近況

 ようやく労働許可・滞在許可が下りたので、ビザが取れました。2021年4月から、ベルギーのルーヴァン・カトリック大学法学部で修復的正義の在外研究を行う予定です。とにかく情勢が不安定ですので、フライトスケジュールの変更のメールが次々と届く状況で「本当に行けるのだろうか」という不安もあるのですが、とにかく一つずつ、手続きを前に進めています。

 ルーヴァン・カトリック大学は、修復的正義の研究拠点であるEFRJ *1の事務局があり、国際的な修復的正義の研究者が集まっています*2。私は、初めて、修復的正義の研究者の集う機関に本格的に滞在することになるので、とても楽しみにしています。これまで積み重ねてきた研究を、相対化・精緻化する機会にしたいと思っています。

 また、EFRJでは、環境破壊における修復的正義の研究プロジェクトもスタートしており、ワーキンググループ も設置されました。私はそのワーキンググループのメンバーにも採用されています。

www.euforumrj.org

 ワーキンググループには、ヨーロッパ、オーストラリア、アフリカ、南米の研究者も参加しており、EUやUNへの政策提言、環境保護区での修復的正義実践、補償請求を目指した修復的正義実践などが検討されいます。私は相変わらず、水俣の話をしていますが、哲学やアート、教育などのアプローチから修復的正義を考えていきたいと思っています。

 加えて、初めての英語論文 'Imagining a community that includes non-human beings: The 1990s Moyainaoshi Movement in Minamata, Japan' が、ピアレビューを通過し、正式にアクセプトされました。こちらもEFRJの発行するInternaitonal Journal of Restorative Justiceという、修復的正義の専門誌です。

www.elevenjournals.com

 私が書いた論文は、1990年代の水俣のコミュニティ再生事業である「もやい直し」のなかで、non-human beings(人間以外の存在)を含むコミュニティ概念が提起されていたことを指摘したものです。死者や魚たちが、生き残った人たちのコミュニティを再生させるシンボルとして機能したのではないかと、考察しています。水俣ではまだまだ「もやい直し」をどう捉えるのかは議論のあるテーマです。公開後にご批判いただくだろうことも含めて、今後も継続的に検討していきたいと考えています。それはさておき、このテーマは私が初めて水俣を訪問した2015年からずっと考えてきたことなので、形にすることができてよかったです。

 今は、英語で石牟礼道子論を書き、別の英語ジャーナルに投稿中です。また、今年は英語の共著に寄稿する予定ですので、頑張って原稿を書きたいです。さらに、現在、ある英語ジャーナルのスペシャルイシューの編集に関わっています。こちらも面白い企画になりそうなので、刊行にたどり着けるように頑張りたいと思っています。

 また、去年から商業誌で原稿を書かせていただく機会が増えました。出版されたばかりの「ユリイカ」2021年2月号に、テレビドラマ『それでも、生きてゆく』についての論考を寄稿しています。

  『それでも、生きてゆく』は、殺人の被害者家族・加害者家族の対話をテーマにしています。私は登場人物の一人で、娘を殺された母親である、響子という女性に着目しました。響子は事件後に魂を失ったように茫漠と生きていますが、加害者家族と接近していくうちに、娘を殺した加害者との対話を望むようになります。そのプロセスは決して平らな道のりではなく、深い絶望を味わいながら、彼女は自分が失った(と感じていた)人間性を取り戻していきます。こうしたプロセスを、フィクションで、しかもテレビドラマという多くの人が目にする媒体で描く意義を問いました。

 また、冒頭では石原吉郎を引用し、「被害者としての連帯」を拒む、孤立した被害者の生き方について検討も行っています。私にとって、石原の「ペシミストの勇気について」は長らく引っかかっていた文章であり、なんとかして咀嚼したいと思っていましたが、予想外のところで引用することになりました。この文章は、また別の形で論じるかもしれないと思っています。

望郷と海 (始まりの本)

望郷と海 (始まりの本)

  • 作者:石原 吉郎
  • 発売日: 2012/06/09
  • メディア: 単行本
 

 

 

*1:European Forum for Restorative Justice 

https://www.euforumrj.org/en

*2:大学院生から、どうやって海外とのコネクションを作るのか聞かれることがあるのですが、私は2014年に参加した国際ワークショップのランチタイムで、隣の席に座っているのがEFRJの取りまとめをしている研究者だったというのが、最初のご縁です。そのとき、アジアからの参加者は私だけで、知り合いは一人もおらず、英語もあまりにできないので、緊張して暗い顔をしていたのですが、親切なその研究者は声をかけてくれたのでした。そこから何かとヨーロッパでの研究についてご相談をするようになり、現在に至ります。