村上春樹「1Q84」

(がんがんにネタバレあります。ミステリ仕立てなので、畳んでおきます。)


1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 2

1Q84 BOOK 2

 友人が、DVと虐待がモチーフだというので、盆休みを機に読んだのだが、できの悪いラノベだったので、ある意味衝撃を受けた。
 Book1、Book2がそれぞれ500ページ、併せて1000ページという大作である。舞台は1984年の日本。軸になるのは、小説家の卵である天吾と、スポーツインストラクターの青豆の二人である。青豆は、DV被害者のシェルターを営む老婦人の依頼で、加害者を暗殺している。ある日、青豆は「この世界が自分の知らないうちに変形していること」に気づく。そのころ天吾は、美しい少女”ふかえり”と出会い、彼女の書いた小説をゴーストライターとして手直しする。その小説は、なぞの宗教団体”さきがけ”の”リトル・ピープル”という者たちについて書かれたものであった。天吾と青豆は、”さきがけ”をめぐるトラブルに巻き込まれていく。
 最初の250ページくらいは、楽しく読めた。とくに、賢く勇敢な青豆のキャラクターは魅力的だ。私は、この2冊の中で、青豆が、「私は禿げとセックスするのが好きなの」と力説するところが一番おもしろかった。しかし、その後、絶望的にこの小説はつまらなくなっていく。
 ある文芸評論家はこの作品を「世界水準である」と評しているようだが、そりゃあ「セカイ水準」の間違いである。天吾と青豆は、10歳のときに強く手を握り合う。その経験だけが、二人にとっての愛であり、心の支えである。そして、青豆はこの世界の命運を握った時に、天吾への愛のために決断を下すのである。彼らを取り巻く世界と、個人的な恋愛とが、社会という媒体を通さずに直結してしまう。これはセカイ系の定番の構図である。彼らに「よりよき社会を作ろう」という意志はなく、「二人のために〜 世界はあるの〜♪」と、愛する人との関係性しか重視しない。ヤナーチェクだの、チェーホフだの高尚な引用はあっても、根っこはラノベである。*1
 ただし、セカイ系だからつまらなかったというわけでもない。ラノベにしては、キャラクターが薄すぎるし、謀略や謎の組織の描写がまだるっこしい。「宗教団体と少女」「虚構と現実の混濁」というモチーフは定番中の定番である。だったら、荒俣宏帝都物語」があるじゃないか。*2

帝都物語〈第壱番〉 (角川文庫)

帝都物語〈第壱番〉 (角川文庫)

なんにせよ、なんでこの作品が角川じゃなくて新潮から出たのかが、一番謎である。もし新人さんが、カドカワノベルズで同じ作品を発表しても、さして評判にもならなかったのではないか。払った3600円が惜しくて、最後まで読んだが、「転生ネタ」で終わって、これまたお約束であった。CLAMPに漫画化してもらうと、売れそうだ。映画の監督はりんたろうで。
 言うまでもなく、DVや虐待のモチーフも、ファンタジーの盛り上げ用アイテムにすぎなかった。結局、村上さんは、”社会”や”暴力”を描ききることはできないんだろうなあ、と思った。*3久しぶりに、読んでて悶えるくらいしょーもない本だった。

*1:このセカイ系であることをポジティブに評価しているブログもある。http://d.hatena.ne.jp/tenkyoin/20090622#p1

*2:辰宮由佳里は強力な霊力を持つ巫女であり、魔人加藤に連れ去られて、その子を受胎させられる。現代は、加藤のような悪の大王ではなく、抽象的で変形自在なリトル・ピープルのような存在が恐怖を与える、というようなことが言えるかもしれない。が、少なくとも私は「思わせぶりなだけじゃん、ぜんぜんその恐怖を伝えきれてないし。魅力的な悪玉が出てきた方がよっぽどおもろいよ」という感想である。

*3:私がこの問題に迫ったと感じたのは桐野夏生残虐記」である。ちょうど2年前に紹介している。http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070815/1187111225