なぜ、あなたが加害者を憎むのか?

 昨日、記事*1で紹介した元少年Aの本を入手して、怒りの記事*2をあげている人がいる。

「少年A 神戸連続児童殺傷事件加害者の手記「絶歌」のあとがきに怒りに震えた」http://quadstormferret.blog.fc2.com/blog-entry-224.html

 この記事を書いた人は加害者を許せないとし、「何をしても許すつもりなどありません」「本当の裁きがあなたにくだされることを願って止みません」などの扇情的な表現を繰り返している。本文を読まずにあとがきを判断することはできないので、私からはこの評が妥当かどうかはわからないが、少なくとも書いた人が加害者に憎しみを抱いていることは伝わった。これは、記事を書いた人が特別抱く感情ではない。昨日の記事でも、「金銭目的である」「読むべきではない」と加害者を断罪するブックマークコメントがいくつもついている。
 私がわからないのは、「なぜ、あなたが加害者を憎むのか?」ということである。被害者が加害者を憎むのは当然のことだ。私自身、被害者の絞り出すような「ゆるせない」という声をなんども直接に聞いてきた。私はそれは当然の感情だと思う*3。だが、なぜ第三者がそんなに憎むのかはわからない。加害者が手記を出すことで、裏切られた気持ちになる被害者・遺族がいたことは重く受け止めなくてはならない。だが、(被害者でも遺族でもない)「私たち*4」が裏切られたわけではない。手記を出版して内容がまずかったとしても、不法行為ではないし、それで「私たち」が傷つけられたわけではないのだ。
 また、被害者・遺族の気持ちは一枚岩ではない。多くのマスコミ報道では、「加害者に怒りを向ける被害者」がクローズアップされる。その裏側では、マスコミ関係者に「視聴者の共感が得られない」として、取り上げられない被害者・遺族もいる。マスコミ関係者は、視聴者が「加害者への憎しみ」に同一化するために、捏造ではなくても「情報の選別」や「演出」を行っている。同じ事件でも、被害者・遺族によって異なる感情を持つことがある。さらに、被害者・遺族が、家族の中で感情的に対立し、苦しむこともある。「私たち」が頭に思い描く被害者・遺族が実情とずれていることもよくある。「被害者の気持ちを考える」という真摯な気持ちが、いつの間にかマスコミの扇動に乗っている場合もあるのだ。にも関わらず、マスコミ関係者の中には、丁寧に被害者・遺族の取材を行っている人もいる。だが、そうした地味で堅実な報道を「私たち」が見逃したり、切り捨てたりしていることもある。
 加害者への憎しみをあらわにする前に、立ち止まったほうがいいことがある。念のために書いておくが、「加害者を憎む気持ち」は私は人一倍大きいと思う。それはマスコミだけではなく、直接に被害者・遺族の話を聞く中で蓄積されてきた「ゆるせない」という思いであり、そう思わなければ被害者・遺族に申し訳ない考える(勝手で一方的な)義務感でもある。だが、それとは距離を取りたいと思っている。自分では誠実に被害者・遺族に向き合っているつもりでも、かれらの憎しみを勝手に作り出して虚像を生み、自分の感情を発散するための道具にしてしまう危険は、どこにでも誰にでもある。つまり、「当事者でないことをわきまえよ」ということである。
 私がこんな風に思うのは「研究者だからだ」と考える人もいるようだ。確かに、私は研究者であり、他の人とは犯罪の問題に対する関わり方が違う。たくさんの手記を日常的に読み、実際に被害者・遺族にお会いすることがある。法律学者や弁護士から刑法の解釈を聞いたり、刑務所で処遇をしている刑務官と話をすることもある。加害経験がある人や、受刑者と話すこともある。その中で私の犯罪に関する考え方は変わってきたとも思う。それでも、私は大学院に入学する前(研究者になる前)から根っこのところはあまり変わらないだろう*5。被害者の気持ちも、加害者の気持ちも、第三者にはわからない。だから、第三者がすべきことは両者の利用する制度について考えることだ。それは、被害者支援制度であったり、個人情報保護であったりするのかもしれない。また、刑務所や少年院、保護観察、出所者の支援、警察の対応、加害者の家族を支えるネットワークなどかもしれない。
 加害者を憎むよりも、社会制度について考えたい。その基本的な考えはずっと変わっていない。当事者の実情を丁寧に聞き取り、社会制度のきちんと整備することについて考えることが、第三者である「私たち」のすべきことである。
 以下、加害者の問題やマスコミ報道について、参考になりそうものを並べておく。

心にナイフをしのばせて (文春文庫)

心にナイフをしのばせて (文春文庫)

謝るなら、いつでもおいで

謝るなら、いつでもおいで

弟を殺した彼と、僕。

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加害者家族 (幻冬舎新書 す 4-2)

加害者家族 (幻冬舎新書 す 4-2)

セカンドチャンス!―人生が変わった少年院出院者たち

セカンドチャンス!―人生が変わった少年院出院者たち

犯罪不安社会 誰もが「不審者」? (光文社新書)

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追記

 この記事は「個人」間の犯罪の問題だが、「国家」間の戦争の問題を持ち出す人がいる。「戦争責任」の問題が難しいのは、悪行の責任が個別の「加害者」ではなく、「集団」にあることだ。並列して論じることはできない。

 

*1:http://d.hatena.ne.jp/font-da/20150610/1433910920

*2:この記事は「あとがき」を丸々載せているのだが、これでは内容を無料公開している状態で問題になるのではないか。私も引用はよくするし、線引きは難しいところだ。引用を見る限り「あとがき」は独立した文章になっており、これでは「部分引用」ではなく「無断転載」にあたる可能性がある

*3:「赦し」の問題をやっているので、「赦したほうがいいいと思っている」と言われることもあるのだが、そんなことはない。別に被害者は一生赦さなくてもいいと思う。赦さなくても被害者は幸せになれる

*4:「第三者」や「一般市民」とされている人たち

*5:この記事に、犯罪に関する記事をまとめている→ http://d.hatena.ne.jp/font-da/20120221/1329816926