近況

 ベルギーの大学は対面授業を再開し、私の住むフランドル地方では*1。起きたことを否定せず、受け入れながら、どうやって未来へ進んでいくことができるのかを検討することが、今後も私の関心になるのでしょう。

 ところで、修復的正義(司法)についての、演劇作品が11月に東京で上演されるようです。11月7日のアフタートークには、日本の修復的正義の研究を牽引してこられた高橋則夫教授(早稲田大学法学部)が登壇されます。残念ながら私は観ることが叶いませんが、ご関心のあるかたはぜひ以下のリンクより情報をご確認ください。まだチケットはあるようです。

haiyuza.net

*1:ご指摘いただきましたので、追記しました。(10/15)))屋内でのマスク着用義務もなくなったので、平常の生活が戻りつつあります。9月から学校も再開され、規制が弱まってきているのですが、感染者数も大きく増えることはありませんでした。ワクチン接種率は地域によって大きく異なります。ブリュッセルやワロン地域のように接種者が少ない場所ではCovid safe ticket(ワクチンパスポート、もしくは陰性証明)の使用が明日から導入される予定です。こうした証明書に対する批判もあるのですが、流れとしてはとにかく生活を元に戻す方向で進んでいます。私も大学の研究科で研究を進められるようになりましたし、戻ってきたスタッフと交流もできるようになったのでありがたいです。

 ベルギーにきてよかったことは、自分が「修復的正義の研究をしてきてよかった」と思えることです。もちろん、日本でも「RJ研究会」という専門家の交流会はあったのですが、研究者の数は多くはありません。また、日本の場合、修復的正義に限らず、北米ベースの研究が強いのもあり、同じ方向で研究する人にはなかなか出会えませんでした。

 これは私の印象ですが、米国の修復的正義の研究者は、「トラウマを癒す(ヒーリング)」「トラウマを作らない(防止)」ことに焦点を当てることが多いようです。それに対して、ヨーロッパでは「トラウマ記憶を共有する」ことに焦点を当てる傾向があります。これは、先日紹介したアライダ・アスマンの本でも、次のように書かれています。

さまざまな過去と出自の物語を無効にして、新しい幸せな未来を約束する〈アメリカン・ドリーム〉とは反対に、〈ヨーロピアン・ドリーム〉では過去と未来は密に交差している。アメリカン・ドリームは個々人に向けた成功の約束である。誰もがそれを夢見てよいが、わずかな人にしか実現できない。それに対して、ヨーロピアン・ドリームは諸国民の全体に関係している。それは敵対する隣人が、平和裏に共存する隣人にいかに変わりうるかを示す。この変身のプロセスは、そうこうするうちにとっくに、肯定的な歴史を持つようになった。ヨーロッパ人はその歴史をありがたく思うことができるばかりではなく、誇りにすら思うことができる。ヨーロピアン・ドリームはヨーロッパを変えた。(78頁)

 このざっくりとしたアメリカとヨーロッパの対比は正しいのか、また、これはヨーロッパ中心主義の再来ではないかなどの疑問はありますが、確かに修復的正義について国際会議で報告を聞いていると、アスマンの言いたいことはわからなくもありません。私は、トラウマは癒すべきものでもなければ、なくすべきものでもなく、人が生きていくなかで「付き合わねばならない過去」につける名前だと考えています。考えてみれば、私は大学の学部生時代の卒論では、川村毅の「ニッポン・ウォーズ」を取り上げ、日本の戦争責任を演劇作品の分析を通して「赦し」の可能性を検討しようとしていました。その作者の戯曲の一つを収録した『ハムレットクローン』という本には帯に「私は癒されたくはない」と書いてありました。

 たぶん、私はずっと同じことを長い時間考えているのですが、その一つが「トラウマを消す必要はない」ということのように思います。それはトラウマを放置して良いということではなく、起きた出来事をともに記憶し、悼んでいくようなプロセスが、私たちが生きるうえで必要なのだということです((こういう話を、先日のグリーフワークについての対談で語ればよかったのか、と今更思ったりします

アライダ・アスマン『想起の文化 忘却から対話へ』

 アライダ・アスマン『想起の文化 忘却から対話へ』を読んだ。「歴史学の営み」と「記憶の継承」の政治的・社会的交錯を丁寧にときほぐし、未来へ向けて私たちのなすべき態度を示そうとした、挑戦的でスリリングな本だった。

 アスマンが焦点を当てるのは、想起の文化への「不快感」である。想起の文化とは、過去の(ネガティブな)出来事の記憶を読み覚まし、再検討をするために構築されてきた文化である。ここでは、ドイツにおけるホロコーストの記憶を喚起するための、博物館や記念碑、慰霊式などの政治的イベント、映画や文学、跡地をめぐるツーリズムなどが想定されている。その想起の文化へ不快感を示す人たちがおり、そのことへの対応を考える必要が、私たちにはあるとアスマンは言う。

 アスマンが取り上げる、想起の文化へ不快感を示す人々は、必ずしもホロコーストをなかったことにしようとする、「歴史修正主義」と呼ばれるような人たちだけではない。ホロコーストの記憶を継承することを強調するがゆえに、客観的には証明できない被害者の語りが歴史学に混入することや、戦後やってきた移民たちを国のまとまりから排除する危険があること、別の問題の被害者の語りを妨げることなど、繊細で困難な問題をアスマンは取り上げる。

 アスマンが強調することは、(ネガティブな)出来事が起きてから、記憶の継承は時代とともに求められたり、可能であったりする形が変わっていくことである。時間とともに人々のこころ模様や態度は変わっていく。直後には不可能であった、記憶の語りかたが、50年後には可能になったりする。そうした時間軸を導入することで、アスマンはドイツで行われてきた想起の文化の歴史を概括し、それぞれが「成し遂げたこと」「置き去りにしたこと」を明らかにしていく。

 アスマンは想起の文化を4つのモデルに分類する。第一に〈対話的に忘れる〉モデルである。これは、戦後ドイツの沈黙の時期に当てはめられる、人々は、前に進むためにという大義のもと、ユダヤ人の犠牲者たちについて沈黙し、忘れることで新しいドイツ国家を樹立し、安定させていった。第二に、〈決して忘れないために想起する〉モデルである。これは、ハンナ・アーレントが提起した、倫理に基づく想起のアイデアが例示されている。ユダヤ人殺害を人間がおかした絶対的な悪であるとみなし、普遍的な人類史に記録し、その重みを忘れないために想起する。第三に、〈克服するために想起する〉モデルである。これは、1968年世代と呼ばれるドイツの若者たちが、親世代を糾弾した行為が当てはめられる。トラウマ的記憶を徹底的に見つめ、加害者の責任を追求することで、被害者と加害者の関係を再び構築し、同じ国家の中に内包しようとする。第四に、〈対話的に想起する〉モデルである。これは、トルコ移民がホロコーストの犠牲になったユダヤ人たちに自分の境遇を重ねて記憶を継承しようとしたり、東ドイツ共産主義下で殺された人々の犠牲の記憶を並列して並べたりすることに当てはめられる。異なる被害者の記憶が並べられ、相互にトラウマの痛みを承認していくなかで新たな共同性が確立される。

 アスマンが強調することは、これらのモデルは世代交代と関わっていることである。アスマンは「最初の世代には不可能だったこと、そして第二の世代によって無視されたことは、第三の世代だったらもっと容易に、語らい共感をもって受け入れる対象になりうる(217ページ)」としている。すなわち、これらのモデルは、記憶の継承の仕方の良し悪しをジャッジするためにあるのではない。それぞれの時代において、そのモデルが選ばれた必要性を理解し、これから私たちがどのような記憶の継承の形を選ぶのかを考える素材にするのである。

 結論としては、アスマンは今後は〈対話的に想起する〉モデルを目指すべきだと考えている。これは、自己の被害者としての記憶をモノローグとして語るような想起のあり方ではなく、自らの語りを、歴史学による冷徹な検証や、異なる被害者の語りに開いていくような、そんな想起のあり方である。ここに至るまで、アスマンは歴史学に対する記憶の語りの貢献の可能性や、記憶を相対化したり競合させたりする危険性について、多くの紙幅を費やしている。そのうえで、アスマンは「対話」の必要性を強調する。

 この本を読みながら、私の中にもいくつもの記憶が想起してきた。自らの記憶の語り、誰かの語りを継承したいと思ったこと、被害者同士が自分の優劣を競うような状況、歴史に残されなかった記憶を持つ人々の顔、そんなものが次々と脳裏に蘇る。アスマンは、記憶の語りは単なる歴史の知識ではなく、人々の感性を刺激し、巻き込んでいくような力があると言う。だからこそ、記憶についての言説は時に過熱し、激しい言い争いにもなる。そうした問題を、アスマンはできるだけフェアに、全ての立場の人の言い分を聞こうと心をくだきながら論を進めているようにみえた。非常にタフな議論を展開していると私は思う。

 それと同時に、本の最終部で気になったのは、「ヨーロッパの教養」が強調され、EUへの信頼が熱く語られることである。もちろん、戦後ヨーロッパにおいて、復興と平和な社会を目指してEUは樹立された。ホロコーストの記憶、共産主義の記憶などを、一国を越えたヨーロッパの記憶として再統合しようという試みはよくわかる。しかしながら、ヨーロッパ外の記憶はどうなるのだろうか。たとえば、パレスチナの人々の記憶は? それだけではなく、中東の、アフリカの、アジアの、南米の人々の記憶は? ヨーロッパは植民地主義により、多くの地域を自国の領土としてきた。戦後も、ヨーロッパの人々は何度もヨーロッパ外の地域で紛争の当事者となったり、介入を行なったりしてきたはずだ。それらの記憶を抜きにした、ヨーロッパの記憶とは、いかなるものであろうか。

 私は日本で生まれた日本人であり、もちろん、戦争加害国の責任の問題としてアスマンの提起を深く受け止めている。また、戦争責任の問題だけではなく、水俣病の問題を考える上でもアスマンの議論から大きな示唆を受けた。私の疑問はアスマンのこの本の素晴らしさをなんら毀損するものではない。それと同時に、私(たち)の存在や記憶は、もしかするとアスマンの視界に入っていないのだろうか、と最後に思ったのも、正直な気持ちである。

 加えて大変残念なのは、アスマンの『想起の空間』が絶版となり、古本価格は6万円と高騰していることである。翻訳者は『想起の文化』の安川晴基氏である。安川さんの文章は読みやすく、読者をアスマンの思考にやさしく招き入れてくれる。『想起の空間』はぜひ復刊してほしい*1

 

*1:復刊のリクエストは出してきました。

「知りたい」けど、そこまで「知りたくない」?

 id:tyoshikiさんとのやり取りで、ちょっとした発見があったのでメモしておきます。tyoshikiさんは、ネット上で統一教会に対する恐怖心を煽る人はたくさんいるが、自分としてはよく知らないのでわからないと言います。そして、もっと情報発信すべきだと言います。そのなかで、私の記事にも言及があり、読んだけどよくわからないとのコメントがありました。

www.tyoshiki.com

 私はこの記事に対して、知りたいのなら実際に紹介した本を読めばいいし、ほかにも書籍はたくさん出版されているというコメントをしました。なぜなら、知らないのであればもっと調べればいいし、ネットでの十分な情報発信がないならば、書籍を読めばいいからです。もちろん、何を読めばいいのか分からない場合もありますが、私は参考文献もあげているのだから、そこから当たってみれば「知る」ことはできると考えました。

 ところが予想外にtyoshikiさんからは「私はぶっちゃけそこまで知りたいわけでもありません」という返答がきました。「知らない」から「わからない」ので「知りたい」けれど、そこまでは「知りたくない」という、私にとってはとても不思議な答えです*1

 しかし、しばらく考えていると「ああ、だからネット上にはこんなにまとめサイトが溢れているのか」と思い至りました。私は、何か調べるときにまとめサイトの情報が役に立ったことはないですし、Googleで検索した時に、一番に弾いていきます。なぜならば、多くのまとめサイトは、専門家ではない人が、情報の重要度を判定しないまま、アクセスを稼ぐために並べた情報の羅列だからです。

 たとえば、私はカルト宗教について、深刻に考えているほうです。私はそう考えるに至るまで、カルト宗教からの奪回支援についての書籍や、脱会者の体験談をたくさん読みました。なぜ、私がカルト宗教に興味を持ったのかというと、DVや児童虐待を受けた方の体験談をお聞きするとこに、幼少期に家族が閉鎖性の高い宗教団体に属していたというエピソードがしばしばあったからです。こうした宗教団体の問題と、暴力の問題が絡み合ったトラウマを抱えた方が、大変困難な状況にあることを知る機会が多かったのです。そこから、カルト宗教の問題は私にとって、とても重いものになりました。

 私にとって、カルト宗教団体の信者数や献金額等の概要など全く興味のないことですし、ネットで情報発信が必要だとも思えないことです。カルト宗教について知りたいのならば、ひとりひとりの体験者の声に耳を傾け、自分がどのように判断するのかを考えていくしかないと思っています。また、私が上のように抽象的に、具体的なエピソードを省いて書くのは、守秘義務があるからです。もし、このような困難について知りたいと思う方は、やはり書籍で脱会者の体験談を読むのが一番良いと思います。そのひとつとして、今回は統一教会の話だったので、仲正昌樹さんの書籍を紹介しましたが、やはりご本人の文章を直接読む方が、その重みが伝わることは言うまでもありません。

 tyoshikiさんのように*2、そこまでは「知りたくない」という人が、今は増えているのでしょう。その断絶はこれから深まっていくのかもしれません。ただ、これは、テレビが出てきた時に「最近の若者は本を読まない」という嘆く年長者が多かったのに似ているかもしれません。実はテレビというのは「尺」の問題があるので伝えられる情報量がとても短いのです。いまは、ネットでも文字ベースから動画ベース(YouTube)に移っていますから、ますます「伝える情報をコンパクトにすること」が求められるかもしれません。

 そう予測はしたものの、私は長い文章を書くのが好きですし、今後もまとめサイトのような情報発信はしないことでしょう。そういう意味では私は、そこまで知りたくない人には「知らせたくない」側なのかもしれません。他方、私が発信するような、個別的で掘り下げた情報を求めている人は、減ったとしてもいなくなりはしないと思うので、これからもコツコツと書いていくつもりです。

*1:研究者は、知りたいことがあると何年でも調べ続けるので、そっちのほうが不思議なのかもしれませんが。

*2:と言いつつ、tyoshikiさんは閉鎖的な宗教団体で育った子どもたちの漫画を読まれていろいろ考えておられ、そこまで「知りたくない」とも私には思えず、そこにズレは感じた。その漫画の延長線上で、「統一教会についても調べればいいのでは?」と思うが、そこは何か違いがあるのだろうか。

https://www.tyoshiki.com/entry/2021/10/03/221837

近況(映画MINAMATAなど)

 今回の近況は水俣についてあれこれをまとめて書いています。

 ついに日本では映画「MINAMATA」が公開されたようです。海外向けの予告編に字幕がついたものがありましたが、私はこちらの方が国内向けの予告編より好みです。残念ながら、私はベルギーにいるため、まだ観ていいません。今のところ劇場で公開される見込みはないようです。配信やDVDの販売を待っています。

www.youtube.com

 映画評論家の中には、水俣の現実が描かれていないと批判する人たちもいるようです。たしかに、これは実話をベースにした作品で、私も聞いた話からですが「そこは史実のままいってほしかった」と思うエピソードも創作されていました。しかしながら、エンターテイメント映画として、ジョニー・デップが主演で、国際的に水俣病の話が世界中の注目を集めるのは本当に意義のあることですし、今こそ環境問題で再検討すべき、「加害者の責任」の問題が可視化されたのは素晴らしいことだと私は思っています。

 私は研究者なので、資料を元にできる限りの真実を追求します。映画で描かれる一株運動については、6万字以上の論文を書いて、論文賞も取りました。このときは水俣病センター相思社に協力していただき、段ボールに詰められた資料をひっくり返して調査し、未公開資料も許可を得て使わせていただ、かなり頑張りました。患者さんたちの様子はもちろん、運動を提起した弁護士の思想や運動に参加した学生、各地で運動に思い寄せた人々などの動きなどの全体像を描き出そうとしました。

researchmap.jp

 しかし、二つのことを思います。第一に、6万字もかけて書いたのに、本人は全く「現実に迫れた」と思えていないことです。一株運動は水俣病運動のほんの一部分にすぎません。それにもかかわらず、いくら語を費やしたのしても、そこからこぼれ落ちる現実などいくらでもあります。私の手によって再構成された一株運動は、一つのストーリーでしかありません。第二に、ほとんどの人は6万字もある論文を読みません。それは当然のことで、よっぽど興味があるか、専門分野に関係のある人しかこの論文は読まないでしょう。

 私の論文はともかく、土本典昭監督の名作ドキュメンタリー「水俣 患者さんとその世界」もどれくらいの人が実際に鑑賞しているでしょうか?この映画は私も大好きで何度か観ていますが、白黒で2時間46分あり、ほとんど説明はなく、水俣弁での会話が飛び交います。間違いなくアートとしては素晴らしいですが、よっぽど映画が好きか、水俣病に興味がないと最後まで観るのは大変でしょう。

 私は大学で非常勤講師として働くようになって痛感しましたが、「私が良いと思う映画」は学生は必ず寝てしまいます。最初は要領が分からず、名作映画を元に議論をしようとしましたが、バタバタと机に顔を伏せていく学生を観て「これでは意味がない」と思いました。学生はハリウッド映画やアニメ映画が好きなのです*1。そして、私もエンターテイメント映画も好きなので、かれらの気持ちはよくわかります。そんな経験をふまえると、映画「MINAMATA」を通して、これまで水俣病の問題を詳しく知らなかった人たちが、改めて「水俣で何が起きたのか」に関心を持つのではないかと期待しています*2

 また、東京・水俣病を告発する会の季刊「水俣支援東京ニュース」98号(2021年7月25日)では、会員のおひとりが「ハリウッド水俣映画をどう観るか 史実と創作をめぐって」という評を書かれています。この評では、映画のなかで史実がどう創作に置き換えられたのかが解説されています。そのうえで、こんなふうな問題が提起されています。

この映画に限らず、ほかの水俣病映画や作品に対しても、「自分の方が患者に寄り添っている」とか「事実関係に詳しい」など、上から目線の言説を目や耳にすることがままある。もちろん討議は大事だが、公式確認から65年経っても苦難と対峙している水俣の現在を、少しでも多くの人々に伝えたち立場としては、半端な自己主張と誤解されるような言説は控えねばと自戒する

 上の言葉に私はギクリとしました。ともすれば、ひとは自分が他人より知っていることに優越感を持ち、それを正しさの根拠にしようとします。けれど、それを戒める言葉を目にして、「全くその通りだ」と思いましたし、おごってはならないのだと思いました。

 「東京・水俣病を告発する会」は1970年に発足以来、東京を拠点に水俣病患者支援に取り組んできた団体です。ウェブサイトはないようですが、Facebookにページがありました。年間2000円で季刊「水俣支援」を購読できます。

https://www.facebook.com/minamata.supporters/

 また、水俣病センター相思社のニュースレター「ごんずい」162号(2021年8月25日)の特集は「映画MINAMATA」で、アイリーン・美緒子・スミスさんのインタビュー記事があります。相思社職員の小泉さんは、水俣での「MINAMATA」の上映会の事務局担当で、その準備の様子を報告しています。6月のスタッフ向けの試写には、水俣病の患者さんもこられ一緒に映画をご覧になり、当時を懐かしむような雰囲気もあったそうです。そのうえで、小泉さんはそんな気持ちになれない方も水俣にはいらっしゃることを付記されています。そんな葛藤もありながら、小泉さんは映画を観て「軽くて明るい」と思ったと言います。

水俣の中にいる私は、水俣病を説明しようとするとき、語りにくさや、割り切れなさのような重みに引きずられている感覚がある。それを振り切って軽やかに表現するのは、少なくとも私には難しい。わかりやすく一言で説明しようとするものなら、そんな単純やないやろ、と自分に突っ込みが飛ぶ。割り切れなさの中に何かあるような気がして、あえて語りづらさにこだわってしまうときもある。水俣からの距離のあるところから、水俣とそこに関わった人をつかみ出して表現された映画の思いがけない明るさはまぶしかったし、今の私には心地よかった。

 こんなふうに小泉さんは感想を述べた後に、「リアルな水俣ではないからこそ、描かれていることの普遍性が浮き彫りになっている」のではないかと読者に提起しています。この部分は、とても面白いし、議論の甲斐あるテーマだと思います。ぜひ、映画をご覧になった方の感想もお聞きしてみたいところです。(なお、後日、水俣での映画の上映会は大盛況で、無事にうまくいったとお聞きしました。)

 水俣病センター相思社は、1973年に裁判後の水俣病患者の生活支援と交流の場として設立されました。現在も患者相談・支援をしていますし、水俣病の関連資料を収集しています。考証館が併設されて個人での見学も可能ですので、水俣をもっと知りたいと思った方はぜひご訪問ください。また、会員になるとニュースレター「ごんずい」を自宅に送ってもらえます。

www.soshisha.org

 今はりんごの季節なので、相思社を通して青森の低農薬りんごを買えます。私はもう注文して、日本にいる知り合いに送ります。私は帰国予定がないので食べるのは難しそうですが、感想を聞くのが楽しみにです。

naganopomme.cart.fc2.com

 そして、元相思社職員の遠藤邦夫さんの本が出ました! 岡山出身の遠藤さんは、学生運動を経て、新左翼の活動家になります。しかし、運動への行き詰まりから逃げ出すように、全てを捨てて、1980年代後半に水俣に流れつきます。ちょうどその頃は、水俣病センター相思社の転換期でもありました。遠藤さんは1990年代の相思社の組織の立て直しと、熊本県水俣市のもやいなおし事業の重要なステークホルダーになっていきます。これは「映画MINAMATA」のその後の話であり、大きな公害が起きた地域で、粘り強く活動を続けてきた支援者たちのあゆみをこの本は記録しています。同時に、この本は、マルクス主義者で唯物論者だった遠藤さんが、地域の人々とのかかわりのなかで神様がたくさんいる暮らしを直視し、自分が水俣でできることを探していった、ライフストーリーでもあります。装丁も美しい本で、私はまだ手に取ったところですが、これから読むのが楽しみです。

 最後に、私の登壇するイベントのお知らせです。ついに、島薗進氏との対談企画「死にゆく人と愛の関係を再構築する技術」が迫ってきました。修復的正義や水俣についてお話しします。イベントは10月8日19時から、オンラインで開催されます。有料で事前の申し込みが必要ですので、参加をご検討される方は以下のリンク先をご確認ください。

wirelesswire.jp

 

 

 

 

 

 

 

*1:そのなかでも、「トレンチ」という地味な第一次世界大戦の映画が学生の心を掴んだのは嬉しい誤算でした。おそらく、学生と年が近く、身近に感じられる話だからでしょうか。

*2:たとえば、私は映画「八甲田山」を観て衝撃を受けて、あとから自分で調べてみたところ、映画では美化されていた案内人と徳島大尉(高倉健)の関係が、史実と違うことを知りました。それでも、この映画がなければ私は八甲田山でなにがあったのかを自分から調べるきっかけはなかなか無かったと思います。

仲正昌樹『統一教会と私』

 あるオンライン署名活動*1をきっかけに、統一教会が話題になっている。 私は、統一教会はカルトであり、入会を希望しない限りは決して近づかないほうがいい団体だと考えている。ただし、悪魔化するものよくないと思い、たしか仲正昌樹氏が自分の入信体験を本にしていたと記憶していたので、検索して見つけた。タイトルもストレートな『統一教会と私』である。

 この本は、以前、出版された『Nの肖像』を増補・新装で出版社を変えて出したらしい。

 大変面白い本だったが、なんとも言えない。まず、この本で仲正さんは統一教会の教義やシステム、勧誘、信者の活動について明確に説明している。教義については、従来のキリスト教との聖書の解釈の違いがわかりやすく述べられる。さすが、社会思想の専門家である。また、淡々と自分の体験した勧誘や活動について描き出しており、潜入調査をもとにしたルポルタージュのようだ。しかし、肝心の信者としてのこころ模様はどう受け取っていいのか迷う。

 仲正さんは1981年に東大に入学してすぐ、原理研究会に勧誘され、統一教会の信者となる。それから11年半にわたって信者生活を続ける。共同の生活のホームで暮らし、物売りをし、合同結婚をしたうえ、世界日報の記者になる。どっぷりと統一教会に浸かって生きてきたが、その精神世界はあまりわからず、周囲とのコミュニケーションがうまくいかない若者の屈折が延々と描かれることになる。

 仲正さんが特につまずいたのは物売りである。私はこの本を読む前は「仲正さんは霊感商法にも加担したのだろうか」と詮索していた。だが、そもそも仲正さんは営業成績が悪すぎて、信仰に関する壺や印鑑は売らせてもらえなかったらしい。新人の信者は最初は「珍味売り」からスタートする。何キロもの珍味を担いで、訪問販売をして売り上げを逐一、上司に報告する。神に感謝して売るように言われるが、仲正さんは一向に売り上げが伸びない。業を煮やした上司から「もう帰ってくるな!」と言われると、「じゃあ、もう帰りません」と反抗的な態度をとってしまい、左遷されてしまう。仲正さんは落ちこぼれの信者で、ホームの部屋に閉じこもってでうつうつとしていた。

 仲正さんは、突破口を探してドイツへ留学を試みたり、大学院進学へ挑戦したりするが、全くうまくいかず、どこに行っても人とぶつかってしまう。世界日報の記者になり、やっと才覚を発揮するかと思いきや、上司と喧嘩になってしまう。そして、世界日報の賃金が下がるとやる気がなくなり、転職を目指して一念発起して大学院でドイツ思想を研究し始める。

 仲正さんは、信者としての評価が高くないため、なかなか「祝福(合同結婚のこと)」を受けられなかった。ついに日本の信者の女性と合同結婚が決まったが、容姿や態度が気に入らず、乗りきれない。(仲正さんは女性の容姿がたいそう気になるらしく、女性を描写する場合、必ず美人かどうかの評価を匂わせる*2)ついに合同結婚式に出席して、教祖に会えたというのに、お話の最中に居眠りして、ほかの信者に悪口を言われてしまう。

 時流もあり、仲正さんは脱会を決めてしまう。合同結婚は、女性から子どもをもうけるのが難しいと打ち明けられて、隠していたことに憤って、破棄する。仲正さんは、それまでの信仰生活を振り返り、「合同結婚がうまくいっていればもっと違った人生だったのではないか」などと考えたりする。そして、引き止められるがきっぱり断って、連絡を遮断してやめてしまった。

 仲正さんは、本の終章でこんなふうに書いている。

 統一教会にいたことを、私個人としては、それほど後悔していない。しかし、入信したことにより親に心配をかけたのは事実だし、私が伝道したのがきっかけで入信した人もいるので、反省しなければならない部分があるのかもしれない。

 一一年半にわたる宗教体験は、ある意味では、ごく普通の人間になるための訓練期間であったとも思える。繰りかえしになるが、人見知りの口べたで、人とコミュニケーションを取るのが苦痛だった私の性格は、統一教会にいたことにより、すこしは改善された。いまは、平気な顔をして、大学で授業ができるくらいにはなっているのだから。

 これはなんとも言えない記述である。統一教会の活動を正当化しているとも取れる。しかしながら、一冊読んで思ったことは、統一教会の人も仲正さんとの付き合いには苦労し、対応に苦慮したのではないかということだった。仲正さんの脱会時も引き止めはあったようだが、しつこくはなく、すんなりと辞められたようにも見える。だが、これはもしかすると上司も仲正さんがこれ以上、統一教会でやっていくことは難しいと思っていたのではないかと、読者としては推察してしまう。ちなみに、仲正さんが勧誘できた信者は一人だけで、その信者の方がはるかに早く出世して、合同結婚もうまくいったらしい。

 たしかに、仲正さんの場合は、統一教会に入っていなければ、もっと楽しい生活があったかというと、それはこの本を読む限り、想像できなかった。かといって、この本を読んで統一教会に入りたい人はあまりいないと思う。第一、仲正さんがどのあたりで統一教会に救われたのかもよくわからなかった。あえて言うと、居場所を見つけられたことだろうか。でもその居場所も、茨の道であったし、ずっと仲正さんは落ちこぼれでふてくされて、辛い気持ちで生活していた。突然、最後の方で死の恐怖を抱えていたという話も出てくるが、その恐怖を統一教会の信仰生活が救ってくれたという話もほとんどない。感動するポイントはひとつもなかった。

 つまり、こんなに詳しく赤裸々に統一教会について語り、その話はほぼ正確らしい*3のに、全く統一教会の魅力も恐怖も伝わらない本なのである。法事で親戚のおじさんの昔話を聞いているようだった。たぶん、これは「そういうもの」なのではなく、仲正さんの個性なのだと思う。

 そもそも、仲正さんはものすごく勉強ができる人なのだと思う。公立高校から、その気になれば塾にもいかずに東大に行くことができ、短期留学で英語を話すコツを掴み、ドイツ語に至っては英語に似ているという理由であっというまに習得して、ネイティブと哲学的議論にまで踏み込むようになる。私が何年かけてもさっぱり英語ができず、何度も挫折してきたのとは大違いすぎて、「そこは悩まないんだなあ」とちょっと羨ましくなってしまった。でも、私は頑張れば珍味は売れるかもしれず、人はそれぞれ違うからな、と自分を納得させた*4

 一つ心に残ったのは、物売りで落ちこぼれ、統一教会でも居心地が悪くなった仲正さんの心が、唯一晴々としたのが「左翼との闘い」だったことである。1980年代の学生運動はほとんど形骸化し、内ゲバを繰り返していたと言われている。その左翼学生たちと時には暴力沙汰になりながら闘うことときにだけ元気になり、ストレス発散になったのだと言う。

 この部分を読んだ時に、私は在特会と反在特会の衝突を思い出してしまった。最近では、一部のフェミニスト表現規制反対派の中で起きる激しい言葉のやり取りもそうだ。もちろん、相手を激しく批判する必要があることもある。だが、そこに暴力に魅入られる契機があることに注意は必要だと思う。

 さて、もっと、常人がカルトについて理解できる本もある。以下の本はカルトの魅力と恐怖、入信した人のこころ模様がリアリティを持って描かれている。

 瓜生さんも、大学に進学してすぐに親鸞会に入会する。そこから、親鸞会の組織にどっぷりと浸かっていく。カルトによる救済と、内部の矛盾、自責、さらに脱会後の苦悩などが詳しく語られている。また、「脱会支援」をしている人たちの言葉で、脱会者が傷つく問題についても、丁寧に書かれている。カルトの危険性を指摘することは大事だけれど、カルトに救いを求めていく人たちの心情を理解することも必要だろうと思う。

*1:発端の騒動は、署名活動の賛同団体のひとつが統一教会の関連団体だったことである。それも、その指摘があってすぐに削除された。署名活動によって個人情報を集め、それをもとに勧誘活動を行うのは昔ながらの手法である。もちろん、署名のための個人情報を勧誘活動に使うのは違法だが、一部の活動団体や宗教団体は、自分たちの勧誘は正しいものであるという確信があるため、社会のルールを守らないことがある。(もしくは特異な解釈をしてルールを守らないことを正当化する)そのため、特定団体が参加していることを伏せるような署名活動は危険であるし、私なら避ける

*2:女性に縁がなく、恋愛の経験もないというような話もあったが、たいていの女性は自分の容姿をジャッジされるのに敏感だし、そういう人は親密な関係を築く相手としては、敬遠する。仲正さんが「美人かどうか」で相手をジャッジしてるのが、ばれてるのもあるんだろうな、と私は思った。

*3:Amazonのレビューでも信者らしき人が、真実が書いてあると認め、声をあげて笑える本として褒めていた。

*4:研究者になるのは仲正さんの方がアドバンテージがある。そこは本当に羨ましい。私は仲正さんは十分にアベルだと思う。でも私は、他人が羨ましくても「野原に行こう」とは言わないし、うじうじ一人で野原にいたら誰かが慰めてくれる人生なので、それはそれで良さがある。

ミラノ日本人学校の中学生と水俣

 ミラノ日本人学校の中学生の、オンライン報告会があったので、許可をいただき視聴するチャンスに恵まれました。ミラノはコロナ渦で厳しい状況におかれた街です。中学生たちも帰国やオンライン授業など、大変な思いをしながら今日まで生活してきたそうです。そのなかで、日本の水俣病について継続して学んできて、今日のプレゼンテーションで英語で発表してくれました。

www.mngitalia.net

 中学生たちは、水俣病の概要はもちろんですが、映画「Minamata」、水俣病患者の緒方正実さんや活動家の吉永利夫さんの活動、石牟礼道子の作品、イタリアのVenetoで起きた水質汚染との比較などについて、自分なりの視点から考えを述べました。どれもとても素晴らしくて、研究者の研究課題になるような難しい問題について、「中学生の立場だからできること」をベースに意見を考えていました。とても真摯に水俣病の問題に向き合ってきたことが伝わる、本当に良い報告でした。

 水俣病を学ぶことは、「公害」というひとつの出来事を取り巻く、地域の歴史、人々の暮らし、当事者の怒りや悲しみに直面しながら、自分たちの責任を問うことだと私は思っています。それをひとつずつ積み上げるような貴重な学びの過程が、かれらの報告を通して見えてきて、感動しました。

 そして、私はこれまでVenetoの水質汚染については詳しく知らなかったのですが、ゲストのニコロ・フィリッピ氏(ヴェネチア・カ・フォスカリ大学)*1の報告で初めて全体像を理解しました。Venetoでは、2013年の調査によって、Mineto社の化学工場の汚水によって飲料水が汚染されていたことがわかります。広範囲の地域の人々が健康被害を受けました。すぐに対応がとられましたが、この問題の影響もあり、Mineto社は2018年に倒産します。この汚染の概要は以下の水道技術研究センターの報告書の事例7に出ています。

「世界の水道事故」2020

http://www.jwrc-net.or.jp/chousa-kenkyuu/comparison/abroad08.pdf

 

 フィリピ氏は、2013年以降の被害は認知されたものの、最初に汚染の問題が起きたのは、1977年であり、その被害は取り上げられていないことを指摘しました。これは、1969年の裁判まで問題が放置されていた水俣病と重なる問題です。現在、Mineto社は倒産してありませんが、フィリピ氏はMineto社に出資していた現存の企業にも責任があることを述べました。

 私は、フィリピ氏が紹介した、Mineto社に出資していた企業に三菱が含まれるので、少し調べてみたのですが、1996年から2003年まで社長を務めていたのが駒村純一であることがわかりました。駒村氏は三菱商社の社員でしたが、1981年にミラノに駐在した際に、Mineto社を買収したようです。その後、2003年に三菱商社を退職し、森下仁丹株式会社に入り、ご本人の言葉で言うと「老舗企業の伝統にあぐらをかいていた会社の体質を改善し、業績をV字回復させ」たそうです。

cakes.mu

 2003年前後といえば、ロスジェネ世代と呼ばれる私たちが、過重労働や非正規雇用で苦しんだ時代です。その時代の「成功者」が、イタリアの公害加害企業の社長であったというのは、なかなかの衝撃がありました。水俣病の場合は、加害企業のチッソは戦前の植民地時代の朝鮮半島で工場を設立し、そこで朝鮮人労働者を過酷な労働で使役し、その経験をもとに戦後の水俣の労働者も抑圧し、地域の人々の生命や健康よりも経済利益を優先するような経営を行なったとも言われています。そんなことを思い出してしまう一件でした。

*1:ニコさんとは、私は水俣で会ったことがあります。その頃、ニコさんは水俣で患者さんたちの生活のフィールドワークをしていました。その経験をもとに、今はVenetoで起きた水質汚染の研究をしておられるようです。

オンライン対談「グリーフケアと修復的正義」に登壇します

 2021年10月8日に、宗教学者島薗進氏との対談の企画がオンラインで開催されます。テーマは「グリーフケアと修復的正義」です。水俣や修復的正義について、研究内容はもちろん、今回は個人的な経験や考えてきたこともお話ししようと思っています。対談後は交流会があり、ざっくばらんに皆さんとお話しする場になりそうです。有料*1で、以下から事前申し込みが必要です。

https://peatix.com/event/2734811

 企画の告知文を書き、一部は上のリンク先に引用されているのですが、せっかくなので全文を貼り付けておきいます。

 毎日、インターネットでは凄惨な犯罪のニュースや、有名人のいじめや差別発言の告発が取り沙汰されています。TwitterFacebookでは多くの人の怒りの声が渦巻きます。被害者の心情に寄り添い、加害者を許さない姿勢をとるのは、道徳的に正しいことに見えます。
 でも、「これって、やりすぎでは……?」と思うことはないですか。
 私は2010年から「修復的正義」を研究してきました。修復的正義とは、被害者と加害者の対話を中心にした紛争解決のアプローチです。それを話すと、こんな質問をよくもらいます。
「それって、学校で先生がいじめの加害者に『謝りなさい』と命令して、口だけの『ごめんなさい』を言わせて、被害者がゆるさないといけないという、アレですか……?」
 いいえ、そんなふうに被害者が和解や赦しを強要されるのは、修復的正義ではありません。
 修復的正義で、一番大事なのは「対話に向けた準備」の期間です。ファシリテーターは、被害者と加害者、それぞれに分けて十分に「なにがあったのか」「なにを感じているのか」「なにを相手に伝えたいのか」を聞く時間をとります。そして、両者が「会いたい」と思い、ファシリテーターが「対話は可能だ」と判断したとき、初めて対話が始まります。
 修復的正義では「自発性」と「安全」が大事にされています。参加者が自分から望んで、「大丈夫だ」と思えたときだけ対話をします。もし、途中でやめてしまって、対話に至らなくても修復的正義は失敗ではありません。お互いの状況や、いま必要なことがわかった上で、「今は対話はやめておきましょう」という結論を出すのも、被害者と加害者には意味のあることだからです。たとえ、対話したあとに、両者がもう二度と会わなくなったとしても、それはひとつの答えとして、修復的正義は歓迎します。
 ショッキングな出来事が起きた時、多くの人は「Why me? (なぜ、私だったの?)」という問いに取り憑かれます。その問いを被害者は加害者にぶつけたいと考えることもあります。でも、加害者もまた、「なぜ、こんなことが起きたのか?」「自分はなぜ、こんなことをしてしまったのか?」がわからない混乱に陥ることもあるのです。
 「なぜ?」という疑問が渦巻く場で、修復的正義は荒れた海の灯台のように輝くことがあります。灯台は、嵐を鎮めることはできませんが、遭難しそうになっている人々に「あそこにいけば、陸地がある」という希望を与えることができます。
 修復的正義は、いま社会に起きていることを全て解決できる魔法の道具ではありません。でも、混乱した状況で「こう考えてみたらどうだろう」と、別の角度からものごとを見るヒントにはなります。
 私は性暴力や水俣病の問題を、修復的正義の視点から研究してきました。今回は、みなさんと修復的正義のレンズを通して見える、「別の風景」を共有したいと考えています。

*1:大学ではなく民間のイベントですので、なかなかのお値段ですが、後日、お手頃価格での公開も視野には入っているそうなので、もしそれが実現すれば再度、お知らせします。