宮崎駿監督「君たちはどう生きるか」

 公開初日の初回で観てきました。そうしてよかったです。ネタバレを踏まずに、真っ白な状態で観るのがベストな作品だと思います。しかも劇場で、ひとりで観るのが最高でした。

 何を言っても蛇足とネタバレになってしまう作品なんですが、速報的に評を書いたので以下に掲載してもらっています。(全文が無料で読めます)

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 情報が出ないということは事実確認ができません。登場人物の名前すら不安なんで、評を書く側には地獄でした。でも、本来の映画評ってそういうものなんでしょう。ジブリの作品群を追っていると、宣伝戦略が最も花開いたのは「もののけ姫」だとすぐわかります。空前絶後の大ヒット作になりました。当時、中学生だった私は友人たちと映画館に初日の公開に行って立ち見で観ましたが、「全部どこかでみた映像だ」と思ってガッカリしたことを覚えています。今になって再視聴すると、素晴らしい作品だったわけですが。

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宣伝の成功が作品を殺すこともあります。今回の宣伝皆無の札を切った鈴木プロデューサーの賭けが、吉と出るか凶と出るか、見守りたいです。

以下ネタバレあり

 

 なお、「君たちはどう生きるか」は記事内に収まらない気になる点もたくさんありますし、何度か見返して、周辺情報が集まったらもう一度、論じてみたい作品です。

 はてな向けの話題としては、庵野秀明の「シン・エヴァンゲリオン」と重なるところも多々あるところは面白かったです。特に「父」と「母」の描写の違いが面白い。庵野は母の存在をミサトに担わせ、息子のために犠牲になる母親を描きました。宮崎は母の存在を少女に変えて、彼女もまた好きに生きたというように描きました。どちらも恣意的で、明らかに男性の視点から作られた母像ではありますが、好対照でした。また、両者は父の弱さも描いています。庵野の描く父は大人になれず、子どもを支配することでしか愛情を示せないことを自己吐露しました。宮崎の描く父は子どもへの接点が希薄で、自分の仕事を継いでもらえず、崩壊していく自己世界のがれきのなかに取り残されました。これもまた好対照です。また、庵野がそれまでの散逸してまとまらない、テレビ版・映画版エヴァンゲリオンを統合して「シン・エヴァンゲリオン」を完成させたのに対し、宮崎はこれまでエンターテイメントとして完成度が高かった過去作品を解体して、散逸してまとまらない「君たちはどう生きるか」を公開しました。庵野と宮崎の創作者としての濃密な関係はこれまでもよく言われてきましたが、作品を持って両者がいかに鏡写しのような存在にあると、私は改めて思いました。

 また、私が気になったのは、ペリカンたちの存在です。最も苦しい場面を背負わされた存在ですが、ほとんど説明がありません。おそらく、よそから連れてこられた外来種なのでしょう。かれらの吐露する言葉は、戦争の犠牲者や難民、経済移民、未来が見えない若者たち(日本含む)などの、出口のない苦しさともオーバーラップするように思いました。さらに、マヒトは、死んでしまったペリカンを埋葬します。この埋葬は、かれらへの敬意と愛惜を意味する行為に見えます。作品の本筋に出てくる鳥たち(アオサギとインコ)に比べると、ペリカンの持つ暗く重い言葉は浮いています。せめて、このペリカンについては、宮崎から解説があるとありがたいと思っています。