金井純一監督「ゆるせない、逢いたい」上映会・アフタートーク報告

 大変遅くなりましたが、映画「ゆるせない、逢いたい」(金井純一監督)上映会・アフタートーク*1の報告をアップいたします。最下部には、PDFファイルを添付しており、会場からの声を個人を特定しない形で掲載しています。
 私の個人的な感想としては、商業映画*2の人にほんの少しではあるものの、関わった衝撃が大きかったことがあります。「支援関係者や刑事司法関係者を狙った偏った作品ではなく、恋愛映画を好む多くの人に観て欲しい」というのは、事情としては理解しようとしていましたが、受け入れがたく感じました。このテーマで青春映画として売り出すのは無理があったと思います。むしろこの問題に詳しい一部の人が議論の材料にするには良い映画だと思いました。

「ゆるせない、逢いたい」上映会・アフタートーク報告

■日時:11月9日(土)13時〜16時半
■場所:大阪府立大学I-sight なんば C1
■主催:大阪府立大学女性学研究センター、大阪府立大学人間社会学研究科院生有志
■総括
 主催者は「ゆるせない、逢いたい」上映会・アフタートークの企画を、性暴力について議論する場として設定した。性暴力の被害者・加害者が会って話をすることには再被害の危険が伴うが、社会的にはあまり理解されていない。とりわけ知り合い(家族・友人・恋人など)からの性暴力に関しては、被害者が周囲に「ゆるしてあげなさい」と強要されて苦しむことも多い。商業映画により、安易に被害者が加害者に会うことが良いことだというイメージがつくられることへの懸念もあった。そのため、企画を性暴力やDVの被害者支援、フェミニズムに関わる人々へ積極的に宣伝し、批判的な視座を持ちながら議論しようと考えた。
 当日は20名前後の参加者により、監督に対して批判も含めた厳しい意見がフロアから出た。この作品の一番の問題は、監督が支援者の間ではよく知られている再被害の危険性を認知してなかったことである。支援者の多くは、デートレイプやデートDVの被害者(とりわけ、映画の主人公と同世代の被害者)が「とにかく会えば和解できる」と内容を誤解し、周囲のサポートなしに単独で加害者に会いに行き再び暴力を振るわれる危険を指摘する。だが監督側にその認識はなく、何の対策も講じていなかった。
 他方、これまでほとんど知られていなかった修復的司法を商業映画で描いた意義は大きく、議論のきっかけにはなる。フロアからは活発な意見交換が行われトークは大きな盛り上がりを見せた。「被害者と家族」の問題については、父親が不在でシングルの母親が、娘との間で持ち緊張関係をどうとるのかで、異なる解釈が飛び交った。また、「加害者の心理」については、「本当に反省するのか」「どうすれば反省するのか」については、多くの人が疑問を口にし、問題共有と意見交換が行われた。
 性暴力の問題は「被害者の回復」と「加害者の更生」に大別され、両者の支援者の交流の機会は多くなかった。残念ながら、両者の間にわだかまりがあることも少なくない。この映画は、フィクションであるために、登場人物の行動を批評することを通して、個人の体験を語ることを避けて、自分の意見を表現することを助ける。映画の内容に問題はあるのは間違いないが、被害者や加害者の現実を知る支援者が、議論を行うには適した作品だと考えられる。つまり、「ゆるせない、逢いたい」という作品を上映することは、批判も含めた議論をセットにすることで、肯定的な価値が出てくるのである。

「ゆるせない、逢いたい」上映会報告レジュメ.pdf 直



 

*1:http://d.hatena.ne.jp/font-da/20131019/1382147476

*2:私は映画に関してはまったくの無知で制作会社のSDP(スターダストプロモーション)のことも、SPDドイツ社会民主党)と読み間違えて「すごい名前の会社だなあ」と左翼系の映画会社だと信じ込んでいたくらい、何もわかっていませんでした。