返答:宮崎駿監督「君たちはどう生きるか」

 私の宮崎駿監督「君たちはどう生きるか」のModern Timesで書いた評*1に、Twitterで言及していただいているようなので、短く返答しておく。最近、Twitterの不具合が多いので、本文をコピーして掲載する。

概ね納得のいく批評だが2点。まず吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」は本作の原作ではない。原案ですらなく、クレジットもされていない。あくまでタイトルの借用であり、主人公の行動を規定するきっかけとしてのみ使われる。この点を誤読すると本作の意図をつかみ損ねる。https://twitter.com/gigir/status/1681261628082507779?s=20

また小松原氏は「眞人は大叔父の仕事に関心がない」と整理しているが、これもまた誤読であろう。大叔父の仕事には敬意を払いつつも、自分にはそれを継ぐ資格がないこと、おそらくはその仕事は誰も継げないことを観念して断った、と読むほうが妥当ではなかろうか。https://twitter.com/gigir/status/1681262399683440641?s=20

眞人少年は「君たちはどう生きるか」を読んだことを契機に、世界を俯瞰的に見ようと苦心している。それは異世界での数々の出来事への対応もそうだし、アオサギを最終的に友達だと認めることもそれに連なっている。そこにはまさに「生き方」への提案がある。

https://twitter.com/gigir/status/1681263062538686465?s=20

自らの欲望と向き合い、他者の中にある生の欲望にも真摯に向き合う。それが人と人が関係を結ぶということだという提案がこの映画にはあります。その他者を眼差す視点の妥当性には批判の余地はあるかとは思いますが、まず構造としてそうなっていることは見落とすと議論が明後日の方向に行くと思います。

https://twitter.com/gigir/status/1681263884760666112?s=20

 第一に、映画について「読む/誤読する」とはあまり言わないと思う。「理解する/誤解する」もしくは「解釈する/不適切な解釈である」が妥当な表現だろう。

 第二に、宮崎がこの作品を製作するにあたって、吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」を念頭に置いていたことは間違いない。それは、吉野の孫にあたる吉野太一郎を試写会に招いていることからも明らかである。タイトルを借用しただけとは言えない。原作/原案等のクレジットが入っていないのは指摘の通りだが、宮崎が吉野の「君たちをどう生きるか」を底本にしたと言うのはそうおかしい解釈ではない。(だいたい、タイトルだけ借りて、中身は関係がありませんと言うのは創作者に対して失礼な話だ)

book.asahi.com

 第三に、なぜ、私の「マヒトは大叔父の仕事に関心がない」というのが誤読(ママ)とされたのかは不明である。もし、言及者が「マヒトは大叔父の仕事に関心がある」と解釈するならば、その場面を指摘し、正当性を主張するのがよいと思う。

 若者は、年寄りの仕事に興味がない。それを成し遂げた価値もわからない。だからこそ、若者は過去を捨てて未来へ向かっていける。それは、私が中年になったから思うことである。もう私はマヒトの側にはいない。大叔父のようにがれきのなかで朽ちていった老人たちの骨を発掘するのが今の仕事だ。だから、この場面はよくわかった。私も昔、こんなふうに、真っ白な石を差し出して「これで理想の世界をお前が組み立ててくれ」という老人の願いをむげにしたのだろう。それが若者の傲慢さであり、希望なのだと思う。

近況その2

 書き忘れたんですが、『現代思想』の誌上での森岡正博さんとの対談が、本に収録されて出版されました。端正で美しい装丁の本です。私の対談部分は再録なので書き足しはないのですが、森岡さんはいくつかのコラムを書き下ろしされています。

 こちらの本に、伊藤亜紗さんが毎日新聞で書評を書いてくださっています。

mainichi.jp

 記事の後半で、私のことも(たぶん)好意的に取り上げてくださってありがたいです。ただ、緊迫してお互いが沈黙するような議論のイメージを持たれてるんですが、実態はちょっと違いました。私も森岡さんもおしゃべりなので、相手が話してる間にうずうずしちゃうので、切れ目なくお互いに「はい、私のターン来た!」みたいな勢いでしゃべる対談でした。それをいい感じにまとめてくださったのは、『現代思想』の編集者さんの力量です。ありがたいです。

 ほかにも拙著に言及されている記事があったので、記録代わりにリンクします。一つ目は、劇作家・演出家の池田亮さんへのインタビュー記事です。「ゆうめい」という劇団に書き下ろした『ハートランド』という作品の執筆中に拙著を読んでくださったそうです。

執筆の折に何度も読み返した本があって、キャストの高野ゆらこさんに教えていただいた、小松原織香さんの『当事者は嘘をつく』という本にものすごく衝撃を受けて…。読後1週間は引きずってしまったのですが、結果的に3周くらい読み込みました。自分が当事者としての言葉を持ちつつも、やはり演出されたものを演劇として作り上げてしまっている、という部分にもすごくリンクしましたし、同時に、誰かの被害に対して「私とあなたは同じですね」というようなことを簡単には言えなくなったんです。これまでの創作やその中でどことなく感じていた違和感に気付かされるような心持ちになって…。今作はもちろん、自分の創作を改めて見つめ直す契機になった、特別な一冊でした。

www.engekisaikyoron.net

 私が気づいた時には公演が終わってしまったんですが、観たかったです。

 もう一つは、高橋征義さんへのインタビューです。コンピューター関係の話が続いて、「何で私の本がここに?」と思ったら、読んでくださってご紹介くださっていました。ブログも見てくださっていたそうです、ありがとうございます。

最近読んで面白かった本、えーっとですね。ちょっと出すのをためらうんですが、小松原織香さんっていう、基本的にはフェミニズムや哲学をやってる人なんですけど、『当事者は嘘をつく』っていう本を去年出されてて、あれがめちゃめちゃ面白かった。だけど、あんまり人には勧めないっていう感じの本ですね。 

product.st.inc

 「勧めないんだ!」と思って、笑ってしまいました。文藝に書いた論考も読んでくださっていて、ありがたいです。私も新井素子が好きだから、それも関連あるのかな、と思いながら記事を拝見しました。「いろんな方の目に触れているんだな」といまさら思います。

 Twitterでも、今でも読んでくださっている方がありがたいです。基本的には反応しないんですが、たまにめちゃくちゃ面白いコメントがあります。今まで一番好きなのは、「図書館でこの本を借りたんだけど、今日までが返却期限で、もう読めないかと思ったけど、ラーメン屋の行列に30分並んでいる間に読みました。面白かった!」みたいなツイートです。みんないろんなところで、いろんな読み方してますね。なんにせよ、ありがたいです*1

*1:「ありがたいです」の連呼なんですけど、本人はもうその気持ちでいっぱいになるので……。本を出して予想以上に反響をいただいて恐縮です。

近況

 半年くらい更新していなかったので、本人も何があったのかほとんど覚えていません。一月は東京で仕事して、二月は水俣に一ヶ月いて、三月は伊勢や天草に行き、東京で仕事して、四月も一ヶ月水俣にいました。五月後半から六月前半はオランダ・ベルギーにいて、帰ってから東京で仕事して、天草・博多に行ってから今は水俣にいます。ブログを書く気力もないくらい疲れてたんですが、自業自得だな、と思います。でも楽しかったし、今はやれるだけのことをやろうと思っています。

書いたもの

 世界で三回の連載をしていました。神戸・福島・水俣に触れつつ、過去の記憶を将来世代に伝えることについて書いたエッセイです。時流を全く読まず、好きに書かせてもらったのですが、編集さんが気に入ってくださって本当に嬉しかったです。これからもコツコツと誠実に書いていきたいと思います。

 英語ですが、宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」を論じた論文が、共著の本に掲載されました。Palgraveから出たグリーン犯罪学の論文集の中の一本です。漫画やアニメに馴染みのない人たちも含めて、広い国際的な読者に伝わるよう悪戦苦闘して書きました。アニメや漫画は、文字を読むのが苦手な人たちにも、楽しんでもらえるメディアで、環境問題について考える際にもぜひ活用してほしいと思っています。特に漫画版ナウシカのような作品は、単純な「環境を守りましょう」というメッセージだけではなく、自然や生命に対する見方を掘り下げて伝えています。そこをなんとか言語化しようと試みています。要領が悪くて、なかなか書けない私に付き合ってくれたエディターにも、感謝しています。今回は本当に出てよかった!

link.springer.com

 今後の予定ですが、京都新聞の「現代のことば」欄を担当することになりました。2ヶ月に一回くらいは登場する予定です。一応、来年は本が出る予定ですが、そちらはまだなにも決まっていません。がんばります。

話したこと

 5月25-26日にユトレヒトで開催された国際学会Green Crimes and Ecojustice Conference 2023で報告をしました。これは欧州で初めてのグリーン犯罪学のようです。集まった人も共通の言語・認識がないので、あちこちで微妙な空気が流れ、ぎこちない場面も多かったですが、そこがよかったです。もちろん、主流は欧州の環境活動家ではありますが、バルカン半島やアフリカの研究者からかれらに異議申し立てがあったり、実証研究とアートの研究ですれ違いがあったりしました。今後、グリーン犯罪学がどんなふうに展開していくのかわかりませんが、私も末席で楽しく好きなことを話したいなあと思っています。

 今回は私は「The communicating pollution memory through collaboration between artists and activists: in the case of the pollution 'Minamata Disease' in Japan」と題して、水俣でやっている紙芝居製作の活動を取り上げました。結婚を機に水俣に来て、夫や義理の父母、自分が水俣病になりながらも、必死に働いて子どもを育て、元気に生きた女性のライフストーリーを描いた紙芝居です。熊本日日新聞でも取り上げられました。

kumanichi.com

 次の世代に、水俣の地域の歴史をどうやって伝えているのかを模索している様子を学会では報告しました。でも、なかなか伝わらなかったのが正直なところです。この日参加していた環境活動家は、最先端の情報を追いながら、すぐに行動に移したいと考えている人が多く、「これは何の役に立つのか」と遠回しに聞かれました。ふだん、一緒にやっている修復的正義研究の仲間にその件を話すと「こういうアート・アプローチの研究は、まだまだ模索段階だね」という議論になりました。私だけでなく、みんな悪戦苦闘しているようです。

 7月1-2日は、Asian Philosophical Textで学会報告しました。こちらは小規模ですし、報告や質疑の時間が長く取れるので、深く議論できる場です。今回は、「A theoretical framework for ‘untold memories’ of disasters: In the case of Minamata disease, Japan」と題し、「語られない記憶」について議論しました。活動家の小泉初恵さんにも来てもらって一緒に報告をしました。学会は、研究者だけが集まることが多いのですが、近年、犯罪学会では活動家や当事者とともに登壇するスタイルも増えてきています。私も、環境問題は研究者だけではなく、活動家の声も反映しながら議論するほうが良いと思っているので、お願いしてお招きしました。今後も、活動家やアーティストとともに議論するスタイルは取り入れていきたいと思っています。

 7月11日に、「本のあるところajiro」さんでトークイベントをしました。(本当は宣伝がてらやる前に情報あげればよかったんですが、申し訳ない)本屋さんとカフェが一体になったような素敵な空間でお話ししました。思ったより立ち入った話をして、盛り上がったように思います。今回はオンライン配信はしなかったんですが、正直なところ、そのほうが話は濃密になります。やっぱり対面の力かな、と思います。*1

note.com

 9月はEurocrimで学会報告をします。今年はイタリアのフィレンツェで開催予定です。有名観光地であるのは、ミーハー心で嬉しいのと、宿泊代が跳ね上がるので凹むのと、両方あります。

eurocrim2023.com

Web公開

 Modern Timesさんで連載をしています。なかなか紹介できていないのですが、リンクだけでも貼っておきます。

www.moderntimes.tv

www.moderntimes.tv

www.moderntimes.tv

 上の三回は環境問題だったので筆が軽かったです。やっぱり、慣れてる題材だと多少の自信もあるし、書きやすいですね。

 この回は、「データの活用」がテーマだったので研究調査について書いています。私は社会学者ではないので、あまり調査法に詳しくないので、ヒイヒイ言いながら、なんとか書きました。院生さんたちは参考にしてはいけません。これはPD以降のフリースタイルの研究者の自己流調査法です。

www.moderntimes.tv

 こちらでも紹介しているThe Network of Asian Environmental Philosophyの活動についても書きました。アジアと欧州では自然観が違うのでそれを打ち出したいと思いつつ、いざやろうとすると議論は簡単ではなく、試行錯誤している様子を書いています。

www.moderntimes.tv

 昨日も紹介した、宮崎駿の「君たちはどう生きるか」の記事もここの連載の一環です。すぐに出してもらうようお願いして、公開してもらっています。この作品のことで頭がいっぱいで、まだいろいろ書きたいし、議論できればいいなと思っています。北米でも公開が決まったようですが、この作品は世界ではどう評価されるんでしょうね。

www.moderntimes.tv

*1:そのぶん、来場者の方のコスト・時間がかかってしまうのでオンランの良さはよくわかっていますが!

宮崎駿監督「君たちはどう生きるか」

 公開初日の初回で観てきました。そうしてよかったです。ネタバレを踏まずに、真っ白な状態で観るのがベストな作品だと思います。しかも劇場で、ひとりで観るのが最高でした。

 何を言っても蛇足とネタバレになってしまう作品なんですが、速報的に評を書いたので以下に掲載してもらっています。(全文が無料で読めます)

www.moderntimes.tv

 情報が出ないということは事実確認ができません。登場人物の名前すら不安なんで、評を書く側には地獄でした。でも、本来の映画評ってそういうものなんでしょう。ジブリの作品群を追っていると、宣伝戦略が最も花開いたのは「もののけ姫」だとすぐわかります。空前絶後の大ヒット作になりました。当時、中学生だった私は友人たちと映画館に初日の公開に行って立ち見で観ましたが、「全部どこかでみた映像だ」と思ってガッカリしたことを覚えています。今になって再視聴すると、素晴らしい作品だったわけですが。

www.moderntimes.tv

宣伝の成功が作品を殺すこともあります。今回の宣伝皆無の札を切った鈴木プロデューサーの賭けが、吉と出るか凶と出るか、見守りたいです。

以下ネタバレあり

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NAEPオンラインシンポジウム (2023) 参加者募集のお知らせ

 今年も私(Orika Komatsubara)が共同コーディネーターをつとめるアジア環境哲学ネットワーク(NAEP)がオンラインの国際シンポジウムを開催することになりました。2023年11月2日-3日です。テーマは「アジアにおける動物・植物の概念」です。現在、個別報告の参加者、パネルセッションやワークショップの提案を募集しています。参加は無料です。

 環境哲学は、私たち人間と環境の関わり方を探求します。環境もしくは自然は、動植物も含めて、種々の要素を包含しています。アジアでは、多様な世界観、伝統、哲学、民衆の思想が、異なる分類、概念化、語りを通して、動物や植物にアプローチしています。このシンポジウムは、アジアにおけるこのような多様な視点を交換し、持続可能な解決(sustanable slutions)を目指す対話を促すことを目的としています。

 シンポジウムでは、研究者、実践者(活動家)、関係者から以下のようなアジアの世界観についての報告を募集します。(こちらは例であり、「アジアの動物・植物」に関するほかのトピックも可能です)

アジアにおける動物・植物の概念化

動物や植物についてのナラティブ、物語、芸術表現、地域の知や実践

地域や先住民のコミュニティの伝統的な生態系に関する知

動物や植物についての身体化された知

動物や植物に関する持続可能な社会文化的実践

生物文化的(biocultural)なネットワークや遺産の形式

エコフェミニズム

動物生態学と植物生態学

 私たちは特に初期キャリアまたは中堅の研究者の応募を応援しています。

 英語が第一言語になりますが、私たちはゆっくりとしたやさしい英語を使うことで、ノンネイティブフレンドリーの国際シンポジウムを志しています。また、英語以外の言語での発表を強く希望される方はご相談ください。複数の参加者が、特定言語での発表を希望する場合は、特別なセッションを組むことも検討しています。

 興味のある方は、以下の公式のウェブサイト(英語)をご覧ください。

asiaenviphilo.com

 

デヴィッド・ウィリアムソン「対話」(俳優座公演)

 劇団俳優座による、デヴィッド・ウィリアムソン「対話」の公演が今日から始まりました。

haiyuza.net

 修復的司法がテーマの演劇ということで、私は初日のチケットを取って観てきました。この作品のなかで、レイプ殺人事件の被害者・加害者家族のサークル(円になって対話をする)が行われます。そのため、注意喚起も兼ねてこの記事を上げておきます*1

 というのも、私は性暴力の話だと知らずに観に行って、フラッシュバックがおきました。いま確認すると俳優座の公演のお知らせのWebサイトには「本作品には一部性犯罪について言及する箇所がございます。ご観劇の際はご留意のほどお願い申し上げます。」と書いてありますが、チラシには明記されていませんでした。そのため、私は客席についてから、「この作品は性犯罪について触れる箇所があるので、気分が悪くなった方は出口から出てください」というアナウンスで初めてそのことを知り、「やばい」と思いました。しかも、客席はぎゅうぎゅうでほぼ身動きできない状態で、「これはいざとなっても出られないぞ」と嫌な予感がしました。ただ、もうチケット買って東京まで来てしまったので、そのまま観ることにしました。

 そして、上演が始まると冒頭で、性暴力の加害者の録音されたモノローグが始まります。そのなかで、性暴力を正当化する発言(あからさまな性的表現含む)が延々と続きます。その時点で「しまった、被害者からではなく、加害者側から描写するのか」と思い、退室しようかと思いましたが、すでに呼吸がおかしくなったので、目をつぶってやりすごしました。こんな状態になるのは5-6年ぶりだと思います。

 その場面が終わったあとは、ステージを眺めていたのですが、役者さんたちが感情豊かに表現するのを「元気だなあ」と思ってしまいました。非常に熱のこもった演技だったと思うのですが、怒鳴ったり泣き叫んだりして、とてもパワフルでした*2。その様子を観ながら、亡くなった被害者は、こういう家族たちの対話の風景を見てどう思うのだろうかとずっと考えていました。性暴力場合、被害者が家族と怒りや悲しみが共有できず、孤立感を募らせることがよくあります。それを踏まえると、この作品は、当人ではなく家族にとっての修復的司法を描いていると考えるのがいいと思います。

 そうだとしても、私の知っている修復的司法のプログラムとずいぶん違いました。もともとは、オーストラリアで生まれた演劇作品だそうで、私の知っている欧州とは修復的司法の方向性も違うのかもしれません。ここの作品の中ではファシリテーターは、怒りや悲しみの感情を解放することに重きを置いており、そういうセラピーのようでした。私は、相手にむき出しの感情をぶつけることが修復的司法だとは思っておらず、「伝えたいことを伝える」「伝えられなくてもかまわない」「当事者の心理的安全を最優先する」などを基本的に大事にしているので、作品の中の対話は良い例と思えませんでした*3

 でも、英語版のこの作品(A conversation)のトレーラーをみましたが、ずいぶん雰囲気が違うように見えます。みんな椅子に座って、感情は表現していても抑制がきいています。今日、観た役者さんたちの演技とずいぶん、雰囲気が違います。(俳優座の公演では、足を踏みならしたり、相手の胸ぐらを掴んだり、泣き崩れたりしていました)私はこちらのほうが好みです。

vimeo.com

 性暴力事例における修復的司法は、ほかにも素晴らしい映画「Meeting」があります。こちらは、アイルランドで、実際に行われた性暴力サバイバーと加害者の対話の記録をもとに製作されています。なんと、サバイバーの役はご本人が演じています。英語なのですが、Webサイトから5ユーロで視聴できます。(こちらも冒頭はかなり激しい性暴力の記録が流れるので、閲覧注意です。不安な人は冒頭5分は飛ばして観るのが良いと思います。)

themeetingfilm.com

 以前、欧州の修復的司法の研究拠点European forum for restorative justiceのオンライン企画で、サバイバー本人と、実際に修復的司法を進める心理セラピストのインタビューが紹介されています。また、企画時には、映画監督とのディスカッションも行われており、それも記録・公開されています*4。(以下のサイトから無料で観れます)

www.euforumrj.org

 また、日本のドラマであれば、修復的司法は正面からは扱っていませんが、殺人の被害者・加害者家族の対話を描いた「それでも、生きてゆく」がとても良かったです。FODの配信で観ることができます。

www.fujitv.co.jp

 特に、大竹しのぶが演じる、被害者の母親の感情の揺れの表現が素晴らしく、引き込まれます。以前、その点について書き、ユリイカに寄稿しました。

 

 

*1:一応、終演後にスタッフに「もう少し丁寧にこの問題を扱ってほしい」とお伝えはしたのですが、どれくらい重く受け止めていただけたのかはわかりません。自己責任で観劇すべきだと思っているかもしれないし、クレーマーだと思われたかも?

*2:個人的に大袈裟すぎてリアリティが感じられず、ちょっと引いてしまいました。と言いつつ、先月、宝塚大劇場で、女性だけで演じるジョージアの女王とその夫の悲劇を観た時には、すっかり入り込んで最後は感涙してしまったので、人間がなににリアリティを感じるのかは、とてもミステリアスだと思います。現実に似せればいいという話ではないし。

*3:演劇としてはその方が見栄えがするのはわかりますが……

*4:私も参加していたので少しだけ画面に写っていますが、自分がすっぴんでパジャマだったので笑いました。オンランでも気は抜けないですね……

近況

 1月6日に帰国して、日本での生活を再スタートをしています。しばらくは体調がすぐれず、仕事も詰まってしまって焦りました。振り返ると、大規模な時差ボケだったのかなあ、と……頭では日本に戻ったという意識があるけど、体のほうは急激な変化が受け入れがたかったのかもしれません*1。ちなみに、帰国していちばんの印象は「太陽がまぶしい!」でした。ベルギーの薄暗い冬を過ごしていたので、日中は明るくおだやかな光が溢れる京都の冬に、しばらくなれませんでした。おかげさまで、今は冬季うつっぽい気分も去り、元気に仕事をしています。

 昨日は、私が題材になったドキュメンタリー番組がNHKで放送されました。2月4日に再放送がありますし、NHKプラスでも観れます。

www.nhk.jp

 この番組は、半年以上前にディレクターの中村さんからご依頼があり、撮影協力を引き受けたものです。とは言っても、最初からテレビに興味がなく、出るのをしぶっていたのですが*2、中村さんの率直な「あなたを撮りたい」という気持ちに押されて承諾しました。しかし、テレビの番組というのはとっても難しいものです。私も中村さんも、器用なほうではないので番組の製作は一筋縄ではいかず、新人ドライバーが崖っぷちを走るような地獄のデスロードとなりました。本当に、本当に大変でした。

 いざ放映されてみると、けっこう面白い番組になったんじゃないかと思います。私自身は、あちこち笑い転げながら観ました。いつも通りの私が登場して、いかにも言いそうなことを言っていて、飾りけのない率直な映像になっていました。旧知の友人も「普段どおりのあなたがテレビに出てきてびっくりした」と言っていました。本人は、1時間も普段の自分が動く姿をまじまじとみることになり、変な気持ちもしましたが……*3

 本の内容の朗読もしていただいているんですが、なんだか「実写化!」とか「アニメ化!」とかそんな気分で観てました。声優さんが演じてくださったからかもしれません。もともと、自分でもフィクションを書くように、自分の話を書いているのですが、それが極まって、もはや本の内容は別人の話のようで面白かったです。そう思うと、私の喋ってる映像は原作者インタビューみたいですね。ナレーションと朗読が別の方なのが、とても良い効果になってたんじゃないかと素人ながらに思います。

 製作過程ではいろいろ考えることもあり、最終的には中村さんに全てを託すかたちになりました。途中、「この人は何を考えてるんだろう」と思うこともありましたが、最終的に番組を観て「そういうことか」と納得しました。やっぱり、製作者の「想い」や「意図」は出発点になっても、完成品で相手に伝えてナンボですね。それは、テレビ番組でも論文でも同じだと思いました。

 それにしても、私もいろんな人に、好きに書くことをゆるされてきたし、受け入れてもらってきました。だから、自分も「好きに作ってもらおう」と思ったんですが、それは本当に最後の最後でやっと辿り着いた気持ちです。表現の「対象にされること」については考えてきたつもりですが、予想以上にハードだったし、自分を省みるきっかけになりました。

 そして、本が瞬く間に売れてアマゾンでは在庫切れになっています!(しばらくすれば、入荷されると思います)他方、SNSでの反響はそこまで多くなく、「違う層に情報が届いたんだな」と思いました。やっぱり強いメディアですね。

 さて、1月のはじめには、「文藝」新春号の批評特集に寄稿した論考が発表になりました。私は同人BL小説やケータイ小説の書き手と、筑豊の炭鉱の女性たちのサークル活動を、「素人の創作活動」の視点から接続することを試みています。

 そのなかでは、森崎和江の著作も引用しました。森崎の著作の復刊は、大阪府立大学の博士後期課程にいた大畑凛さんが牽引されたようです。大畑さんの森崎についての解説は大変わかりやすいです。なにより文章の切れ味が鋭く、感銘を受けました。そして、同窓だと気づいて少し嬉しかったです。地味な大学ですが、面白い仕事をする人たちが先輩、同期、後輩にいつもいます。私も、研究を頑張っていきたいと改めて思いました。

 

*1:ベルギーが楽しくて、日本に帰りたくなかったし!

*2:動画って、なんだか恥ずかしいしね……今も恥ずかしいです。

*3:「光で眉尻とんじゃってる、もっと濃く描けばよかった」とか、しょうもないこと思いますね。