近親間での性暴力について

 数日、アクセスが増えているので確認してみたら、別のブログで私のブクマコメントが紹介されていたらしい。

「近親相姦の問題は同性婚の問題とパラレルではない」
http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20140806/1407322990

上の記事についてではなく、自分の以下のコメントについて補足しておく。これは、インセストタブー(近親かん禁忌)があるのかという質問を書いた記事*1へのコメントだった。

ファンタジーではなく現実の問題だと、相姦なんてものはほぼなく児童性虐待だし、妹がPTSDで死にかけても合意だったと強弁する兄は山のようにいる。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20140626225706

 まず、語の整理をしておく。

インセストタブー(近親かん禁忌)

 「インセストタブー(Incest Taboo)」とは、人類学で広く使われるようになった用語である。西洋社会の人類学者たちは「未開*2」の島の人々においても、近親間での性行為が禁じられていることに着目し、人間がどのように社会を作り上げるのかについて研究した。日本では「近親相姦禁忌」と訳され、今も人類学者で使う人はたくさんいる。

「近親相姦」と「近親かん」

 日本では「近親相姦」という言葉が今でもよく使われる。しかし、現実的に行われる近親者同士の性行為は、児童性虐待にあたるものが非常に多い。「合意がない」または、児童自身が性行為についてよく理解しておらず、大人になって成長して「近親者とそんなことはしたくなかった」と考えるようになり、苦しむことがよくある。
 そのため性暴力被害者支援の現場では「近親相姦」という言葉を使うことはない。また「姦」という字は、「女」という字が三つ重ねられ、「女性を犯す」という意味であり男性被害者を排するものであるため、使うことは減っている。そのため、心理・福祉などの業界では(多少の性暴力の知識があれば)「近親相姦」という言葉はほぼ使うことはない。
 では、何の文脈で「近親相姦」という言葉が使われるのかというと、みなさん、グーグル検索をしていただければすぐにわかるだろう。アダルト映像のカテゴリーや、偽の体験告白でよく使われる用語となっている。

児童性虐待

 児童性虐待とは、意思の提示が難しい子どもにたいし、性行為を実行することである。
 日本では性交同意年齢が13歳に決まっているので、それ以下の子どもと性行為を行った場合は同意があっても犯罪、児童性虐待となる。また、児童福祉法は18歳以下を児童としているため、大人が自己本位的な性行為を行った場合、淫行条例での処罰の可能性がある。(18歳以下も児童としての保護が必要とみなされている)そのため、児童福祉法を中心にして行われる福祉分野での児童虐待支援では、18歳以下を「児童」とみなすことが多い。
 次に、ファンタジーと現実の違いを書いておく。
 このブログでも繰り返し書いてきたが、「欲望は裁けない」というのが、私の一貫した立場となっている。そのため、私は子どもを性の対象とすること自体は禁忌としていない。私は上のコメントのように、ファンタジーの是非については書いていない。「インセストタブー」は現実の問題でファンタジーの問題ではないからだ。
 しかしながら、そのように、現実とファンタジーをきっちり分けて物事を考える人ばかりではない。そういうことを問題視している。上の用語の整理でも書いたように、「近親相姦」ファンタジーが広く行き渡った。それを現実の世界に当てはめようとする人たちが少なからずいる。これは「ポルノを観れば児童性虐待者になる」という主張とは違う。被害者が経験を打ち明けたときに「相姦だった(「あなたも愛されていた」「楽しんだんでしょう」等)」と言い出す人は実際にたくさんいるという問題だ。 
 さらに、インターネット上でもよく「児童性虐待はねつ造された記憶(False Memory Syndrome)だ」と言い出す人たちがいる。これは、北米を中心として起きた反・反性暴力運動である。児童性虐待で告発された(主に)父親が「娘に嘘をつかれた」として集団訴訟を起こした。しかし、多くの性虐待は物証や証人がおらず、立件が難しく、本人も記憶が混乱していることはよくある。たとえ、その記憶が本物だとしても裁判で勝つのは厳しい。もちろん、十分な証拠がないままに、加害者を罰することは避けるべきだが、こうした訴訟は「被害者は嘘つきだ」という印象づけを行ってきた(そしてそれは、成功し、今でもこの件を持ち出して「児童性虐待なんてほとんどない」という人もいる)
 「近親者からの児童性虐待の被害者がいること」と、「裁判で被害の立証が難しいこと」と、「軽率な加害者バッシングを避けること」は本来は別の問題である。それが混じり合って、児童性虐待の問題を複雑にしている。
 最後に、きょうだいの間での児童性虐待について書いておく。父親から娘への児童性虐待は広く知られるようになったが、きょうだい間で起きていることは知られにくいようだ。だが、とりわけ兄から妹への加害は深刻な問題になっている。しかし、過去の書籍では精神科医までもが、兄から妹への児童性虐待を軽視し、和解を無理強いし、苦しんだ被害者が亡くなった例を、被害者の精神的弱さとしてエッセイ調で書いたりしている*3
 また、きょうだいで起きた児童性虐待については、ことが明らかになった場合、親の動揺も激しい。特に母親が、加害した側の子ども(多くは兄)を許せず、苦しむことがある。児童の犯罪では、加害児童の側にも保護者の見守りが必要になる。だが、この場合は家庭自体の存続が難しくなる。この件についてはオーストラリアのKathleen Dalyが取り上げている。加害児童との分離や罰を与えることだけでは、どうにもならない問題が起きてしまう。
 以上、簡単な補足として書いておく。

*1:http://anond.hatelabo.jp/20140626225706

*2:西洋では長らく、キリスト文化圏外は「未開」と考えられてきた

*3:書いたのは町沢静夫。さすがに書影等を紹介する気がしません。