菅孝行「〈事実〉か〈情緒〉かが問われる (水俣曼荼羅/MINAMATA)」(『映画芸術』第477号)

 『映画芸術』に菅孝行の映画評「〈事実〉か〈情緒〉かが問われる (水俣曼荼羅/MINAMATA)」が掲載されていると知り、取り寄せて読んだ。この評では2020年に公開された2本の水俣についての映画を比較している。1本は原一男監督のドキュメンタリー作品「水俣曼荼羅」である。この作品は、水俣病患者やその支援者の裁判や行政との交渉を追い、それぞれが現在、水俣で生きている事実を積み重ねていくことで、観客に今ある問題を突きつけていく。もう1本はアンドリュー・レヴィタス監督の劇映画「MINAMATA」である。これは、写真家であるユージン・スミスとその妻・アイリーンに焦点を当て、水俣病を告発するカタルシスを観客に味あわせる。菅はこの二つの映画の違いはドキュメンタリーか劇映画かだけではないと指摘する。私は菅がこの評において言おうとする両者の違いは、ひとつのストーリーによって情緒によって人々を動かそうとするか、ひとりひとりの水俣病に焦点を当ててひとつにまとまらない事実の複雑性によって人々に内省を迫ろうとするかであると、解釈した。菅は、「MINAMATA」について「それなりによくできている」と評しながらも、末尾では「水俣曼荼羅」の中のひとりの言葉を引きながら、情緒よりも事実に重きを置くかたちで論を結んでいる。すなわち、これまで蓄積された水俣の歴史を担っていくことに焦点が絞られて終わる。

 私は実際に映画を観ていないので評の妥当性はわからないが、二つの映画を〈事実〉と〈情緒〉の二項対立に当てはめて論じることにより、「水俣で映画を撮ること」それ自体の意義と問題が明らかになっていると思った。これまでも、「MINAMATA」については作品内で歴史的事実の一部が演出上の都合で変更されていることに対して、虚構だとして批判が向けられてきた。それに対して菅は「嘘をつくならバレないようにつけ、バレないようにする緊張が作り手の本気度のバロメーターだ」とコメントしており、それにつきるだろう。映画のクオリティとして観客がすぐに気づく嘘というのは、できがいいとは言えない。他方、内容の〈事実〉と〈虚構〉ではなく、〈事実〉と〈情緒〉を対比すれば、「MINAMATA」の価値もわかる。人々の心を動かすことで、過去に起きた出来事へ関心を向けさせるのは、映画の力でもあるからだ。しかしながら、観客の〈情緒〉に訴えるためにはものごとを単純化し、細部を切り落としていかなければならない。そのときに、多くの実際に過去に存在した、ひとりひとりの人々の苦しみは捨象される。それに対抗する〈事実〉の積み重ねを提示してみせたのが、「水俣曼荼羅」の価値と言えるだろう。

 菅は両者を比較するが、私自身は両方が必要だと考えている。私たちが過去の歴史の〈事実〉の積み重ねに向き合うことは重要だが、その動機はどこから来るのだろうか。やはり、それは単純化されてしまった、ほんの一部の物語であっても〈情緒〉を動かす作品ではないのか。このことは、先日、紹介したアライダ・アスマン『想起の文化』でも言及されている。戦後ドイツの人々は、米国で製作されたテレビドラマ『ホロコースト』に心を動かされた。そのことは、自分たちの歴史に向き合う契機の一つになったという。もちろん、そのドラマの中では語られなかった、切り捨てられた人々の苦しみがあり、その後、もう一度、総括されることになる。それでも、〈情緒〉に突き動かされて、人々は過去に向き合う一歩を踏み出すことがある。「〈事実〉か〈情緒〉か」ではなく「〈事実〉も〈情緒〉も」必要であり、発生から何十年も経ってから同じ年に水俣で両方の映画が公開されたことは僥倖であり、そういう映画人を引き寄せる力が水俣の地域にはあるのだと私は思う。

 ところで、私は今から20年以上前に、大学に入ったばかりの頃、菅孝行の著作に心酔していた。私はその頃、演劇の勉強を志し、菅の『解体する演劇』『続・解体する演劇』『関係としての身体』などを愛読していた。だが、2000年代初頭の大学で、同世代で劇団で活動している友人たちと、なかなか話は噛み合わなかった。ある友人は「演劇は楽しいだけじゃダメなのかな?」と私に真顔で言い、ほかの友人は「お前は考えていることが古い」と言った。たしかに、10代の地方に住んでいる私が、「劇的なるものをめぐってⅡ」を本にある白黒のよくわからない白石加代子の写真を観ながら、一人で「こんな感じだったのかな」と空想するのは無理があった。私はほかの事情もいろいろあって、そのまま演劇から離れてしまった。20年後、水俣がきっかけで菅孝行の評を読むことになるとは思わなかった。しかも、新刊が出ていたので思わずこちらも取り寄せた。

 タイトルからして『演劇で〈世界〉を変える』というので、大変興奮する。私が演劇を勉強したかったのは、こういうことを考えたかったからだ。そして、ちょうど私もいま、アートに研究の重心を移しており、タイミングもよかった。こういう偶然はあるのだなあ、と思う。

 さらに『映画芸術』では、菅のもう一本の連載「ことにおいて後悔せず(菅孝行の戦後史)」の最終回も載っていた。こちらは、個人名の羅列に、痛烈な皮肉や悪口、訃報などが並んでいて「左翼知識人っぽいなあ」と私は思った。そして最後に「え!」と声を上げてしまった。こう書いてあった。

最晩年のテーマの第一は差別批判論の陥穽の解明である。反差別の中に差別がある。人間の「悪人性」に無自覚な、思想の「善人」は地獄に堕としたい。その作業は〈ポジショナリティ〉のアポリアを問うことと繋がる。アイデンティティ・ポリティクスとPCの間には深淵があり折衷は解にならない。たった一つの解放はなく、解放は苦しみの数だけあるという。だがケアはひたすら個に向かうからケアだけでは制度も社会関係も覆せない。差別からの解放というテーマはまるごと残されたままだ。

 「絶対、書いてほしい」と私は思う。これは、いま、多くの社会運動に関わる人が直面している問題だし、多くの対立も生んでいる。私もこの問題について自分の視点から答えを探しているが、菅がどのように理論を組み立てるのか知りたい。菅は、映画評の中で最後に一行「安易な許しは禁じられている」と書いている。私は「だったら、安易でない赦しならいいのか」と思うし、その先の赦しの探究に、(たぶん)アポリアの答えを探すのだろう。なぜなら、「解放」は、自らの生の独異性を手放すことと重なると私は考えているからだ。私は、ジャック・デリダの哲学に影響を受けているし、スピリチュアルな方向に進む。だが、ポストモダニズムを毛嫌いし、地に足をつけた左翼としてものごとを考えてきた菅は違う方向のはずだ。それならば、どこに答えはあるのか。菅は自ら「最晩年」と書いているが、長生きしてその答えを書き記して、発表してほしいと心から思う。