市場原理はいいことづくめ?

 今朝の日経新聞に「待機児童対策、市場原理で」という記事が出ていた。書いているのは、鈴木亘。鈴木さんは、次のように現状を捉えている。
 少子化による税収減少を補うため、女性の労働参加を高める必要がある。そのため、保育所の待機児童の解消の政策が求められている。政府が立ち上げた「新待機児童ゼロ作戦」は金銭面から頓挫している。鈴木さんは、その予算を削減する提案をしている。
 ↑この時点でいくつか突っ込みたくなるワードが頻出しているが、すごいのは次の分析である。

現在の認可保育所、特に公立保育所は、延長保育・休日保育実施率の低さやゼロ歳児定員の少なさからわかるように、利用者への質向上を図る動機がほとんど存在しない。
 これは行政の割り当てにより、努力しなくても利用者が集まり、しかも費用が自動的に行政から支払われるという無競争状態にあることが原因だ。

これは、わざと嫌がらせで書いているのだろうか?それとも鈴木さんは、本気で書いているのだろうか?新しい試みができないのは、人手不足だからだと思うが。ていうか、そういうサービスを実現できるような予算配分(特に人件費)になってるの??さらに衝撃↓

また、平均年収八百万以上の公立保育所保育士の賃金に代表されるように、レント(超過利潤)として非常な高コスト構造を産んでいる。例えば、認可保育所の運営費(一人当たり)は、同等の質の基準にある東京都の認可外保育所認証保育所)の一・六倍も高い。これを直接契約にすれば、競争を通じて質向上と運営費用効率化の両者が達成されることになる。

そ、それは比較対象に出す認可外保育所認証保育所)の職員の給料が安すぎるのですよ!最近もid:discourさんが「保育士に離職者が多いのはどうしてか」という記事を書いている。労働条件悪化させてどうするよ?若手が根付かず人材育成のコストばかりが無駄に浪費され、人手不足はさらに深刻になりサービスの質も悪化。鈴木さんと私の予測は正反対です。
 そして、鈴木さんの改革案は、認可保育所への補助と、認可外保育所への補助を一元化するものだ。現在の制度では、高額所得者も、保護者が昼間労働していれば認可保育所に入ることができる。そのせいで、補助金が、本来、補助の必要がない人たちに流れている。そこで、補助を保育所に出すのではなく、保護者に直接需給することする。これで、一兆4000億円の予算削減ができるという。
 だが、これまで格安な認可保育所だから利用できていた低額所得者が、保育所から排除されることになる。その救済策として、一時的に、現在、認可保育所を利用していて、低額所得者である層に、別口で補助を出す。その試算が7800億円であるから、これを削減した予算から捻出する。1兆4000億円の削減に、7800億円の支出増を合算しても、まだ6200億円の予算削減が残ったままである。さらに、民間参入が活発になり、補助額は各世帯ごとに応じるので増えないまま、自由競争により保育所の採算性は増していく。さらに、この浮いた6200億円の財源を用いて、低額所得者や障害児に再分配を行い、弱者により配慮した政策が可能になるという。
 ここまで読んできて、クラクラした。なんて能天気な。自由競争になれば、保育所自身は弱者に配慮はしない。より高額で充実したサービスを提供する保育所と、より低額でサービスの不十分な保育所に二元化していくだろう。っつーか、これって格差社会の原則やん?貧乏人は、それに見合ったサービスしか得られないってさ。
 教育という問題が難しいのは、「サービスが不十分」である教育機関が淘汰されるのではなく、「サービスが不十分」である教育機関でも、お金がなければ利用せざるを得ないことである。そして、そのしわ寄せは、子どもに来てしまう、ということだ。教育の自由化が難しいのは、「大人は、全ての子どもに未来を託す」という理念と相反するからである。まあ、理念は捨ててるから、こういうこと思いつくんやろけどさ。
 でも、最後の締めを読んで理解できた。

「市場原理の導入は弱者排除である」という批判は全く事実無根であり、いいことずくめの市場原理導入による改革を直ちに実行するべきである。

「いいことずくめ」の政策なんぞ、どこにも存在しない。何かをとれば、何かを失うものである。その失う部分に気づかなければバカだし、隠せば卑怯である。「これさえ実行すれば幸せになりますよ」なんて、信仰告白みたいなもんだ。保育所の現状はもちろん、中盤の論理展開もどうでもよく、鈴木さんにとって、最初っから、結論は決まっていたのである。