我妻和樹「願いと揺らぎ」

 我妻和樹「願いと揺らぎ」の上映会に参加した。

東北支援チャリティ上映会
『願いと揺らぎ−震災から1年後の波伝谷に生きる人びと−』
https://www.facebook.com/events/1799698950281479/

 この作品は我妻和樹監督の「波伝谷に生きる人びと」の続編である。2011年3月11日の震災で、波伝谷部落は津波の甚大な被害を受ける。波にさらわれて亡くなった人、基礎部分しか残らなかった家、流されてしまったカキの養殖棚。波伝谷の住人は家族や家、仕事を失った被災者となった。前作の「波伝谷に生きる人びと」は、その震災の直後で作品が終わっている。

我妻春樹「波伝谷に生きる人びと」
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20151118/1447839610

 本作は、それから1年後の波伝谷の人びとの物語だ。仮設住宅に移り住み、住人たちの孤立を避けようと、自分たちで「お茶会」を開いて「話す場」を作ろうとしている。また、「高台移転」についても、契約講と呼ばれる組織を中心に自治を取り戻そうと苦闘が始まっていた。
 その中で出てきたアイデアが部落行事「お獅子さま」の復活だ。「お獅子さま」とは、各家庭が獅子舞が訪問する春の祭りだ。2011年の「お獅子さま」は震災の数日後に予定されていたが、中止になってしまった。そこで、2012年こそ、「お獅子さま」をやろうという声が若者の中から出てくる。高齢化が進み、年功序列の強い部落の中で、若者たちが自分たちから「やりたい」と言ったことは波伝谷の人びとに勇気を与えた。「お獅子さま」の幕も、踊り手の半纏も津波に流されてしまってない。でも「お獅子さま」でみんなが集まって祭りをやれば、バラバラになってしまった波伝谷が再び一つになれるかもしれない。ある女性はお獅子の道具を「支援ではなく、自分たちのお金で買いたい」と語った。人びとの口から出てくる、「もう被災者じゃない」という言葉。波伝谷は2012年の時点では、瓦礫が残る街並みで「復興」というには程遠い状況だった。それでも、波伝谷の人々は自分たちなりの「自立」の方法を模索していた。まだまだ傷跡の深い被災地で、「お獅子さま」の復活は、津波の後の鎮魂と再生に向けた神話的な「祝祭」となり、人びとの心を再び結びつける契機となる、はずだった。
(以下、ネタバレになるので閉じておく)
 波伝谷の人びとが直面した現実は厳しい。若者たちにとって「お獅子さま」は自立の象徴である。だから、かれらはできる限り、自分たちでお金を出し合い、女性たちと協力して手作りで「お獅子さま」を復活させたいと思っていた。他方、波伝谷をまとめる役員たちは、内部の人間関係の調整と、自主性の尊重の間で、頭を悩ませる。寄付の多寡や協力の度合いによって、部落内のメンバーに「お獅子さま」に対する貢献の差が出てしまえば、内部の人間関係の亀裂の要因ともなりえる。外からの支援とも連携して、負担が大きくなりすぎないように配慮したい。加えて、船を失った漁師たちは「共同漁業」を始めていた。これが部落の内部の人間関係は複雑にしてしまう。一匹狼で船を操る漁師にとって、足並みを揃えた集団行動を強いられることは、ストレスがかかるのだ。このような生活の厳しさの中で、波伝谷の人びとは「お獅子さま」どころではなくなっていってしまった。
 若者たちを取りまとめて「お獅子さま」の復活を先導していたミキオさんは、波伝谷の雰囲気の中で、孤立を深めていく。自分たちの手で「お獅子さま」をやりたいという気持ちが、部落を取りまとめようとする役員たちとすれ違う。震災後の混乱はまだまだ続いており、お互いに意見を率直に述べ、話し合いをする気力も体力もなくなっていく。日々の生活と負担で消耗していってしまうのだ。映像の冒頭ではミキオさんはこの映画で「お獅子さま」の復活を仕掛ける若者代表として、活躍する主人公になるはずだった。我妻監督も、ミキオさんと役員たちの間で板挾みになっていく。
 我妻監督の映画は、観ていると、こちらが気まずくなってくる。「被災者の心に触れたい」と思いながら「傷つけたくないという葛藤」を画面越しに観客も味わうことになる。我妻監督の目(カメラ)を通して、私も「もっと被災者に語って欲しい」が「語りたくないならそれでいいのだ」と思うに至った。その結果、「よくわからない」という外部者のまま放置される。私は、二時間半にも及ぶ長丁場で、波伝谷の人びとの映像を見ているのに、「内部のことはわからない」という気持ちになった。だが、それで良いのだろう。
 今回、この作品は「灯りの会」のチャリティ上映会で公開された。このチャリティの主催者の挨拶がとても良かった。主催者は、震災以降、被災地の支援に関わってきた。その中で自らも難病の当事者となった。そのとき直面したのは、何を言われても「そんなんじゃない」と、支援を受け入れられない自分の心情である。その経験から、支援者の当事者と「共にある」という言葉を疑うようになったという。支援を拒絶しようとする当事者の立場になり、ものの見方が全く変わったと語った。「支援をする」ことや、関わろうとすることの困難がはじめに主催者側から述べられたのである。
 こうした主催者の挨拶から始まる上映会は、我妻監督の作品にしっくりと馴染むものだった。「現地に行ったからわかる」「当事者の話を聞いたからわかる」と言っている時の「わかる」とは何なのか。本当に「わかる」とはどういうことか。監督自身も、自分が「わかる」ことを疑い続けるので、観ている側にいる私もわからなかった。それでも、波伝谷の人びとが「我妻くんがまた来てくれた」「我妻くんが撮りたいんだって」と監督を受け入れている姿を観て、私も少しだけ安心してしまう。こうした構図は、波伝谷だけにあるものではないだろう。支援者は当事者から搾取してはならない。自分が救われるために支援をすることは、倫理に反する。しかし、いつも、支援者は当事者からたくさんのものを与えられる。外部者の優しさに内部者は甘える。是か否かを問うより先に、何度も当事者と支援者の間でこの関係は繰り返され、外部者は「わかる/わからない」の狭間を行ったり来たりしながら、内部者とのほのかな信頼関係を立ち上げていく。
 「現地の人びと」と「外部者」の微妙な関わりを描き出すこの作品は、本来は見せ場となるはずの、2012年の「お獅子さま」の映像をバッサリとカットしている。「祝祭による鎮魂と再生」というストーリーの「物語化」を阻むようだ。淡々と黒字に白文字のテロップで当日の様子が述べられる。役員たちと若者の間で板挟みになっていたミキオさんの当日の心情も、わからないままだ。その後、カメラは2016年12月のミキオさん宅を映し出す。震災から5年が経ち、地域のインフラ整備は進み、高台移転で新しい家も建った。そこで、我妻監督はミキオさんに編集したばかりのこの作品を見せる。映像の感想を求められたミキオさんは、照れたような顔をして「このときは周りに何も伝えられてなかった」と語る。2012年には30代だったミキオさんも、40歳になっている。かれは子どもと一緒に映像を見ながら当時のことを懐かしむ。この映画の中心であった2012年以降も、波伝谷の人びとの生活は続いている。「お獅子さま」も毎年、行われている。最後に「続く」の文字が出て、この作品は終わった。
 まだ、この作品の劇場公開は決まってないという。必要としているところに、この作品が、届けばいいな、と思った。(素朴な感想を、正直に一つだけ加えると、私はカラーで全編を観たかった!)