川村毅「ニッポン・ウォーズ」

 先週の20日に、京都造形芸術大学の授業公演として行われた「ニッポン・ウォーズ」を観てきた。「ニッポン・ウォーズ」の初演は1984年。川村毅が、劇団「第三エロチカ」のために書き下ろしたSF作品である。舞台は、「大日本資本主義共和国」と呼ばれる国で、どうやら他国と戦争中であるらしい。出征を控えた若い兵士たちがトレーニングを積んでいるのだが、実はかれらはアンドロイドであることが中盤で明かされる。自分だけのもののはずの思い出すら、ランダムに抽出された記憶をプログラミングされていたものだった。ショックを受けたアンドロイドたちは、精神集中して発揮されるブレインパワーを使い、自分たちを支配するスー・エレン(脳髄だけとなった女性)を破壊し、脱出しようとする。しかし、それすらも「叛乱」と言う名のプログラムとして、アンドロイドの脳に最初から仕組まれたものだった。かれらは、その事実を知りながら、自分たちを製作したQ将軍を殺し、母国を目指す。「さあ、まいりましょう。あたし達の戦争へ――」というセリフと共に、爆音とフラッシュが焚かれ、アンドロイドたちが日本列島に向かうシーンで終幕となる。アンドロイドたちが駆り出された戦争は、人間のための戦争であった。しかし、アンドロイドたちにとっての戦争とは、日本に向かうことだ。そこで何をするのかは語られないが、日本を出発して、私たちの敵を殺しに行ったはずの兵士たちが、ここ(日本)にいる私たち(観客)へと方向を転換してやってくるという場面で終わる。
 初演から20年近くがたち、時代状況は大きく変わった。冷戦は終結し、資本主義と共産主義の闘いの二項対立は薄れていく。その中で、湾岸戦争が起き、戦争は中東へと舞台を移していく。同時に、世界各地で植民地時代の負の遺産として民族紛争が激化し、内戦の問題が大きく取りざたされるようになる。こうした変化がありながら、いま、川村の作品を上演するのはどういう意義があるのか。この点について、公演する学生の側から、上演で配布される新聞(パンフレットの代わり)で述べられている。林里恵は、当時、この作品の「わたしたちの戦争」は「反体制・反権力を標榜する闘争」として読み込まれたが、実の川村さんにとっては、80年代のなんとなく平和な雰囲気のウソ臭さを喝破するために持ちだしたイメージであったことに触れながら、「今回の上演では、若い学生キャスト・スタッフとタッグを組み、めまぐるしく熱量の高いオリジナル当時に近い演出になっている。オリジナルをただ再現するのではなく、この時代の若者の『わたしたちの戦争』とは何なのかを学生たちは自問自答している」と書く。林さんの文章では、「この時代の若者」が、「いま、この私」のことなのか、「当時の若者」のことなのかは、判別しないがどちらにしても面白いと思った。
 さて、肝心の公演だったが、手に汗握る授業だった。セリフをとちったりすると、もう聞いてるこっちが冷や汗が出る。たまたま、私の知っている学生も出演していたため、余計に緊張する。そんな身内客が多かったためか、空気が少し固まっていたのだけれど、Q将軍(福井俊哉)が沢田研二の「ミスキャスト」を歌いながら登場してから笑いが起き、雰囲気が緩んだ。もうあとは、若者の熱気で最後まで押し切られてしまった。二十歳前後の学生が、自分がアンドロイドだと知らされ、絶望していく姿はかわいそうでたまらない。「自分たちは、プログラムに沿って機能するだけのアンドロイドかもしれないが、自分の生をまっとうしたい」ともがく姿は、役者自身が今生きているだろうさまと二重写しになって、心打たれる。最後は大きな拍手が起こった。私は、自分の趣味として、Iを演じた柿本沙希さんが素敵だと思った。
 実は、この作品は私の大学4回生のときに書いた、卒業論文の研究対象である。川村さんは、2001年夏と2002年冬に、「ニッポン・ウォーズ」の初演版と改訂版を同時上演している。両公演の間には、9.11の事件が起きており、演出はまったく違うものとなっている。私の関心は、9.11という現実の出来事が、川村さんの演出にどのような影響を与え、その結果、作品がどう変質したのかを明らかにすることであった。改訂版は、舞台上の両端に二つの証言台が置かれ、片方で女性が「記述して」と命令すると、もう片方で男性が解説を始める。証言台の間の舞台では、「ニッポン・ウォーズ」が上演されるのだが、女性が「止めて」というとストップし、「巻き戻して」というとリバースする。ビデオテープのように、扱われるのである。私は卒業論文を書く時点ではよくわかっていなかったが、川村さんがこの改訂版でやっていたのは、演劇作品という虚構が現実に与える影響という問題を、作品化することである。私が現実が虚構に与える影響について考えていたのと、ベクトルは逆だった。そのへんを、インタラクティブなナントカというふうに書いていれば、もっと面白い論文になったのかもしれない。しかし、実際のところ、私はそれどころではなかった。
 最近、別の記事でも書いたが、2001年に大学に入学してから、私はよくわからない迷路に入り込んだ。社会に対する考え方にしても、自分の人生にしても、何がなんだかわからなくなってしまった。9.11が起きて、「対テロ戦争」というスローガンが掲げられる中、それは自分の考えていることとは違うと思いながら、言語化できずに呻いているところに、この「ニッポン・ウォーズ」の改訂版の公演を観に行った。その中では、叛乱する兵士たちが、最後に脱出した後、抵抗者としてのかれらの報復により多くの人たちが死に、誰も証言できず、裁くこともできないまま、沈黙だけが取り残されるという末路が暗示された。私が終演後に思ったことは「出口なし」である。そんなん、絶望するしかないやん。
 上に書いたことも、今だから言葉にできることであって、当時は「ヤバい作品を観てしまった」と思い、なんとかオトシマエをつけようと思い、卒業論文の対象にして分析すれば、この作品を片付けられるんじゃないかと思った。しかし、どうにもならなかった、んだと思う。卒業論文はもうどこかに仕舞い込んでいて、読み返そうかと思ったが見つからなかった。それでも、うわごとみたいに、その論文では「赦し」や、加害者の責任ついて書いた記憶がある。私は結局、その問題をずるずると持ちこし、今に至る。川村さんの作品から、それらのテーマをみつけたというよりは、「ニッポン・ウォーズ」は当時の自分にとって大事な問題に触れてくるような作品だったんだろうと思う。私にとっての鍵は、「わたしたちの戦争」ではなく、「わたしたちの戦争(だったもの)」であり、今起きていることではなく、過去だったんだと、今回の公演を観て改めて気付いた。
 10年近くたって、あのときの私くらいの学生たちが、「わたしたちの戦争」に向き合い、公演しているのというのも、不思議な感じがする。あのとき、改訂版でなく、今回の若い学生の公演をみていたら、私はどんなふうに感じたんだろう。「わたしたちの戦争」を仕掛けるような気概を持ったのだろうか。でも、9.11後、何かわからない切迫感に追われていたときに、今回の公演を観ても、自分に触れるものはなかったんだろうと思う。「わたしたちの戦争」はどこにもなく、それは奪われたものであるような感覚は今も引きずっている。もう加害者はおらず、裁くこともできない。けれど、この悲惨さの前で、何を言い、何をすることができるのか。10年で、変わったこともあれば、変わらないこともある。

ジェノサイド―川村毅第一戯曲集

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