河野さんからのお返事

 先日の記事について、河野美代子さんから、お返事いただきました。
まず、河野さんはフェミニストから嫌がらせを受けた経験があるということでした。

20年前、「さらば、悲しみの性」という本を出版し、期せずしてベストセラーになり、話題となった。あるフェミニズムの大学の先生が、その著書の中でこの本を非難した。あまりの無茶な批判に反論しようと、ある週刊誌に彼女への反論を書かせてもらう準備をしていたところ、もっと大御所のフェミニストにそれをつぶされてしまった。私へ「やめろ」というしつこい電話だけでなく、週刊誌の編集長にまで圧力をかけてやめさせたと知った時、大きな挫折感を味わった。うつになって何にも文章が書けない。
「桜三題」
http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_75ef.html

事実関係はわからないですが、こういったことがあったとしたら、フェミニズム内の大きな問題だと思います。私は河野さんに対して批判はしましたし、賛同はしないですが、人が文章を書いて発表する自由を妨げるのは許されないことです。だれのどういうトラブルなのかはわかりませんが、こういうことがあることは心に留めておきます。
 そのことを踏まえての、河野さんの反応はこうです。(注:小松原とは私のことです)

今回の小松原という人は、その時の事と比べれば、こうして私が反論をするほども無い、無視すればいいのかもしれないほどの人です。だって、1982年生まれって、私より35才も若くて、私の娘よりももっと若い人。一人のツッパリさんとみれば、かわいいものなのかもしれません。私は、貴方より、うんと長く生きています。いろいろな修羅場をくぐりぬけて。少なくとも、「学問として、研究材料として」女性たちに向き合うつもりは全くないということだけは言っておきましょう。
「私は女の学者さんが嫌いです(偏見です)。」
http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-313f.html

 反論することはありません。私は若いし*1、研究の材料*2として、女性たちに向き合っているのかもしれません。そのこと自体は否定できないことです。自分の余裕のなさや感情をたぎらせたことで、多くの読んでくださった人に伝わりにくい文章であったことは、未熟で残念なことですが、私はこうしか書けませんでした。
 私は性暴力被害者の支援にいました。そのころのことは、どんなことがあったのかは具体的には一切話さないことにしています。(その時点で、河野さんとはまったく考え方が違います)私の今回の記事のエネルギーは、そのときの経験で味わった思いだということだけ、書いておきます。
 ほかの医療者とTwitteerでやり取りしています。この件について、興味のある方への補足になるかと思いますので、まとめを紹介します。

セックスワーカー支援と医療と偏見をめぐって」
http://togetter.com/li/602424

 これは蛇足ですが、私は河野さんについて一点、感謝していることがあります。それは、批判のさいに私の個人名をあげたことです。ほとんど、これまで専門家から批判されるときに私は名前を呼ばれませんでした。無名だから当たり前なんですが、いつも気になっていたので、今回はよかったです。
 

*1:ちなみに、三十過ぎても、こう言われるのだから、二十代の私がどんな扱いを受けていたのかは、想像できると思います。

*2:私は日常的に女性とかかわり、性暴力やセックスワークの話をしていて、その9割は研究と関係ありません。(もちろん、関わるのは女性だけではないですが)でも、研究者になるということは、そういうことを言われることだし、否定もできなくなることだとわかっていて、この道を選んだので否定はしません。