近況

 週刊新潮の書評欄で、中江有里さんが拙著を取り上げてくださっています。ありがとうございます。

www.bookbang.jp

 また、京都新聞にもインタビュー記事が出ました。もとからよく知っている広瀬一隆さんが聞き手だったので、自分としてはいつもより踏み込んだことを話になっていると思います。

 これで取材はひととおり終わりました。なんだか思ったより大変でした。被害体験についていろいろと尋ねられると、過去に引っ張られる感じがします。それに抵抗しようと、やたら前向きに今の仕事を頑張ろうとするので、過去と未来で綱引きをしている状態になりました。いつもより疲れやすくなってしまいました。そのうえ、取材によっては「言ってないこと」が原稿に書いてあると感じることもありました。「かわいそうな被害者が社会を変えるために立ち上がる」というストーリーに押し込められたようで、げんなりしました。私の本は、そういう第三者の態度を批判しているだけに、「せっかく書いたのになにも伝わらなかった」という虚無感がありました。さすがに「ウゲっ」となる体験でした。他方、私は研究者でもあり、インタビューをする側にもなるので「他山の石」にしたいと思っています。

 一部のジャーナリストが「かわいそうな被害者」ばかりを取り上げたがる件は、いまの社会で起きていることにもつながっているとは思います。SWASHからAV新法についての共同声明が出ています。詳しくこの件について書きませんが、以下に尽きると思います。

したがって、障害や性被害経験を有するか否かなど、個々のアイデンティティや経験を就労の際の条件とすることは、人権侵害であり、決して許されません。個々人は自分の人生を自分で選択する権利を有しています。その権利が侵害され被害にあったり差別経験を持ったからといって、その力を、その権利を失ったわけではありません。  私たちはそれぞれの経験を生き抜き、ここに存在しています。 そして、自らの人生を自分で選ぶなかで人生の過程に危険が伴う時には、その危険から身を守るための権利を有しており、それを主張することが正当なことだと確信しています  

swashweb.net

 まずは声を聴くことです。あんなに性暴力被害者に対して「声をあげてほしい」と言うのに、実際に性産業で働いている人たちの声を聴かないという姿勢を示す支援者は、ダブルスタンダードに陥っているのだと思います。10年前に、すでに性産業で働く性暴力被害者に対する調査は実施されました。そのなかでも、当事者の声は多様であり、一つにはまとまりません。

font-da.hatenablog.jp

 聞き心地の良い、自分の価値と一致する声だけを「本当の当事者の声」だとすることに私は抵抗してきたし、これからも一貫してその態度を取ると思います。ときには、私には受け入れ難い話をする当事者もいます。私に対して不当だと思うことを言う当事者もいます。でも、それは「当事者の声」でしかありません。すべての当事者の声を「なかったこと」にしないでほしいと思っています。

**追記

 今気づきましたが、一部のフェミニストの法律家、法学者の人たちも、AV成立を求めて声明を出しています。セックスワークについての考えや、賛同理由は私とは違いますが、結論は一致しているようです。私は性の問題に対する法の力の働きを強めることには慎重な立場ですが、立法では専門家による議論が不可欠ですので、このような動きが出たことはよかったと思っています。

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