宮崎駿「崖の上のポニョ」

 映画館まで行って観てきた。さすがに、公開から時間がたっているし、平日の東宝公楽*1でみたので、がらがらだった。
 絵はきれいだし、ポニョはかわいいし、歌も耳に残るし、それはいいんだけど……これって、結婚ファンタジーの話だよね?

(以下、ネタバレです)

 主人公は、父親である魔法使いフジモトのところで、大切に守って育てられている、魚の子どものポニョ。ところが、ポニョは勝手に抜け出して、海岸に打ち上げられ、人間の5歳児である宗介に出会う。宗介のことが大好きになったポニョは、人間になりたいと言い出す。フジモトの動転をよそに、ポニョは女の子の姿になって、宗介と共に冒険に出るのだ。最後には、ポニョの母親があらわれ、宗介に「僕は魚のポニョも、半漁人のポニョも、人間のポニョも好きになってくれる?」と聞くと、宗介はポニョを受け入れることを約束する。そうすると、ポニョは本当に人間になってしまう。
 筋はこれだけである。冒険と言っても、脈絡なく、ポニョが魔法で大きくしたおもちゃの船に乗って、宗介の母親を探し回るだけだ。世界観も一定せず、子どもの妄想の世界のように、美しい世界やちょっとだけのスリルが、ゆっくりと時間をかけて贅沢に細部までも描かれる。この作品は、子どもに評判が悪いらしいが、それはそうだろう。子どもは、自分の観ている世界が、豊かで優れたものと知らないから、子どもなのだ。子どもは大人にあこがれているのだから、大人が子どもにあこがれて作った作品には、興味を持ちにくいだろう。私も、正直、途中で眠くなった、昼寝がてらこれをDVDで流しながらウトウトすれば、いい夢がみれそうだ。とっても素敵なアニメーションであることは間違いない。
 その牧歌的な作品でありながら、妙な筋立てが、私にははっきりと浮かび上がる。私はどうもこれは、父親が抱きがちな「娘が嫁にいく」というファンタジーではないか、と思った。フジモトはぼそりと「いつまでも無垢でいてくれたらいいのに」と、まだ女の子になる前のポニョに対して呟く。いざ、好きな男の子ができたと聞いたら、大慌てで、取り戻そうと奔走する。挙句に母親になだめられ、宗介とポニョの誓いの場を設定し、周囲のおばあさんには「フジモトさんって、とってもいい人なのね」と言われてしまう。最後には、宗介に「いろいろ、すまなかったね」と謝っていた。そして、ポニョは、実の母親から、義理の母親(宗介の母)へと受け渡される。宗介の父親は、最後まで現れず、影が薄い。嫁姑関係が成立した瞬間である。あるある、こういう結婚式に対するファンタジー。(そして、実演する人多数)
 大学時代に、「おれ、娘ができたら、嫁に出すとき泣いてしまう」という同級生男子を、何人も見た。実際、結婚する男子が増えた今、それを聞かされる機会は増える一方だ。その手の男子は、この映画を観ると泣いてしまうかもしれない。私は、ファンタジーは人それぞれなので、こういうのを否定する気はしないが…早めにいってほしかった、というのが正直なところ。今更、宮崎アニメで、女性を神聖化する扱いや、母性礼賛を批判する気はない。それは、覚悟の上で観にいってるから。しかし、こう来るとは……。男子向けの少子化対策にはいいかもしれない。
 と思って、帰ってきたけれど、webで漁っても、そういうコメントは少ないようだ。少数派の観方なのかな。あえていうと、紙屋研究所の紙屋さんが「ポニョは僕の娘だ」と公言していた。

宮崎駿監督「崖の上のポニョ」を観てきた

ポイントは違うが、そういう「自分の子ども」としてポニョを観る人は他にもいるんじゃなかろうか。

 私は古代魚が好きなので、いっぱい見れてうれしかった。あの節がついた生き物がクネクネするのを観るだけでもDVD買おうかと思う。三葉虫アニメとか、作ってくんないかな。ちなみに、ストーリーの破たんは、私の頭の中は5歳児並に、いつもあんな感じなので、私は全然気になりませんでした。むしろ、最後にオチがついたのにビックリだ!妄想中の頭の中をのぞかれた気分でした。

追記

 ていうか、この作品のコピーって「生まれてきてよかった」なの?なんか、この言葉、すっかり軽くなっちゃって、もう言いづらい感じだなあ……。
 そして、存在承認は、やっぱり結婚式に行われるの?とか思うと、どんよりするから、このコピーには気づかなかったことにします。

*1:京都の三条にある映画館。単館上映で、座席は赤くて、天井が高くて、二階席がある。