NHK「ハートをつなごう 性暴力被害特集」

 昨日、今日の二夜連続で、NHKが性暴力被害についての番組を放映した。

教育テレビ 1月25日(月)、26日(火) 午後8時〜8時29分

http://www.nhk.or.jp/heart-net/hearttv/

 『ハートをつなごう』ではこれまで摂食障害自傷癖などさまざまな依存症に悩む人たちの声を取り上げてきました。その背景には何があるのか。生きづらさを切々と訴える多くのメールにある共通項があることに気付きました。それは“性暴力被害”の経験があるということです。“信頼していた友人からレイプされた。”“子どものころ、父親から性器を触られた。”“職場の上司から毎日、セクハラを受ける。うつになった…。”最近の調査だと女性のおよそ8割が被害を受けた経験があると言われています。男性も決して少なくないそうです。被害を受けた人たちは何に苦しみ、何に悩むのか。彼女・彼らを支えるために何が必要なのか。二日にわたり、勇気を出して出演してくれた4人の被害者の方たちと話し合います。

私は一夜目は後半のみ、二夜目はすべて観た。
 番組の構成は、一夜目に15分ずつ、二名の女性の体験談が放映された。二夜目は、最初の15分で、一名の女性の体験談が放映され、後半はスタジオでの軽いディスカッションに費やされた。体験談は、被害の経緯と、現在の生活の様子である。今も、精神的なダメージが残り、日常生活にも支障が出るほどの苦しい症状が出ていることや、医療やNPOからの支援を受けていることなどが説明される。
 私は昨日の一夜目の放映後、非常に不満が残った。被害の悲惨さや、今の状況の過酷さに焦点が当てられ、「かわいそうな被害者」として番組で描かれているように感じたからだ。被害女性の配偶者であり、サポートをしている男性も出演していたが、異性愛カップルのロマンチックラブストーリーに回収されないか、懸念を持った。番組レギュラーの石田衣良は、女性に対して「いいの(男性)みつけたねえ」という言動も目に付いた。また、コメンテーターとして出演していた精神科医小西聖子は「治療により、回復をはやめることができる」といっている。だが、現状の精神医療の窓口のほとんどは、性暴力被害者対応を期待することができない現状だ。(多くの)精神科医が、性暴力被害者ケアのスキルを持っているような語り口は、誤解を招く*1と感じた。
 そして、今日の二夜目はうってかわって、非常に満足いく番組だった。まず、番組レギュラーのソニンは、それまで体験談に対して、終始「なんといってよいのかわからない」と言い続けてきた。そして、このディスカッションで「当事者に語っていただくのも大事だけれど、私たちが何をすればいいのかを、考えることがこの番組の意義ではないか」と疑問を投げかける。この視点が明確にされたことで、視聴者は一方的に当事者の語りを聴く観客席から、当事者に関わるフィールドに降ろされる。どこかの世界にいる被害者ではなく、同じ社会に生きている被害者と、共に生きるとはどういうことなのかを、考える視座が開けた。
 そして、ソニンは当事者のつらさだけでなく、「こうして言葉にして話せるように、変わってきた」ということにも焦点を当てる。当事者も「今も乗り越えたわけではない」と言いながら「回復の実感はある」というふうに答えていく。被害者たちは、身を乗り出して支援者や仲間との出会いを語り、自分たちの変化と、未来に向けて前向きに生きていることを生き生きと語る。一人の被害者は、番組の収録に関して「最初は緊張するし、こんなところで話すのはつらいな」と思っていたが、終盤ではリラックスして「こんなんなっちゃったし」とおどけた調子で言って笑いをとっていた。そして「みんなが『そうだよね』って聴いてくれて、来て良かったと思った」というように語った。私が一夜目で感じた、強調しすぎるほどの彼女たちの悲惨さの描写は、ここで見事に反転する。いまも悲惨で、苦しくて、話すだけでも泣いてしまい、ハンカチを握り締める被害者の一面と、力強く明日から生きていくことに対する希望を語る被害者の一面との両方が、表裏一体であることが示されるのだ。絶望の中を生きている被害者も、希望に向かって生きている被害者も、同じ被害者であり、一人の人間なのだ。
 こうした被害者の生きる強さを引き出したのは、コメンテーターとして参加した小林美佳の力が大きいだろう。彼女は「なんで私はそっち(当事者の席)じゃなくて、こっち(コメンテーターの席)にいるんだろう」「私もほんとは、そっちにいるはずで、モザイクとかかけて」とユーモラスな口調で語る。そして、こうしたモザイクが必要で、他の人には話せないのは、社会的に偏見があり理解されない状況があるからだと指摘した。それを裏付けるように、収録の受容的な現場の中で、被害者は自分のことを楽に表現できるようになっていった。そして被害者を孤立させないような「人と人とのつながり」こそが大事なのだと最後に述べた。性暴力被害の問題は、ややもすれば「かわいそうない人たちを救うために、法的・医療的制度を」という結論になりがちだ。そして、そうした制度が必要なのも事実だ。だが、当事者が出演する意義はなんであるのか。この番組では、過去の被害だけではなく、今を生きているその人を見ようとした。この点は、良かったと思う。
 最後に、小西聖子は、「『大変な仕事ですね』と言われますが、被害者は変わっていくしよくなっていきます。そうしたことに関わるのだから『良い仕事』だと思っています」というような発言をし、私は初めて共感した。私も「性暴力なんて、大変な問題をやってるんですね」といわれ「えらいですね」といわれることすらある。しかし、私が性暴力の問題に関わるようになって学んだことは、「人は変わる」ということである。「苦しんでのたうちまわっている人」や「自分は変われないと殻に閉じこもっている人」が、ある日突然、別人のように変わって強くなってしまう。大変なことは、もちろん大変だし、こうした被害は減らさなければならないのだが、こうした人間の変化を目の当たりにすることは、性暴力の問題に関わるものの特権だなあ、と思う。
 そして、一点だけ、どうしても言っておきたい違和感のある場面を指摘しておく。それは、被害者の一人が、支援者に促されて、大学の学生の前で被害体験を話すイベントに出る様子が、放映されたことだ。一瞬だし、詳しいことはわからなかったが、この場面の直前にナレーションで「性暴力に真正面から向き合えるようになりました」と入っていた。もちろん、こうした啓発活動に被害者が参加することは、良い効果があると思う。だが、必ずしもこうした活動にコミットすること=真正面に向き合うことではない。そのまま、誰にも言わず、淡々と生きていくことが向き合うことであることも、ある。さらに、状況はよくわからないが、女子学生と思われる聴講者が腕のセーターをぎゅっと掴んでいる映像が入った(顔は映っていない)。被害体験を聞くことは、ある人たちにとって過大な負担である。必ずしも、直接な経験を聴くことだけが、性暴力被害について学ぶことではない。こうしたイベントには、丁寧な準備とフォローが必要だが、大学という場ではそこがないがしろにされていることが多く、以前から気になっている。この放映されたケースの場合は、詳しいことがわからないが、気になったので、書き留めておく。
 残念だった点としては、三十代までの若い女性の被害者ばかりの出演者だったことだ。被害内容も、男性から女性への被害に限定されている。同性間の被害や、女性から男性への被害の場合、男性から女性への被害以上に声を上げにくい現状がある。それだけに、そうした人たちの存在を可視化していく必要はあるだろう。そして、これまで数十年にわたって、「誰にもいえない」と思って生きてきた50代、60代、それ以上の被害者たちの存在もある。どうしても性暴力というと、「若い女性の被害」が優先的に取り上げられる。だが、そうではない被害が膨大にあることを、もう一度強調しておく。

*1:ついでにいうと、現在、日本で推奨されている精神医療側の治療法とは、「持続的暴露療法」である。エビデンスがあがっているとのことだが、被害経験を引き出す非常に危険な方法である。また、医療援助者が「効果があった」と感じることと、クライアントの満足度にギャップがあることもある。注意が必要である。正直、精神医療については、治療効果があったというはなしより、二次被害にあったというはなしのほうが、よく流通していると思う。