永久保陽子「やおい小説論」

 先日の「日本記号学会第28回大会 遍在するフィクショナリティ」についての記事が大反響ですごいなあ、と思っていたら、さらに話は続いているようだ。id:kmiuraさんの「まさに偏在しているフィクショナリティ」というアイロニーのきいたタイトルの記事によって知る。そして、司会をしていた室井さんの自らの記事によって、衝撃を受ける。

休憩後、フロアに質問をしてもらう段階になってくすぶっていた対立が前景化してきた。この手のイベントには異様な程、多数の挙手があったのだ。(略)次から次へとその手のオタク質問が続き、永久保さんもその方が安心するのか、セッション中の途切れ途切れの話し方から一変して澱みなくしゃべり出すようになって、さらに会場からは沢山の手が上げられるようになった。このまま終わらせたのでは、今回の学会の企画意図が完全に潰されると思ったため、こちらからキレて、質問を封じるという実力行使に出ることにした。
そこからは、ネットでの「炎上」のような混乱が。突然会場から学会とは何の関係もない学部学生が立ち上がり司会者の横暴をなじり、室井さんたちは全く面白くなかった。面白かったと思う人、手を挙げてくださいと言いだし、それに便乗して不規則発言する人も出てくる。

室井尚「日本記号学会第28回大会「遍在するフィクショナリティ」終了」『短信』(http://tanshin.cocolog-nifty.com/tanshin/2008/05/post_df4f.html

ま、マジっすか?!うわー残ってればよかった。残念至極でございます。マルチチュードですねえー。「自らやおいを支えつつ、やおい文化の制度化に抗う民衆たちの反乱」*1ですねえー。ネグリ講演会での姜さんとスガさんのバトルより、断然面白そうだ。
 さて、真面目な話だけれど。永久保さんの本を購入したので、読んでみた。作品論で、かなりハードな性描写の引用が多い。私が興味を持ったのは、永久保さんの「やおいにおけるレイプ」を論じている部分である。
 永久保さんは、ロマンティック・ラブとレイプが共存しているという、やおいの性描写に着目する。永久保さんは、男性向け官能小説について解説した本を取り上げる。その本では、「微笑ましいセックス」よりも、女性をモノ化したレイプの描写が望ましいと述べられている。やおいの性描写もまた、<受>*2をモノ化したレイプの描写が用いられる。ところが、同時に、やおいでは、セックスする二人の関係はロマンティック・ラブとして描かれ、とりわけ<攻>の<受>に対する精神的奉仕が強調される。ここでは、<受>の非モノ化して表現される。
 永久保さんによれば、男性向け官能小説においては「男―女」の権力構造は固定的である。常に男が女を支配する。しかし、やおい小説においては「<受>―<攻>」の関係は、肉体的関係と精神的関係において逆転する。永久保さんは以下のように述べる。

 ロマンティック・ラブ・ストーリーの志向と、エロ小説の志向が真っ向から対立するのが例王(強姦)というシチュエーションなのである。これはモノ化と非モノ化の対立である。その二つの志向性の要求を満たす策。それが<攻>の愛情の存在、暴力性の排除、<受>の特権化、<攻>の性行為の奉仕化なのである。<やおい小説>のレイプ(強姦)に施されている、これらの設定は、モノ化と非モノ化を両立させるための苦肉の策なのだ。そしてレイプ(強姦)のモノ化と非モノ化の錯綜こそ、「読者」が<受>と<攻>の両方に同一している証明なのである。
(315〜316ページ)

「レイプ=モノ化」「ロマンティック・ラブ=非モノ化」という図式は、あんまりにも乱暴だろう。ロマンティック・ラブにおいても、性的対象はモノ化しうる。それでも、永久保さんが述べようとしていることは、わかる。すなわち、「男性向けポルノでは、あたしゃ抜けないんだけど」という女性の存在を、やおいが満たしてきた、ということだ。そして、それは女性向けポルノに求められるのは、「男性向けポルノは男性に都合の良い物語」で、「男性向けポルノの登場人物の性別を反転させて、女性向けにしたもの」ではない、という示す、ということだ。
 もちろん、これは「男性と女性は性器の形が違うから欲望の形が違う」*3という話ではない。その変数に、永久保さんは、ジェンダーを用いている。そして、そこからは、女性は「レイプしたいという欲望」をレイプだけでは楽しめず、ロマンティック・ラブで希釈しなければ楽しめないのではないか、という仮説が導かれるだろう。
 当然だが、これはロマンティック・ラブで希釈すれば、レイプの暴力性が剥奪されるというわけではない。現実においては、ロマンティック・ラブとレイプが同時に行われることが、悲惨な暴力をうむことは、これまでの性暴力被害者に関する研究で明らかである。また男性の男性に対するレイプに関する問題は、ほとんど取り組まれていない。その状況において、このようなファンタジーを消費する側が、無頓着である状態は好ましくないだろう。*4私としては、この点に対する言及は必要だと思っている。すなわち、やおい愛好者の、レイプやセクシュアルマイノリティに対する無関心についての言及である。*5

やおい小説論―女性のためのエロス表現

やおい小説論―女性のためのエロス表現

というかんじに、シンポジウムが終わった後にこういうことを考えていたのでした。そしたら、室井さんたら、こんなコメント。↓

全く話の脈絡や構図を理解できずに、その日の晩のうちにぼくたちのシンポジウムのとんでもなく見当はずれな悪口を書き散らしている「ユーザー」たちのblogや日記を見て、情報社会は新しいタイプの心の牢獄を作り出しているのではないかと思った。

http://tanshin.cocolog-nifty.com/tanshin/2008/05/post_df4f.html

これって、あたしとか、ですよね…「心の牢獄」て。せめて「自由の牢獄」とかは、どうでしょう?

エンデ全集〈13〉自由の牢獄

エンデ全集〈13〉自由の牢獄

もう「<ぼくたち>のシンポジウム」と書いておられるのをみただけで、温度差がひしひしと伝わる、そんな一文でした。確かに世代の問題はあることがわかりました。データベースかあ…。

*1:すいません、適当です。

*2:すいません、やおいに関する用語は適当にググるなりなんなりして調べてください。

*3:先日のシンポジウムで、素朴にこういうことを述べたパネリストがもいた。すげー。優生学かよ。

*4:毎度書くことだが、このようなファンタジーに欲望することを禁止することはできない。

*5:これは近いうちにやるつもり、です。たぶん。