クィア学会に行ってきました。

 11月9日に開催されたクィア学会の分科会に行ってきた。*1クィア学会ということで、論題も多種多様。法や歴史、哲学的な考察もあれば、実証研究や運動論もあった。その中で、私が度肝を抜かれたのがローラン・エリック「日本における性人類学のフィールドワークでの”性的参与” ―男性同性愛学的な研究の例」である。
 エリックさんは、日本の男性同性愛者を対象に、インタビュー調査を行っている。その際、インフォーマント(調査対象者)を、本来は性的な相手を募集する場で探したという。エリックさんは、その行為を、場のルールを無視した、領域侵害だと考えている。その前提の下で、インフォーマントから、性的行為*2の誘いを受けたとき、調査者はどう対応すべきかについての方法論を考察している。また、フランスで同様の調査を行ったときには、インフォーマントから性的行為の誘いを受けることはほとんどなかったという。さらに、日本で別の目的での調査をしたときにも誘いを受けることはなかった。そこで、エリックさんにとって、日本で男性同性愛の調査の中で、性的行為の誘いを受けることは、「驚き」の経験である。
 西洋の人類学のセオリーからいえば、まずこのような誘いは、絶対に受けてはならず、インフォーマントとの性的関係を結んではいけない。なぜならば、調査の客観性が損なわれるからである。しかしながら、エリックさんは、そのセオリーを持ち込むことは、自文化の外側の領域で西洋規範を押し付ける、自民族中心主義にあたるという。そこで、調査者が、インフォーマントを誘うことがあっては絶対にならないが、インフォーマントから誘われた場合には、調査者は断るべきではないという。エリックさんは、日本での調査の際、調査者がインフォーマントに「おみやげ」を渡すことを例に出す。これは、調査協力に対する、ひとつの交換の財である。同様に、性的行為の誘いに答えることも、ひとつの交換の財として使うことだと言うのだ。
 人類学では、調査者は「驚き」の経験をしたときに、自文化のふるまいを慎み、インフォーマントの行為に自らを添わせ、文化的冒険を経験することで、自文化の壁を越えてをインフォーマントの文化を知ろうとする。「驚き」とは、自文化とそれ以外の文化の規範の差異に触れたけ件であるからだ。エリックさんの報告は、差異を忌むのではなく、その差異を身体的に経験しようとする文化人類学ならではの考察だと言えるだろう。
 エリックさんは、インフォーマントの性的行為の誘いに答えることを、「性的参与」という。エリックさんによれば、性的参与により、調査者は、(1)インフォーマントとの信頼関係を作ることができる(2)客観性というまやかしを破ることができるという利点がある。また、(3)性的になることは、調査者はには避けられず、また(4)精神的な打ち込みを促進してくれるという。エリックさんは、性的参与は、要求にこたえるものであるだけで、簡単であり、ミクロな調査ではインフォーマントとの親密性増す有効な手段であるとする。そして、個人的には、「驚き」の経験を通して、自らが性的な物事に対してユダヤキリスト教の痕跡を有し、研究の客観性を無意識的に標榜していたことへの気づきがあったと結ぶ。
 案の定というか、フロアからは次々と質問が飛び、激論の予感であった。(時間がなくて、煮詰めることはできなかった)もっとも重要になるのは、調査者とインフォーマントの間の権力関係であろう。性的参与が、性的搾取とどう切り分けられるのか、という質問も出た。エリックさんは「それは分けられません」とサックリ答えた。また調査者とインフォーマントの間に「情がわく」ことがあるのではないか、という質問も出たが、エリックさんは「あります」と、これまたサックリ答えた。
 私は、ほとんど茫然自失であった。調査者とインフォーマントが性的関係を結ぶことを避けるための方法論や、そのような関係ができることへの批判は考えたことがあっても、まさか「倫理的に性的関係を結ぶべきだ」と考える人がいるとは、夢にも思わなかったからだ。まさに「驚き」の経験であった。世の中には、いろんなことを考える人がいるんだなあ。
 もちろん、私はこの「驚き」を、身体的に経験することで乗り越えようとは思わない。ただし、非常に重要な問題的であったとは思う。調査者のセクシュアリティについて言及した議論は、日本の論文ではほとんど見受けられない。*3しかし、性的な領域にとどまらず、日本の調査者はインフォーマントと性的関係を結ぶことがある。そのことは、調査者同士のニヤニヤ猥談で終わってきたのではないだろうか。(特にオトコ調査者同士の)エリックさんは、自らが性的参与として、インフォーマントと性的関係を結んだことをはっきりと明言した。人類学では、実践の一つとしてとらえられるのだろうか。私は疎くて、海外の研究の情勢として、どう論じられているのかもわからない。私としては、現在起きているセクハラ・アカハラや。インフォーマントとの調査後のトラブルの問題にもつながってくるだろう、と考え重要な点だと感じた。

*1:はてな村クィア部のみなさんも参戦されていた模様。私も、お知り合いの何人かにごあいさつしてきた。クィアの発想がヒエラルキーを嫌うからか、一般的な言い方での「誰がエライのか?」ということは、さっぱり掴めないまま帰ってきた。しかし、権力関係がないわけでもないだろうから、なんか地雷踏んでたらやだなー、と思う。でも、地雷がみえてても、あえて踏んでしまうのが私なので、本当は気にはしていません。(結論)

*2:以下、性的行為や性的関係という言葉を何度も使っている。念のために書いておくが、性的行為はインターコースに限らない。ふれるところから、ディープセックスまで幅広いものである。

*3:もしあったら、ぜひぜひ教えてください!読みたい!