「DICTEE」(舞台芸術センター主催)
昨日、京都造形芸術大学にある、舞台芸術センターが主催する「DICTEE」*1の公演に行ってきた。「ディクテ」とは、テレサ・ハッキョン チャのテキストの題名である。
ディクテ―韓国系アメリカ人女性アーティストによる自伝的エクリチュール
- 作者: テレサ・ハッキョンチャ,Theresa Hak Kyung Cha,池内靖子
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2003/05
- メディア: 単行本
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テキストの作者であるチャさんは、1951年に朝鮮戦争下の韓国で生まれた。十歳の時に両親に連れられてアメリカに渡る。韓国語・英語・フランス語を話した。また、チャさんの両親は、満州で日本語を教える教師だった。チャはこれらの経験を基にしたと思われれる、言語習得の暴力性を押し出した「ディクテ」を発表した。「ディクテ」テキストは、ベースは英語で書かれているが、韓国語やフランス語も取り入れられている。
「ディクテ」とはフランス語の「Dictée」を日本語読みしたものであり、その意味は英語のDictationである。これは、いわゆる「書き取り」と呼ばれ、「正しい言語を、正しく聞き、正しく書く」という非常に拘束力の強い言語のトレーニング方法である。とりわけ、フランス語の訓練で使われる。教師が話す言語を聞き取って、その言語で書く(スペリングする)。*3チャさんも、言語習得において、この訓練を繰り返し受けたと思われる。
松田さんの演出する今回の公演では、「ディクテ」は比較的わかりやすい。なぜなら、テキストの要素を抽出した形での演劇作品となっていたからだ。
舞台上で、9人の女性が、同じ病院服のような衣装をつけて、ベッドの上で横たわって眠っている。唯一の男性の役者が、透明のボウルを彼女たちのベッドの下に置く。彼女たちの耳元で、スピーカーからディクテ語(「ディクテ」のテキストの朗読)が流れている。大きい音や小さい音が重なり合い、お互いの音を遮ることもある。女性たちは徐々に、横隔膜から息を震わせ、声を出し始める。何かの朗読やうめき声や、叫び声が断片的に9人から発せられ、繰り返され、消えていく。基本的には、これが組み合わされて、構成されている。
時に、指示に従い、お手本どおりに声を出して発音してみたり、ほかの女性の発する声に耳を傾けてみたり、不調和な音で応答してみたり、掛け合いや抱擁のまねごとがされる。舞台は沈黙することもあれば、狂乱する女性たちがやかましく叫ぶこともある。それらは、決して会話にはならないが、時間の進行とともに、徐々にまとまりを持ち始める。そして、観客が「身体が表現しているもの」と「言語の表現しているもの」が一致していると感じるような、すなわち、「身体による感情表現」と「言語による感情表現」が一致していると思わせるような表現へと移っていく。
終盤には、女性の一人一人にトランクが渡される。中には、衣装が入っており、彼女たちはそれを身につけ、一人の固有な個人としてふるまい始める。舞台前面に彼女たちは一列に並び、手を伸ばし、話しかけるように身振りする。そしてゆっくりと、冷めた表情になり、それらの衣装を脱ぎ捨て、置かれていたベッドを舞台の後ろに収納してしまう。
彼女たちは、冒頭でベッドの下に置かれたボウルを持ち、円座になり、集まる。そこで、砂漠で井戸の前で水をくむ女性の話を、ひとりの女性が始め、ほかの人たちは耳を傾けている。三人の女性は話に登場する白いスカーフを頭に巻いた女性のように、イスラム風(と思わせる)しぐさを繰り返す。舞台は暗転し、闇の中で歩き回る役者が見える状態の中、公演は終了する。
まさに、言語習得の演劇作品であった。彼女たちは語りたいがゆえに、言語習得訓練を受ける。語りたいのに、語れない苦痛がそこで伴う。また「こう表現するべき」だから、「こう表現するしかない」という状況に追い込まれていく。お手本の、つまり他者の言語表現の模倣により、言語は学ばれていくのだ。ところが、言語を習得し、ひとりの人間として認められるようになるときにこそ、ありありと「言葉では伝わらない」ということは経験されるのだ。「私のことを語ること」とは「他者の言語で語ること」と常に表裏一体である。
公演に役者としても参加していたチョン・ヨンドゥは、シンポジウムでこの困難について次のように述べた。すなわち、言語には二つの表現しきれないものがある。一つは、陽射しを浴びたときに体の中からわき上がる暖かさのようなものである。それは言語化できない。もう一つは、ラブレターを書くときに、語ろうとする愛のようなものである。あまりにも陳腐になるから、それを別の言葉で語ろうとしても、相手も同じ言葉しか知らないから、その言葉で語るしかない。
私は、そのもっとも語れないものの極みは、「痛み」であると考える。いくら「痛い」と言っても、その痛みは表現できないし伝わらない。それでも、私たちは「痛い」と言うこと言葉を使うことしかできない。チャさんは、この語ることの「痛み」を作品内で、<言語によって>語っている。そのテキストを通じて、今回の公演が構成された。それは、言語には限界があるが、言語にはその限界を超える契機も内包されていることを示す。すなわち、言語を突き詰めて考えることが、言語の限界を突破する一つの方法であった、ということである。
また、公演では、終盤に、朗読する女性とそれに聞き入る女性の場面が挿入されている。これは、自分のことを語ろうとして習得した言語により、他者のことを語り聞く共同体が作られることを、観客にみせる。そこで語られる言葉は、もはや「私の痛み」ではなく、どこかにいる「他者の痛み」である。私たちは、言語を習得することで、「痛み」が表現できなくなるが、その代りに、他の誰かの「痛み」を想像できるようになる。その過程が、舞台上では描かれていた。
松田さん自身は、今回の公演を演出するに当たり、次のように考えたという。まず「眠り」をモチーフにすることである。舞台の背部には9枚の縦長のスクリーンが設置され、一枚に一人ずつ役者の寝姿が映し出される。75分の公演中、スクリーンの中の役者たちは眠り続ける。松田さんは、舞台上に二つの時間を並行して存在させようとしたという。「眠り」の時間として表現される映像は、観客に「あれこそが本当=現実の世界で、舞台で走りまわる彼女たちは夢=虚構の世界を表現しているのではないか」と思わせるような仕掛けにしたという。そうであれば、舞台上で起きることは、夢の中の「寝言」であり、「寝言に付き合わされる観客って大変だと思った」と発言して、聴衆の笑いを誘っていた。
松田さんは、時間に限らず、舞台上では二つのものが同時に存在するように工夫したという。「映像/身体」「横たわる身体/透明のボウル」「大音量/しとやかな音量」「叫び/沈黙」これらの対立項が頭にあったという。そして、稽古の中で、演出はどんどん変化していき、「舞台作品のDICTEE/書物のディクテ」は乖離していったと語った。
さらに、松田さんは「役者が演じること」とDictationの類似についても述べていた。セリフを覚えるとは、他者の言語を覚えることである。それも発話するときには、それがまるで自分の言葉かのように話す。まるで「覚えてないかのように」ふるまうが、実際には「覚えさせられている」。これは演劇をやるうえでは避けられない問題である。
また、ヨンドゥさんは、現代の舞台芸術のパフォーマーにとって、「言語と身体」の問題は避けて通れないという。言語は一つの攻撃性を持っている。それは、「使えない言語は、言語ではない」という排他的な攻撃性だ。グローバリゼーションにより、ますます英語は強い言語となり、マイノリティの言語は弱い言語となっている。弱い言語は、通じなくなり、消えていく。こうして、言語に付随する歴史や文化も、政治的な権力のあるほうへと流れていく。ダンサーもまた、流行っているダンスは習得するが、主流でないものは習わない。この流れの中で、ヨンドゥは「私は、私自身を守るためには何をしなければならないのか」という問いを、シンポジウムで提示していた。
チャさんのテキストは、上演用に書かれているものではない。自らもパフォーミングアーツを手掛ける高山明は、「ディクテのように演劇を拒むテクストを、演劇という枠に押し込めるのか、その拒みに応答するのかという問題がある」と、シンポジウムで指摘した。
また、八角聡仁は、このテキストが過去のものであることに言及している。ディクテでチャさんは、韓国の過去のできごとについて触れている。このとき、「ディクテ」を日本で公演することの意味を考えなくてはならない。いまどき、アジアの作品を上演したり、共同制作で仲良くするだけで、アジアについての演劇プロジェクトの意義は見出せない。「アジアの概念」は、われわれにどう作用するのか、を問わなければならない。そのとき、韓国と日本の歴史的軋轢について、考えざるをえない。そこで、「舞台芸術は、歴史についてどう考えるのか」という問題が出てくる。そして「歴史という過去の時間をどう扱うのか」、「過去に書かれたテキストの言葉を話す俳優とは何か」「俳優の存在とは何か」という問いが立てられる。このプロジェクトでは、企画段階からその問題が念頭にあったという。
しかし、一言だけ私が触れておくならば、それらの韓国と日本の歴史的軋轢について、少なくともシンポジウムではほとんど語られなかった。*4私が、一番に考えたのは、もしこの作品が原語で、すなわち英語とフランス語と韓国語で上演されたならば、まったく違う印象を受けただろうということだ。私は英語もフランス語も韓国語も聞き取れない。私自身が、いま、英語の言語習得に苦労しているところだ。今回の公演で、私は言語を聞き取り話せる状況に置かれた。しかし、言語的な強者は、いつどこでも強者であるわけではない。今回の公演を観るときには、観客の多くはチャさんが「韓国系アメリカ人」とされるとき、「韓国系」の部分にストレスを置いて観るだろう。しかし、これが英語で上演していれば「アメリカ人」の部分にストレスを置いて観た観客が多かったのではないか。私たちは歴史的に韓国人に対しては言語的な強者であり、アメリカ人に対しては言語的な弱者であった。この点が私は気にかかった。また、途中、チャさんのテキストの「私の名前」に言及する部分がある。植民地支配においては、しばしば名前は奪われる。また、現在の日本においても、在日コリアンで二つの名前を生きている人は、少なくない。今回の「DICTEE」では、チャさんの文脈とは別に、私に「名前について言及する場面」はそういう意味をもったということを書いておく。
*1:以下、公演を「DICTEE」と表し、テキストを「ディクテ」と表す。その際、私が触れているテキストは、あくまでも日本語に翻訳された「ディクテ」であることを強調しておく。
*2:パネリストは、池内靖子、高山明、チョン・ヨンドゥ、西政彦、松田正隆、八角聡仁ら。今回の記事は、このシンポジウムで得た情報も織り交ぜて書いている。
*3:私も大学で第二外国語にフランス語を選択したので、よくやらされました。めちゃくちゃ大変。聞いた言葉が、頭の中でわやになって、書きながらどんどん忘れていくのです。よく、気がつくと答案を前に頭が真っ白になって、顔色も蒼白になっていました。
*4:時間の都合上、途中退出したので、もしかすると終盤に言及があったかもしれない。しかし、議論の中心的な話題ではなかったことは確かである。