「成人向け同人小説」を研究対象にする場合の問題について【追記あり】

 id:lisagasuさんからブクマコメ*1でコールをいただいていたので、「成人向け同人小説」を研究対象にする場合の問題について、簡単に私の意見を述べる。これは、人工知能学会に掲載された論文において、「成人向け同人小説」を作者に無断で分析対象にし、その固定URLを伏字なしに掲載した件について言及している。(この論文は立命館大学の管理するウェブサイトに公開され、誰もが簡単にアクセスにできる状態にしてあった。立命館大学側が事態に気づき、非公開に切り替えた。)
 私がこの件が問題であると考えるのは以下の4点である。

(1)研究テーマが表現の「有害性」についてものであったこと
(2)研究対象が「成人向け同人小説」であったこと
(3)研究の方法・内容に不備があったこと
(4)論文を非公開にする判断を下したのは「学会」ではなく「大学」であったこと(追記:こちらは事実誤認であることがわかっため、撤回)

(1)研究テーマが表現の「有害性」についてものであったこと

 まず大きな問題としては 研究テーマが表現の「有害性」であったことにある。どのような表現が「有害」であるのかないのかについては、議論が継続中であり、非常に扱いの難しい領域だと言える(追記3参照)。しかしながら、この論文の研究者は(おそらく法や条例の規制を念頭に置くことで)「有害であること」の基準についての自己定義を明確にしていなかった。そのため、ある作品を「有害だと評価すること」の妥当性と政治性についての検討が足りていなかった可能性がある。この件については論文が非公開になった以上、詳しく論じることはできないが、研究者が十分に配慮すべき点ではあると思う。

(2)研究対象が「成人向け同人小説」であったこと

 次の問題は、この研究が分析対象に選んだのが「成人向け同人小説」であったことである。同人小説は、商業小説とは異なり、個人が趣味の範囲内で執筆を行なっている。その頒布規模に関わらず、あくまでも個人の独立した創作活動であることが重要である。仮に、商業小説であれば、出版社などの関係者が、作品の執筆者とともに作品制作に関わることになる。同人小説の作者は、商業小説の作者よりも「弱い立場」にあると考えることができるだろう。こうした同人小説を、商業小説ではなく選んだという点については、恣意性があったと言える。その対象の選定の妥当性には疑問がある。
 また、同人小説の多くは二次創作であり、いわゆる「女性向け(男性同士の性愛描写を含む)作品」は、原作者またはその原作のファンに損害・不利益を与えないように配慮しながら、執筆活動を行なっている。できる限り、同好の者以外の目には触れないように努めるという文化がある。今回の論文で取り上げられた、小説の投稿サイトでも、作品ごとに細かくタグ付けがされている。これは作者は同好者だけが読むことができるように念入りに配慮をすることになっているということである。その配慮の是非や妥当性はここでは問わないが、いわゆる市場で流通する表現物とは異なるルールで創作活動が行われることは、この件では重要な点である。
 この論文では、研究者は「成人向け同人小説」の作者が行なっている創作活動の実態に、どれだけ関心を持ち、情報収集を行なった上で、研究を行ったのかについては疑問がある。「人」を対象にした研究(追記2参照)は、常に「そこで暮らしている人々」の生活を破壊する恐れがある。そのため、研究者は調査倫理として、研究する相手についての入念な調査と準備をしなければならない。これは、この論文が研究倫理の上で問われる点であると思われる。

(3)研究の方法・内容に不備があったこと

 論文が非公開になっているため、詳しくは検討できない。また、私は人工知能についての研究の手法についての知識はないため、妥当性はわからない。しかしながら、web上では、「サンプルが10件であったこと」「サンプルの選定基準が明らかでないこと」などについて批判がある。この問題については、論文報告を認めた人工知能学会によって、妥当性が検討されるべきだろう。

(4)論文を非公開にする判断を下したのは「学会」ではなく「大学」であったこと(この点については事実誤認であったことがわかったので、取り下げ。関係者へ陳謝の上、撤回いたします。経緯について追記1と4と5を参照。)

====撤回====
 最後に、他の3点とは異なる問題がある。それは、論文を非公開にする判断を「学会」に先じて「大学」が行ったことである。いうまでもなく、これは大学による研究者に対する「表現の自由」の抑制にあたる。ここまで書いてきた3点の問題があるため、私はこの論文は十分に非公開の判断を下す理由があると考えるが、その判断を下すのは誰であるのかは、十分に注意をしなければならない。
 研究者当人が、自己判断によって論文の非公開を希望する場合は大きな問題はないだろう。(その研究者の意思が、政治状況や権力関係によるものであることもあるが、その点はここでは問わない)次に、学会側が学術的な不備があることを認めて、非公開の措置をとることもあり得るだろう。学会は、学会員の研究の質の保障をする役割も担っているからだ。だが、大学側が非公開にする場合は、その判断の妥当性がどこから来るのかを明確にしなければならない。たとえば、研究倫理違反であるならば、研究倫理を管轄する大学の機関が判断を下すことになる。しかしながら、現時点ではそのような機関による判断であることは発表されていない。大学が妥当な理由なく、研究者の論文の公開を差し止めることについては、「表現の自由」の観点から問題があるだろう。
 このことを問題視するのは、今回とは逆の理由によって大学による論文の非公開の措置があり得るからだ。すなわち、「成人向け同人小説」を肯定的に書く論文が、それらの表現を認めない者から差し止めの請求があった時、大学の独断で非公開になる可能性があるということだ。この件では、大学側の「迅速な対応」は「実質的」には肯定的に評価されるだろうが、「表現の自由」を守る点からは慎重に見るべきである。
==========

 以上の4点が私の今回、問題だと思う点である。

追記1

 (4)について、この論文は学会判断で非公開になったという情報が寄せられている。私がツイッターの流れを見ている限り、論文に気づいた有志が立命館大学の事務局に電話をし、立命館大学側が「問題が重大である」と認識して非公開にしたという話になっていたように思ったが、リアルタイムでのやりとりだったため、真偽は不明である。そのため、この非公開のプロセスが正式に明らかにされた場合、(4)は私の事実誤認として取り下げる。
 なお、立命館大学は2009年に学生の「性に関する展示」を当事者に無断で撤去したことがある。そのことも念頭に置いて(4)については書いた。

トランスジェンダーとからだ」
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20090126/1232970994

追記2

 この件が、「人」を対象にする研究かどうかの判断基準であるが、研究者の所属する立命館大学では「人を対象とする研究倫理」を以下のように定めている。

※「人を対象とする研究」とは、臨床・臨地人文社会科学の調査および実験をいい、個人または集団を対象に、その行動、心身もしくは環境等に関する情報を収集し、またはデータ等を採取する作業を含みます。
「人を対象とする研究倫理」
http://www.ritsumei.ac.jp/research/approach/ethics/mankind/

 こ論文の場合は、研究対象は「人」ではなく「作品」だとする見方もあるが、研究倫理では「概念上の問題」ではなく「実質上の問題」が問われる。すなわち、研究を遂行していく上で、周囲の人間に与える影響が問われるのである。
 さらに、この中に以下のようなチェックシートがある。

「【様式1】立命館大学における人を対象とする研究倫理審査」に関するチェックシート」
http://www.ritsumei.ac.jp/file.jsp?id=230390&f=.doc

 チェックシートの項目には以下がある。

<危険性>
(省略)
2. 研究対象者に対し、何らかの不快感や困惑、または精神・心理的な負荷や危害を及ぼす可能性があるものですか?
(省略)
4. 研究対象となる個人や集団が差別を受けたり、その経済状況や、雇用・職業上の関係、あるいは私的な関係に損害を与えたりするおそれのある情報の収集など、研究対象者に潜在的に不利益となるようなものですか?

 上のチェックシートでは「研究対象者」となっているが、この件では実質的に研究対象の作品の作者が不安感や困惑、または損害があったと申し立てている。この場合、やはり研究遂行の上では倫理的な問題があったと言えるだろう。
 ただし、上の記事本文を見てもわかるように、その場合に「データの使用許諾を取るべき」だとは私は考えていない。研究倫理への配慮は常にケースバイケースであり、決められた形式に沿うものではないからだ。逆に言えば使用許諾を取ったとしても、倫理的な問題が生じることはある。だからこそ、研究者個人の「配慮」の具体的な方法が妥当であるかどうかは、研究機関の倫理審査が判断するのである*2

追記3

 「成人向け表記」と「有害図書」の違いについて書いておく。「成人向け表記」(18禁表記)とは、表現者側の自主規制である。表現者がその表現を「誰に向けて書いたものか」を示すものである。これは表現者側の任意の指定であり、自由に行われる。他方、「有害図書」とは地方自治体等が指定する表現規制である。これは、ある図書を、何らかの価値判断によって公的に「有害」であると認定することである。両者は「自発的なもの」と「公権力によるもの」という大きな違いがある。
 さらに、「有害性」について、「どのような図書が青少年に有害であるか」についての有効な実証研究はない。なぜなら、研究調査において、青少年に実際に有害と思われる図書を閲覧させ、その影響を計測することは、研究倫理に違反するからだ。よって、図書の「有害性」の認定はなんらかの科学的な根拠に基づくものではない。そのため、「有害図書」の指定は、公的権力がある価値観によって「有害であるかどうか」を判断することになり、政治的判断として行われることになる。よって研究者は、その「有害性」の政治的判断について、精査し妥当であるかどうかは、独自に検証することが必要だと考えられる。

追記4

 ブコメで、この論文は人工知能学会の判断で非公開の措置が取られているとの情報をいただいた。

pixivのR-18小説を「有害な文」 学会が論文取り下げ 「検討するため」
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1705/25/news137.html

 しかしながら、追記1でも述べたように、この判断は大学側が学会側に先んじていたように推測できる、リアルタイムの流れがあったため、非公開のプロセスについては公式の発表が欲しい。ここはとても大事な点だと思っているので。

追記5

 ブコメで、この論文の非公開は大学に先んじて学会判断であったことが以下の記事に掲載されていることがわかったため、(4)はこれを覆す情報が出ない限り、撤回いたします。事実誤認についてお詫び申し上げます。

人工知能学会はBuzzFeed Newsの取材に対し、「本学会ならびに本全国大会の幹部で、本件について検討するため、いったん非公開とさせていただきました」と回答。非公開の判断に至った理由なども追加で問い合わせている。

立命館大学は「現在、事実関係を確認中」。大学としてコメントなどを発表する予定はあるか? という質問には「それも含め、対応は事実関係把握後に検討する」とした。

論文PDFの削除については、学会や論文著者から大学側に事前に連絡はなかったという。

「【追記あり】「モラルを疑う」pixiv上のR-18小説を“晒し上げ” 立命館大学の論文が炎上 今後の対応は」
https://www.buzzfeed.com/jp/harunayamazaki/jsai2017-r18?utm_term=.ex5WnjggQY#.vtxnDjAAR0

*1:http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.buzzfeed.com/jp/harunayamazaki/jsai2017-r18

*2:私は今の大学の研究倫理の審査については不満があり、十分に機能しているとは思っていないが、本来的には必要であるし、ないよりはマシという点で現時点でも審査での厳正な判断は重要だとは思う。

小森はるか「息の跡」

 この映画は2013年から2016年の陸前高田を撮影したドキュメンタリーである。陸前高田津波の甚大な被害を受けた。多くの人が家族や大事な人を亡くし、住むところを失くした。その被害のあとすぐに、国道沿いにある「たね屋」が再建した。「たね屋」の佐藤さんは津波でお店の全てを失った。被災後の店舗は柱すら残っていなかった。その跡地に井戸を掘り、自作の店舗を建てて、ビニールハウスで商品になる苗を栽培している。復興工事のトラックがごうごうと轟音で通り過ぎていく中、種を蒔き、芽がでると少し大きな園芸用ポットに移す。佐藤さんはいつも、身の回りの世界に働きかけることをやめない。マカダミアナッツチョコレートを食べていれば、その空っぽになった箱をハサミで切って、新しい種の箱にする。貯水タンクがあれば、そこにマジックで顔を描いてみる。最初は美女の顔を描いて、口紅をつけるように赤マジックで唇をかたどったのに、今度は黒のマジックで眉毛を太くして怖そうなおじさんの顔にしてしまった。そのタンクの蛇口に軍手をはめて、こっちに手を突き出しているみたいに飾り付ける。次にはタンクの隣に、道に落ちていた子どものおもちゃをくっつけた。そのタンクについて、佐藤さんは唐突に語り出し、「このおもちゃの持ち主は津波で亡くなったかもしれない」ということを示唆する。佐藤さんは、「いなくなった者たち」の息吹が聞こえる場所で、小さな創造の世界を生み出している。
 佐藤さんは英語で自費出版で冊子を作っている。津波の被災の事実を書き残し、そこで生き、暮らしていた生活を書き残そうとしている。英語で書いたのは、日本語では苦しくて言葉にならなかったからだ。書き上げた冊子を毎日、自分で朗読している。その声は朗々としていて、読み方も俳優のように格調高い。佐藤さんが文章で表現するのは生者と死者の行き着く場所である「魂の世界」だと感じる。目に見えたものは津波ですべて失われた。だが、佐藤さんは「そこに確かにあったもの」の存在証明をするように英語を綴っていく。そんな風に私には見えた。佐藤さんは英語だけではなく、中国語でも冊子を作っている。佐藤さんの声は「ここにある世界」を超えて、もっと遠くの「どこかにある世界」に呼びかけているように聞こえる。陸前高田の「たね屋」から世界へ、宇宙へと繋がっていくための扉が開かれるみたいだ。
 佐藤さんによれば、住んでいた街の歴史的資料は流されてなくなってしまった。加えて、土地柄もあって、住んでいる人たちは文字で「書くこと」より生活のため手に職をつけることを重視している。不運にもこの土地には記録を残す人が少ない。だからこそ、佐藤さんは記録者になった。誰もやらないのだから、自分がやると決めたのだろう。文献を探し出し、年輪を調べ、海抜を予測してこの土地の歴史を探る。その過程は失われた「死者の声」や「言葉なきものの声」を聞くような作業だ。亡くなった人、土地を去らなければならなかった人、津波に流された植物たち、そうした「いなくなった者たち」が「生きていた」という事実を佐藤さんは「書くこと」で繋ぎ止めようとしていると、私は思った。
 こんな風に哲学的・神学的世界を生きる佐藤さんが出会ったのが、小森はるか監督だ。小森監督は震災後に「芸術に何ができるのか」という問いを抱え、悩みながら映画を撮ってきた。2013年の撮影スタート時は先も見えない貧乏学生だった。その小森監督に佐藤さんは自分のやっていることを話す。彼岸へと呼びかけていた佐藤さんが、此岸に向かってしゃべり始めるのである。小森監督は、下界からメッセージを受け取りに来た使者なのだ。だが、この使者は正直者で、わかったふりもしなければ、お世辞も言わない。佐藤さんは、長く話した後に、何度も「わかる?」「意味わかった?」と尋ねる。小森監督は少しためらったあと「はい」「うーん」と曖昧に返事をする。佐藤さんは「わかんないのかよ」「この話わかるのか、すごいな」とユーモラスに返す。噛み合っているのか、噛み合っていないのかわからない、二人のやり取りの中で、観客席のこちら側も佐藤さんの「言葉の世界」に入り込んでいく。その「言葉の世界」は、「たね屋」の佐藤さんの「生活の世界」と繋がっているけれど、いつもの日常とはちょっとだけ離れた「魂の世界」だ。
 この映画は2016年の「たね屋」の解体で終わる。「たね屋」があった場所は、津波防止の嵩上げ工事で埋め立てられてしまう。自分で屋根を剥がし、「終わっちゃった〜」と佐藤さんは叫んで見せる。最後には自分で作った井戸を取り壊し、パイプを引き抜く。そのパイプが空に伸びていくのをカメラが追うカットを最後に、エンドロールが流れる。あとから、空に伸びる灰色のパイプの映像を思い出すと、あれは宇宙に伸びた通信用のアンテナみたいだったと私は思う。佐藤さんは自分の書いた本に対して「売れなくてもいい。誰も読まなくてもいい。書くことに意味がある」と言いつつ、別の機会には「誰も読まない本には何の意味もない」と矛盾することを言う。それは私もいつも思う。誰に読んで欲しいと言いたいわけでもない。だけど、この言葉を受け取る人がきっといると信じて文字を書く。もしかしたら、受信者は宇宙の別の惑星やあの世にいるかもしれない。それくらいの気持ちを持たないと「魂の世界」には繋がれない。
 もちろん、この映画は被災者を追っており、佐藤さんは津波の経験を持った唯一無二の当事者である。それと同時に、この映画は「もう生きていけない」と思うほど辛いことがあった後に、表現者として生きる道を探す人間の話でもある。これからも佐藤さんの書いたものが、読み継がれて欲しい。(私も映画の上映の後、英語版を購入することができた)

我妻和樹「願いと揺らぎ」

 我妻和樹「願いと揺らぎ」の上映会に参加した。

東北支援チャリティ上映会
『願いと揺らぎ−震災から1年後の波伝谷に生きる人びと−』
https://www.facebook.com/events/1799698950281479/

 この作品は我妻和樹監督の「波伝谷に生きる人びと」の続編である。2011年3月11日の震災で、波伝谷部落は津波の甚大な被害を受ける。波にさらわれて亡くなった人、基礎部分しか残らなかった家、流されてしまったカキの養殖棚。波伝谷の住人は家族や家、仕事を失った被災者となった。前作の「波伝谷に生きる人びと」は、その震災の直後で作品が終わっている。

我妻春樹「波伝谷に生きる人びと」
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20151118/1447839610

 本作は、それから1年後の波伝谷の人びとの物語だ。仮設住宅に移り住み、住人たちの孤立を避けようと、自分たちで「お茶会」を開いて「話す場」を作ろうとしている。また、「高台移転」についても、契約講と呼ばれる組織を中心に自治を取り戻そうと苦闘が始まっていた。
 その中で出てきたアイデアが部落行事「お獅子さま」の復活だ。「お獅子さま」とは、各家庭が獅子舞が訪問する春の祭りだ。2011年の「お獅子さま」は震災の数日後に予定されていたが、中止になってしまった。そこで、2012年こそ、「お獅子さま」をやろうという声が若者の中から出てくる。高齢化が進み、年功序列の強い部落の中で、若者たちが自分たちから「やりたい」と言ったことは波伝谷の人びとに勇気を与えた。「お獅子さま」の幕も、踊り手の半纏も津波に流されてしまってない。でも「お獅子さま」でみんなが集まって祭りをやれば、バラバラになってしまった波伝谷が再び一つになれるかもしれない。ある女性はお獅子の道具を「支援ではなく、自分たちのお金で買いたい」と語った。人びとの口から出てくる、「もう被災者じゃない」という言葉。波伝谷は2012年の時点では、瓦礫が残る街並みで「復興」というには程遠い状況だった。それでも、波伝谷の人々は自分たちなりの「自立」の方法を模索していた。まだまだ傷跡の深い被災地で、「お獅子さま」の復活は、津波の後の鎮魂と再生に向けた神話的な「祝祭」となり、人びとの心を再び結びつける契機となる、はずだった。
(以下、ネタバレになるので閉じておく)

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あけましておめでとうございます。

 昨年は博士号を取得いたしました。博士論文は、皆様に広く読んでいただけるよう、準備しているところです。無事に形になりましたら、こちらでもお知らせする予定です。
 4月から大学の非常勤講師として教壇にも立つようになりました。社会問題を考えることを通じて<世界で起きていること>と<自分>とを結びつけて考えていく経験を積んでもらいたい、と思いながら授業をしています。
 授業をしていると、自分の学部生の頃をよく思い出します。2001年に大学に入学し、一人暮らしを始めた下宿の部屋で、9.11の中継映像をテレビで見ていました。卒業論文は「テロ後の演劇」というタイトルで、戦争責任と「赦しの不可能生」について論じました。
 私は決して優秀な学生ではなく、学部生の頃から、自分の論をうまく立てられず四苦八苦してきました。感情的なものと論理的なものを、言語によって結びつけ、文章によって表現できるという確信ができたのは30歳を過ぎてからです。15年経っても、しつこく同じ問題に取り組んで苦労しているので、やはり要領は悪いのですが、「継続は力なり」だとも思います。
 いつも「もっと実力が欲しい」とあがいていますが、今年も諦めずに粘り強く研究を続けていきたいです。今年もよろしくお願いします。

 「RJと医療メディエーション」のご案内

 一般社団法人メディエータズ主催の修復的司法講演会が、10月9日(日)に東京で開催されます。今年の講師は、医療現場でメディエーションに取り組む荒神裕之さんと、私が講師を務めます。
 私は、今回は〈当事者の声〉について、もう一度、考えるような場になれば良いと思っています。社会運動や裁判でも、「〈当事者の声〉の尊重」はうたわれるようになりました。しかしながら、そこでいわれる「声」というのは、「当事者(個人)のニーズ」や「要求している補償・条件の内容」を指すことがほとんどです。しかしながら、当事者は「他ならぬ、この私の声」を伝えようとしていることがあります。その、代弁不可能な〈当事者の声〉の側面を、修復的司法の事例検討を通して、考えていきたいと思っています。
 どうぞ、よろしくお願いいたします。また、第2回の修復的司法の講演録も発行いたしました*1。第2回では、刑事司法制度をめぐる思想的な背景を簡単に追いながら、修復的司法の事例を取り上げ「対話の中で加害者も、被害者も変わっていく」という点について取り上げました。講演会でも頒布予定ですが、メディエーターズから通販も可能です。
(表紙フルカラー/オンデマンド印刷/A5/34ページ/イベント頒布価格500円)
通販→ https://www.facebook.com/mediators/photos/a.608850642500684.1073741828.604293616289720/1164923976893345/?type=3&theater

 第1回分もフルカラー表紙の新装版を刊行し、在庫がございますので、上のメデェエーターズへお問い合わせください。
(表紙フルカラー/オンデマンド印刷/A5/42ページ/イベント頒布価格500円)

プログラム (予定)

第1部 14:00〜15:00
講演「修復的対話と解体的対話」(仮)
小松原織香さん
第2部 15:00〜15:40
医療メディエーションの現場報告
  荒神裕之さん
第3部 15:50〜17:00
 意見交換
会場 早稲田大学9号館5階第1会議室
参加費(資料代) 500円 当日受付でお支払いください。
メディエーターズ社員・賛助会員は無料、学生は500円です。
みなさまのご参加お待ちしております。
https://www.facebook.com/mediators/posts/1186790118040064

*1:テープ起こしは、NPO法人ピアサポートネット」へ有償でお願いしました。「ピアサポートネット」では、引きこもり、フリーター、ニートなどの社会問題を抱える人たちが、社会とのつながりをもって生きていくためのお手伝いをする団体です。http://peersupport.jp

小池一夫氏の二次加害発言について

 昨日からネットで話題になっているのが、小池一夫氏の二次加害発言である。小池さんは「子連れ狼」などの漫画原作で有名であり、ツイッターでも28万人以上のフォロワーを持つ。非常にネット上で発言力のある人物だ。
 その小池さんがある事件の被害者に対し、次のような発言を行った。

【今日の家人】今日も中1の女の子を連れ去ったと、馬鹿な男が捕まっていたけど、きっかけはネットの出会い系サイトなのよ。中1で男が欲しかったのか、お金が欲しかったのか分からないけど、中1で出会い系サイトで男と知り合う女の子は、もう女の子じゃない。女。しかも、倫理観も貞操観念もない女。
https://twitter.com/koikekazuo/status/701261058237812737

 上記の発言の主な問題点を以下に列記しておく。
(1)「家人」という女性を隠れ蓑にすること
  「家人」とは小池さんの女性のパートナーを指す。男性である小池さんが直接発言するのではなく、「女性」の口を借りて話すことで、女性同士の発言をほのめかしている。また、男性の性差別意識を「女性」を隠れ蓑にして批判を避けようとしている。本来の発言者の女性が言ったのかどうかも真偽は明らかではない。(「女性」のアイコンを使った悪質な創作である可能性がある)

(2)古い性規範の押し付け
 「貞操観念」とは、女性が自己の欲するままに性的に行動することを抑制し。社会規範によって抑圧する観念である。この背景には「男性が女性を所有する」という古い価値規範がある。女性が誰とどのような性的関係を持とうと個人の自由であり、「倫理観がない」などということは性差別にあたる。

(3)未成年の女性の性的欲望の否定
 思春期に入ると性別にかかわらず、性的な欲望が顕著になっていきやすい。自我の目覚めや、社会的な性意識の学習、ホルモンバランスなど、様々な理由が合わさって「性的なもの」へ惹きつけられたり、拒否感を持ったりする。男性のこうした性的な関心は肯定的に語られることが多いが、女性の性的関心は否定的に語られることが多い。その理由には(2)が大きい。
 未成年の女性が、「女」であっても「女の子」であっても自由なことではあるが、性的欲望によって分断することはできない。思春期の子どもたちは、大人と子どもの境目で逡巡している。そのため、性に限らず、未知の「大人の社会」へ同化と反発を繰り返しながら参入することで成長していく。子どもたちの「倫理観」はこうした「大人の社会」社会への挑戦の中で育まれていくものである。
 だから、女性であっても、性的なものへの好奇心の高まりから、「出会い系サイト」を使うことは何もおかしなことではない。未成年の使用が禁止がされていれば、いっそう興味を持つことだろう。同時に、社会経験の少なさから、「出会い系サイト」を通じて、大人にだまされたり傷つけられたりする危険も高い。こうした状況から、「出会い系サイト」をゾーニングやフィルタリングによって未成年から遠ざけることが良いのか、危険性を明示的に教えることが良いのかは議論があるだろう。どちらにしろ、危険物を子どもたちの手の届くところに置いている責任は大人にある。

(4)出会い系を利用せざるをえない未成年への無理解
 出会い系サイトを使う未成年のうち、非常に困難な状況に置かれている子どもたちもいる。貧困や虐待から生き延びるための金銭を得るために利用する未成年もいれば、孤独な心を埋める方法を他に知らずに利用する未成年もいる。この背景には日本の児童福祉が全く足りていないことがあることは、何度も指摘されてきた。少し調べればわかることの手間を惜しみ(または知っているのにあえて事実を隠して)偏見のままに発言している。

 以上のように、非常に問題のある発言だと言える。ネット上で知名人によるこうした発言は、小池さんに限らず何度も繰り返されているのだが、ツイッターだと流れてしまいやすいので備忘録として記録していく。
 「出会い系サイトに登録する少女たちを止めるべきだ!」「自衛のために必要なんだ!」という方のために、過去記事もリンクしておきます。

「性暴力は自衛可能か?」
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20091208/1260272432

「風俗で働くことを怒ることは百害あって一利なし」
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20131211/1386736392

 困難な状況に置かれている少女たちについての本はこちら。

 大変な状況で犯罪に至ってしまった少女たちについての本もあります。
生きのびるための犯罪 (よりみちパン! セ) (よりみちパン!セ)

生きのびるための犯罪 (よりみちパン! セ) (よりみちパン!セ)

セカンドチャンス!―人生が変わった少年院出院者たち

セカンドチャンス!―人生が変わった少年院出院者たち

 

あけましておめでとうございます。

 博士論文を提出いたしました。現在、審査中です。
 大学院に進学するまでも、七転八倒して悩みました。入ってからも何度も「大学院にいることに何の意味があるのだろうか」「学術論文を書く価値は何なのだろうか」と疑問に思うばかりでした。今もその答えは出ていません。
 それでも、私は大学院に進学してよかったです。博士論文を書けて良かったです。とても、一人では続けられませんでした。教員や先輩たち、同期のみなさん、研究会のみなさんの励ましの言葉で最後までやり通せました。ありがとうございます。
 10年前の今頃の私は、どこにも所属がなく、先行きも何も見えませんでした。「文章を書くことをやめたくない」という気持ちだけで、インターネットにしがみついていました。当時の私のウェブサイトのアクセス数は1日に10前後でした。でも、ネットだけが私の居場所でした。周りの反応は「そんなことをして何になるの」と冷たいものでした。
 私はネットが好きです。嫌な目にもたくさん遭いました。それでも、ネットで読んでくださる方に支えられて、今まで書いてきました。本当にありがとうございます。今の私があるのは、ネットの読者のみなさんのおかげだと思っています。
 いつも「私が書かなくても誰も困らないんだよな」と思いつつ、今日まで書くことをやめられませんでした。続けられるところまで続けたいと思っています。ブログの更新は少なめかもしれませんが、元気でやっています。今年もよろしくお願いします。

*きりんのイラストは、今年も素材屋音きりんさんからお借りしました。ご好意で小規模で素材を配布されています。毎年ありがとうございます。楽しみにしています。