話さなくていい、声を上げなくていい

 大学や専門学校で講師を務めるようになり、授業では次の2点を伝えるようになった。

「話さなくていい」「嘘をついてもいい」

 私が教えている学生のほとんどは、20歳前後で若い。かれらの多くは、こちらが思っているよりも素朴で純粋で、「嘘をつきたくない」「誠実でありたい」と真剣に考えている。かれら自身の自己像がどうであれ、講師の立場にある私は、いつもかれらのその「若さ」としか言えないものに触れることになる。

 私は授業でセンシティブな話題に触れることが多い。病気、障害、自殺、貧困、民族差別、性差別。そして「性的なこと」を扱うこともある。私は行政や民間で、性暴力やDVの講演の経験は重ねているが、大人はある程度、こうした話題になると心を閉じる。言葉を選んで話しているつもりだが、「聞きたくない」「話したくない」という態度を取る人もいる。部屋を出ていく人もいる。それらは私にとってありがたいフィードバックになり、自己の講演を修正する材料になる。ところが、学生は刺激の強い話題であるほど、目を見開いて沈黙して、こちらの話に聞きいる。普段、寝ているような学生が急に体を乗り出して聞き始めることもある。これはありがたいことではあるが、とても危険だ。

 大人が話を聞くことを避けようとするのは、自分の身を守るための防衛本能だ。「傷つきたくない」という咄嗟の判断である。ところが、学生は身を守るより先に、自分の心を全開にして受け止めようとしてしまう。それは美徳ではあるが、結果として、こちらの想定を超えて話した内容を重く受け止める可能性もある。もしかすると、意図せず深く傷つけてしまうかもしれない。だからと言って、センシティブな話題を避けることもおかしい。差別や暴力の話、内面に関わる話を避けることは倫理的に問題がある。

 そこで、私は大惨事を避けるために「話さなくていい」「嘘をついていい」と伝えている。問題が自分の心に突き刺さり、受け止めきれないときに、そのまま言葉にしてしまうことは、トラウマを晒すことである。たとえば、心理相談等の閉じられた空間でなら、比較的、安全に話すことはできるだろう。だが、教室という集団の中で、トラウマを晒した場合、周囲からの二次加害が起きることもある。もちろん、「話したくて、話した」という場合は、私は講師として二次加害を防止するために動くし、できる限り、ひどいことにならないように尽力するつもりである。だが、「話さなくてはいけない」「本当のことを言わなくてはならない」という義務感に突き動かされ、望まぬ形で話してしまうことを恐れている。

 そもそも、私はずっとネットで「声を上げさせない」運動をしている。特に「泣き寝入り」という言葉を使わないように求めてきた。過去には、産経新聞の記事に対してこのような批判を書いた*1

正義漢ヅラをして、被害者を追い詰める人たち

https://font-da.hatenablog.jp/entry/20130818/1376831679

 もちろん、「問題を告発したい人が声を上げることができる」ような社会を目指すことはとても良いことだ。また、それを支援する必要もある。同時に、当事者が身を守るために「声を上げない」ことを選ぶことができることも重要だ。当事者が被害経験を話すことも、トラウマを晒すことになり、非常に負担は大きい。それは周囲が気軽に「やってほしい」というようなことではない。

 当事者が「声を上げる」ことは社会を変える大きな力になるだろう。だが、社会を変えるよりも、自分の身を守ることを優先することは、何も悪いことではない。声を上げない選択をすることは、当事者の権利である。「声を上げる」ことで、「声を上げない人」の負担を減らすことができるかもしれない。だけれど、本来は「声を上げなければならない」状況自体が不当であり、「声を上げる人」が苦しむことは、「声を上げない人」の責任ではない*2。望まぬ形で「声を上げる」ことにならないように、周囲は配慮する必要がある。

 私は、「話すこと」や「声を上げる」ことに対しては、慎重であるにこしたことはないと考えている*3。また、「私が話す」や「私が声を上げる」ことと、他人に対して「話してほしい」「声を上げてほしい」と言うことは違う。その一線は引いておきたい。

*1:なお、産経新聞のその後の連載は(私の批判とは関係ないと思うが)軌道修正されている。→ https://font-da.hatenablog.jp/entry/20130822/1377145158

*2:もちろん、もし「声を上げない人」が「声を上げる人」を攻撃するのであれば、「声を上げない人」の責任でもあるだろう。そして、「声を上げない人」にとって、「声を上げる人」の存在がプレッシャーとなり、攻撃してしまうことはままある。だが、それはまた別の話である。

*3:私もまた、「話さないこと」や「声を上げないこと」はたくさんある。それは自分を身を守るスキルであるし、そうできるようになって良かったと思っている。かつて、私自身が、何もかも話さなければならないと信じていた。