原田伸一郎「表現規制とヴァーチャリティ : 『描かれた児童虐待』を めぐる法と倫理」
自民党、公明党、日本維新の会が表現規制に関する法案を提出し、その中で漫画やアニメ、CGなどと性犯罪などとの関連性を調査研究するよう政府に求めているため、ネットでも話題になっている。すでに雑誌協会・出版協会が反対声明を出しているようだ。
「『実態は表現の自由の規制』 雑誌協会・出版協会も児童ポルノ禁止法改定案に反対声明」
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1305/29/news120.html
今回の法案では、ヴァーチャルな創作物の規制ではなく、あくまでも「調査研究」が求められている。しかし、現政権下で行われる研究がフェアなものではなく、恣意的に規制に誘導するものである危険はある。
そうした懸念の一方で、日本のマンガやアニメの研究者は表現規制について、どう考えているのだろうかという疑問が浮かぶ。もちろん、表現規制反対の声明は出されることが多いが、「調査研究」としてはどのような実績があるのだろうか。たとえば、政府が調査研究を求めているような「漫画やアニメ、CGなどと性犯罪などとの関連性」はないと結論づける研究はないのだろか。
現時点では、世界的にもポルノと性犯罪の結びつきを実証した研究はないはずである*1。それと同時に、結びつきがないという確証も得られていないはずだ。もちろん、「科学的に実証されていないのだから、規制には反対する」という立場を取ることも可能である*2。だとすると、政府が主導するかどうかはともかく、科学的にポルノと性犯罪の関連を調査研究することに反対する理由はない。もちろん、その結びつきに焦点を当てることに限らず、マンガやアニメの研究としてヴァーチャル児童ポルノと表現規制の問題を調査研究することは、意義があることだと思う。
私はマンガやアニメの研究に詳しくはないのだが、ヴァーチャル児童ポルノと表現規制については、去年の3月に論文が刊行されているのに気づいた。インターネット上で無料で読めるが、以下で簡単に紹介する。
原田伸一郎「表現規制とヴァーチャリティ : 『描かれた児童虐待』を めぐる法と倫理」
http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/bitstream/10297/6476/1/17-0001.pdf
この論文では、マンガやアニメを研究する「メディア論」と「法学」を接続するのが「ヴァーチャリティ」という概念であるとしている。海外のヴァーチャルポルノの規制が、実際の児童性虐待に似ていることを理由に規制されるのに対して、日本のヴァーチャルポルノ規制は、似ていないのにリアリティを感じさせることを理由に規制される。すなわち、実物と似て非なる虚構の中に、児童性虐待の本質ともいうべき何かが表現されているとみなしている。この「何か」が「ヴァーチャリティ」である。それを掬い出そうとしたのが、あの東京都条例でさんざん揶揄的に扱われた「非実在青年」という概念の提唱だったのではないか、と原田さんの論文は示唆している。
そうであるならば、表現規制派と反規制派の議論はすれ違っている。反規制派は、マンガやアニメのキャラクターは実在の少女・少年たちと似ていない点が多く、実在する少女を性虐待することとは重ならないとしてきた。また、「ヴァーチャルポルノの場合は性虐待の被害者はいない」として規制はナンセンスだとしてきた。だが、原田さんの論に沿えば、実在の子どもと似ているかどうかや、被害者が実在するかが問題ではなく、現実とは似て非なる虚構の中で児童性虐待の確信の部分を楽しめてしまうことが問題だというのが、規制派の言い分である。そしてこのヴァーチャリティが実際の性犯罪を引き起こす、潜在可能性ではないかとされている。
しかし、本来は法はリアルなもの、現実しか取り扱えない。虚構の世界は、法外の世界なのである。こうした法外なものを規制するとすれば、それは倫理である。原田さんは次のように述べる。
「ヴァーチャルなポルノをなぜ規制すべきか」 という問いに、1「表現がヴァーチャルでも、 リアルな犯罪につながるから」と答えるのであれば、ここまではまだリアルに引きつけた発想 であり、法による対処も可能であろう。しかし、 2「ヴァーチャルもリアルも倫理的には等価値 だから」と答えるのであれば、それは、実体のない思想・想像を罰することになり、法の領分 を超え出てしまう 。
従来の議論はこの点が区別されず、混然とし ていたので、性表現が性犯罪につながらないこ とをたとえ実証してみせたとしても、まだ納得しない人、規制を諦めない人がいるのは当然で あった。児童虐待と、児童虐待思想・表現は、法的には峻別し得るが、倫理的にはさしたる差 異がない。これが、〈法〉とは別次元の、すな わち〈倫理〉の次元での、ヴァーチャリティ規 制の根拠となろう。(8ページ)
つまり、日本のヴァーチャル児童ポルノの議論が混線の理由は以下である。すなわち、倫理で規制すべきヴァーチャルなものと、法で規制すべきリアルなものの境界が、ヴァーチャリティによりかき乱されることだ。そのことにより、ヴァーチャルなものを法で規制しようとする、法の領分を越える事態に陥っている。これが原田さんの議論である。そして、ヴァーチャル児童ポルノは無規制に放置するのではなく、法ではなく倫理で規制することがよいという結論に導かれる。
大筋としては私も賛同する。倫理と言えば堅苦しい感じもするが、「虚構の中で楽しんでいる暴力的な行為は、現実の中では決してしない」ということは、共有できることだろう。そして、ヴァーチャル児童ポルノに限らず、実在の大人が出演してるポルノであっても、必要な倫理である。そして、少数であっても、現実の中でまねしてしまい性犯罪に及ぶ人がいるのならば、そうしない手だてを考えなければならない。私たちの社会は、ポルノとどう付き合うのかを考える機会がもっと増えればいいと私は思っている。それがイコール、規制ではないはずだ。他にも、マンガやアニメの研究と、表現規制の問題をつなぐ論文があれば読んでみたい。