リベンジポルノについて

 リベンジポルノで逮捕者が出て、事件報道がなされています。リベンジポルノとは、過去に撮った性的な写真や動画を、相手への嫌がらせ行為として公開することです。犯罪抑止の言説がこれから出てくると思いますので、先に書いておこうと思います。以下に、本文の要約を先に述べておきます。

 私たちには性的な表現を楽しむ自由がある。しかしながら、性的な写真を合意なく撮ったり、許可なく公開することは性暴力にあたる。こうした行為で被害者に自衛を強いることは、加害者に「自衛しない被害者が悪いのだ」という行為の正当化を促し、犯罪を助長する。犯罪抑止のためには、加害者の責任に焦点を当てて「リベンジポルノは絶対に許されない」ということを啓発していくことが重要である。

「写真を撮られた側は悪くない」

 私たちには性的な表現を楽しむ自由があります。合意する大人同士であれば*1、セクシーな写真や動画を撮ったり、性行為を記録したりすることも自由です。何も悪いことはしていないし、もし警察がそれを阻むとすれば「検閲行為」になります。ハッピーな気持ちになって、性行為の最中に写真やビデオを撮ることに合意していたとしても、何も悪くありません。
 また、撮影を断り切れなかったり、無理やり撮られたりしたりしたときも、撮られた側は何も悪くありません。性的な関係の中で、相手の要求を断るのはとても難しいことです。また、狡猾な撮影者はカメラを仕込んだり、不意打ちで撮影したりします。それを、防げなかったとしても撮られた側には責任はありません。
 写真や動画は、「撮影に応じる自由」も「撮らせない自由」もあります。また、撮影された後に「データを処分してほしい」と思うこともあります。そのときには、そう主張する権利(肖像権)があります。その意思に反して勝手に撮影したり、撮影データを要求に応じて処分しなかったりする場合は、撮影者は被写体に対して権利の侵害を行っています。

「写真を撮る側には重い責任がある」

 私たちは、性的な写真やビデオを撮る自由がありますが、それには重い責任が伴います。合意なく他人に見せないために、撮影者はよく考えなければなりません。保管場所を限定したり、電子データを流出させないために対策をしたりする必要が生じます。もし、わざとでなくても、撮られた側の許可を得ずに、写真や動画が許可なく漏えいさせた場合、性暴力にあたります。厳重に管理し、常に撮られた側とデータをどうしていくのかを考えなくてはなりません。撮られた側と連絡が取れなくなる場合は、データを物理的に抹消したほうが良いでしょう。(個人情報保護の問題として考えてください)
 一番良いことは、写真や動画は撮らないことです。性的な場面を目に焼き付けて、心で記憶しておくことが一番の安全策になります。撮られる側は、撮影の時には快く同意してくれたとしても、後から「処分してほしい」と要求してくることもあります。また、そのときは楽しい気持ちであっても、後から「嫌だった」「外に出されないか不安だ」と撮られた側が思うこともあります。こうした撮られた側に丁寧に寄り添う気持ちがないのであれば、最初から撮影はやめましょう。撮る側の責任は甚大であり、データを処分しない限り、一生背負うものになります。

「許可のない写真の公開は性暴力にあたる」

 撮られたが側に許可なく、写真や動画を公開することは性暴力にあたります。撮影に同意することと、公開を許可することは別の問題です。それがどんなに素晴らしい写真や動画であっても、撮られた側を傷つけた時点で、撮影者は性暴力加害者です。表現の自由があったとしても、暴力行為は決して許されることではありません。許可が取れない場合は、写真や動画を印刷媒体やネットなど公開の場所で、絶対に発表してはいけません。ブログやツイッター、匿名の掲示板など、どこにおいても許されません。悪意の有無を問わず性暴力です。
 また、許可を得ずに写真や動画が公開してあると知った時には、すぐに非公開の措置をとってください。インターネット上であれば、管理会社などに連絡してください。公開されている写真や動画を面白がったり、転載したりすることも、性暴力に加担することになります。

「被害者を責めることは、犯罪の正当化を助長する」

 許可のない写真や動画の公開を見て、被写体になった人(被害者)を責めることは、犯罪の正当化を助長します。性暴力の加害者、またはそれを企んでいる人は、私たちの発言を聞いています。「撮影に同意した被害者が悪いのだ」という発言は、加害者の「撮影した側に責任はないのだ」「悪いのは被害者であって、加害者ではない」という意識を煽ります。多くの性暴力加害者は自己正当化し、「被害者が悪いのだ」と自分に言い聞かせ、時には「自分は悪くない」と信じ込んで犯罪行為に至っています。
 こうした、加害者またはそれを企んでいる人には、私たちから「悪いのは加害者である」というメッセージを意図的に送る必要があります。「たとえ、被害者が撮影に同意していても、公開することは許されない」と繰り返し伝えなければなりません。「悪いのは加害者であって、被害者ではない」ということを強調することが犯罪抑止につながるでしょう。

「リベンジポルノ」が「リベンジ」にならない社会のために

 加害者が「リベンジポルノ」を公開する理由は、私たちの社会で性的な写真をばらまかれた側が苦しむことを知っているからです。実際に、現状では写真を撮られた側は、「撮らせたあなたが悪い」「危機意識が足りない」として、被害者叱責を繰り返されます。また、リベンジポルノを見た周囲の人たちも、面白がって拡散させ、写真や動画の回収を阻みます。つまり、被害者を苦しめているのは、加害者だけではなく、社会の側でもあるのです。被害者を保護・支援するのではなく、叱責したり弄んだりすることを「二次加害」と言います。
 もし、リベンジポルノが公開されても、私たちが素早く削除や非公開の措置を取り、被害者を保護・支援すればリベンジポルノは「リベンジ」として機能しなくなります。逆に、二次加害を繰り返せば、加害者には「リベンジポルノは、相手に嫌がらせをする効果的な方法だ」と知らせることになります。リベンジポルノを阻止するための鍵は、被害者の自衛ではなく、私たちの対応です。

「リベンジポルノを減らすのは、被害者の自衛ではない」

 リベンジポルノが重大な問題であると考え、身近な人を被害から守りたいと思っているのであれば、自衛を勧めてはいけません。「写真や動画を撮らせてはいけない」と強く言えば言うほど、もし撮らせてしまった時に、その人はあなたに相談できなくなります。伝えるべきことは三点です。

「あなたには、性的な写真を撮らせない自由がある」
「許可なく写真を公開されたとしても、あなたには責任はない」
「何か困ったことがあれば、すぐに相談してほしい」

 上の三点を話す中で、「どんな人ならば撮影に応じて良いと思えるか」「撮影されてしまったらどうするか」「許可なく公開された時の被害者の恐怖や苦しみ」「被害者を責めるのではなく、保護や支援が必要だという考え」などについて、議論してみるのも良いと思います。一番大事なのは「あなたを心配していること」や「被害にあった時に助けたいと思っていること」を伝えることです。
 逆に、加害者にしないためには、次の三点を伝えると良いと思います。

「性的な写真を撮るときには、必ず許可をとり、無理強いしない」
「データの保存や管理を徹底し、公開には必ず許可を取る」
「何か困ったことがあれば、すぐに相談してほしい」

 性的な写真や動画を撮った側も、保存や管理に困ることがあります。また、相手との関係が悪くなったときに、「復讐としてデータをばら撒きたい」と考えることもあるかもしれません。そういうときに、まず周囲に相談して止めてもらうことが重要です。

「誰もがリベンジポルノの加害者・被害者になりえる」

 ケータイ電話のカメラ機能が発達したため、気軽に鮮明な写真や動画を撮れるようになりました。性的な表現を気軽に撮影できますし、データを所持することも増えています。こうした中で「撮らせてはいけません」と繰り返しても、リベンジポルノは減らないでしょう。
 むしろ、性的な写真や動画を撮影をする可能性を否定せず、「撮影したほうがいいのか」「撮影するときにはどうすればいいのか」「撮影した後どうすればいいのか」について、きちんと話をしていくことが必要です。

「警察の防犯対策について」

 この記事を書いたきっかけは、以下のようなTwitterでの警察の広報を見たことです。

大阪府警察防犯情報
【リベンジポルノに注意?】『画像を撮らせない、送らない』をしっかり守ってますか?相手に画像を撮らせないといっても、大好きな交際相手から求められると断りにくいという方も多いですよね。でも、他の人に見られないという保証はどこにもありません。絶対に画像を撮らせないようにしましょう!
https://twitter.com/OPP_seian/status/600783305567379456

 私が上で繰り返しように、このような脅しや要求は被害者叱責につながります。悪いのは加害者であるはずなのに、被害者に「撮らせないようにしましょう」と主張し、自衛を強いています。
 警察の性犯罪に対するこうした防犯政策はについてはすでに牧野雅子「刑事司法とジェンダー」で研究報告が出ています。1960年代に取り入れられた「被害者防犯」の考えは、70〜80年代に性犯罪に多く反映されました。しかしながら、防犯を促すどころか、被害者叱責を強めて被害届を出すことを阻み、暗数化をもたらしました。牧野さんは以下のように書きます。

 性犯罪は暗数の多い犯罪である。しかし、防犯活動において、被害申告をさせやすいような対策をとるといった動きは全くなかった。むしろ、警察は防犯活動を通じて、性暴力被害者に対するスティグマを付与し、作られた被害者像を流布することで、そのスティグマを恐れる被害者に対して、被害申告をさせない風潮を作り出したといえよう。
(38ページ)

 以上のように、警察の「被害者防犯」の政策は非常に多くの問題をはらむものでした。しかしながら、現在も警察の内部では、是正が進められておらず「被害者落ち度論」が根付いていることが、上のツイートからもわかります。このような警察の広報を見ると失望しますし、こうした発言を受けてマスメディアが被害者叱責に乗じることも恐れます。
 警察はいま、性犯罪対策を進めており、被害当事者を招いての研修も行っています。そうした取り組みは素晴らしく、被害者の視点から防犯政策を一新して欲しいと私も思っています。古い「被害者防犯」の考え方を払拭し、被害者に寄り添い、加害者を逮捕することが警察の役割でしょう。現場の警察官は率直に被害者のために仕事をしたいと思っている人も多く、性犯罪対策の取り組みが功を奏することを私も心から願っています。警察が変わらなければ、性暴力は減らない。このことを最後に繰り返しておきます。

刑事司法とジェンダー

刑事司法とジェンダー

*1:被写体が子どもの場合は、児童ポルノ法がありますので合意の有無にかかわらず、大人が性的な撮影することは性虐待にあたります。