原田正治「弟を殺した彼と、僕。」

 来週の日曜日、7月26日に原田正治さんの講演会が開催される。(http://d.hatena.ne.jp/font-da/20090701/1246409740)私は司会進行を務める予定だ。原田さんの著書「弟を殺した彼と、僕。」は残念ながら絶版になっている。

弟を殺した彼と、僕。

弟を殺した彼と、僕。

この本は、犯罪被害者・加害者の問題を考える上で必読であろう。これを機会に、さわりだけでも紹介したい。*1
 1983年に「半田保険金殺人事件」が起きた。原田さんの弟・明男さんは、保険金目的で、事故に見せかけて殺されてしまう。加害者の一人が、明男さんの雇用主・長谷川さんである。36歳であった原田さんは、この事件を機に、マスコミ被害や周囲の人たちの無理解の中で、辛い経験をすることとなる。一度支払われた保険金を返還請求され、金銭的な苦労もあった。犯罪被害者への支援制度もなく、裁判のために仕事を何度も休めば会社内で白い眼でみられる。おなじ遺族同士である母親や妻との行き違いも経験し、酒におぼれたり、夜遊びに走ることもあったという。原田さんは、とりわけ何度も顔をあわせていた長谷川さんを深く深く憎んだ経験をつづっている。
 一方、長谷川さんは、獄中で教誨師に出会いキリスト教の道に入る。そしてクリスチャンのネットワークの中で、支援を受け始める。地裁で死刑判決を受けるころには、原田さんの元へ長谷川さんの手紙が何度も届くようになる。原田さんは、ときに絵が同封された手紙を、読むことがあれば、一行で捨ててしまったこともあるという。ある日、魔がさしたように一度返信した。そこから原田さんと長谷川さんの間で、交流が始まる。そののち、原田さんは遺族としては異例である、長谷川さんとの面会を行った。
 また、原田さんは、死刑廃止運動へも参加していくようになる。原田さんは、「死んで償うのではなく、生きて償ってほしい」と主張した。原田さんは、長谷川さんを赦していないと断言する。そして、彼に対して沸々と湧いてくる気持ちを、直接面会でぶつけたいと述べる。長谷川さんとの対話が、原田さんにとって快復の道につながると予感したというのだ。だが、死刑確定後には面会を拒否されるようになる。被害者遺族である原田さんが、長谷川さんに会うことを求めているのに、それが叶わないのである。
 2001年、長谷川さんは死刑を執行された。原田さんは通夜、告別式に出席したことを次のように書いている。

 長谷川敏彦君の通夜、告別式は、日本聖公会名古屋聖マタイ教会で行われました。前夜式と呼ばれる通夜は、執行の翌日の夕刻からでした。僕も参列しました。
 多くの人が来ていました。死刑廃止論者もいればキリスト教や仏教の宗教的立場から彼の命を尊ぼうとした人もいました。それぞれ主義主張はあるのでしょうが、それを超えて長谷川敏彦君の死が厳然とありました。棺に収まった彼と対面しました。目を閉じていますが、彼は穏やかな表情をしており、微笑んでさえいました。彼は幸せだったのです。拘置所での生活は不自由だったでしょう。償いという名目で絵を描くのですら一回一回許可が必要で、狭い独房で一日を過ごすのです。確定後は、死の恐怖もあったかもしれません。それでも教会に集まってきた人の数を見ると、僕は彼がうらやましくてしかたがない気持ちでした。僕が死んでもこれほどの人が来てくれるでしょうか。長谷川君と親交を結んだ人たちを僕は非難する気は微塵もありません。長谷川君と彼らとの間には、泣き笑いがたくさんあったと思います。一方的に長谷川君に哀れみをかけていたのではないと思います。その交流があったからこそ、彼は事件を起こした当時の「人でなし」ではなくなったのです。なぜ、こんなに人から愛されているのか、僕には複雑な思いもありました。加害者は愛され、被害者は見捨てられるのが今の世の中なのか、とひとりぽつんとそんなことを考えていました。
 前夜式の翌日午前十一時から告別式がありました。誰が作って刷ったのか、「故ステパノ長谷川敏彦 葬送、告別式」という二つの祈りのしおりが配られました。中には彼の葬儀の式次第と、聖歌四百十六番の楽譜と歌詞が印刷されていました。慣れないキリスト教の葬儀でしたが、聖歌を歌い、聖書の言葉を聞き、牧師さんの説教を聞きました。厳かな式でした。
 式はプログラムどおりでしたから、それに沿って進んでいきます。しかし、彼の顔を見るのがこれで最後だというときに、表面的な心の動きではなく、深い深いところから、得体の知れない人間的な感情が出てきたのです。
 誰が僕のような憎しみを味わったのでしょうか。その憎い男が今、安らかに横たわっているのです。しかし、この底知れぬ大きさの憎しみを抱いた男と会いたいと思ったこともまた事実であり、この男と会うことが自分の心を解放する一歩になるように感じたことも事実でした。「死んでも忘れてはいかん。死んでも赦してはいかん」と思いつつも、彼の死を悼む気持ちも自然に出てきたのです。言葉でどう説明したらせきれるのかわからない思いが僕の内面に溢れかえっていました。
 式の最後に彼の遺体と最後の別れを告げ、花を捧げました。僕は人に促されて、棺に花を置きました。
 彼の棺を乗せた霊柩車は、名古屋市内の八事にある火葬場に向かいました。参列者の多くは、八事に行きましたが、僕は教会に残りました。朝、家から教会に来たときには、特に何も思わず、火葬場にも行ってもいいくらいに軽く考えていました。ところが、最後に彼の満面の笑みをたたえた顔を見た後、僕の気持ちは頑なに、火葬場に行くことを拒んでいたのでした。そこときは強い思いが持ち上がってくるばかりで、なぜと言われても、ただ行けなかった、と答えるしかありません。彼が死んで悲しいと一言で言えないような、しかしそれに近いような気持ちだったかもしれません。
 僕はとぼとぼ教会を後にしました。気が抜けたというか、この二十年近く、僕は何をしてきたのか、とそのことが頭をよぎり、虚しさに襲われました。僕はたったひとり取り残されたような気持ちでした。
「被害者遺族のことを考えて死刑はあるべきだ」と思っている人が多くいると聞いていますが、長谷川君の執行が大きく報道され、通夜、告別式が行われたとき、誰かひとりでも僕に、
「死刑になってよかったですね」と、声をかけてくれたのでしょうか。所詮、国民の大多数の死刑賛成は、他人事だから言える「賛成」なのです。第三者だから、何の痛みもなく、「被害者の気持ちを考えて」などと呑気に言えるのだと思いました。僕はひとりぼっちです。
 家に帰っても、長谷川君が生きていた一昨日までと我が家は何ひとつ変わらないと思いました。加害者が死刑で殺されても、僕も母も僕の家族も、決して弟が生きていたあの頃には戻れないのです。そのことへの労わりは誰からもなく、「死刑になってこれで一件落着」だと思われたとしたら、僕は本当に浮かばれません。国というのは、何のためにあるのか、と思いました。国民のためではなく、役人の保身のために国も法律もあるのではないか、と腹が立ちました。僕はわがままなのでしょうか。独りよがりな考えなのでしょうか。しかし、この思いが偽らざる気持ちなのでした。
(242〜245ページ)

 こうした経験をつづりながら、原田さんは、この本のプロローグで次のように述べている。

 長谷川敏彦君は、僕の弟を殺害した男です。
「大切な肉親を殺した相手を、なぜ、君付けで呼ぶのですか」
 ときどき質問されます。質問する人に僕は、聞き返したい気持ちです。
「では、あなたはどうして呼び捨てにするのですか」
 彼が弟を殺したことを知る前から、僕は彼を君付けで呼んでいました。弟を殺したと知り、どれほど憎んだでしょう。
「あなたは僕が彼を憎んだほどに、人を憎んだ経験がありますか」
 質問者には、こうも聞いてみたいものです。それともこう聞きましょうか。
「あなたは、僕以上に長谷川君を憎んでいるのですか」
 彼を憎む気持ちと、彼を呼び捨てにすることとは違います。長谷川君のしたことを知って、呼び捨てにしてすむ程度の気持ちを抱く人を、僕は羨ましく思います。彼をやさしく信頼できる人だと思っていた僕も、彼を憎んで憎みきった僕も、彼を赦せないと思いつつ彼との面会を求めた僕も、彼の死刑を待ってくれと言った僕も、彼が死刑になって取り残された僕も、いつも僕は彼を「長谷川君」と呼びました。どれも、彼は彼であり、呼んでいた僕はどれも僕なのです。
 被害者遺族が家族を殺した人間を呼び捨てにする、と思いこんでいる人は、世間に多いと思います。被害者遺族は、世間が求める姿でなければならないのでしょうか。仮に大部分の被害者遺族が呼び捨てにしたとしても、すべての被害者遺族が、そうする必要はないはずです。被害者遺族といっても、一人ひとり人格があります。それぞれが違う人間なのです。それぞれが自分のやり方で、迷ったり、つまずきながら、事件から受けた様々な深い深い傷から立ち直ろうとしているのです。どうか僕たち被害者遺族を型にはめないで、各々が実際には何を感じ、何を求めているのか、本当のところに目を向けてください。耳を傾けてください。
(5〜6ページ)

 原田さんの苦悩は並々ならぬものである。しかし、そうした苦境への同情を撃ち抜くような、原田さんの言葉がこの本には詰まっている。本来、こうした抜き書きでは不十分であり、一冊丸ごと読むべき本である。だが、絶版とのことで、入手が難しいため紹介した。図書館や古書店で探してでに読んで欲しい本だ。

*1:原田さんの話は、ネット上でも読める→http://www.jinken.ne.jp/other/harada/http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/harada.htmなど