ジョン・キャメロン・ミッチェル「ラビット・ホール」
事故で4歳の息子を亡くしたベックは、なんとか前向きに生きようとするが、周囲の小さな言動で動揺し、怒ったり悲しんだりして苦しんでいる。家族や友人、近所の人たちの気遣いや愛情から発せられた言葉に傷つき、理解されないと孤立感を覚える一方で、そうなってしまう自分に落ち込んでいる。夫のハワウィーは、妻を支えサポートグループにも積極的に出るのだが、思うようにはものごとは進まない。何度も、自分たちが息子を失い、これまであったはずの世界が壊れてしまったことに直面するのだ。
そんな中、ベックは事故を起こしたジョンソンを偶然、図書館で見つける。二人は公園のベンチで静かに話をする。ジョンソンもまた、事故を起こした自分を責め、深く傷ついていた。そのジョンソンが読んでいたのが「並行宇宙(パラレルワールド)」の本だ。この本を資料にして、「ラビット・ホール」というマンガを描いている。マンガの主人公は、いなくなった父親を探しに行くが、それは「並行宇宙」の父親だという。
いま、私たちが生きている世界は、コレでしかないが、宇宙は無限であるから、そうでなかった世界も論理上はありえる。ベックは「この世界は悲劇バージョンね」と冗談めかして言う。息子が生きていて、いつまでも幸せに自分が笑っている世界も並行してあるのかもしれない。ジョンソンはあちこちに、別の私たちがたくさんいるのだという。
この挿話は、ベックとハワウィーの問題を解決しない。むしろ、ベックとジョンソンが黙って会っていたのを知って、ハワウィーは怒り狂い、サポートグループの女性と関係を持つ寸前までいく。また、ジョンソンを受け入れ、親密な情を温めていたベックも、彼が卒業パーティーへ向かうところを見ていまい、幸福そうな未来へ向かう光景に打ちのめされて泣き崩れる。それを見てしまったジョンソンは、自分とベックが同じ事故の経験者であってもまったく違う立場にあることを知る。
それでも、ベックとハワウィーは家に帰ってくる。そして、これから家族や友人、近所の人たちとパーティーを開く案を話し合い始める。きっとまた、無神経な発言や価値観のすれ違いで、口論になったり傷ついたりするかもしれない。それでも、かれらを招きまた、この家で暮らすのだ。ベックが「そのあとは?」と聞くと、ハワウィーは「なにかがまたあるんだろう」という。ありえたかもしれない幸福な世界を想像しながら、息子のいない悲しみに満ちたこの世界で生きて、人々とつながっていくこと。二人はただ、そうしていくんだろうと語り合う。
この映画の中では、息子を亡くす悲しみについてベックの母親が語る場面がある。悲しみはなくならない。しかし、重石がのしかかるような悲しみから、ポケットに小石が入っているような悲しみに変わる。忘れていても、ポケットに手を入れると「ああ、これだ」とまざまざと悲しみは蘇り、消えることはない。それでも自分の息子が遺したものだから、抱え続けることができるという。遺族の悲しみを丁寧に描いた作品である。
この作品は、修復的司法を謳っているわけではない。だけれど、修復的司法でよく聞かれる、「コミュニティの修復ってなんですか?」という問いの答えになるかもしれない。修復的司法は万能薬ではないから、嫌な奴がいい奴になるわけではない。事件が起きた前の世界に、戻せるわけでもない。でも、終わった後にもみんな生きていかなければならない。従来の刑事司法では、加害者は適正に処罰されることが目的とされる。けれど、修復的司法では、事件で被害者と加害者と、それを取り巻く人々の関係性(コミュニティ)に焦点を当てる。
修復的司法と言うと、被害者の憎しみを加害者にぶつけるイメージが強い。だが、この作品の中の加害者はほとんど過失はなく、遺族も加害者を処罰したり責めたりしたいとは思っていない。それでも、ベックはジョンソンに会うことで、事故が起きたその瞬間の経験を共有することになった。その場にいなかったハワウィーにもわからない、ベックの中で凍りつくように残っている、息子が事故に遭った瞬間の記憶である。
もちろん、会うことで何かが解決するとは限らない。けれど、事件後の被害者や遺族が直面する、周囲との関係性に焦点を当て、加害者と会うことで何かが変わることがある。それは和解や赦しという言葉を当てはめる必要がないことも多いだろう。
修復的司法をテーマにした作品と言うと、どうしても過剰にドラマチックに被害者と加害者の対決を描きがちだ。だが、この映画で描かれる対話はもっと地味で、お互いに気を遣い合ってぎくしゃくしながら、会ったほうがよかったのか悪かったのかもわからない、あいまいなものだ。それが逆に修復的司法の可能性をよく伝えていると思う。
テーマはシビアだが、とても優しくて暖かい作品だった。ネットにほかの人の評もあったのでリンクしておく。
「ラビット・ホール(ネタバレ)/あなたのポケットの石ころは、私には見えなくても、感じることは出来る」
http://mina821.hatenablog.com/entry/20130412/1365757700