オンライン対談「グリーフケアと修復的正義」に登壇します

 2021年10月8日に、宗教学者島薗進氏との対談の企画がオンラインで開催されます。テーマは「グリーフケアと修復的正義」です。水俣や修復的正義について、研究内容はもちろん、今回は個人的な経験や考えてきたこともお話ししようと思っています。対談後は交流会があり、ざっくばらんに皆さんとお話しする場になりそうです。有料*1で、以下から事前申し込みが必要です。

https://peatix.com/event/2734811

 企画の告知文を書き、一部は上のリンク先に引用されているのですが、せっかくなので全文を貼り付けておきいます。

 毎日、インターネットでは凄惨な犯罪のニュースや、有名人のいじめや差別発言の告発が取り沙汰されています。TwitterFacebookでは多くの人の怒りの声が渦巻きます。被害者の心情に寄り添い、加害者を許さない姿勢をとるのは、道徳的に正しいことに見えます。
 でも、「これって、やりすぎでは……?」と思うことはないですか。
 私は2010年から「修復的正義」を研究してきました。修復的正義とは、被害者と加害者の対話を中心にした紛争解決のアプローチです。それを話すと、こんな質問をよくもらいます。
「それって、学校で先生がいじめの加害者に『謝りなさい』と命令して、口だけの『ごめんなさい』を言わせて、被害者がゆるさないといけないという、アレですか……?」
 いいえ、そんなふうに被害者が和解や赦しを強要されるのは、修復的正義ではありません。
 修復的正義で、一番大事なのは「対話に向けた準備」の期間です。ファシリテーターは、被害者と加害者、それぞれに分けて十分に「なにがあったのか」「なにを感じているのか」「なにを相手に伝えたいのか」を聞く時間をとります。そして、両者が「会いたい」と思い、ファシリテーターが「対話は可能だ」と判断したとき、初めて対話が始まります。
 修復的正義では「自発性」と「安全」が大事にされています。参加者が自分から望んで、「大丈夫だ」と思えたときだけ対話をします。もし、途中でやめてしまって、対話に至らなくても修復的正義は失敗ではありません。お互いの状況や、いま必要なことがわかった上で、「今は対話はやめておきましょう」という結論を出すのも、被害者と加害者には意味のあることだからです。たとえ、対話したあとに、両者がもう二度と会わなくなったとしても、それはひとつの答えとして、修復的正義は歓迎します。
 ショッキングな出来事が起きた時、多くの人は「Why me? (なぜ、私だったの?)」という問いに取り憑かれます。その問いを被害者は加害者にぶつけたいと考えることもあります。でも、加害者もまた、「なぜ、こんなことが起きたのか?」「自分はなぜ、こんなことをしてしまったのか?」がわからない混乱に陥ることもあるのです。
 「なぜ?」という疑問が渦巻く場で、修復的正義は荒れた海の灯台のように輝くことがあります。灯台は、嵐を鎮めることはできませんが、遭難しそうになっている人々に「あそこにいけば、陸地がある」という希望を与えることができます。
 修復的正義は、いま社会に起きていることを全て解決できる魔法の道具ではありません。でも、混乱した状況で「こう考えてみたらどうだろう」と、別の角度からものごとを見るヒントにはなります。
 私は性暴力や水俣病の問題を、修復的正義の視点から研究してきました。今回は、みなさんと修復的正義のレンズを通して見える、「別の風景」を共有したいと考えています。

*1:大学ではなく民間のイベントですので、なかなかのお値段ですが、後日、お手頃価格での公開も視野には入っているそうなので、もしそれが実現すれば再度、お知らせします。