宗教と裁判員制度

宗教界、裁判員に悩む…「人裁けるか」「正式な制度だから」


 人を裁くことは、犯罪者も含めた人々の「心の救済」を目指す宗教の立場と両立するか。国民が参加して有罪・無罪などを判断する裁判員制度が5月に始まるのを前に、宗教界で議論が起きている。同制度では死刑判決に関与することもあるだけに、宗教の社会へのかかわり方が問われている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090111-00000008-yom-soci

各宗派の意見がさまざまで興味深かった。宗教者として問われるだろうが、今初めて悩み始めたならば、「ここまでこないと問われない日本の宗教者ってどうよ?」とも思う。裁判員制度が設立されるときには、議論はあったのだろうか。ちょっと興味が出てきた。
 個人的経験では、自分が生きている社会で起きている犯罪に、一人の人間として本気で関わる気のない宗教者に、何度も出会ってきた。(そしてガックリしてきた)もちろん、関わっている宗教者もいるのだろうが、決して多数派ではないだろう。
 もし、これを機会に(遅すぎる気もするが)宗教者がどんどん加害者・被害者をとりまく問題に関与してくることになれば、きっと良い議論ができると思っている。そうなればいいなあ。
 そして、わかりやすい意見表明もある。

 全国約8万社の神社を指導する神社本庁は、「国民の義務として、裁判員に選ばれたら原則参加する」という立場だ。

宗教と国家のかかわりと言うのは、本当に難しい。