神秘世界の二側面から分析しました。アーティストが創り出すファンタジーが、環境運動を牽引することがあり得るのだ、という提起をしています。石牟礼研究は日本語では膨大にあり、残念ながら私の研究はそこに深く立ち入れるものではないのですが、新しい角度からの問題提起としてご検討いただければ幸いです。

 掲載されたのは、 International Journal for Crime Justice and Social Democracyという犯罪学を中心とした論文誌です。社会運動との繋がりも深く、アクティビストも投稿したり、読者になったりする雑誌ですので、私としてはここで発表できたのは幸いでした。しかも、全ての論文が無料で読めます。

www.crimejusticejournal.com

 加えて、知人に勧められて、Twitterのアカウントを再び取得しました。こちらは研究の情報収集と、英語での発信のために使いたいと思っています。日本語でのTwitterのアカウントは、私には負担が大きかったのですが、今回は「英語縛り」があるのでそんなに活発にも使えないだろうし、のんびりやっていければと思っています。ほかにも、いろんなかたちで論文以外にも英語で発信する方法を考えています。こういう気持ちになれたのも、(批判はありますが)DeepLとGrammarlyのおかげです。もちろん機械翻訳だけでは不足も多いですが、私にとって英語を書く億劫さは半分くらいになりました。どちらも有料会員になっています。

 日本語では、論文集にエコサイドと修復的司法についての試論を寄稿しました。近いうちに公開されると思います。本の原稿はいま校閲のチェックをしています。順調にいけば年末か来年の頭頃に筑摩書房から出る予定です。

近況

 ベルギーの大学は対面授業を再開し、私の住むフランドル地方では*1屋内でのマスク着用義務もなくなったので、平常の生活が戻りつつあります。9月から学校も再開され、規制が弱まってきているのですが、感染者数も大きく増えることはありませんでした。ワクチン接種率は地域によって大きく異なります。ブリュッセルやワロン地域のように接種者が少ない場所ではCovid safe ticket(ワクチンパスポート、もしくは陰性証明)の使用が明日から導入される予定です。こうした証明書に対する批判もあるのですが、流れとしてはとにかく生活を元に戻す方向で進んでいます。私も大学の研究科で研究を進められるようになりましたし、戻ってきたスタッフと交流もできるようになったのでありがたいです。

 ベルギーにきてよかったことは、自分が「修復的正義の研究をしてきてよかった」と思えることです。もちろん、日本でも「RJ研究会」という専門家の交流会はあったのですが、研究者の数は多くはありません。また、日本の場合、修復的正義に限らず、北米ベースの研究が強いのもあり、同じ方向で研究する人にはなかなか出会えませんでした。

 これは私の印象ですが、米国の修復的正義の研究者は、「トラウマを癒す(ヒーリング)」「トラウマを作らない(防止)」ことに焦点を当てることが多いようです。それに対して、ヨーロッパでは「トラウマ記憶を共有する」ことに焦点を当てる傾向があります。これは、先日紹介したアライダ・アスマンの本でも、次のように書かれています。

さまざまな過去と出自の物語を無効にして、新しい幸せな未来を約束する〈アメリカン・ドリーム〉とは反対に、〈ヨーロピアン・ドリーム〉では過去と未来は密に交差している。アメリカン・ドリームは個々人に向けた成功の約束である。誰もがそれを夢見てよいが、わずかな人にしか実現できない。それに対して、ヨーロピアン・ドリームは諸国民の全体に関係している。それは敵対する隣人が、平和裏に共存する隣人にいかに変わりうるかを示す。この変身のプロセスは、そうこうするうちにとっくに、肯定的な歴史を持つようになった。ヨーロッパ人はその歴史をありがたく思うことができるばかりではなく、誇りにすら思うことができる。ヨーロピアン・ドリームはヨーロッパを変えた。(78頁)

 このざっくりとしたアメリカとヨーロッパの対比は正しいのか、また、これはヨーロッパ中心主義の再来ではないかなどの疑問はありますが、確かに修復的正義について国際会議で報告を聞いていると、アスマンの言いたいことはわからなくもありません。私は、トラウマは癒すべきものでもなければ、なくすべきものでもなく、人が生きていくなかで「付き合わねばならない過去」につける名前だと考えています。考えてみれば、私は大学の学部生時代の卒論では、川村毅の「ニッポン・ウォーズ」を取り上げ、日本の戦争責任を演劇作品の分析を通して「赦し」の可能性を検討しようとしていました。その作者の戯曲の一つを収録した『ハムレットクローン』という本には帯に「私は癒されたくはない」と書いてありました。

 たぶん、私はずっと同じことを長い時間考えているのですが、その一つが「トラウマを消す必要はない」ということのように思います。それはトラウマを放置して良いということではなく、起きた出来事をともに記憶し、悼んでいくようなプロセスが、私たちが生きるうえで必要なのだということです*2。起きたことを否定せず、受け入れながら、どうやって未来へ進んでいくことができるのかを検討することが、今後も私の関心になるのでしょう。

 ところで、修復的正義(司法)についての、演劇作品が11月に東京で上演されるようです。11月7日のアフタートークには、日本の修復的正義の研究を牽引してこられた高橋則夫教授(早稲田大学法学部)が登壇されます。残念ながら私は観ることが叶いませんが、ご関心のあるかたはぜひ以下のリンクより情報をご確認ください。まだチケットはあるようです。

haiyuza.net

*1:ご指摘いただきましたので、追記しました。(10/15)

*2:こういう話を、先日のグリーフワークについての対談で語ればよかったのか、と今更思ったりします

アライダ・アスマン『想起の文化 忘却から対話へ』

 アライダ・アスマン『想起の文化 忘却から対話へ』を読んだ。「歴史学の営み」と「記憶の継承」の政治的・社会的交錯を丁寧にときほぐし、未来へ向けて私たちのなすべき態度を示そうとした、挑戦的でスリリングな本だった。

 アスマンが焦点を当てるのは、想起の文化への「不快感」である。想起の文化とは、過去の(ネガティブな)出来事の記憶を読み覚まし、再検討をするために構築されてきた文化である。ここでは、ドイツにおけるホロコーストの記憶を喚起するための、博物館や記念碑、慰霊式などの政治的イベント、映画や文学、跡地をめぐるツーリズムなどが想定されている。その想起の文化へ不快感を示す人たちがおり、そのことへの対応を考える必要が、私たちにはあるとアスマンは言う。

 アスマンが取り上げる、想起の文化へ不快感を示す人々は、必ずしもホロコーストをなかったことにしようとする、「歴史修正主義」と呼ばれるような人たちだけではない。ホロコーストの記憶を継承することを強調するがゆえに、客観的には証明できない被害者の語りが歴史学に混入することや、戦後やってきた移民たちを国のまとまりから排除する危険があること、別の問題の被害者の語りを妨げることなど、繊細で困難な問題をアスマンは取り上げる。

 アスマンが強調することは、(ネガティブな)出来事が起きてから、記憶の継承は時代とともに求められたり、可能であったりする形が変わっていくことである。時間とともに人々のこころ模様や態度は変わっていく。直後には不可能であった、記憶の語りかたが、50年後には可能になったりする。そうした時間軸を導入することで、アスマンはドイツで行われてきた想起の文化の歴史を概括し、それぞれが「成し遂げたこと」「置き去りにしたこと」を明らかにしていく。

 アスマンは想起の文化を4つのモデルに分類する。第一に〈対話的に忘れる〉モデルである。これは、戦後ドイツの沈黙の時期に当てはめられる、人々は、前に進むためにという大義のもと、ユダヤ人の犠牲者たちについて沈黙し、忘れることで新しいドイツ国家を樹立し、安定させていった。第二に、〈決して忘れないために想起する〉モデルである。これは、ハンナ・アーレントが提起した、倫理に基づく想起のアイデアが例示されている。ユダヤ人殺害を人間がおかした絶対的な悪であるとみなし、普遍的な人類史に記録し、その重みを忘れないために想起する。第三に、〈克服するために想起する〉モデルである。これは、1968年世代と呼ばれるドイツの若者たちが、親世代を糾弾した行為が当てはめられる。トラウマ的記憶を徹底的に見つめ、加害者の責任を追求することで、被害者と加害者の関係を再び構築し、同じ国家の中に内包しようとする。第四に、〈対話的に想起する〉モデルである。これは、トルコ移民がホロコーストの犠牲になったユダヤ人たちに自分の境遇を重ねて記憶を継承しようとしたり、東ドイツ共産主義下で殺された人々の犠牲の記憶を並列して並べたりすることに当てはめられる。異なる被害者の記憶が並べられ、相互にトラウマの痛みを承認していくなかで新たな共同性が確立される。

 アスマンが強調することは、これらのモデルは世代交代と関わっていることである。アスマンは「最初の世代には不可能だったこと、そして第二の世代によって無視されたことは、第三の世代だったらもっと容易に、語らい共感をもって受け入れる対象になりうる(217ページ)」としている。すなわち、これらのモデルは、記憶の継承の仕方の良し悪しをジャッジするためにあるのではない。それぞれの時代において、そのモデルが選ばれた必要性を理解し、これから私たちがどのような記憶の継承の形を選ぶのかを考える素材にするのである。

 結論としては、アスマンは今後は〈対話的に想起する〉モデルを目指すべきだと考えている。これは、自己の被害者としての記憶をモノローグとして語るような想起のあり方ではなく、自らの語りを、歴史学による冷徹な検証や、異なる被害者の語りに開いていくような、そんな想起のあり方である。ここに至るまで、アスマンは歴史学に対する記憶の語りの貢献の可能性や、記憶を相対化したり競合させたりする危険性について、多くの紙幅を費やしている。そのうえで、アスマンは「対話」の必要性を強調する。

 この本を読みながら、私の中にもいくつもの記憶が想起してきた。自らの記憶の語り、誰かの語りを継承したいと思ったこと、被害者同士が自分の優劣を競うような状況、歴史に残されなかった記憶を持つ人々の顔、そんなものが次々と脳裏に蘇る。アスマンは、記憶の語りは単なる歴史の知識ではなく、人々の感性を刺激し、巻き込んでいくような力があると言う。だからこそ、記憶についての言説は時に過熱し、激しい言い争いにもなる。そうした問題を、アスマンはできるだけフェアに、全ての立場の人の言い分を聞こうと心をくだきながら論を進めているようにみえた。非常にタフな議論を展開していると私は思う。

 それと同時に、本の最終部で気になったのは、「ヨーロッパの教養」が強調され、EUへの信頼が熱く語られることである。もちろん、戦後ヨーロッパにおいて、復興と平和な社会を目指してEUは樹立された。ホロコーストの記憶、共産主義の記憶などを、一国を越えたヨーロッパの記憶として再統合しようという試みはよくわかる。しかしながら、ヨーロッパ外の記憶はどうなるのだろうか。たとえば、パレスチナの人々の記憶は? それだけではなく、中東の、アフリカの、アジアの、南米の人々の記憶は? ヨーロッパは植民地主義により、多くの地域を自国の領土としてきた。戦後も、ヨーロッパの人々は何度もヨーロッパ外の地域で紛争の当事者となったり、介入を行なったりしてきたはずだ。それらの記憶を抜きにした、ヨーロッパの記憶とは、いかなるものであろうか。

 私は日本で生まれた日本人であり、もちろん、戦争加害国の責任の問題としてアスマンの提起を深く受け止めている。また、戦争責任の問題だけではなく、水俣病の問題を考える上でもアスマンの議論から大きな示唆を受けた。私の疑問はアスマンのこの本の素晴らしさをなんら毀損するものではない。それと同時に、私(たち)の存在や記憶は、もしかするとアスマンの視界に入っていないのだろうか、と最後に思ったのも、正直な気持ちである。

 加えて大変残念なのは、アスマンの『想起の空間』が絶版となり、古本価格は6万円と高騰していることである。翻訳者は『想起の文化』の安川晴基氏である。安川さんの文章は読みやすく、読者をアスマンの思考にやさしく招き入れてくれる。『想起の空間』はぜひ復刊してほしい*1

 

*1:復刊のリクエストは出してきました。

「知りたい」けど、そこまで「知りたくない」?

 id:tyoshikiさんとのやり取りで、ちょっとした発見があったのでメモしておきます。tyoshikiさんは、ネット上で統一教会に対する恐怖心を煽る人はたくさんいるが、自分としてはよく知らないのでわからないと言います。そして、もっと情報発信すべきだと言います。そのなかで、私の記事にも言及があり、読んだけどよくわからないとのコメントがありました。

www.tyoshiki.com

 私はこの記事に対して、知りたいのなら実際に紹介した本を読めばいいし、ほかにも書籍はたくさん出版されているというコメントをしました。なぜなら、知らないのであればもっと調べればいいし、ネットでの十分な情報発信がないならば、書籍を読めばいいからです。もちろん、何を読めばいいのか分からない場合もありますが、私は参考文献もあげているのだから、そこから当たってみれば「知る」ことはできると考えました。

 ところが予想外にtyoshikiさんからは「私はぶっちゃけそこまで知りたいわけでもありません」という返答がきました。「知らない」から「わからない」ので「知りたい」けれど、そこまでは「知りたくない」という、私にとってはとても不思議な答えです*1

 しかし、しばらく考えていると「ああ、だからネット上にはこんなにまとめサイトが溢れているのか」と思い至りました。私は、何か調べるときにまとめサイトの情報が役に立ったことはないですし、Googleで検索した時に、一番に弾いていきます。なぜならば、多くのまとめサイトは、専門家ではない人が、情報の重要度を判定しないまま、アクセスを稼ぐために並べた情報の羅列だからです。

 たとえば、私はカルト宗教について、深刻に考えているほうです。私はそう考えるに至るまで、カルト宗教からの奪回支援についての書籍や、脱会者の体験談をたくさん読みました。なぜ、私がカルト宗教に興味を持ったのかというと、DVや児童虐待を受けた方の体験談をお聞きするとこに、幼少期に家族が閉鎖性の高い宗教団体に属していたというエピソードがしばしばあったからです。こうした宗教団体の問題と、暴力の問題が絡み合ったトラウマを抱えた方が、大変困難な状況にあることを知る機会が多かったのです。そこから、カルト宗教の問題は私にとって、とても重いものになりました。

 私にとって、カルト宗教団体の信者数や献金額等の概要など全く興味のないことですし、ネットで情報発信が必要だとも思えないことです。カルト宗教について知りたいのならば、ひとりひとりの体験者の声に耳を傾け、自分がどのように判断するのかを考えていくしかないと思っています。また、私が上のように抽象的に、具体的なエピソードを省いて書くのは、守秘義務があるからです。もし、このような困難について知りたいと思う方は、やはり書籍で脱会者の体験談を読むのが一番良いと思います。そのひとつとして、今回は統一教会の話だったので、仲正昌樹さんの書籍を紹介しましたが、やはりご本人の文章を直接読む方が、その重みが伝わることは言うまでもありません。

 tyoshikiさんのように*2、そこまでは「知りたくない」という人が、今は増えているのでしょう。その断絶はこれから深まっていくのかもしれません。ただ、これは、テレビが出てきた時に「最近の若者は本を読まない」という嘆く年長者が多かったのに似ているかもしれません。実はテレビというのは「尺」の問題があるので伝えられる情報量がとても短いのです。いまは、ネットでも文字ベースから動画ベース(YouTube)に移っていますから、ますます「伝える情報をコンパクトにすること」が求められるかもしれません。

 そう予測はしたものの、私は長い文章を書くのが好きですし、今後もまとめサイトのような情報発信はしないことでしょう。そういう意味では私は、そこまで知りたくない人には「知らせたくない」側なのかもしれません。他方、私が発信するような、個別的で掘り下げた情報を求めている人は、減ったとしてもいなくなりはしないと思うので、これからもコツコツと書いていくつもりです。

*1:研究者は、知りたいことがあると何年でも調べ続けるので、そっちのほうが不思議なのかもしれませんが。

*2:と言いつつ、tyoshikiさんは閉鎖的な宗教団体で育った子どもたちの漫画を読まれていろいろ考えておられ、そこまで「知りたくない」とも私には思えず、そこにズレは感じた。その漫画の延長線上で、「統一教会についても調べればいいのでは?」と思うが、そこは何か違いがあるのだろうか。

https://www.tyoshiki.com/entry/2021/10/03/221837

近況(映画MINAMATAなど)

 今回の近況は水俣についてあれこれをまとめて書いています。

 ついに日本では映画「MINAMATA」が公開されたようです。海外向けの予告編に字幕がついたものがありましたが、私はこちらの方が国内向けの予告編より好みです。残念ながら、私はベルギーにいるため、まだ観ていいません。今のところ劇場で公開される見込みはないようです。配信やDVDの販売を待っています。

www.youtube.com

 映画評論家の中には、水俣の現実が描かれていないと批判する人たちもいるようです。たしかに、これは実話をベースにした作品で、私も聞いた話からですが「そこは史実のままいってほしかった」と思うエピソードも創作されていました。しかしながら、エンターテイメント映画として、ジョニー・デップが主演で、国際的に水俣病の話が世界中の注目を集めるのは本当に意義のあることですし、今こそ環境問題で再検討すべき、「加害者の責任」の問題が可視化されたのは素晴らしいことだと私は思っています。

 私は研究者なので、資料を元にできる限りの真実を追求します。映画で描かれる一株運動については、6万字以上の論文を書いて、論文賞も取りました。このときは水俣病センター相思社に協力していただき、段ボールに詰められた資料をひっくり返して調査し、未公開資料も許可を得て使わせていただ、かなり頑張りました。患者さんたちの様子はもちろん、運動を提起した弁護士の思想や運動に参加した学生、各地で運動に思い寄せた人々などの動きなどの全体像を描き出そうとしました。

researchmap.jp

 しかし、二つのことを思います。第一に、6万字もかけて書いたのに、本人は全く「現実に迫れた」と思えていないことです。一株運動は水俣病運動のほんの一部分にすぎません。それにもかかわらず、いくら語を費やしたのしても、そこからこぼれ落ちる現実などいくらでもあります。私の手によって再構成された一株運動は、一つのストーリーでしかありません。第二に、ほとんどの人は6万字もある論文を読みません。それは当然のことで、よっぽど興味があるか、専門分野に関係のある人しかこの論文は読まないでしょう。

 私の論文はともかく、土本典昭監督の名作ドキュメンタリー「水俣 患者さんとその世界」もどれくらいの人が実際に鑑賞しているでしょうか?この映画は私も大好きで何度か観ていますが、白黒で2時間46分あり、ほとんど説明はなく、水俣弁での会話が飛び交います。間違いなくアートとしては素晴らしいですが、よっぽど映画が好きか、水俣病に興味がないと最後まで観るのは大変でしょう。

 私は大学で非常勤講師として働くようになって痛感しましたが、「私が良いと思う映画」は学生は必ず寝てしまいます。最初は要領が分からず、名作映画を元に議論をしようとしましたが、バタバタと机に顔を伏せていく学生を観て「これでは意味がない」と思いました。学生はハリウッド映画やアニメ映画が好きなのです*1。そして、私もエンターテイメント映画も好きなので、かれらの気持ちはよくわかります。そんな経験をふまえると、映画「MINAMATA」を通して、これまで水俣病の問題を詳しく知らなかった人たちが、改めて「水俣で何が起きたのか」に関心を持つのではないかと期待しています*2

 また、東京・水俣病を告発する会の季刊「水俣支援東京ニュース」98号(2021年7月25日)では、会員のおひとりが「ハリウッド水俣映画をどう観るか 史実と創作をめぐって」という評を書かれています。この評では、映画のなかで史実がどう創作に置き換えられたのかが解説されています。そのうえで、こんなふうな問題が提起されています。

この映画に限らず、ほかの水俣病映画や作品に対しても、「自分の方が患者に寄り添っている」とか「事実関係に詳しい」など、上から目線の言説を目や耳にすることがままある。もちろん討議は大事だが、公式確認から65年経っても苦難と対峙している水俣の現在を、少しでも多くの人々に伝えたち立場としては、半端な自己主張と誤解されるような言説は控えねばと自戒する

 上の言葉に私はギクリとしました。ともすれば、ひとは自分が他人より知っていることに優越感を持ち、それを正しさの根拠にしようとします。けれど、それを戒める言葉を目にして、「全くその通りだ」と思いましたし、おごってはならないのだと思いました。

 「東京・水俣病を告発する会」は1970年に発足以来、東京を拠点に水俣病患者支援に取り組んできた団体です。ウェブサイトはないようですが、Facebookにページがありました。年間2000円で季刊「水俣支援」を購読できます。

https://www.facebook.com/minamata.supporters/

 また、水俣病センター相思社のニュースレター「ごんずい」162号(2021年8月25日)の特集は「映画MINAMATA」で、アイリーン・美緒子・スミスさんのインタビュー記事があります。相思社職員の小泉さんは、水俣での「MINAMATA」の上映会の事務局担当で、その準備の様子を報告しています。6月のスタッフ向けの試写には、水俣病の患者さんもこられ一緒に映画をご覧になり、当時を懐かしむような雰囲気もあったそうです。そのうえで、小泉さんはそんな気持ちになれない方も水俣にはいらっしゃることを付記されています。そんな葛藤もありながら、小泉さんは映画を観て「軽くて明るい」と思ったと言います。

水俣の中にいる私は、水俣病を説明しようとするとき、語りにくさや、割り切れなさのような重みに引きずられている感覚がある。それを振り切って軽やかに表現するのは、少なくとも私には難しい。わかりやすく一言で説明しようとするものなら、そんな単純やないやろ、と自分に突っ込みが飛ぶ。割り切れなさの中に何かあるような気がして、あえて語りづらさにこだわってしまうときもある。水俣からの距離のあるところから、水俣とそこに関わった人をつかみ出して表現された映画の思いがけない明るさはまぶしかったし、今の私には心地よかった。

 こんなふうに小泉さんは感想を述べた後に、「リアルな水俣ではないからこそ、描かれていることの普遍性が浮き彫りになっている」のではないかと読者に提起しています。この部分は、とても面白いし、議論の甲斐あるテーマだと思います。ぜひ、映画をご覧になった方の感想もお聞きしてみたいところです。(なお、後日、水俣での映画の上映会は大盛況で、無事にうまくいったとお聞きしました。)

 水俣病センター相思社は、1973年に裁判後の水俣病患者の生活支援と交流の場として設立されました。現在も患者相談・支援をしていますし、水俣病の関連資料を収集しています。考証館が併設されて個人での見学も可能ですので、水俣をもっと知りたいと思った方はぜひご訪問ください。また、会員になるとニュースレター「ごんずい」を自宅に送ってもらえます。

www.soshisha.org

 今はりんごの季節なので、相思社を通して青森の低農薬りんごを買えます。私はもう注文して、日本にいる知り合いに送ります。私は帰国予定がないので食べるのは難しそうですが、感想を聞くのが楽しみにです。

naganopomme.cart.fc2.com

 そして、元相思社職員の遠藤邦夫さんの本が出ました! 岡山出身の遠藤さんは、学生運動を経て、新左翼の活動家になります。しかし、運動への行き詰まりから逃げ出すように、全てを捨てて、1980年代後半に水俣に流れつきます。ちょうどその頃は、水俣病センター相思社の転換期でもありました。遠藤さんは1990年代の相思社の組織の立て直しと、熊本県水俣市のもやいなおし事業の重要なステークホルダーになっていきます。これは「映画MINAMATA」のその後の話であり、大きな公害が起きた地域で、粘り強く活動を続けてきた支援者たちのあゆみをこの本は記録しています。同時に、この本は、マルクス主義者で唯物論者だった遠藤さんが、地域の人々とのかかわりのなかで神様がたくさんいる暮らしを直視し、自分が水俣でできることを探していった、ライフストーリーでもあります。装丁も美しい本で、私はまだ手に取ったところですが、これから読むのが楽しみです。

 最後に、私の登壇するイベントのお知らせです。ついに、島薗進氏との対談企画「死にゆく人と愛の関係を再構築する技術」が迫ってきました。修復的正義や水俣についてお話しします。イベントは10月8日19時から、オンラインで開催されます。有料で事前の申し込みが必要ですので、参加をご検討される方は以下のリンク先をご確認ください。

wirelesswire.jp

 

 

 

 

 

 

 

*1:そのなかでも、「トレンチ」という地味な第一次世界大戦の映画が学生の心を掴んだのは嬉しい誤算でした。おそらく、学生と年が近く、身近に感じられる話だからでしょうか。

*2:たとえば、私は映画「八甲田山」を観て衝撃を受けて、あとから自分で調べてみたところ、映画では美化されていた案内人と徳島大尉(高倉健)の関係が、史実と違うことを知りました。それでも、この映画がなければ私は八甲田山でなにがあったのかを自分から調べるきっかけはなかなか無かったと思います。