代替医療をどう考えるのか
ホメオパシーがweb上でえらく非難を浴びている。確かに、押し付けがましかったり、やりすぎると近代医療否定に走りそうな勢いを持った、代替医療だとは思う。その前に、自分の整理のためにも、医療人類学の基本認識をおさらいしておこうと思う。*1
1960年代から「健康は幻想か?」という問いが立てられ始める。背景には1950年代の米国の健康ブーム、1970年代の西ドイツの健康ブームがある。とりわけ、後者は医療体制(保険制度)の不備を挙げ、医療体制における問題が指摘された。1948年に制定されたWHO(世界保健機構)憲章では、健康は以下のように定義されている。
健康とは、完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない
Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity
この健康概念は、「ヘルス・プロモーション」を目指すものである。数値により計測されたデータを基に、健康な人間の生理学的標準値を設定し、比較により正常/異常を区分し規範化する。医療従事者が、健康の良しあしを決定し、自覚症状がなくても病気になる。この健康概念は、「人類は普遍の身体を持っている」ことを前提として持っている。そのため個人(臓器・器官)の能力に注目することとなる。
しかしながら、日本でも50年遡れば、健康ではなく「健やか」「息災」という概念がつかわれる。この基準は、日常生活に支障がないことであり、困るようになって初めて傷病や疾病とみなす。すなわち、家族生活が営めれば、多少症状があっても健やかである。これは、個人と周囲の関係に注目する。そして、「WHOの健康にいったい<誰が>到達できるのか?」が問われ、生物医学の枠外にある、文化の中で暮らす人々の身体の扱い方に焦点があたり始める。
1998年には、WHO執行理事会で、WHO憲章における「健康」の定義の、東地中海事務局*2による改正案が提出され賛成22、反対0、棄権8で可決される。改正案は以下である。
Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity
(強調は引用者)
議論は健康概念にspritual(霊的)を盛り込むかどうかで紛糾する。イスラム社会では、伝統医療として、ユナニ医療の体系を持っている。ユナニ医療では、世界は風・火・水・地で構成されていると考え、それは人間の体の四つの体液(血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁)に対応しているとされる。このバランスが崩れると病気になるというのだ。
この提案は、1999年のWHO総会で審議した後、保留され、その後放置が続いている。議論の経緯*3を報告をweb上で発表されている。spiritualの部分には以下のように述べられている。
(略)近代西洋医学が成熟と成長限界を迎えると、病に対して心の問題を含めて全人的なアプローチを行ってきた伝統療法の「癒し」の効果へ関心が集まり、真に効果をもたらすものを選別、評価し、西洋医学と統合し第三の医療ともいわれる統合医療へ再構築しようという動きが近年活発になってきている。アラブ諸国が今回の改正案を提出したことも、我々西洋医学を実践している当事者にとってみれば、あまりに無味乾燥かつ客観的な健康評価を行ってきたと反省する要因を窺い知ることができる。
さて代替療法に関していつも問題となるのはその効果と信憑性であるが、それを否定することは、道徳性、倫理性を含めてその医療システムを社会的に受容、認知している共同体全体を否定することにつながる。伝統治療を含めたあらゆる医療行為は、共同体の文化、信条と密接なつながりをもっており、経験的に納得の行く形で体系化された産物である。近代西洋医学も科学的有効性が客観的に大きいというだけの理由で社会的に普遍性を得たとは考えられない。むしろ効果や信憑性を議論するよりも医療体系が成立した文化的背景を考察するほうがその共同体の理解につながるだろう。医療や公衆衛生の分野で最近人気の高いevidence-based某についても、このような視点からもう一度見直す必要があるかと思われる。
「臼田寛、玉城英彦「WHO憲章の健康定義が改正に至らなかった経緯」
http://ghe.med.hokudai.ac.jp/Others/WHOHlthDfntnRev.htm
結果として、健康概念の定義は改正されなかったわけだが、以上のような議論がWHOレベルでなされていたことは、踏まえておかなければならない。
こうして、1960年代から1970年代にかけて近代システムに対する批判が噴出し、オルタナティブなシステムが普及していくのは、医療に限ったことではない。私の研究対象である「修復的司法」もオルタナティブ・ジャスティスと呼ばれ、初期には「近代司法制度を撤廃せよ」という論調すらあった。(現在は、ほとんどみられない)過激な主張を、現在の視点から批判するのは簡単ではあるのだが、そうしたムーブメントが起きる背景があったことを押さえておく必要はある。代替医療の一部も、近代医療を否定するようだが、もともとの「オルタナティブ」を標榜する体系の持つ性質だと思ったほうがよい。そして、その性質は修正可能であろう。修復的司法が、「補完的」であることを肯定的に主張するようになったように。しかしながら、日本はたいてい上の潮流に乗っておらず、突然、西洋で認められた代替的なシステムが輸入される。これは「修復的司法」「(西洋的な)代替医療」の共通点に見える。これらを批判するにせよ、肯定にするにせよ、文脈化して論じなければならない。
さて、代替医療の具体的な話に入る。代替医療で、一番有名な分類はアメリカのNCCAMのものだろう。
(1)代替医学システム
非西洋的な医学システムである。アーユルヴェーダ、漢方などの東洋医学など、理論と実践の体系を持つ。ホメオパシーやナチュロパシーもこれに分類される。
(2)心身医療的アプローチ
瞑想法や芸術療法など、精神に働きかけることで身体へと介入する方法である。
(3)生物学的治療法
ドリンク剤、サプリメント、民間薬(ドクダミ茶)などである。比較的西洋医学に近い。
(4)手技療法や身体を介するもの
マッサージ、リフレクソロジーなど、利用者も医学的でないとしながらも、快適なので利用するサービスである
(5)エネルギー療法
気功、シャーマン療法など呪術的治療法である。
以上のような代替医療をどう利用すべきなのだろうか。以下のような本に、アドバイスが書かれている。
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蒲原さんによれば、できるだけ(現代西洋医学の)かかりつけ医を持ち、相談しながら代替医療を受けることがもっとも望ましいようだ。蒲原さんは、医師が代替医療に関して無知であるため、ひどい対応をとられる可能性があることも書いている。その場合は、かかりつけ医を変更したほうがよいという。アメリカでは、かかりつけ医から代替医療に紹介する場合もあるようだ。
web上では、代替医療の中で、とりわけホメオパシーが激しく批判されている。私が見かけた批判は以下の3点が多かったように思う。
(1)ホメオパシーは科学的なエビデンスがなく、「効果がない」とされること
(2)効果のない砂糖玉を売り付ける悪徳商法であること
(3)子供に西洋医学を受けさせない母親、などの先鋭化したホメオパシー利用者がいること
(1)については、先に述べたように、10年前に専門家によっても議論が割れた問題であるので、丁寧に論じなければならないだろう。(2)については、「宝くじを買う人に向けられる批判」に似ているかもしれない。高額でローン地獄に陥るわけでもないなら、本人の自己責任の範疇ではないか。*4
やや複雑な問題は(3)である。私は、改善策は、西洋医療の側が、患者が代替医療を利用することを肯定することだろうと思う。人は自らの頼る対象を否定されればされるほど、否定する相手に背を向ける。そして、残念ながら現代の医療制度には、医療過誤や医者―患者間のパワハラ*5など不信を促す要素が山のようにある。患者が西洋医療よりも代替医療に信頼を置くことを認め、蒲原さんが言うようにサポート役にまわればよいのではないか。次のように蒲原さんは書く。
現代西洋医学の見地からすれば、ホメオパシーの治療薬は水とほぼ同じであり、ホメオパシーで認められる作用はプラセボ効果となるだろう。現代西洋医学では、治療薬を特定の濃度で使用し、効果も期待できるが副作用による死亡例も少なくない。ホメオパシーでは、副作用の心配はないかもしれないが、適切な治療法がほかにあるのにホメオパシーに頼ったため、手遅れになる危険性もある。第四章(引用者註:上記で紹介した部分)で述べるように、ホメオパシーに限らず代替医療を利用する際には医師によるフォローアップが重要だ。
(55ページ)
以上のように、代替医療の利用者も、冷静に、西洋医療の医師のガイドに従うべきだろう。だが、そのガイドを、代替医療もバカにすることなく行える医師が、日本にはほとんどいないというのも、いまある事実である。この不幸なお互いの不信による関係性を是正しなければならないだろう。
上記3点ももちろん、重要であるが、私が一番問題だと思っていることがある。以下の記事は、今日アップロードされてから、すごい勢いでブックマークがついて批判されている。
長野修「何のためのホメオパシーか 西洋医学が見放した人を前に、それでもノーと言えるか」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/1714)
この記事では、「がん難民」と呼ばれる、現代西洋医療で「手の施しようがない」とみなされた患者たちが例にあげられる。
患者は、最期まで諦めたくない。やれることは何でもやりたいのだ。けれども何もやってもらえない。
こうした「がん難民」にとって意味を持つのが代替医療である。サプリメント、気功、鍼、漢方、各種運動療法、各種イメージ療法、アロマセラピーなどなど、その種類は多岐にわたる。
事実として、こうした患者さんたちは、代替医療を利用するだろう。しかしながら、「だからターミナル・ケアは代替医療でいこう」という話にしてはいけない。
代替医療の注目されるのは、コストが低くてすむことでもある。イギリスでは、NHSで代替医療が無料で利用でき、日本でも民主党が代替医療への保険適応を検討しているようだ。しかし、「誰の医療費を削減するために代替医療促進をしているのか」という問題を見逃してはならない。有名な話だが、イギリスのNHSは、病気になって診察を受けようと思うと、1週間待ちである。医療の地域格差も大きく、サービスが整わない地域に住むと、満足な治療を受けるためには無保険で私立病院に行くしかない。個人が代替医療を利用することと、代替医療を組み込んだ制度を作ることとは、分けて考えなければならない。高額医療費を必要とする難病や重病の患者に、西洋医療を諦めさせるような制度にしてはならない。あくまでも、西洋医療の利用が保障された上で、代替医療の利用を促進すべきである。こうした医療政策については、別個の議論が必要である。
ところで、web上では、科学のリテラシーがないために、ニセ科学であるホメオパシーに引っかかるという主張がある。私の知人は、大学で物理学を専攻し、その後も関連する職についていた。私もよく、いかに物理学では実証が重要であるかを聞かされていた。ある日、彼は体を悪くする。それを聞いた知人の友人が、封書で見舞いの手紙を送ってきた。中には「波動の伝達図」が入っており、「快復を祈って気を送るから、それで病気もよくなるはずだ」と手紙には書いてあった。知人は私にその「波動の伝達図」を見せ、「ほら、あやしいやろ。こんなもんあるわけない」と言った後、「でも、効いたら儲けもんやからな。送っといてもらおう」と続けた。病気は治らなかったし、知人はそれきり伝達図もどこかにやって忘れてしまったようだ。
オウム真理教事件が起きたとき、一部の宗教学者は「<本当の>宗教を知らないから、カルト宗教にはまるのだ」と主張した。その主張に「<本当の>科学を知らないから、ニセ科学にはまるのだ」というのと似ている。リテラシーの重要性を指摘するのは大事だ。だが、リテラシーがあるから、他人の信じているものをバカにしてよいというものでないだろうし、そもそもバカにする時点でリテラシーとは呼べないのではないか。<本当の>宗教、<本当の>科学に無力さを人々が感じるからこそ、カルト宗教やニセ科学は魅力を放つのだ。
*1:ほんと教科書レベルなので、恥ずかしい限りですけど……
*2:参加国はアフガニスタン・バーレーン・キプロス・ジプチ・エジプト・イラン・ヨルダン・クウェート・レバノン・リビア・モロッコ・オマーン・パキスタン・カタール・シリア・サウジアラビア・ソマリア・スーダン・チュニジア・アラブ首長国連邦・イエメン
*3:ここでの日本の発言に突っ込んでいる人がいて、読んで笑った→http://ish.relove.org/mt/archives/000196.html
*4:私が子どものときには、「りぼん」の裏表紙の「彼氏ができる数珠」や「日ペンの美子ちゃん」に惹かれたが、そんなもんじゃなかろうか。どっちも効果がある人にはあるのだと思う
*5:西洋医療の否定する人は女性が多いかもしれない。なにせ、男性医師の女性患者に対するパターナリズムやセクハラは枚挙にいとまがない。