児ポ法おぼえがき その2

 マサキチトセさんからトラックバックをいただいた。

児童ポルノに関する Twitter アカウント『jidouporuno』の中の人の立場表明
http://d.hatena.ne.jp/cmasak/20090716/1247676403

ツイッター児ポ法関連の情報発信を始めたそうです。

http://twitter.com/jidouporuno

私はツイッターはやらない*1ので、興味がある人はフォローするといいんじゃないでしょうか。

 さて、マサキチトセさんの文章を読んだ上で、もう少し考えてみる。
 アメリカでは1977年に「承諾年齢法」が設けられた。18歳未満の子どもとセックスすると、レイプだとみなされる法律である。その際に、検挙の標的になったのは同性愛者であった。これは、アニタ・ブライアンをはじめとする保守派が、子どもをセックスから隔離しようとして作られた制度であった。
 一部の児ポ法反対派は、この事案を持ち出して、いかにポルノ規制が危険であるのかを主張する。もちろん、それは重要な指摘である。しかし、いま、児ポ法通過におびえているのは同性愛者だろうか?危惧されるべきは、同性愛者の抑圧だろうか。私は、抑圧が起きる心配はないと言いたいわけではない。具体的に、どのような抑圧が起きるのかについて、もっと話をしたいと思っている。そうでないと、対策が立てられない。*2
 また、児ポ法は危険である。私も、性に関する規制には慎重だ。それでも児ポ法がなければ、流出したポルノを回収できない。反対派は被害者の放置もやむなし、と結論付けているのだろうか。別の対応策があるのであれば、それを検討しよう。
 サイバー・カスケードを利用した政治運動については、私は積極的ではない。先日、署名を集めた際、私のブログはそれなりに威力を発揮したことであろう。*3私はそのとき、自分の政治的権力を自覚したし、ぞっとした。その上、記事の情報に不備があったため、真っ青になった。*4
 1960年代までの学生運動が逮捕も覚悟の上である政治闘争であったのに比べ、1970年代以降の市民運動はコミットの出入り自由であるため敷居が低かった。そのことにより、運動はカジュアル化し、結果的に弱体化した。それに比べても、インターネットを利用した運動は劇的にカジュアル化が進んでいる。私は、嫌になればPCのスイッチを切ればいい。だんまりを決め込めば、展開スピードの速いネット社会では、私の政治的行動はすぐさま忘れられていくだろう。アーカイブに記録が残っても、あまりにも多くの情報に埋没する。しかしながら、政治を動かし、法律を成立させるという行為の重みは変わらない。当事者の生を左右し、社会を変えてしまう。その責任の所在は、法案成立後には霧散し、追及はより難しくなる。
 私は、これからも、ネット上でしばしば署名を募るだろうし、政治的意見も述べていくかもしれない。だが、やはり、ネットを自らの運動基盤にする気にはなれない。私は、今時の感性からとりこぼされたアナクロな若者なのかもしれない。当事者が、政治家に接触し、アイデンティティポリティクスを展開する限り、どこかそちらに「何かが起きているというかんじ」を発見してしまうだろう。今のところ、そう考えている。

追記

ブクマコメントをいただいた。よくある質問なのでお返事。

id:rory_No27 ぞっとされた件は、訂正記事も早く誠実な対応だったんではないですか。/児童の保護・救済は福祉的ケアで処遇されるべき。それが現行法にはないんだけど。個別児童が被写体となった写真等の根絶を誰が確認できるか。

(1)訂正記事を出したのは、「現場で活動している仲間ならこうするだろう」という予測と危機感の元の反応。そして、私は現場であれば、もっと緊張を持って発言したはず、という悔いがある。ネットにおけるこのカジュアルな雰囲気は危ないという直観がある。
(2)「福祉的ケア」とは何か?何度も繰り返すが、私がこの法案を支持しているのは、被害児童(および成人した元被害児童)の脅威となる静止画・動画を回収するのに必要だから。この点で問題になっているのは、「被害者のトラウマ」(児童ポルノに出演したこと)ではなく「今まさに起きてる継続中の暴力」(自分の出演した児童ポルノが流通していること)であることに注意。
 もちろん、児童相談所の整備や、児童保護施設の改善、里親制度への理解浸透など、性暴力被害児童に対する福祉のありかたで直す部分は多い。また、当事者によるエンパワメントがずっと地道に行われていたことにも、もっと焦点を当てなければならない。その点は、この法のあるなしに関わらず進めるべき。もちろん、私自身、これは喫緊の課題としている。(付記すると、この法案が出てきたことで、その対策を主張しやすい雰囲気ができるのは、ひとつのチャンスであることは確かである)
(3)写真の根絶の確認がなぜ必要なのか。それは、強姦法があっても、レイプが根絶されず、すべてのレイプ犯が厳罰に処されるわけではないのだが、強姦法は必要だということと同じ。私は、少なくとも、社会の側が児童ポルノの回収をする責務を負うべきだという考え。根絶を目指すために方法論的な議論はもっとあってもいい。(というわけで、画期的な別案があれば私はそちらを支持してよいと考えている)

追記 その2

 こちらもよくある質問をブクマコメでもらったのでお返事。

id:buyobuyo 俺は配布した奴を処罰するだけで十分に規制可能で単純所持の禁止はやりすぎだと信じる。

まず、とりわけ商業用児童ポルノを作る業者は、あっという間に会社ごと倒産させて逃げてしまう。そして、市場には流通した児童ポルノだけが残っている。これが現状。
さらに、今後インターネットを通した児童ポルノが流通していくだろう。そのとき、配布元の特定は、実はインターネットの大きな特徴である「発信者の匿名性」を脅かすものとなる。配布元の処罰を強調することにも、危険性はある。(もちろん、児童ポルノ単純所持の危険性に比べればマシだ、という論の立て方もある。だが、ネット犯罪への厳罰化は、まるで自らのインターネット環境の規制には結びつかないような感覚を生みやすい)

*1:いや、何度か試みたんですが、私は体質にあわなかったです

*2:対策を立てても起きる抑圧もある。しかし、予測可能な範囲で、できうる限り検討すべきだろう

*3:http://d.hatena.ne.jp/font-da/20090517/1242572366

*4:http://d.hatena.ne.jp/font-da/20090520/1242784754