「エンジェルス・イン・アメリカ」と「日本国憲法」

 チラシをもらって興味を引かれたので、書いておきます。両方とも京都の公演です。

 一本目はトニー・クシュナーエンジェルス・イン・アメリカ」。クシュナーは、同性愛者でユダヤ人であることをカムアウトし、ゲイ・リベレーションの担い手にもなってきました。1980年代のエイズ渦の中、当事者の視点から、死・宗教・性・政治などの厳しい問題が、5人のゲイの登場人物を通して描かれています。クィア・ポリティクスとパフォーマンスが結託した、アメリカ演劇の有名作品です。
 クシュナーは1991年のインタビューで次のように答えています。

ぼくはいま三十代後半で、アクトアップやクイア・ネイションを築いた世代の人間です。この世代は、六〇年代運動を生み出した世代と、その子供たちの狭間の世代です。
(略)
クイア・ネイションのあのお題目――「われわれはここにいる。われわれは変態だ。われわれはすばらしい〔We are fabulous〕。存在を認めてくれてって言ってるんだ。」これはファビュラスということばをふたつの意味に使っています。まず、リディキュラス〔ばかばかしい〕に相対するファビュラス〔すばらしい〕『美しい部屋は空』の中で、エドマンド・ホワイトは、ストーンウォール世代の反逆が、関わっていた人々にとっては、「リディキュラス」な出来事であった、と書いています。つまりそれは、政治的な身振りであったわけで、ウェイン・ケステンバウムが「報復心の自己捏造」と呼ぶところの抵抗の身振りだったのです。これがリディキュラスなるものの本質です。
(略)
それからまた、「リディキュラス」と直接的な政治理論とはどうもつり合わないところがある。クイア〔変態〕でありながら、同時に政治を語ることがどうしてできようか、というわけです。もちろん、エイズがコミュニティに強要したことは、ダサくて古くさい左翼になることでも、よくいる新左翼になることでもなく、クイアのアイデンティティを保ちつつ、しかも真剣に試験治療の計画案やら抑圧について論じることができるようになることで、エイズの出現によって、それが絶対的に必要となったのです。
 ですからリディキュラスであるという考え方に対して、進化論的にいえば、それより一歩進んだという意味での「ファビュラス」という形容のしかたがあります。それからまた〔ファビュラスには〕「伝説的」なという意味もあり、その点では歴史観を備えています。ここで非常に重要なことは、今のわれわれには、自分たちがどのような道を経てここに至ったのか、という歴史に対する認識があるということです。
(略)
われわれは今また、この長い道のりに新たな一歩を刻んでいる、とぼくは感じているのです。ぼくたちの義務は歴史を検証して、それを認識する、ここに至った道のりを、今このようにして自由に語ることができるゆえんを認識することのなのです。ぼくたちは、同性愛が自明でもなければ、普遍的でもないとされた時代、同時に、クローゼット・ゲイたちが、硬く扉を閉ざすばかりではなく、扉を蹴り破ってカムアウトしなければならなかった時代、そんな時代に育った世代なのです。
(「シアターアーツ 5」14〜16ページ)

シアターアーツ (5(1996-2))

シアターアーツ (5(1996-2))

上のように、クシュナーははっきりと政治的立場を明らかにし、みずからも含めてゲイが担ってきたポリティクスの総括を、この作品で試みている。こうしたアメリカ合衆国でのゲイ・リベレーションの歴史的・文化的所産は、先日のハーヴェイ・ミルクの伝記映画「MILK」でも作品化されている。難解とされてきたこの作品が、どのように上演されるのかは、気になる。(ちなみに、演出の杉原さんは、私と同い年みたい)

京都芸術センター舞台芸術賞2009ノミネート演出家 上演作品

KUNIO06『エンジェルス・イン・アメリカ−第1部 至福千年紀が近づく』

1993年度のトニー賞ピュリツァー賞に輝き、ロンドンのナショナル・シアターが「二十世紀の最も偉大な戯曲10本」のひとつにも選んだトニー・クシュナー作『エンジェルス・イン・アメリカ』。
1部と2部の合計上演時間が7時間に及ぶ超大作から、第1部を杉原邦生演出により上演。

作=トニー・クシュナー
翻訳=吉田美枝
演出・美術=杉原邦生

出演=田中遊,澤村喜一郎(ニットキャップシアター),坂原わかこ,田中佑弥,松田卓三(尼崎ロマンポルノ)
出演=池浦さだ夢(男肉 du Soleil),藤代敬弘,森田真和(尼崎ロマンポルノ)

舞台監督=清水忠史 照明=魚森理恵 音響=齋藤学 映像=竹崎博人 衣裳=清川敦子 衣裳助手=友野美奈子
小道具=アナコンダちゃん 美術部=泉沙央里, 坂田奈美子 演出素助手=三ツ井秋 制作=土屋和歌子

協力=尼崎ロマンポルノ, 男肉 du Soleil, 京都造形芸術大学, シバイエンジン, ニットキャップシアター
京都芸術センター制作支援事業
○共催=京都芸術センター
◎主催=KUNIO


【上演日時】
2009年9月19日(土)13:00・18:00 / 20日(日)15:00
*上演時間は休憩を含め3時間30分を予定しております。 *未就学児童の入場はご遠慮ください。
*演出の都合上、開演後の途中入場は制限させていただく場合がございます。
*開場は開演の30分前、受付・当日券の販売は開演の45分前より開始いたします。


【会場】京都芸術センター フリースペース


【チケット料金】全席自由・日時指定
一般前売=2,700円
学生&ユース(25歳以下)前売=2,200円
*当日券は300円増
*学生&ユースのお客様は当日受付にて証明証をご提示ください。


【チケット取扱】
●電子チケットぴあ TEL=0570-02-9999[Pコード=397-848]
●京都芸術センターチケット窓口(10:00〜20:00/直接販売のみ)TEL=75-213-1000
http://www.kunio.vis.ne.jp/KUNIO06.html

二本目は「日本国憲法」の上演。こちらは次のように紹介文が書かれている。

日本国憲法」を(脚本化せずにテキストとして)用い、舞台芸術を創作します。
政治的でも教育的でもない観点から「日本国憲法」を取り扱うつもりです。
「大人」よりも、「こども(これから大人になる人たち。小学生や中学生)」に向けて、創作します。
この作品は2009年9月25日26日に京都芸術センター「舞台芸術賞2009」参加作品として初演されます。


私は作品を通して政治的メッセージを発信したいと思ってはいない。
自国の憲法がどうあるべきだとか主張したいわけではない。
右翼でも左翼でもない。

ただ、無知を自認している。

この国での憲法改正議論は、選挙活動のパフォーマンスの域をでず、世論の盛り上がりもない。
それどころか、自国の憲法をまともに読んだことすらない人は多い。(私もだが。)

そもそも何が書かれているかを知らない。
だが憲法は、この国のルールとして確かにある。

だから、「とりあえず、知ろう。」
これがこの作品の基本スタンスとなる。

知らないという選択は確かにありうる。
だが、知りたいと思ったときに、そこにアクセスすれば確実に知れる、という場所を作っておきたいのだ。
あそこに行けば知れるけど、知りたくはないから行かない。という選択なら、それはありだ。
しかし、知りたいのにどこに行ったら知ることができるのかが分からない、この現状はよくない。

だから、「日本国憲法の窓口になる。」ということだと思う。
日本国憲法(前文、1条〜103条)を全てを使って創作し、発表するということはそういうことだと思う。

何をするのかさっぱりわかりません。これでおもしろかったら、ちょっとすごい。気になると言えば、気になります。

小嶋一郎 演出作品 『日本国憲法』(京都芸術センター「舞台芸術賞2009」参加)

テキスト:日本国憲法
演出:小嶋一郎
出演:黒田真史、山本清文、山本称子、佐々木琢

舞台監督:堀田誠(CQ)  照明:根来直義(top.gear)
空間デザイン:小嶋一郎       チラシデザイン:イトウユウヤ
演出補佐:大山晴子     制作:前田佳子
企画・製作:旧劇団スカイフィッシュ


●日程:09年9月25日(金)19:00 
          26日(土)14:00 
         

・日時指定・自由席 ・受付開始=開演60分前 ・開場=開演30分前


●チケット:一般 1000円  学生 500円(要学生証) (販売開始09年7月20日)

●予約方法:web「チケット予約フォーム」からご予約できます。
      

●会場 京都芸術センター フリースペース  (TEL  075-213-1000)

・〒604-8156 京都市中京区室町通蛸薬師下る山伏山町546-2
阪急京都線「烏丸」駅から徒歩3分
・駐車場はございませんので、お越しの際は公共交通機関をご利用ください。
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