「小さな組織」を作る

 私の良さは少人数の組織の方が発揮される。理由は明白で、私は個別・具体的な人間関係のなかで、思想的な議論を深めていくのが得意だからだ。個人的な経験を掘り下げて、そこから得られる強烈な「確信」のようなものを、少人数の関係の中で分かち合い、言葉にしていき、「それがなんであるのか」を探求する。そういう場作りには長けている。

 他方、大人数の組織に入ると私は元気がなくなる。まず、誰かが何かを思いつくと、それに対する反論が先に出てしまうので、「新しい発想」を潰すことになってしまう。また、「みんなでやろう」と誰かが言えば、「やりたくない理由」をいくつも思いつく。つまり、「頑張ろうとしている人」の意を削ぐ能力が発揮される。

 私が大人数の組織にいて良いことがあるとすれば、その中で孤立しがちだったり、悩んでいたりする人が、「私だけではない」と思えることである。だが、私自身は「またうまくやれない」という疎外感を深めるので、大人数の組織にとどまることは難しい。(私は諦めが早いので、そういう組織からは黙って気配を消して、いなくなることが多い)

 私としては、大人数の組織に適応しようとするよりは、少人数の組織のなかで力を発揮したいと考えている。しかしながら、少人数の組織は、なかなか目に見える成果が上げられない。また、大人数の組織の「下部組織」として扱われることもある。しかし、「小さな組織」には、それ独自の良さがあるはずだ。

 小さな組織は無名であり、新規参入者が少ないため、濃密な人間関係が凝縮されていき、時にはトラブルの原因となる。現代では、オープンであることが良しとされ、透明性が重視されるため、このような組織は時代には逆行している。しかしながら、私たちの根幹に関わるような話は、「開かれた場」では難しいのではないか。「家族」や「友人」のように特定の情愛の結びつきを求めるのではなく、「団体」や「ネットワーク」のように公共に還元する成果を求めるのでもなく、あるトピックを手がかりに、コミュニケーションそのものだけが求めるような組織のあり方がある。それには、それの良さがある。

 この地味な良さをどうやって自分の言葉にしていけるのか。そういうのが、私の一つの課題だと思っている。(そして、こういう話は社会運動や社会思想の中で繰り返し行われてきているので、普遍的な問題なのだろうとも思う)