オープンレター「女性差別的な文化を脱するために」について

 オープンレター「女性差別的な文化を脱するために」が話題になっているようです。私も署名しているので、改めて読み返したのですが、問題点がどこにあるのかわからないので困惑しています。オープンレターは以下で公開されています。

sites.google.com

 オープンレターは、日本語圏の言説空間において、性差別を指摘する行為をからかったり揶揄する「遊び」の文化があることを指摘しています。そして、そこから距離を取ることを宣言しています。私はこのオープンレターのきっかけとなった、ある歴史学者による差別行為、さらにそれを多くの研究者が加担したり、見て見ぬふりをしたりしていたことに強い衝撃を受けました。以前から書いていますが、私はほぼ衝動的にそれまで使っていたTwitterのアカウントを消しました。自分もその文化の一翼にいたのだろうし、自分自身もそれに加担しているのかもしれないというのは恐怖でしかなかったからです。ただし、この行為が合理的であったのかどうかは、わかりません。

 私がそれほど衝動的になってしまったのは、その件が、今まで私自身が遊びの対象にされてきた数々の場面を一気に思い出させるものだったからです。私は、大学に入学して以降、性差別に抵抗するたびに、男性の先輩、同級生、ときには教員から嘲笑されました。2000年代前半はフェミニズムの勢いはとても弱くなっており、私に賛同したり味方になったりする人は、ほとんどいませんでした。かれらは、私が動揺しながら性差別を指摘する喋り方を、真似て笑いました。肩をすくめ、目配せしあい、ニヤニヤと笑う、というのもよくありました。いじめの標的になったことがある人は理解しやすいと思うのですが、私は今でも男性が集まって笑っているのを聞くと、「私がネタにされているのだろうか」と不安になることがあります。そして、その場から黙って去ることがあります。当時、私が真剣にかれらに抗議すれば、かれらはこう言いました。

「ネタだよ、ネタ」

 そういう言い回しが、2000年代前半は流行っていました。2ちゃんねるを中心とするネット文化の影響もあったのでしょう。かれらにとって、私の取り乱した姿を見て笑うのは、本気ではなく「遊び」だったのです。多くのいじめがそうであるように。

 その後、大学院進学後に学会で起きたこと。私はそのひとつひとつは、まだ書く力は私にはありません。いくつかの痛みを覚える記憶が私にはあります。

 私は、オープンレターのきっかけになった出来事でも、関わった人たちは同じように思っていたのではないかと、予想しています。ひとりひとりは、とても良い人かもしれない。一対一で話せば、もしかすると「遊び」に関わるのをやめてくれるのかもしれない。その場の雰囲気に流されて、言ってしまったのかもしれない。私だって似たようなことをしているかもしれない。たとえば、口が滑って言いすぎたり、調子に乗って大袈裟に言ってしまったりするかもしれない。だから、かれらだって……と思うと同時、脳裏にはこう浮かびます。

「だから、なんなの?」

 文化的背景がわかったところで、やられた側の痛みが和らぐわけもありません。そして、やっかいなのは、(いじめがそうであるように)ひとつひとつの言動はたいしたことがないのです。その積み重ねられたいくつもの「ちょっとした面白い言い回し」と笑いが堆積していて、標的にされた人間を押しつぶそうとしたとき、誰に責任があるのでしょうか。もちろん、実際に行為の中心になった人物でしょう。でも、その人がいなくても、次の別の人が同じ行為を始めるかもしれない。それを防ぐためには、文化を理解するだけではなく、変えなくてはなりません。

 だからこそ、このオープンレターは私にとって重要だったし、署名しました。署名の責任がどうこう、裁判がどうこういうと言っている人がいるようです。もし、署名者の意図の表明が必要であれば、私はもちろん協力します。それと同時に、ほかの人たちに署名の意図を表明させるよう、圧力をかけるのはやめてほしいと思っています。自分から明かす必要もないと私は思います。私は責任感が強いのでも、勇気があるのでもありません。ただ、こういうことをしても、日本語圏のアカデミズムで何度も笑いのにされてきたので、それが一回増えるだけだという諦めがあります。そして、私より若い人、立場の弱い人には、性別を問わず、そういう諦めを受け入れてほしくはありません。どうか、身を守ってください。私も、有形無形、直接間接問わず、上の世代が守ってきてくれたから、今ここにいると思っています。これは、私の署名の釈明ではなく、脈々と続く反差別の運動への連帯の表明です。

 

追記

 私がこういうことを書くと、以下のようなツイートに私のブログのリンクが貼られていました。火中の栗を拾うとこういうことがたくさん起きます。以下のツイートに対して、一つだけ言っておくのですが、これはポエムではなくアジ文です。私は、詩を書くほど言葉を研ぎ澄ますタイプではありません。

追記2

 以下のようなブックメークメントがついています。

id:Akech_ergo オープンレターのうち一般論として述べられている部分については異論ないけれど、呼びかけ人に呉座氏に攻撃されていた人がおり、冒頭で呉座氏だけを名指ししている点で、氏への反撃を目的とした文章なのだなと思う。

 問題の当事者が、同じようなことが起きないように文化を変えていくことを訴えることはよくあります。たとえば、性暴力被害者が、性暴力のない社会を作るように訴えたり、飲酒運転による殺人の被害者が、飲酒運転を許さない社会を作るように訴えたり、いじめの被害者が、いじめのない学校文化を作るように訴えたりします。それらを、加害者への反撃とみなす人は多くないでしょう。同様に、この件の被害者が、自分に起きた出来事を寛恕するような文化に対して、それを変えていくように訴えることは、当該事件の加害者への反撃とはみなさないのが、妥当な判断だと私は思います。なお、オープンレターの冒頭での、きっかけとなった事件への言及は、すでに公開されている情報であるため、問題はないでしょう。

追記3

 ブックマークコメントがずいぶんと増えているようです。フェミニズム内部での批判については、私は何度か記事を書いていますので、興味がある人はブログ内検索で「フェミニズム」をキーワードに探して見てください。セックスワーカー差別、トランス差別についても書いています。「キモくて金のないおっさん」について書いたことはありませんが、「非モテ」で検索してもらえば、私のスタンスはわかると思います。

 裁判については、オープンレターとの関連は全く不明です。11月25日に第一回公開弁論が開かれ、両者が全面的に争う姿勢のようですので、今後、新しい情報は出てくると思います。おそらく、京都新聞が地元紙なので丁寧に報道すると思います。興味がある人はチェックしてみてはいかがでしょうか。京都新聞は月額980円で全ての記事が読めます。

 私に対して、身を案じて「弁護士に相談した方がいい」とアドバイスしてくれた人がいますが、たぶん、社会運動に参加したことがないのだろうと思います。

菅孝行「〈事実〉か〈情緒〉かが問われる (水俣曼荼羅/MINAMATA)」(『映画芸術』第477号)

 『映画芸術』に菅孝行の映画評「〈事実〉か〈情緒〉かが問われる (水俣曼荼羅/MINAMATA)」が掲載されていると知り、取り寄せて読んだ。この評では2020年に公開された2本の水俣についての映画を比較している。1本は原一男監督のドキュメンタリー作品「水俣曼荼羅」である。この作品は、水俣病患者やその支援者の裁判や行政との交渉を追い、それぞれが現在、水俣で生きている事実を積み重ねていくことで、観客に今ある問題を突きつけていく。もう1本はアンドリュー・レヴィタス監督の劇映画「MINAMATA」である。これは、写真家であるユージン・スミスとその妻・アイリーンに焦点を当て、水俣病を告発するカタルシスを観客に味あわせる。菅はこの二つの映画の違いはドキュメンタリーか劇映画かだけではないと指摘する。私は菅がこの評において言おうとする両者の違いは、ひとつのストーリーによって情緒によって人々を動かそうとするか、ひとりひとりの水俣病に焦点を当ててひとつにまとまらない事実の複雑性によって人々に内省を迫ろうとするかであると、解釈した。菅は、「MINAMATA」について「それなりによくできている」と評しながらも、末尾では「水俣曼荼羅」の中のひとりの言葉を引きながら、情緒よりも事実に重きを置くかたちで論を結んでいる。すなわち、これまで蓄積された水俣の歴史を担っていくことに焦点が絞られて終わる。

 私は実際に映画を観ていないので評の妥当性はわからないが、二つの映画を〈事実〉と〈情緒〉の二項対立に当てはめて論じることにより、「水俣で映画を撮ること」それ自体の意義と問題が明らかになっていると思った。これまでも、「MINAMATA」については作品内で歴史的事実の一部が演出上の都合で変更されていることに対して、虚構だとして批判が向けられてきた。それに対して菅は「嘘をつくならバレないようにつけ、バレないようにする緊張が作り手の本気度のバロメーターだ」とコメントしており、それにつきるだろう。映画のクオリティとして観客がすぐに気づく嘘というのは、できがいいとは言えない。他方、内容の〈事実〉と〈虚構〉ではなく、〈事実〉と〈情緒〉を対比すれば、「MINAMATA」の価値もわかる。人々の心を動かすことで、過去に起きた出来事へ関心を向けさせるのは、映画の力でもあるからだ。しかしながら、観客の〈情緒〉に訴えるためにはものごとを単純化し、細部を切り落としていかなければならない。そのときに、多くの実際に過去に存在した、ひとりひとりの人々の苦しみは捨象される。それに対抗する〈事実〉の積み重ねを提示してみせたのが、「水俣曼荼羅」の価値と言えるだろう。

 菅は両者を比較するが、私自身は両方が必要だと考えている。私たちが過去の歴史の〈事実〉の積み重ねに向き合うことは重要だが、その動機はどこから来るのだろうか。やはり、それは単純化されてしまった、ほんの一部の物語であっても〈情緒〉を動かす作品ではないのか。このことは、先日、紹介したアライダ・アスマン『想起の文化』でも言及されている。戦後ドイツの人々は、米国で製作されたテレビドラマ『ホロコースト』に心を動かされた。そのことは、自分たちの歴史に向き合う契機の一つになったという。もちろん、そのドラマの中では語られなかった、切り捨てられた人々の苦しみがあり、その後、もう一度、総括されることになる。それでも、〈情緒〉に突き動かされて、人々は過去に向き合う一歩を踏み出すことがある。「〈事実〉か〈情緒〉か」ではなく「〈事実〉も〈情緒〉も」必要であり、発生から何十年も経ってから同じ年に水俣で両方の映画が公開されたことは僥倖であり、そういう映画人を引き寄せる力が水俣の地域にはあるのだと私は思う。

 ところで、私は今から20年以上前に、大学に入ったばかりの頃、菅孝行の著作に心酔していた。私はその頃、演劇の勉強を志し、菅の『解体する演劇』『続・解体する演劇』『関係としての身体』などを愛読していた。だが、2000年代初頭の大学で、同世代で劇団で活動している友人たちと、なかなか話は噛み合わなかった。ある友人は「演劇は楽しいだけじゃダメなのかな?」と私に真顔で言い、ほかの友人は「お前は考えていることが古い」と言った。たしかに、10代の地方に住んでいる私が、「劇的なるものをめぐってⅡ」を本にある白黒のよくわからない白石加代子の写真を観ながら、一人で「こんな感じだったのかな」と空想するのは無理があった。私はほかの事情もいろいろあって、そのまま演劇から離れてしまった。20年後、水俣がきっかけで菅孝行の評を読むことになるとは思わなかった。しかも、新刊が出ていたので思わずこちらも取り寄せた。

 タイトルからして『演劇で〈世界〉を変える』というので、大変興奮する。私が演劇を勉強したかったのは、こういうことを考えたかったからだ。そして、ちょうど私もいま、アートに研究の重心を移しており、タイミングもよかった。こういう偶然はあるのだなあ、と思う。

 さらに『映画芸術』では、菅のもう一本の連載「ことにおいて後悔せず(菅孝行の戦後史)」の最終回も載っていた。こちらは、個人名の羅列に、痛烈な皮肉や悪口、訃報などが並んでいて「左翼知識人っぽいなあ」と私は思った。そして最後に「え!」と声を上げてしまった。こう書いてあった。

最晩年のテーマの第一は差別批判論の陥穽の解明である。反差別の中に差別がある。人間の「悪人性」に無自覚な、思想の「善人」は地獄に堕としたい。その作業は〈ポジショナリティ〉のアポリアを問うことと繋がる。アイデンティティ・ポリティクスとPCの間には深淵があり折衷は解にならない。たった一つの解放はなく、解放は苦しみの数だけあるという。だがケアはひたすら個に向かうからケアだけでは制度も社会関係も覆せない。差別からの解放というテーマはまるごと残されたままだ。

 「絶対、書いてほしい」と私は思う。これは、いま、多くの社会運動に関わる人が直面している問題だし、多くの対立も生んでいる。私もこの問題について自分の視点から答えを探しているが、菅がどのように理論を組み立てるのか知りたい。菅は、映画評の中で最後に一行「安易な許しは禁じられている」と書いている。私は「だったら、安易でない赦しならいいのか」と思うし、その先の赦しの探究に、(たぶん)アポリアの答えを探すのだろう。なぜなら、「解放」は、自らの生の独異性を手放すことと重なると私は考えているからだ。私は、ジャック・デリダの哲学に影響を受けているし、スピリチュアルな方向に進む。だが、ポストモダニズムを毛嫌いし、地に足をつけた左翼としてものごとを考えてきた菅は違う方向のはずだ。それならば、どこに答えはあるのか。菅は自ら「最晩年」と書いているが、長生きしてその答えを書き記して、発表してほしいと心から思う。

近況

 欧州では再びCOVID19の感染状況がよくなく、12月のホリデーで移動する人が多いなか、「どうなるんだろうか」と多くの人が不安に思うような状況です。新たな変異株についての情報も出ており、手強いなあと思っています。

 私は秋に新しい英語論文を書いて、もうすぐ投稿します。まだしばらくは、研究成果の報告は英語が中心になりそうです。最近は研究の重心をアートに移していて、今回も思い切った議論をしているので査読が大変心配なのですが、新しい挑戦がうまくいって、発表できるといいなあと思っています。

 先日の対談企画に参加された方が、ブログに感想を書いてくださいました。たくさんものもを受け取ってくださって、ありがたく思っています。私はまとまった結論のある話がうまくできず、だいたい矛盾に満ちたことをそのまま話すのですが、参加された方がそこから多くの意味を引き出してくださり、豊かにしてくださっていて、感謝しています。

kmnym.hatenadiary.jp

 さて、いくつかのイベントのお知らせをいただいたので、こちらでも共有します。ひとつめは、薬物依存回復支援者研修(DARS)ついてのセミナーです。リモート参加も可能だそうです。有料で事前申し込みが必要です。

www.ryukoku.ac.jp

 ふたつめは、関西での水俣病センター相思社職員による講演会です。12月10,11日が滋賀、13日が京都です。

www.soshisha.org

 特に私が注目するのは、12月11日の守山である「水俣から琵琶湖へ」の講演会です。チッソ守山工場で、労働運動を牽引した細谷卓爾さんは、びわ湖の石けん運動へも深く関わっていきいます。細谷さんの活動については、関西大学の大門信也先生が論文「草の根サステイナビリティの論理とその条件 : 滋賀県粉せっけん運動に着目して」で検討しておられ、大変勉強になりました。

hosei.repo.nii.ac.jp

 また、細谷さんについての本も出ています。(解説は大門先生です)

 私もこの講演会はぜひ参加したかったです。こればかりは日本を離れていて残念ですが、興味がある方はぜひ足をお運びください。

伊勢俊彦「歴史的不正義からの回復 いかにして被害は語りうるものになるか」

 『唯物論と現代』に掲載された論文「歴史的不正義からの回復  いかにして被害は語りうるものになるか」を著者よりご恵投いただきました。ありがとうございました。

 本論文では、過去に起きた歴史的不正義について、当事者の語りをいかにして受け止めるべきなのかが検討されている。例に挙げられるのは韓国における日本軍戦時性暴力被害者(主に「慰安婦」)の語りである。著者は、移行期正義(transitional justice)と 修復的正義(restorative justice)を比較検討し、真実和解委員会が戦時性暴力をに果たす役割と、その困難について考察する。日本軍戦時性暴力の被害者の語りは、主に韓国の民間団体により記録が行われてきた。しかしながら、民間団体が継続的な活動をすることには限界があったことが指摘され、戦時性暴力の場合でも、公的機関が真実和解委員会を設置する必要があることが浮かび上がる。

 他方、真実和解委員会で性暴力被害を聞き取るためには、いくつかの注意点があることを著者は述べる。まず、性暴力の被害の形態について、社会のマジョリティが抱きやすい型にはめられないように努めなくてはならない。次に、著者は小松原織香『性暴力と修復的司法』(成文堂、2017年)を参照し、「聞き手」が「語り手」とパーソナルな関係を築く対話の手法が必要だと指摘する。さらに、記録が社会的通念や公式の歴史観に沿うように整理される危険を除去しなければならないと、著者は考えている。以上の検討をもとに、日本軍戦時性暴力被害者の場合は証言者が減ってきているために、現実的な真実和解委員会の設置は困難が大きいが、同様の事例においては検討が可能であると、著者は提言している。

 さらに、著者が注目するのは、戦時性暴力被害者の語りの「聞き手」である。小松原の性暴力事例における修復的正義の研究が、個人としての被害者・加害者の二者関係に焦点を絞るのに対し、歴史的不正義は組織的・集団的な人権侵害である。そのため、加害者個人の責任追求するだけではなく、集団として責任を引き受ける主体を構想することが必要となる。また、時間の経過により、直接の加害者や、命令者、国家や武装組織などが、もうこの世にないこともある。著者は、そうした場合はその責任の継承者が、被害者に対し応答せねばならないと考える。たとえば、日本軍戦時性暴力の場合は、日本国である。加えて、著者は責任主体を「国家」という抽象概念だけではなく、被害者に関わるコミュニティの人々を想定している。すなわち、関係する一人一人の人間が、被害者の聞き手になることで、語りの生成に関与するかたちで責任を負うというビジョンを提示するのである。そして、著者はそれらの語りは何度も繰り返され、継承されていくことを以下のように述べる。

(略)歴史的不正義の被害についての語りは、ある時点において完成し、最終的に不変なかたちで確立するのではない。歴史的不正義の被害は、歴史に刻まれ、時が流れ、新しい世代が生まれ、社会や政治体制のあり方が変化する、そのあらゆる段階で、繰り返し語られなければならない。語りの主体も、人権侵害行為の直接の被害者やその家族から、新しい世代へと交代していかねばならず、聴き手もまた次々に新しい世代へと変わっていく。こうした新たな話し手と聞き手の関係の中で、被害は語り直される。(68-69頁)

 以上のように、著者は歴史的不正義の語りは、次世代へと継承されなければならないことを論文の末尾で示す。重要なのは、これらは記録として歴史を残すだけではなく、語り手と聞き手の関係性自体を継承していく必要を著者が述べていることである。本論文は、特に、被害の隠蔽や矮小化が行われているときには、被害者の尊厳の回復のために、語り直していくべきであると結論づけている。

 この論文では、私の『性暴力と修復的司法』が論文の中で大きく取り上げられ、参照されている。この本は、私の博士論文を下敷きにした初めての単著で、至らない点も多くあり、恐縮であるが、私の提起した主体モデルを活用いただいたことに心から感謝している。

 

 加えて、この論文には多くの刺激を受けた。第一に、「集団的な責任主体」についてである。私は博士論文を執筆後、性暴力から公害(水俣病)へと研究のフィールドを移した。その際に直面したのが、まさにこの「集団的な被害者性・加害者性」である。従来の修復的正義研究の多くは、個人と個人の対話関係に光を当ててきたが、集団的な被害・加害関係をどう扱うのかについては、まだまだ議論の途上である。私がいま、滞在しているルーヴェンカソリック大学でも、集団的被害者性(collective victimhood)と修復的正義へ注目する研究者が増えている。

 その際に、重要となるのは、まさしく著者が試みた移行期正義と修復的正義の比較である。著者は、宇佐美(2013)*1と松本(2017)*2の二論文を検討する。移行期正義と修復的正義の共通点は、被害者中心のアプローチであり、かれらの語りに焦点が当てられることになる。松本(2017)は、「慰安婦」の被害の回復のために、日本政府が事実を記録し、記憶を継承し、そのうえで金銭的賠償を行うことは、修復的正義の実現の意図が見出せると考える。他方、宇佐美(2013)は、修復的正義が被害者の癒しを強調することがあるのに対して、移行期正義における真実和解委員会は、あくまでも真実解明によって被害者の尊厳を象徴的に回復するのであり、心理的な癒しの有無は問わないと考える。両者の比較を通して、著者は次のように述べる。

松本が、明らかにされた事実にいかに対処するかを論じているのに対し、宇佐美は、事実に対処する前提として、事実がいかに明らかにされるか、その過程をも考察の範囲に含めていると言える。(59頁)

 言い換えれば、移行期正義が真実の究明を優先するのに対し、修復的正義は被害者のニーズを満たすことを優先する。著者の考察に沿えば、移行期正義と修復的正義は実践レベルではよく似ているが、理念レベルでは進む方向が異なっている。

 第二に「語りの継承」である。私は、まさにいま、水俣病の研究でこの問題に焦点を当てている。この問題には、おそらく「集団的被害者性」も関与している。公害が与えるコミュニティへの影響もまた、直接の被害者やその家族だけではなく、そこで暮らす人々の多くへ及ぶ。そのため、公害でも、コミュニティの歴史の一部として、残されたものが被害者の語りを継承することを、被害者自身が望むことがある。私は水俣病患者の田上義春さんの遺した、「今のままでは、患者は犬死にじゃ。払った犠牲も強いられ続けている犠牲も患者がいなくなれば、みんな忘れられてしまう。おどんたちの生きた証ばどげんかしてのこせんもんじゃろうか」という言葉を重く受け止めている。

 他方、この二点について突き詰めて考えていくと、ある暴力や犯罪の被害者が、「真実」と「癒し」のどちらをもとめるのか、また「集団的」であるか「個人的」であるのかの線引きは、どこまで明確であるのかは怪しい。たとえば、性暴力被害者の多くは、修復的正義で加害者に対して「なぜ、私だったのか?(Why me?)」を問いたいと考える。つまり、被害者は癒しではなく、真実を追求することを望んでいる。加えて、家族・親族からの性暴力被害であった場合、問題が次の世代に及ぶこともある。これまで、家族の問題は「虐待の連鎖」というような言葉で、「行為」を次世代へ継承されることのネガティブな側面だけが強調されてきた。しかしながら、家族・親族関係において、親世代から子世代へ「なぜ、いまの私たちがこんなふうな関係なのか」を説明するときに、性暴力被害の記憶が語りなおされ、継承されることもあるだろう。すなわち、かれらのファミリーヒストリーのなかに、性暴力の「行為」ではなく「語り」が編み込まれる余地はあると考えられる。さらに、それに対して家族・親族の「負の歴史」を次世代へ背負わせることを批判する人もいるだろう。たとえば、親が犯罪者の場合、子は被害者の語りを聞く責任はあるだろうかーーもしかすると、「親を殺された子」が、「加害者の子ども」と話をしたいということはあるかもしれない。それは実現すべき対話だろうか、それとも避けるべきだろうか。

 そう考えると、戦争や公害(環境問題)に限らず、修復的正義において、語りの世代継承の是非を問う議論は深く掘り下げている必要があるように思われる。これらの提起は、従来の修復的正義が、一世代限りの個人の関係に閉じて被害・加害関係を捉えてきたのに対し、集団的・歴史的に被害・加害関係を捉える視座を与えてくれるだろう。これは、修復的正義の新しい議論の展開をもたらし得ると、私は考えている。

*1:宇佐美誠(2013) 「移行期正義 解明・評価・展望」『国際政治』第17号、pp.43-57.

*2:松本克美(2017)「従軍「慰安婦」被害に対する法的責任論 修復的正義の視点から」『コリア研究』第8号、pp.1-12.

近況

 ベルギーはすっかり秋が深まってきて、空は雲りがちで、朝夕の冷え込みが厳しくなってきました。これから欧州の長い冬が続くので、少し憂鬱にはなります。ベルギーのコロナの感染者は増加しており、マスクの着用義務は強化されました。3回目のワクチン接種もする方向で動き出しています。ただ、街のオープンな雰囲気は続いていて、カフェやレストランも賑わっています。今年の春頃に比べれば、ずっとのんびりしています。また、私は大学の研究科の知り合いも増えてきており、研究は順調に進んでいるのでよかったです。

 このたび、英語の査読論文が掲載されました。タイトルはThe Role of Literary Artists in Environmental Movements: Minamata Disease and Michiko Ishimure(環境運動における文学者の役割 水俣病石牟礼道子)です。石牟礼が水俣病運動で提起した「もうひとつのこの世」のビジョンを、道徳共同体と神秘世界の二側面から分析しました。アーティストが創り出すファンタジーが、環境運動を牽引することがあり得るのだ、という提起をしています。石牟礼研究は日本語では膨大にあり、残念ながら私の研究はそこに深く立ち入れるものではないのですが、新しい角度からの問題提起としてご検討いただければ幸いです。

 掲載されたのは、 International Journal for Crime Justice and Social Democracyという犯罪学を中心とした論文誌です。社会運動との繋がりも深く、アクティビストも投稿したり、読者になったりする雑誌ですので、私としてはここで発表できたのは幸いでした。しかも、全ての論文が無料で読めます。

www.crimejusticejournal.com

 加えて、知人に勧められて、Twitterのアカウントを再び取得しました。こちらは研究の情報収集と、英語での発信のために使いたいと思っています。日本語でのTwitterのアカウントは、私には負担が大きかったのですが、今回は「英語縛り」があるのでそんなに活発にも使えないだろうし、のんびりやっていければと思っています。ほかにも、いろんなかたちで論文以外にも英語で発信する方法を考えています。こういう気持ちになれたのも、(批判はありますが)DeepLとGrammarlyのおかげです。もちろん機械翻訳だけでは不足も多いですが、私にとって英語を書く億劫さは半分くらいになりました。どちらも有料会員になっています。

 日本語では、論文集にエコサイドと修復的司法についての試論を寄稿しました。近いうちに公開されると思います。本の原稿はいま校閲のチェックをしています。順調にいけば年末か来年の頭頃に筑摩書房から出る予定です。

近況

 ベルギーの大学は対面授業を再開し、私の住むフランドル地方では*1屋内でのマスク着用義務もなくなったので、平常の生活が戻りつつあります。9月から学校も再開され、規制が弱まってきているのですが、感染者数も大きく増えることはありませんでした。ワクチン接種率は地域によって大きく異なります。ブリュッセルやワロン地域のように接種者が少ない場所ではCovid safe ticket(ワクチンパスポート、もしくは陰性証明)の使用が明日から導入される予定です。こうした証明書に対する批判もあるのですが、流れとしてはとにかく生活を元に戻す方向で進んでいます。私も大学の研究科で研究を進められるようになりましたし、戻ってきたスタッフと交流もできるようになったのでありがたいです。

 ベルギーにきてよかったことは、自分が「修復的正義の研究をしてきてよかった」と思えることです。もちろん、日本でも「RJ研究会」という専門家の交流会はあったのですが、研究者の数は多くはありません。また、日本の場合、修復的正義に限らず、北米ベースの研究が強いのもあり、同じ方向で研究する人にはなかなか出会えませんでした。

 これは私の印象ですが、米国の修復的正義の研究者は、「トラウマを癒す(ヒーリング)」「トラウマを作らない(防止)」ことに焦点を当てることが多いようです。それに対して、ヨーロッパでは「トラウマ記憶を共有する」ことに焦点を当てる傾向があります。これは、先日紹介したアライダ・アスマンの本でも、次のように書かれています。

さまざまな過去と出自の物語を無効にして、新しい幸せな未来を約束する〈アメリカン・ドリーム〉とは反対に、〈ヨーロピアン・ドリーム〉では過去と未来は密に交差している。アメリカン・ドリームは個々人に向けた成功の約束である。誰もがそれを夢見てよいが、わずかな人にしか実現できない。それに対して、ヨーロピアン・ドリームは諸国民の全体に関係している。それは敵対する隣人が、平和裏に共存する隣人にいかに変わりうるかを示す。この変身のプロセスは、そうこうするうちにとっくに、肯定的な歴史を持つようになった。ヨーロッパ人はその歴史をありがたく思うことができるばかりではなく、誇りにすら思うことができる。ヨーロピアン・ドリームはヨーロッパを変えた。(78頁)

 このざっくりとしたアメリカとヨーロッパの対比は正しいのか、また、これはヨーロッパ中心主義の再来ではないかなどの疑問はありますが、確かに修復的正義について国際会議で報告を聞いていると、アスマンの言いたいことはわからなくもありません。私は、トラウマは癒すべきものでもなければ、なくすべきものでもなく、人が生きていくなかで「付き合わねばならない過去」につける名前だと考えています。考えてみれば、私は大学の学部生時代の卒論では、川村毅の「ニッポン・ウォーズ」を取り上げ、日本の戦争責任を演劇作品の分析を通して「赦し」の可能性を検討しようとしていました。その作者の戯曲の一つを収録した『ハムレットクローン』という本には帯に「私は癒されたくはない」と書いてありました。

 たぶん、私はずっと同じことを長い時間考えているのですが、その一つが「トラウマを消す必要はない」ということのように思います。それはトラウマを放置して良いということではなく、起きた出来事をともに記憶し、悼んでいくようなプロセスが、私たちが生きるうえで必要なのだということです*2。起きたことを否定せず、受け入れながら、どうやって未来へ進んでいくことができるのかを検討することが、今後も私の関心になるのでしょう。

 ところで、修復的正義(司法)についての、演劇作品が11月に東京で上演されるようです。11月7日のアフタートークには、日本の修復的正義の研究を牽引してこられた高橋則夫教授(早稲田大学法学部)が登壇されます。残念ながら私は観ることが叶いませんが、ご関心のあるかたはぜひ以下のリンクより情報をご確認ください。まだチケットはあるようです。

haiyuza.net

*1:ご指摘いただきましたので、追記しました。(10/15)

*2:こういう話を、先日のグリーフワークについての対談で語ればよかったのか、と今更思ったりします

アライダ・アスマン『想起の文化 忘却から対話へ』

 アライダ・アスマン『想起の文化 忘却から対話へ』を読んだ。「歴史学の営み」と「記憶の継承」の政治的・社会的交錯を丁寧にときほぐし、未来へ向けて私たちのなすべき態度を示そうとした、挑戦的でスリリングな本だった。

 アスマンが焦点を当てるのは、想起の文化への「不快感」である。想起の文化とは、過去の(ネガティブな)出来事の記憶を読み覚まし、再検討をするために構築されてきた文化である。ここでは、ドイツにおけるホロコーストの記憶を喚起するための、博物館や記念碑、慰霊式などの政治的イベント、映画や文学、跡地をめぐるツーリズムなどが想定されている。その想起の文化へ不快感を示す人たちがおり、そのことへの対応を考える必要が、私たちにはあるとアスマンは言う。

 アスマンが取り上げる、想起の文化へ不快感を示す人々は、必ずしもホロコーストをなかったことにしようとする、「歴史修正主義」と呼ばれるような人たちだけではない。ホロコーストの記憶を継承することを強調するがゆえに、客観的には証明できない被害者の語りが歴史学に混入することや、戦後やってきた移民たちを国のまとまりから排除する危険があること、別の問題の被害者の語りを妨げることなど、繊細で困難な問題をアスマンは取り上げる。

 アスマンが強調することは、(ネガティブな)出来事が起きてから、記憶の継承は時代とともに求められたり、可能であったりする形が変わっていくことである。時間とともに人々のこころ模様や態度は変わっていく。直後には不可能であった、記憶の語りかたが、50年後には可能になったりする。そうした時間軸を導入することで、アスマンはドイツで行われてきた想起の文化の歴史を概括し、それぞれが「成し遂げたこと」「置き去りにしたこと」を明らかにしていく。

 アスマンは想起の文化を4つのモデルに分類する。第一に〈対話的に忘れる〉モデルである。これは、戦後ドイツの沈黙の時期に当てはめられる、人々は、前に進むためにという大義のもと、ユダヤ人の犠牲者たちについて沈黙し、忘れることで新しいドイツ国家を樹立し、安定させていった。第二に、〈決して忘れないために想起する〉モデルである。これは、ハンナ・アーレントが提起した、倫理に基づく想起のアイデアが例示されている。ユダヤ人殺害を人間がおかした絶対的な悪であるとみなし、普遍的な人類史に記録し、その重みを忘れないために想起する。第三に、〈克服するために想起する〉モデルである。これは、1968年世代と呼ばれるドイツの若者たちが、親世代を糾弾した行為が当てはめられる。トラウマ的記憶を徹底的に見つめ、加害者の責任を追求することで、被害者と加害者の関係を再び構築し、同じ国家の中に内包しようとする。第四に、〈対話的に想起する〉モデルである。これは、トルコ移民がホロコーストの犠牲になったユダヤ人たちに自分の境遇を重ねて記憶を継承しようとしたり、東ドイツ共産主義下で殺された人々の犠牲の記憶を並列して並べたりすることに当てはめられる。異なる被害者の記憶が並べられ、相互にトラウマの痛みを承認していくなかで新たな共同性が確立される。

 アスマンが強調することは、これらのモデルは世代交代と関わっていることである。アスマンは「最初の世代には不可能だったこと、そして第二の世代によって無視されたことは、第三の世代だったらもっと容易に、語らい共感をもって受け入れる対象になりうる(217ページ)」としている。すなわち、これらのモデルは、記憶の継承の仕方の良し悪しをジャッジするためにあるのではない。それぞれの時代において、そのモデルが選ばれた必要性を理解し、これから私たちがどのような記憶の継承の形を選ぶのかを考える素材にするのである。

 結論としては、アスマンは今後は〈対話的に想起する〉モデルを目指すべきだと考えている。これは、自己の被害者としての記憶をモノローグとして語るような想起のあり方ではなく、自らの語りを、歴史学による冷徹な検証や、異なる被害者の語りに開いていくような、そんな想起のあり方である。ここに至るまで、アスマンは歴史学に対する記憶の語りの貢献の可能性や、記憶を相対化したり競合させたりする危険性について、多くの紙幅を費やしている。そのうえで、アスマンは「対話」の必要性を強調する。

 この本を読みながら、私の中にもいくつもの記憶が想起してきた。自らの記憶の語り、誰かの語りを継承したいと思ったこと、被害者同士が自分の優劣を競うような状況、歴史に残されなかった記憶を持つ人々の顔、そんなものが次々と脳裏に蘇る。アスマンは、記憶の語りは単なる歴史の知識ではなく、人々の感性を刺激し、巻き込んでいくような力があると言う。だからこそ、記憶についての言説は時に過熱し、激しい言い争いにもなる。そうした問題を、アスマンはできるだけフェアに、全ての立場の人の言い分を聞こうと心をくだきながら論を進めているようにみえた。非常にタフな議論を展開していると私は思う。

 それと同時に、本の最終部で気になったのは、「ヨーロッパの教養」が強調され、EUへの信頼が熱く語られることである。もちろん、戦後ヨーロッパにおいて、復興と平和な社会を目指してEUは樹立された。ホロコーストの記憶、共産主義の記憶などを、一国を越えたヨーロッパの記憶として再統合しようという試みはよくわかる。しかしながら、ヨーロッパ外の記憶はどうなるのだろうか。たとえば、パレスチナの人々の記憶は? それだけではなく、中東の、アフリカの、アジアの、南米の人々の記憶は? ヨーロッパは植民地主義により、多くの地域を自国の領土としてきた。戦後も、ヨーロッパの人々は何度もヨーロッパ外の地域で紛争の当事者となったり、介入を行なったりしてきたはずだ。それらの記憶を抜きにした、ヨーロッパの記憶とは、いかなるものであろうか。

 私は日本で生まれた日本人であり、もちろん、戦争加害国の責任の問題としてアスマンの提起を深く受け止めている。また、戦争責任の問題だけではなく、水俣病の問題を考える上でもアスマンの議論から大きな示唆を受けた。私の疑問はアスマンのこの本の素晴らしさをなんら毀損するものではない。それと同時に、私(たち)の存在や記憶は、もしかするとアスマンの視界に入っていないのだろうか、と最後に思ったのも、正直な気持ちである。

 加えて大変残念なのは、アスマンの『想起の空間』が絶版となり、古本価格は6万円と高騰していることである。翻訳者は『想起の文化』の安川晴基氏である。安川さんの文章は読みやすく、読者をアスマンの思考にやさしく招き入れてくれる。『想起の空間』はぜひ復刊してほしい*1

 

*1:復刊のリクエストは出してきました。