痴漢をみたら、分析せずに、一声かけよう!

 Twitterで、痴漢を目撃した社会学者のツイートが話題になっている。

社会学研究者だけど初めて痴漢に遭遇したのでいろいろ考えてみた
http://togetter.com/li/202503

社会学者の@ymmthrkさんは、電車内で痴漢を目撃しその体験を書きながら、被害者の心理を分析すると同時に、傍観者が声をかけられない状況があることを書いている。それに対して、「傍観者として分析するばかりで、声をかけなかったことを正当化する態度である」という批判が起こった。
 私は、痴漢を目撃して、即座に動けないことはあると思う。しかし、@ymmthrkが傍観者である以上に、自身を社会学者としてアイデンティファイし、「その場で見て見ぬふりをすること」と「観察者としての立場を得て、自らを免罪しようとすること」とをすりかえたという批判は避けられないように思う。そう思うのは、@ymmthrkさんが次のようにツイートしているからである。

痴漢話に意外と反響があって嬉しいのだけども、関心が「痴漢を止める方法」に集中しているのは少し残念でもあります
http://twitter.com/#!/ymmthrk/status/126227144480272384

対症療法的にではなくって、もっと根本的に対策を考えたほうがいいように思うんですよね。
http://twitter.com/#!/ymmthrk/status/126228990246649856

何が残念なのだろうか。その場で動けなかったことを自省するならば、次にどう動けばいいのかをアドバイスする提案をもらったときに、なぜ残念になるのだろうか。次も動く気がないから、残念なのではないのか。さらに「対症療法的」であることより、「根本的に対策」をとるのがよいのは、なぜななのか。
 @ymmthrkさんは次のように書く。

(略)私が痴漢体験のツイートを始めたのは、犯罪被害についてそれなりに勉強しているはずの自分がいざというときに人並みかそれ以下の結果しか残せなかったという事実に対し自責の念を感じたためです。
http://twitter.com/#!/ymmthrk/status/127081668862423040

@ymmthrkさんによれば「犯罪被害についてそれなりに勉強して」いても痴漢を止めることはできない。この理由には、「犯罪学/犯罪社会学が役立たず」「@ymmthrkさんの勉強の仕方が悪い」の二つが考えられる。前者は、犯罪学/犯罪社会学を研究している人たちの多くが、とりわけ犯罪被害者について無知であることを、当事者団体や被害者学から散々批判されているので、さもありなんだろう。後者であれば、@ymmthrkさんは勉強の仕方を変えるしかない。@ymmthrkさんは次のようにも言っている。

被害女性は一見して冷静そうに見えたけど、きっとそんなわけはなくて、相当しんどい気持ちだったんじゃないかと思う。はやく心の傷が癒えればいいのだが。それにしても、自分はあの場面でどうするのが一番よかったのだろうか。いまだによく分からない。勉強をせねばならん。(了)
http://twitter.com/#!/ymmthrk/status/125939080763682816

まず、勉強が役に立つのか?そして今までの勉強の仕方を続けても意味はないんじゃないか?論理的にそういう疑問が浮かぶ。これまでのTwitterで他の人たちが口々にツイートしている、痴漢に介入している経験がある。犯罪学/犯罪社会学を勉強しなくても、痴漢を止めることはできるのだから、犯罪学/犯罪社会学の勉強はしなくてもよいし、むしろ邪魔なのではないか。
 たとえば、勉強の仕方を変えることはできるだろう。社会学者の立岩真也は身も蓋もないタイトルの論文を書いている。

立岩真也「わからないから教えてくれと聞いてまわるのがよいと思う。」
http://ci.nii.ac.jp/naid/40007472215

これは尊厳死の議論の文脈であって、痴漢の話ではないが、とてもストレートな話だと思う。「自分はあの場面でどうするのが一番よかったのだろうか」ということは、もうすでにTwitterで痴漢の被害経験がある人が「どうしてもらったのがよかった」「こうしてもらうのがよい」と言っているし、介入した経験のある人が「こうすればうまくいった」という話をしている。なので、答えはいくつか出ている。
 しかし@ymmthrkさんがとったのは、被害者の心理の分析と、自分が置かれた状況の分析である。その結果次のことがわかったという。

「周囲の支援はあてにならないのが実際」「女性専用車はやはり妥当」「車内マナー向上策は逆効果」といった社会学的知見を提出していることはご理解ください
http://twitter.com/#!/ymmthrk/status/127091696952545281

満員電車という環境が痴漢の原因であるという指摘は非常に社会学的であり卓見だと思います
http://twitter.com/#!/ymmthrk/status/127847515772030976

これを読んで、「へ〜、さすが社会学の分析は、すばらしいことを発見する!」と思うだろうか。思わない。こんなことは、多くの人が知っている。少なくとも、痴漢の被害経験がある人は知っているだろう。「周囲は助けてくれないし、女性専用車両に逃げるのは有効だし、マナー向上策を貼ったくらいで痴漢をやめる奴は、最初から痴漢しない奴」ということは、ちょっと考えればわかる。そして満員電車こそが、痴漢の温床となっていることは、火を見るより明らかである。
 社会学的に分析した結果、「みんな知ってる」ということが明らかになって、それになんの意味があるのか。むしろ、今まで「知らずにいることができた」という分析者の特権的無知があぶり出されるだけだ。そして、そのために分析された人は、なんの許可も与えていないのに、一方的にインフォーマントにされ、分析者の知的好奇心を満たすために利用される。
 もちろん、痴漢が起きたときに、それを止められないことはある。特に性的な問題が絡む、DVやセクハラも同じことだ。それどころかレイプが起きているのに周囲が傍観して止めなかった事件もあった*1。もちろん、介入することで身の危険が及ぶ場合(身体的な危険だけではなく、経済的・心理的危険もあるだろう)もあるので、一概に「介入すべきだ」とは言えない。
 しかしこうした傍観者の態度は、被害者に孤立無援感をもたらし、心理的に大きく傷つける。もちろん、すべての事態に介入することはできない。だけれど、少しずつ介入する人を増やしていくことが、より介入しやすい雰囲気を作っていく。たとえば、私の女性の友人は痴漢にあっているときに、別の女性に助けられたことがあった。それ以降、痴漢にあっている人に介入できるようになった。また、痴漢に介入する人を目撃することで、「今度は自分も介入しよう」と思う人もいるだろう。
 「痴漢に介入できなかった」という経験は、罪悪感をもたらす。けれど、それは次に痴漢に介入することで乗り越えられる。これまで社会は「被害者に声を上げてほしい」と散々言ってきた。けれど、被害者が声を上げなくても、第三者が介入すれば犯罪は減らせるのである。社会学の分析をする前に、とにかく一声かけてみる。そちらのほうが大事なんではないかと私は思う。
 私が以前痴漢について書いたのはこちら↓

「痴漢問題を論じるうえで」
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20090420/1240206976

ちなみに、私は犯罪/暴力の問題を研究する大学院生*2です。社会学に意味がないとはまったく思わないけど、「当事者の声を聴く」っていったい何年この業界は言っているのだろうか、それを真面目にやる気がないのかはなぜなのか、という思いを、繰り返しさせられるのは、本当に苦痛です。

追記

 @ymmthrkさんから質問が来ているので答えます。

font-daさんに逆に問いたい。では、あなたは「無知・臆病・頭でっかち」な人間をどうしようというのか。
http://twitter.com/#!/ymmthrk/status/128219998660460545

どうしようもないと思います。

そういった人間を動かすような根本的な策はあるのか。

ありません。あなたが、一歩を踏み出せる日が来ますように!(祈)

たとえばそういう者に「無知・臆病・頭でっかち」を治す努力が足りないと言うことはできる。しかしそれは現実的に有効だろうか?

私は詳しくないですが、認知療法の研究ではエビデンスが出てるんじゃないでしょうか?

有効でないからこそ痴漢被害は起こり続けているのではないのか。もちろん「まだまだ努力が足りないのだ」と言うこともできる。しかし現状が遅々として進まないことには理由があるはずであり、それについて考え、その理由を踏まえて他の方法を試すことも考えるべきではないか。
http://twitter.com/#!/ymmthrk/status/128220391977127938

あなたが気付いた理由はみんな知っています。じゃあ、東京の通勤時間の電車をすべて指定席にしますか?監視カメラをつけますか?私はどちらもゴメンです。

font-daさんは馬鹿にするけれども、社会学的な分析はやはり重要だと思う。「社会学的に分析した結果、「みんな知ってる」ということが明らかになって、それになんの意味があるのか」というが、逆である。私は「みんな知ってる」ことがなぜ起こるのかを明らかにしたいと考えている。
http://twitter.com/#!/ymmthrk/status/128225275480784896

それも知っていますよ。私がバカにしたのは、社会学的な分析一般ではなく、<あなたの>社会学的な分析です。優秀な社会学者はたくさんいますし、上に立岩真也も挙げています。ただ、社会学者のうちに、あなたのように「みんな知ってること」をインフォーマントの犠牲の上に論文に仕上げて、業績を積んでいることも知っています。それに比べれ、あなたのようにツイッターでつぶやくほうが、何十倍もマシだと思いますが。

というわけで、優秀な社会学者で犯罪研究をしている人の著作を。

貧困という監獄―グローバル化と刑罰国家の到来

貧困という監獄―グローバル化と刑罰国家の到来

割れ窓理論」や「ゼロ・トレランス」といった(一部の)環境犯罪学の理論が、いかにイケてない社会学者と保守政治家の結託ででっちあげられたのかを明らかにした本です。非常に意義のある社会学的な分析だと思います。

*1:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%8B%E8%B3%80%E9%9B%BB%E8%BB%8A%E5%86%85%E9%A7%85%E6%A7%8B%E5%86%85%E9%80%A3%E7%B6%9A%E5%BC%B7%E5%A7%A6%E4%BA%8B%E4%BB%B6

*2:というわけで、全部ブーメランで自分にこの言葉帰ってくるんですが。でもだからって「仕方ないよね」と言いたくはないので、学問的にやる意味あって、当事者の声を拾う論文書けるように頑張ります。