返答:宮崎駿監督「君たちはどう生きるか」

 私の宮崎駿監督「君たちはどう生きるか」のModern Timesで書いた評*1に、Twitterで言及していただいているようなので、短く返答しておく。最近、Twitterの不具合が多いので、本文をコピーして掲載する。

概ね納得のいく批評だが2点。まず吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」は本作の原作ではない。原案ですらなく、クレジットもされていない。あくまでタイトルの借用であり、主人公の行動を規定するきっかけとしてのみ使われる。この点を誤読すると本作の意図をつかみ損ねる。https://twitter.com/gigir/status/1681261628082507779?s=20

また小松原氏は「眞人は大叔父の仕事に関心がない」と整理しているが、これもまた誤読であろう。大叔父の仕事には敬意を払いつつも、自分にはそれを継ぐ資格がないこと、おそらくはその仕事は誰も継げないことを観念して断った、と読むほうが妥当ではなかろうか。https://twitter.com/gigir/status/1681262399683440641?s=20

眞人少年は「君たちはどう生きるか」を読んだことを契機に、世界を俯瞰的に見ようと苦心している。それは異世界での数々の出来事への対応もそうだし、アオサギを最終的に友達だと認めることもそれに連なっている。そこにはまさに「生き方」への提案がある。

https://twitter.com/gigir/status/1681263062538686465?s=20

自らの欲望と向き合い、他者の中にある生の欲望にも真摯に向き合う。それが人と人が関係を結ぶということだという提案がこの映画にはあります。その他者を眼差す視点の妥当性には批判の余地はあるかとは思いますが、まず構造としてそうなっていることは見落とすと議論が明後日の方向に行くと思います。

https://twitter.com/gigir/status/1681263884760666112?s=20

 第一に、映画について「読む/誤読する」とはあまり言わないと思う。「理解する/誤解する」もしくは「解釈する/不適切な解釈である」が妥当な表現だろう。

 第二に、宮崎がこの作品を製作するにあたって、吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」を念頭に置いていたことは間違いない。それは、吉野の孫にあたる吉野太一郎を試写会に招いていることからも明らかである。タイトルを借用しただけとは言えない。原作/原案等のクレジットが入っていないのは指摘の通りだが、宮崎が吉野の「君たちをどう生きるか」を底本にしたと言うのはそうおかしい解釈ではない。(だいたい、タイトルだけ借りて、中身は関係がありませんと言うのは創作者に対して失礼な話だ)

book.asahi.com

 第三に、なぜ、私の「マヒトは大叔父の仕事に関心がない」というのが誤読(ママ)とされたのかは不明である。もし、言及者が「マヒトは大叔父の仕事に関心がある」と解釈するならば、その場面を指摘し、正当性を主張するのがよいと思う。

 若者は、年寄りの仕事に興味がない。それを成し遂げた価値もわからない。だからこそ、若者は過去を捨てて未来へ向かっていける。それは、私が中年になったから思うことである。もう私はマヒトの側にはいない。大叔父のようにがれきのなかで朽ちていった老人たちの骨を発掘するのが今の仕事だ。だから、この場面はよくわかった。私も昔、こんなふうに、真っ白な石を差し出して「これで理想の世界をお前が組み立ててくれ」という老人の願いをむげにしたのだろう。それが若者の傲慢さであり、希望なのだと思う。