陵辱嗜好は病気じゃありません

 もうタイトル通りで、なにをいまさらという話なんですが。
4,5日前に、匿名ダイアリーで、自分がなぜ「陵辱嗜好」を持つに至ったのかを書いた記事があがりました。

「現実で女に拒絶されているから妄想の中でさえ和姦など想像できない」
http://anond.hatelabo.jp/20100210012057

この匿名ダイアリーに書かれていることはむちゃくちゃです。あっちこっちに八つ当たりで、差別的な発言をしまくっていますから、内容は糾弾されて当然だとは思います。ですが、それ以上でもそれ以下でもありません。
 私がわざわざ記事をあげたのはsociologbook*1という大学教員のきしさんがやっているブログに、上の記事に触れて、こんなことが書いてあったからです。

そんなもん、「陵辱嗜好」(笑)なんてものは、復讐でもないし、女性たちに原因があるわけでもないですよ。男の一部に、モテようがモテまいが、そういう病を抱えている奴がいるっていうだけの話ですよ。病自体には同情しますが、モテたらモテたで同じことしてますよきっと。

とかいうとなんかものすごい本質主義者になって社会学者としては失格かもしれませんが。でも、そろそろ「社会的に構築されている」ということの意味を、安易な自己責任論に陥らずに、もう少し組み替えて考える必要があると思ってるわけですよ。
(「女性への憎悪と非モテとは無関係」http://sociologbook.net/sb.cgi?eid=463

私も、「陵辱嗜好」を持っています*2が、私は男ではありません。また、多くの女性が楽しんでいる、ヤオイ、BLのジャンルには、陵辱嗜好が含まれるポルノがあります。こうした女性たちを、きしさんは「一部の男性」(女性でないもの)に分類するのでしょうか。それとも別の病気だと分類するのでしょうか。また、私の陵辱嗜好は病気であって、ロマンチック・ラブ・イデオロギーが病気でないのはなぜでしょうか?両者には社会的評価以外に、線引きの根拠はあるのでしょうか?
 ほんとに馬鹿馬鹿しい。なぜ、私が社会学者にこんなことを言わなければならないのか。人間が性的に欲望する対象を、「病的なもの」と「異常なもの」に分類する恣意性と権力性は、社会学こそが指摘してきたことです。散々、構築主義を喧伝してきた社会学の専門家の位置にいながら、欲望が社会的に構築されると考える発想を持つことを冷笑する*3のは、どういった了見なのでしょうか。そのことへのエクスキューズとして「社会学者としては失格かもしれません」と書いていますが、じゃあ社会学者をやめるのですか?社会学者として雇われている大学教員の職も辞職するんですか?そうでもないのでしょう。
 私も、構築主義者ではありません。性的欲望の<すべてが>社会的に構成されているというふうには、言い切らないです。もう少し別の見方でセクシュアリティについては考えていきたいと思っています。だからこそ、ある欲望を「病」と言わないのです。構築主義では解決できない問題はあるでしょう。でも、構築主義のなしてきた業績には大きな価値があります。構築主義の枠内ではなく性的欲望について考えていく際には、徹底的に構築主義以前の本質主義にいくことを避ける必要があると、私は強く思っています。


 ちなみに、社会学の教科書をみていると、すさまじい記述に出会うこともあります。

「レイプを行うのはほとんど男性である」ことについて、「他者との相互作用を通じて、男性は、女性よりも、異性をレイプするように社会化されたから」というのは社会学的説明です。一方、「男性は妊娠しないので相手と性交する傾向をもつ個体のほうが、そうでない個体よりも、子孫を残せる。つまり、強引にでも性交する男性の方が遺伝子を多く残すことになった結果である」というのは進化生物学的説明です。男性の方がレイプをする傾向が高いことは人間の構成する集団に共通する特徴なので、この点に関しては進化生物学の説明の方が正しいのではないでしょうか。
「よくわかる社会学」、182ページ

よくわかる社会学 (やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)

よくわかる社会学 (やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)

最後の一文を読んで仰天したわけで、何度か読み直し、印刷ミスではないかとすら考えました。でも、ほんとにこう書いてあるのです。もう「バカなのか?」としかいえません。
 性交(インターコース)を伴わない性暴力はたくさんあり、その場合も男性から女性への加害が多いのです。一方で、男性からの被害以外が告発しにくい状況が続いています。だから、どのくらいの男性以外の加害者が潜在しているかも、わからないのが現状です。さらには、親密な関係におけるレイプのほうが、見知らぬ人からのレイプより多いことがわかっています。なぜ、相互作用がないよりもあるほうがレイプが多いのか、という疑問も出てきます。
 しかし、そういった、「性暴力に関する基礎的な知識が不足しているのではないか?」という疑念よりも先に、私は怒りがわきました。「なぜ、そんなにすぐ納得するのか?」ということです。社会学の先駆者たちは、人間の本質性(生物学的特性)に犯罪の因子を求めることを阻止しようと苦闘してきました。この文章を書いた津富宏*4もそのような犯罪社会学の研究者のひとりです。ですが、性暴力については、自分があきらめるだけではなく、初学者までにも研究することをあきらめさせようとするのです。これは、「これ以上、性暴力については研究したくないからリストからはずそう」という逃げではないかとすら思います。

 私はこのように社会学者が、性的な問題に関して、社会学を放棄することの理由がまだわかりません。むしろ、こうした「社会学者の一部」に蔓延する「病」を問題にしたらどうか、とそれくらいの揶揄は書いておきます。

*1:http://sociologbook.net/

*2:「『レイプされたい』という性的ファンタジーについて」(フリーターズフリー2号、人文書院)に書きました

*3:「陵辱嗜好」(笑)という表記は不愉快極まりない。なぜ笑っているのか、どこから、何を。

*4:ちなみに、修復的司法の研究者でもあり、そちらの著作は大変に勉強になりました。ので、こんなとこで書いたら、私はこっから先まずいんじゃないかとも思ったんですが、やっぱりこの記述は2年くらい前から怒ってるので、書きました。