はてなの黄昏と「キリンちゃん」という架空の人格

 ここのところ、はてなの衰退の話が出ています。

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 はてなから人がいなくなっているのは間違いないだろうと思います。最近ではたくさんブックマークがついて、ホットエントリーに入っても、アクセス数はたいして上がらなくなりました。私の知人もほとんどがTwitterに移動しています。なにより、こんなふうに思い出話ばかりで盛り上がるところを見ると、いよいよはてなも黄昏時だなあと思います。

 私自身は、はてなのブログはシンプルなデザインで文章を無制限に書けるところが気に入っているので、サービスが終了するまではこのまま使うことでしょう。ただ、もう以前のように頻繁にネット上の議論に参入することはないだろうと思います。

 私がはてなダイアリを毎日のように更新していたのは、本当に精神的につらい時期でした。大学院進学を望んでいたのに、いろいろなことが重なって叶わず、頭の中で渦巻く考えを吐き出す場所が必要でした。ちょうどその頃、はてなダイアリには大学院生や研究者がたくさんいたので、私には格好の議論をふっかける場になりました。何も失うものがない(と本人は思っていた)ので、今考えると「めちゃくちゃやな」と思うようなことをやっていました。他人には勧めません。

 私にとって、一番勉強になったのはたくさんの本や論文の紹介をしたことです。時には執筆者が私のブログを読んでコメントすることもあり、スリリングでした。研究者になった後、私が批判した本や論文の執筆者が講演を聴きにきてくださって、冷や汗をかいたこともあります。若者の無礼をお許しくださった方々には感謝しています。

 はてなでブログを書いているfont-daというアカウントは、ひとつの人格のようでした。たまにブログタイトルをもじって「キリンちゃん」と呼ばれたこともあります。はてなの「キリンちゃん」は好戦的で、論理モードと感情モードを使い分けながら、相手を圧倒していくような文章を綴ります。時には相手を挑発し、議論のなかでひとつずつ主張を潰していくようなやり方をしました。それは、普段のオフラインの生活での私の振る舞い方とは少し違います。

 2010年に大学院に進学して以降は、私のブログの更新頻度は減りました。私は真剣に研究者になりたいと考えていたので、それに集中しようと思ったからです。私は長く論文をうまく書けず七転八倒しました。10年くらい私の葛藤は続き、ようやくここ数年、楽しく論文を書けるようになりました。今の私ははてなの「キリンちゃん」ではなく、研究者の「小松原さん」として文章を書くことがほとんどです*1

 もちろん、私は意図的に「キリンちゃん」という人格を作ったわけでもないですし、意識して使い分けているわけでもないです。インターネットの良さは相互交流が盛んなところにありますから、そのコミュニケーションのなかで生まれてきたのが「キリンちゃん」です。私の中に「キリンちゃん」は今もいますし、大事な一部です。何度かネットで書いていますが、私は大学院の博士論文の公開審査の場で一人の審査者に「周到な論文で、反論を予測して先にそれを封じていくような書き方をしている」ことを褒められました。いうまでもなく、それは私がはてなで何度も炎上して、批判され、誤解され、悔しい思いをするなかで身につけてきたスキルです。研究者としての私の文章には、ブログを書いていた痕跡は間違いなくあります。ただ、私はブログとは別の書き方をすることが多くなりました。

 そうは言っても、私の研究者としての身分は不安定でいつまでこれが続けられるのかわかりません。それでも、今は資料を積み上げて、分析をしながら自分の理論を提示していく論文を書くことが、一番の楽しみです。金銭的、精神的に研究できる状況が確保できる限りは、続けたいと思っています。また、私の研究者になるまでの話は別の形でお出しする予定にはなっていて、それはそれでありがたい話だと思っています。

 同じような話はあちこちでしていますが、つらかった時期に、書くことをやめずにすんだのは、はてなでブログを読んでくださった方がいらっしゃったからです。私は愛着があるので、はてなから人が去っていくのはさびしい気持ちにもなりますが、同じところで留まることが良いことでもないでしょうし、時代とともに人が新しい場所に移りながら新しいものを書いていくことは、とても自然なことのように思います。

*1:私は今年の春、突発的にTwitterをやめてしまったのですが、いま思うと、あのアカウントは「キリンちゃん」と「小松原さん」が入り混じった状態になっており、自分にとって使いづらくなったのかもしれません。ネットで論争になると、私はたちまち「キリンちゃん」になってしまうので。注記しますが、もちろん研究者の「小松原さん」が本体というわけではなく、それはそれで架空の人格です、私にとっては。