道徳の授業

 ところで皆さんは、「道徳の授業」はお好きでしたか。ぼくはあまり好きではなかったような記憶があります。「事実の歪曲・事実に対する一面的な判断」と、それにもとづく「善悪のきめつけ」が鬱陶しかった。今の道徳教育はどうなっているのか、もう少し考えさせるようなネタをやっているのか、ちょっと知りたいところ。

愛・蔵太「「歴史」的事件を「道徳」にしちゃいけない(「エルトゥールル号の遭難」の話・2)」『愛・蔵太のすこししらべて書く日記』(「http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20080115/doutoku

 私は、道徳の授業で読んだ有島武朗「一房の葡萄」が印象に残っている。しかし、大人になって読んだ「惜しみなく愛は奪ふ」でイメージが一新された。こっちのほうが、断然すごい。

 地球の表面には殆んど同数の男女が生きている。そしてその文化が男性の欲求にのみ適合して成り立つとしたら、それが如何に不完全な内容を持ったものであるかが直ちに看取されるだろう。
 女性が今の文化生活に与ろうとする要求を私は無下(むげ)に斥(しりぞ)けようとする者ではない。それは然しその成就が完全な女性の独立とはなり得ないということを私は申し出したい。若し女性が今の文化の制度を肯定して、全然それに順応することが出来たとしても、それは女性が男性の嗜好に降伏して自分達自らを男性化し得たという結果になるに過ぎない。それは女性の独立ではなく、女性の降伏だ。
 唯(ただ)外面的にでも女性が自ら動くことの出来る余地を造っておいて、その上で女性の真要求を尋ね出す手段としてならば、私は女権運動を承認する。

有島武朗「惜しみなく愛は奪う」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/1144_11850.html

「女性の解放」そのまんまで、今読むとビミョウな部分*1もあるけれど、熱い文章で私は好きだ。いっそ、ジェンダーフリー教育も、こういう昔の女性運動の文献を紹介したらどうだろう。*2

 ちなみに、私は大学の教職科目で「道徳教育の研究」もとりました。教科書には、カントはもとより、フィヒテシェリングヘーゲルについて述べられていました。とても楽しくレポート書いた記憶があります。

*1:ニーチェまんまじゃん、な箇所とか

*2:フェミニズム前だし、しかも男が書いている!