近況
2月は水俣にいました。昨年から、長く滞在するようになり、「調査」という形で質問をして現地の情報を得ることよりも、親しい人たちと近況をお話しする機会が増えました。私はずっとセネガルの話をしていました。
経済発展を心から願い、貧しい暮らしから脱しようとするセネガルの人たちと、高度成長期に公害が起きた水俣の地がオーバーラップして見えることがたびたびあります。いま「環境問題どころではない」という人たちのリアリティに直面して、改めて水俣の歴史に向き合っています。水俣とは何度も出合い直すし、なにかあれば水俣を思い浮かべるけど、私は全然地元の人ではなく、ほかのところに行ってしまう研究者であるということを、今も考えています。
そんな繊細な話はさておき、研究者としてセネガルについて知りたいならば、やっぱりフランス語は必須なのでコツコツと勉強を続けています。やっと「猫がテーブルの上にいます」と言えるようになったのですが、先は長いです。長いスパンでやっていこうと思います。
現代思想2024年3月号の特集「人生の意味の哲学」に寄稿いたしました。私は「死者倫理の視点から「人生の意味」を考える――遺された者に何ができるのか」というタイトルで、第一次世界大戦の兵士の弔いについて書いています。2020年2月にフランスのアラスという街で、塹壕戦の跡地をガイドさんに案内してもらいました。そのときの経験をもとに、亡くなった人の生に、遺された者が意味付けすることの倫理性について論じています。
三重でフリースペースなどを運営する「ひびうた」が出す雑誌にエッセイを寄稿しました。「ひびうた」は、もともと障害等を持つ人たちとともに暮らしていくために、街に居場所を作る活動をしてきました。そのなかに、地域で暮らす人たちと本を作ることを目指す「ひびうた書肆室」があります。
文学フリマなどの手作りの本の発行・頒布は、東京を中心とした都市部では盛んになっています。でもそこには地方格差があります。地方にいる人たちは、イベントに参加するためにも旅費を払い、重い荷物を持って、東京や大阪に行く必要があります。それに対して、「ひびうた書肆室」は地域の人たちが、地域の人たちのために、地元で本を作って買うような活動を目指しているそうです。
今回創刊された「まちうた」も地元の人の原稿を優先して掲載しています。そんななかに、私もお邪魔して、「ゆめみる同人誌」と題する話を書きました。私も神戸の山側にある小さな街で、ジャスコのコピー機で同人誌を印刷していました。その頃の話です。