デヴィッド・ウィリアムソン「対話」(俳優座公演)
劇団俳優座による、デヴィッド・ウィリアムソン「対話」の公演が今日から始まりました。
修復的司法がテーマの演劇ということで、私は初日のチケットを取って観てきました。この作品のなかで、レイプ殺人事件の被害者・加害者家族のサークル(円になって対話をする)が行われます。そのため、注意喚起も兼ねてこの記事を上げておきます*1。
というのも、私は性暴力の話だと知らずに観に行って、フラッシュバックがおきました。いま確認すると俳優座の公演のお知らせのWebサイトには「本作品には一部性犯罪について言及する箇所がございます。ご観劇の際はご留意のほどお願い申し上げます。」と書いてありますが、チラシには明記されていませんでした。そのため、私は客席についてから、「この作品は性犯罪について触れる箇所があるので、気分が悪くなった方は出口から出てください」というアナウンスで初めてそのことを知り、「やばい」と思いました。しかも、客席はぎゅうぎゅうでほぼ身動きできない状態で、「これはいざとなっても出られないぞ」と嫌な予感がしました。ただ、もうチケット買って東京まで来てしまったので、そのまま観ることにしました。
そして、上演が始まると冒頭で、性暴力の加害者の録音されたモノローグが始まります。そのなかで、性暴力を正当化する発言(あからさまな性的表現含む)が延々と続きます。その時点で「しまった、被害者からではなく、加害者側から描写するのか」と思い、退室しようかと思いましたが、すでに呼吸がおかしくなったので、目をつぶってやりすごしました。こんな状態になるのは5-6年ぶりだと思います。
その場面が終わったあとは、ステージを眺めていたのですが、役者さんたちが感情豊かに表現するのを「元気だなあ」と思ってしまいました。非常に熱のこもった演技だったと思うのですが、怒鳴ったり泣き叫んだりして、とてもパワフルでした*2。その様子を観ながら、亡くなった被害者は、こういう家族たちの対話の風景を見てどう思うのだろうかとずっと考えていました。性暴力場合、被害者が家族と怒りや悲しみが共有できず、孤立感を募らせることがよくあります。それを踏まえると、この作品は、当人ではなく家族にとっての修復的司法を描いていると考えるのがいいと思います。
そうだとしても、私の知っている修復的司法のプログラムとずいぶん違いました。もともとは、オーストラリアで生まれた演劇作品だそうで、私の知っている欧州とは修復的司法の方向性も違うのかもしれません。ここの作品の中ではファシリテーターは、怒りや悲しみの感情を解放することに重きを置いており、そういうセラピーのようでした。私は、相手にむき出しの感情をぶつけることが修復的司法だとは思っておらず、「伝えたいことを伝える」「伝えられなくてもかまわない」「当事者の心理的安全を最優先する」などを基本的に大事にしているので、作品の中の対話は良い例と思えませんでした*3。
でも、英語版のこの作品(A conversation)のトレーラーをみましたが、ずいぶん雰囲気が違うように見えます。みんな椅子に座って、感情は表現していても抑制がきいています。今日、観た役者さんたちの演技とずいぶん、雰囲気が違います。(俳優座の公演では、足を踏みならしたり、相手の胸ぐらを掴んだり、泣き崩れたりしていました)私はこちらのほうが好みです。
性暴力事例における修復的司法は、ほかにも素晴らしい映画「Meeting」があります。こちらは、アイルランドで、実際に行われた性暴力サバイバーと加害者の対話の記録をもとに製作されています。なんと、サバイバーの役はご本人が演じています。英語なのですが、Webサイトから5ユーロで視聴できます。(こちらも冒頭はかなり激しい性暴力の記録が流れるので、閲覧注意です。不安な人は冒頭5分は飛ばして観るのが良いと思います。)
以前、欧州の修復的司法の研究拠点European forum for restorative justiceのオンライン企画で、サバイバー本人と、実際に修復的司法を進める心理セラピストのインタビューが紹介されています。また、企画時には、映画監督とのディスカッションも行われており、それも記録・公開されています*4。(以下のサイトから無料で観れます)
また、日本のドラマであれば、修復的司法は正面からは扱っていませんが、殺人の被害者・加害者家族の対話を描いた「それでも、生きてゆく」がとても良かったです。FODの配信で観ることができます。
特に、大竹しのぶが演じる、被害者の母親の感情の揺れの表現が素晴らしく、引き込まれます。以前、その点について書き、ユリイカに寄稿しました。
*1:一応、終演後にスタッフに「もう少し丁寧にこの問題を扱ってほしい」とお伝えはしたのですが、どれくらい重く受け止めていただけたのかはわかりません。自己責任で観劇すべきだと思っているかもしれないし、クレーマーだと思われたかも?
*2:個人的に大袈裟すぎてリアリティが感じられず、ちょっと引いてしまいました。と言いつつ、先月、宝塚大劇場で、女性だけで演じるジョージアの女王とその夫の悲劇を観た時には、すっかり入り込んで最後は感涙してしまったので、人間がなににリアリティを感じるのかは、とてもミステリアスだと思います。現実に似せればいいという話ではないし。
*3:演劇としてはその方が見栄えがするのはわかりますが……
*4:私も参加していたので少しだけ画面に写っていますが、自分がすっぴんでパジャマだったので笑いました。オンランでも気は抜けないですね……