なんで「これは性暴力だ」と思うのか2

性暴力被害が現れる3つの関係性

(1)空間的関係1(加害者―被害者関係)

 性暴力という事態が起きたそのときに、「加害者―被害者」という関係が生まれる。お互いがそれを暴力だと認知しているかどうかは、加害者となった人も、被害者となった人も、わからない。この関係性は、ほかの二つの関係性よりは、容易に変容可能である。なぜならば、直接的に、事態について言及することができるからだ。相互のやりとりの中で、事態に対する意味づけは変わっていく。

(2)空間的関係2(被害者―第三者関係)

 性暴力という事態を捉えようとするときに、「被害者―第三者」という関係が生まれる。暴力の認知は、社会的文脈によって決定される。あるときは、被害者が第三者の被害概念を批判し、「私が被害者である」と主張する。また、あるときは、第三者が被害者に「あなたは被害者である」と主張する。被害者を取り巻く社会とのかかわりの中で、事態に対する意味づけは変わっていく。

(3)時間的関係(被害者における自己内他者との関係)

 性暴力という事態が起きた後に、被害者の中には「被害を受けた<私>」と「観察者の<私>」という関係が生まれる。「観察者の<私>」は、過去に起きた事態を、記述し、分析し、解釈する。あるときは「これは性暴力であった」と認知し、あるときは「これは性暴力ではなかった」と認知する。時間の経過と共に、事態に対する意味づけは変わっていく。

 上記3つの分類にあるように、性暴力被害が現れるのは、ふたつの他者の移相である。ひとつは空間的に関わる他者である。もうひとつは時間的に関わる他者である。他者は<私>に起きた事態の認知を変容させる。被害者はこれらのかかわりの中で、認知の変容による意味体系の揺らぎにさらされている。よって、どこにいても、いつになっても、「被害が終わらない」という感覚に陥ることがある。それは、被害の認知を揺らがす他者が、生活する場所の、時間と空間に偏在しうるからである。いつまでも「これは性暴力だ」という認知が同定されない。
 とくに重要なのは(3)の関係だろう。

 ここまで。

なんで「これは性暴力だ」と思うのか