会田誠展抗議運動について(澁谷知美の批判を受けて)

 東京の森美術館で行われた会田誠展が、一時期ネット上で議論になっていた。特に『犬』という作品は、四肢が切断された少女が描かれており、展示に対して抗議が起きる事態となった。
 私自身は、東京まで展示を見に行く機会もなかったので、作品の内容についてはあまり積極的にコメントしていない。ただし、抗議については幾人かのフェミニストが表だって賛同していたので、気になって見ていた。その中で、私の目についたのは澁谷知美のブログ記事である。

会田誠の絵も、それがアートになる社会も醜悪である (署名募集あり)」
http://shibuya.txt-nifty.com/blog/2013/01/post-1160.html

私はTwitterでこの件について発言していた。それは以下のまとめ(togetter)で読むことができる。

「『会田誠 天才でごめんなさい』展への抗議関連の議論」
http://togetter.com/li/446918

私はTwitterでかなりくだけた調子*1でコメントしているが、澁谷さんの抗議文は性暴力の当事者を分断するとして批判している。
 私が批判しているのは、澁谷さんのブログ記事の以下の書き出しである。

 たとえば、その絵の作者が、虐待を受けてきた女性だとしたら、彼女が生きてきた世界を表現したものだという解釈が成り立つであろう。そんな世界への異議申立ととらえることができるだろう。
が、じっさいの作者は、「美少女」という文字を前にオナニーしているらしき自身の写真を公開している男性である。上記の解釈はムリである。
http://shibuya.txt-nifty.com/blog/2013/01/post-1160.html

「その絵の作者」が虐待の被害者であるかどうかで、作品の解釈が変わることを澁谷さんは示唆している。それに対して、私はそう仮定して論じること自体が、作者の虐待被害の有無のカムアウトの強制になるとして批判している。このような論じ方は、作者に虐待経験があったとすれば、「被害者である」とカムアウトするか、虐待経験を隠すかのどちらかを選ばせることになる。私の主張は「男女問わずすべての人が虐待経験を持つ可能性があるのだから、作者のそうした経験の有無を勘ぐることは暴力的だ」ということである。
 もちろん、これは虐待被害者であることが、この社会で特別な意味を持つから問題にしているのだ。たとえば、「その絵の作者が、犬が好きだとすれば」という仮定であれば、私はそんなに気に留めなかっただろう。犬好きであるかないかをカムアウトすることには、虐待経験の有無をカムアウトすることに比べて、社会的リスクが相対的に少ないからである。
 また、それに続く問題として作品を鑑賞する側がどう感じるのかについても、虐待経験の有無を問うことは暴力的であると再三書いている。次のツイートがその話の中核だ。

当事者がそういう経験者のない人より虐待されてる絵を見て嫌悪する可能性は高いと思う。でも当事者だからこそ虐待されてる絵に惹かれることもあるし、それを楽しむこともあると思う。私はそういう当事者を黙らせることも、そういう当事者を利用して作品を公開する道具に使うことも避けるべきだと思う

 私が一連のツイートで批判したのは、会田誠展に「虐待当事者であるかないか」という話に引っ張っていくことである。繰り返すが、私は会田誠展を実際に見ていないので、作品自体に積極的なコメントはしづらい。それでもネット上で目にする図版を見ても、議論を呼ぶことはわかるし、嫌悪を持つ人たちがいることも想像ができる。(そして、自分が嫌悪を持つだろうし、だからこそ見に行く気がしないことも、私はTwitterで書いている)その上で「虐待当事者であること」と「作品を嫌悪すること」を結び付けていくような言説には反対している。なぜなら、そうした言説が出てきたときに、「作品に好む虐待当事者」が引き裂かれるだろうことがまず予想できるからだ。
 このブログではこれまで何度も書いてきたが、私はフェミニストや性暴力被害者支援団体が「被害者像を押し付けること」に強く反対している。ブログだけではなく、関西の集会では何度かフロアから発言している。私自身もフェミニストアイデンティティを持っているが、これまでのフェミニズムが十分に「被害者像を押し付けること」について取り組んできたとは思わない。今も、支援者が好むような被害者がモデルとして使われ、そうでない被害者は排除されていると感じている。そして、そのような言説に抵抗する被害者の声を積極的に取り上げてもきた。*2ある意味では、いつも通りの私の発言だったといえる。
 さて、澁谷さんを批判した人たちはたくさんいたのだが、3月20日に開かれた集会で、それに対するレスポンスが出ている。ネット上で澁谷さん自身が公開している。

「会田展問題について今、思っていることをとりあえず書きだしてみる」
http://shibuya.txt-nifty.com/blog/files/handout2.pdf

その中で、私に対する批判と思われる部分があるので抜き出す。

「たとえば、その絵の作者が、虐待を受けてきた女性だとしたら、彼女が生きてきた世界を表現したものだという解釈が成り立つであろう。そんな世界への異議申立ととらえることができるだろう」とブログに書いた。この時、頭にうかべていた「女性」とは松井冬子。暴力を受けてき
たと自ら語り、内蔵が丸出しになっている少女の絵などを描いている。
 が、「暴力被害者をフェミニストが利用している」、「暴力被害者を分断しようとしている」、「この人は暴力被害者なのかどうか、まさぐるよう目で見る状況を再生産している」という内容の批判をされた。なんでも、みずからの利益のために性暴力被害者を利用するフェミニストのことがこの人の頭にはあり、私はそれにカテゴライズされるらしい。
 けど、松井冬子フェミニスト・アートというのは広義の「被害体験」も込みで作品を見るように観客にプレゼンテーションしている。批判している人に尋ねたいが、そういう例を引き合いにしたらいけないということ? ひいては、被害体験をもとにした当事者の創作を許さないということ? てか、私も性被害にあったことあるんだけど。積極的に被害者を分断しているのは自分ということになりそうだが。この批判もテンプレ感が否めなかった。
http://shibuya.txt-nifty.com/blog/files/handout2.pdf

「批判している人に尋ねたい」とのことで応答の記事を書くことにした。*3
 まず、松井冬子について。私は以前、この作家については上野千鶴子との対談のテレビ番組を目にする機会があったが、実際の作品は見に行ったことがない。興味も惹かれないし、あまり好きではない。なので、やはり作品の内容については触れられない。したがって、松井さんが「暴力を受けてきたと自ら語」った上で、それを「込みで作品を見るようにプレゼンテーションしている」という、澁谷さんの情報をもとに考えようと思う。自ら虐待経験をカムアウトしている作家を、それを含めて鑑賞することは問題がない。上にもまとめたが、私の懸念は「カムアウトする/しないの選択を強いること」にある。だから、カムアウトをする選択をしている作家については問題にしていない。
 しかし、ここで松井さんの作品を「虐待経験の有無」という観点から引き合いに出すと、「その絵の作者(ここでは会田さん)」に対して暴力的な行為になるので適切ではない。もし、松井さんの作品を「虐待経験の有無」についての観点抜きに、身体を傷つけられた人の絵として引き合いに出すなら問題はない。
 次に「被害体験をもとにした当事者の創作を許さない」かどうかだが、もちろんその創作には問題がない。ただし、当事者がカムアウトする/しないかやどのような作品を生み出すのかは自由である。私は、カムアウトしないことが不利にならないように作品を扱うことが重要だと考える。その方法はケースバイケースで「こうすればよい」と一概に言えることではないが、会田展であれば澁谷さんのような抗議文を批判することが考えられるし、私はそうした。
 さらに「積極的に被害者を分断している」のは私(font-da)かどうか。私は澁谷さんが当事者でないから批判しているのではなく、上のような言説を用いることを批判している。当事者であっても被害者を分断していることはある*4し、澁谷さんのカムアウトを論に含めれば今回はそうであった。
 最後に「この批判もテンプレ感が否めなかった」とのことだが、この点は同意する。私は何度も何度も何度も「被害者像の押し付けの問題」について話をしてきたが、このざまである。一向にフェミニズムの中で真剣に扱われているとは思えない。高橋りりすの批判はなんだったのか。マツウラマムコの批判はなんだったのか。加えていうと、「虐待を受けてきた女性」の対照として会田という「男性」を並べている。これまで、男性被害者がどれだけカムアウトしづらい状況に置かれていたのかという語りも何度もあった。なのに、どうしてこんな乱暴な構図を描くのか、私には理解しがたい。男性と女性の性暴力の非対称性について論じる際には、男性被害者が声を上げにくい状況に配慮しなければならないことは言うまでもない。いや、言ったほうがいいのか、もう一回……あと三回くらい?いい加減、テンプレなんだから、頭に入れておいてもっと丁寧に議論はできないのか。
 私もたいがいTwitterで煽りが入った口調で書いていたことを、ちょっと後悔していたのだが、同じく煽り口調でレスポンスが返ってきた(しかもかなりの飛躍をした批判あり)ので、これでよかったのだと思う。

*1:正直、完全に煽りが入っている。が、このとき私は本気で怒っていたのである。

*2:最近書いたものではこれ→「性的虐待経験者が性産業で働く理由とその実態調査 支援編」 http://d.hatena.ne.jp/font-da/20121231/1356939597

*3:名指しにしていただければより応答責任が明確でわかりやすいのに、と思ったが、プロフィール欄から飛ばないと私の名前はわからないし、何より無名なので名指しする意味なしと思われたのかもしれない。

*4:フェミニスト同士でもよく言ってるやんね。私も貧困の問題で、大学教員のフェミニストと非正規労働のフェミニストの間に断絶があることを指摘すると、「それは分断よ!」って批判を教授(フェミニスト)からされたことある。