イシデ電「私という猫」

私という猫 (Birz extra)

私という猫 (Birz extra)

 先日、友人に「めちゃくちゃ悲しい猫のマンガがある」と聞いた。「今まで読んだ猫のマンガで一番面白かった」と言われたので、買ってみた。確かに、今まで読んだ猫のマンガで一番面白かった。
 猫のマンガは、たいてい飼い猫の不思議な行動を、飼い主(作者)が眺めている。または、それをネタに猫の視線から見たであろう、牧歌的な日常が描かれる。そして「ねこ、かわいい〜」と愛でる。それはそれで私はわりと好きだ。ところが、「私という猫」では、野良猫が、猫の社会で生きていくさまが描かれる。かわいい、のだが、かわいいというのは、失礼な気がするくらい、真剣な猫たちの話だ。
 一番印象的なエピソードは、自分の子猫の死んでいく姿を目の前にした、母親猫のエピソードだろう。死に直面した母親猫は、パニックに陥る。また、飼われ(飼い猫)は、毎日どうでもいいことに夢中になる考えなしの猫のはずが、時折、原因不明の「どきどき」に襲われて、しっぽをずり下げながら歩く。だから、しっぽのハゲがなくならない。このマンガは二人の若者の次の会話から始まる。

「あーねこだ ねこはいいなあ 気楽で。」
「ねてばっかだもんねー ねこになりたいよー」

それを聞く、作者らしき女性は、モノローグでつぶやく。

もしも私が猫だったならば とっくに死んでいる。

このマンガは、常に死の匂いに満ちている。それは、死をテーマに据えているわけではなく、「いつ死ぬのかわからない」という状況の中を生きている野良猫を、作者が描こうとするからだ。特に前半部の、生きていくためには、みんな関わりあうことが必要だというセリフは、陳腐でありながら、このマンガの盛り場になっている。
 モチーフはモチーフだけに、前半は説教っぽくなっているが、後半からはそれぞれの猫の絡み合いが、活き活きと描かれていく。特に「私という猫」である雌猫は、「おばちゃん」と呼ばれ、喧嘩っぱやく情にもろい。ライバルで賢い「美しっぽ」や、極道の親分のような「ボス」。若くてまっすぐで空回る「はなくそ」、飼われで無邪気な「ぽんた」、飼われであり、その無垢さゆえに残酷な「ハイシロー」。下町人情物語のような熱いドラマと、妙に冷めたギャグが良いバランスになっている。
 初めて聞いた漫画家さんだな、と思うとデビューは「IKKI」であった……。うう、そうなのか。こうやって口コミで広まっていることだし、売れたらいいのになあ。