「望むのは死刑ですか オウム“大執行”と私〔告白編〕」

 長塚洋監督のドキュメンタリー作品「望むのは死刑ですか オウム“大執行”と私〔告白編〕」の一般公開に向けて、クラウドファンディングが始まりました。この作品では、オウム真理教の信者たちが起こした犯罪によって、人生が変わってしまった人たちを追っています。主に同僚を殺された弁護士、脱カルトの活動に奔走する弁護士、信者の家族会であり、夫が襲撃されたメンバー、麻原氏の元弁護人の語りに光が当てられます。

motion-gallery.net

 そのなかのひとり、岡田尚さんについてはすでに短い動画作品が公開されています。以下のサイトで無料で観れます。

creators.yahoo.co.jp

 岡田さんは、弁護士事務所の採用面接で坂本堤さんと出会います。坂本さんの、熱い正義感と心のやさしさに好感を持ち、「自分の跡を継いでくれるかもしれない」とすら期待します。その坂本さんは、1987年に、オウム真理教の信者たちに、妻と子とともに殺されました。事件後、岡田さんは、残された坂本さんの母親に寄り添い続けました。

 岡田さんは死刑についての、矛盾した想いを言葉にしようとします。一方で、岡田さんは事件の残虐さに憤り、裁判で柵の向こうにいる加害者たちに対し、復讐心を抱くという経験もします。他方で、岡田さんはそれまでの信念として、死刑廃止を主張してきました。ところが、事件後に検事に「極刑を望むか」と聞かれて、一瞬、迷った後に「厳罰を求める」と答え、死刑についての言及を避けました。そして、坂本さんだったら、加害者たちに死刑を求めただろうかと逡巡します。岡田さんは被害者や周囲の人々はさまざまな想いを持つものであり「ひとくくりにして「被害者は死刑を望んでいる」と決めつけること自体が間違いだと強調」しています。

 煮え切らない岡田さんの言葉に対して、脱カルトの活動に奔走してきた弁護士・滝本太郎さんは、明瞭に麻原氏は死刑にすべきだったが、ほかの12人は殺す必要がなかったと主張します。その言葉の前に、岡田さんは人間の感情と制度の兼ね合いの問題を語ろうとします。死刑によって加害者を殺す、というときには、国家には感情がなくシステムが作動するだけです。そのことについてのためらいを「整理がつかない」と言います。対して、滝本さんは、私的な復讐を避けるために国家の制度としての死刑ができたのだと整理して語ります。対照的な二人の語りが動画には記録されています。

 私自身は、性暴力被害者として加害者への復讐心を抱いたことがあります。自著のなかにも書きましたが、死刑廃止運動にはとても理性的ではいられない強い感情があります。もちろん、殺されたわけではないですし、岡田さんのような難しい立場にあるわけではないのですが、動画には共振するところがありました。私もほぼ同じように、加害者を殺したい気持ちと、死刑という制度によって人が殺されることへの違和感の両方があります。そして、岡田さんがこんなふうに語ってくれたことに、とても感謝しています。同時に、滝本さんがなぜその言葉に至ったのかも知りたいと思いました。

 クラウドファンディングに参加すると、オンライン試写会で作品が視聴できますし、先に紹介した岡田さんと滝本さんの討論の動画も視聴できるようです。私は取り急ぎ、参加しました。