ミラノ日本人学校の中学生と水俣
ミラノ日本人学校の中学生の、オンライン報告会があったので、許可をいただき視聴するチャンスに恵まれました。ミラノはコロナ渦で厳しい状況におかれた街です。中学生たちも帰国やオンライン授業など、大変な思いをしながら今日まで生活してきたそうです。そのなかで、日本の水俣病について継続して学んできて、今日のプレゼンテーションで英語で発表してくれました。
中学生たちは、水俣病の概要はもちろんですが、映画「Minamata」、水俣病患者の緒方正実さんや活動家の吉永利夫さんの活動、石牟礼道子の作品、イタリアのVenetoで起きた水質汚染との比較などについて、自分なりの視点から考えを述べました。どれもとても素晴らしくて、研究者の研究課題になるような難しい問題について、「中学生の立場だからできること」をベースに意見を考えていました。とても真摯に水俣病の問題に向き合ってきたことが伝わる、本当に良い報告でした。
水俣病を学ぶことは、「公害」というひとつの出来事を取り巻く、地域の歴史、人々の暮らし、当事者の怒りや悲しみに直面しながら、自分たちの責任を問うことだと私は思っています。それをひとつずつ積み上げるような貴重な学びの過程が、かれらの報告を通して見えてきて、感動しました。
そして、私はこれまでVenetoの水質汚染については詳しく知らなかったのですが、ゲストのニコロ・フィリッピ氏(ヴェネチア・カ・フォスカリ大学)*1の報告で初めて全体像を理解しました。Venetoでは、2013年の調査によって、Mineto社の化学工場の汚水によって飲料水が汚染されていたことがわかります。広範囲の地域の人々が健康被害を受けました。すぐに対応がとられましたが、この問題の影響もあり、Mineto社は2018年に倒産します。この汚染の概要は以下の水道技術研究センターの報告書の事例7に出ています。
「世界の水道事故」2020
http://www.jwrc-net.or.jp/chousa-kenkyuu/comparison/abroad08.pdf
フィリピ氏は、2013年以降の被害は認知されたものの、最初に汚染の問題が起きたのは、1977年であり、その被害は取り上げられていないことを指摘しました。これは、1969年の裁判まで問題が放置されていた水俣病と重なる問題です。現在、Mineto社は倒産してありませんが、フィリピ氏はMineto社に出資していた現存の企業にも責任があることを述べました。
私は、フィリピ氏が紹介した、Mineto社に出資していた企業に三菱が含まれるので、少し調べてみたのですが、1996年から2003年まで社長を務めていたのが駒村純一であることがわかりました。駒村氏は三菱商社の社員でしたが、1981年にミラノに駐在した際に、Mineto社を買収したようです。その後、2003年に三菱商社を退職し、森下仁丹株式会社に入り、ご本人の言葉で言うと「老舗企業の伝統にあぐらをかいていた会社の体質を改善し、業績をV字回復させ」たそうです。
2003年前後といえば、ロスジェネ世代と呼ばれる私たちが、過重労働や非正規雇用で苦しんだ時代です。その時代の「成功者」が、イタリアの公害加害企業の社長であったというのは、なかなかの衝撃がありました。水俣病の場合は、加害企業のチッソは戦前の植民地時代の朝鮮半島で工場を設立し、そこで朝鮮人労働者を過酷な労働で使役し、その経験をもとに戦後の水俣の労働者も抑圧し、地域の人々の生命や健康よりも経済利益を優先するような経営を行なったとも言われています。そんなことを思い出してしまう一件でした。