アライダ・アスマン『想起の文化 忘却から対話へ』

 アライダ・アスマン『想起の文化 忘却から対話へ』を読んだ。「歴史学の営み」と「記憶の継承」の政治的・社会的交錯を丁寧にときほぐし、未来へ向けて私たちのなすべき態度を示そうとした、挑戦的でスリリングな本だった。

 アスマンが焦点を当てるのは、想起の文化への「不快感」である。想起の文化とは、過去の(ネガティブな)出来事の記憶を読み覚まし、再検討をするために構築されてきた文化である。ここでは、ドイツにおけるホロコーストの記憶を喚起するための、博物館や記念碑、慰霊式などの政治的イベント、映画や文学、跡地をめぐるツーリズムなどが想定されている。その想起の文化へ不快感を示す人たちがおり、そのことへの対応を考える必要が、私たちにはあるとアスマンは言う。

 アスマンが取り上げる、想起の文化へ不快感を示す人々は、必ずしもホロコーストをなかったことにしようとする、「歴史修正主義」と呼ばれるような人たちだけではない。ホロコーストの記憶を継承することを強調するがゆえに、客観的には証明できない被害者の語りが歴史学に混入することや、戦後やってきた移民たちを国のまとまりから排除する危険があること、別の問題の被害者の語りを妨げることなど、繊細で困難な問題をアスマンは取り上げる。

 アスマンが強調することは、(ネガティブな)出来事が起きてから、記憶の継承は時代とともに求められたり、可能であったりする形が変わっていくことである。時間とともに人々のこころ模様や態度は変わっていく。直後には不可能であった、記憶の語りかたが、50年後には可能になったりする。そうした時間軸を導入することで、アスマンはドイツで行われてきた想起の文化の歴史を概括し、それぞれが「成し遂げたこと」「置き去りにしたこと」を明らかにしていく。

 アスマンは想起の文化を4つのモデルに分類する。第一に〈対話的に忘れる〉モデルである。これは、戦後ドイツの沈黙の時期に当てはめられる、人々は、前に進むためにという大義のもと、ユダヤ人の犠牲者たちについて沈黙し、忘れることで新しいドイツ国家を樹立し、安定させていった。第二に、〈決して忘れないために想起する〉モデルである。これは、ハンナ・アーレントが提起した、倫理に基づく想起のアイデアが例示されている。ユダヤ人殺害を人間がおかした絶対的な悪であるとみなし、普遍的な人類史に記録し、その重みを忘れないために想起する。第三に、〈克服するために想起する〉モデルである。これは、1968年世代と呼ばれるドイツの若者たちが、親世代を糾弾した行為が当てはめられる。トラウマ的記憶を徹底的に見つめ、加害者の責任を追求することで、被害者と加害者の関係を再び構築し、同じ国家の中に内包しようとする。第四に、〈対話的に想起する〉モデルである。これは、トルコ移民がホロコーストの犠牲になったユダヤ人たちに自分の境遇を重ねて記憶を継承しようとしたり、東ドイツ共産主義下で殺された人々の犠牲の記憶を並列して並べたりすることに当てはめられる。異なる被害者の記憶が並べられ、相互にトラウマの痛みを承認していくなかで新たな共同性が確立される。

 アスマンが強調することは、これらのモデルは世代交代と関わっていることである。アスマンは「最初の世代には不可能だったこと、そして第二の世代によって無視されたことは、第三の世代だったらもっと容易に、語らい共感をもって受け入れる対象になりうる(217ページ)」としている。すなわち、これらのモデルは、記憶の継承の仕方の良し悪しをジャッジするためにあるのではない。それぞれの時代において、そのモデルが選ばれた必要性を理解し、これから私たちがどのような記憶の継承の形を選ぶのかを考える素材にするのである。

 結論としては、アスマンは今後は〈対話的に想起する〉モデルを目指すべきだと考えている。これは、自己の被害者としての記憶をモノローグとして語るような想起のあり方ではなく、自らの語りを、歴史学による冷徹な検証や、異なる被害者の語りに開いていくような、そんな想起のあり方である。ここに至るまで、アスマンは歴史学に対する記憶の語りの貢献の可能性や、記憶を相対化したり競合させたりする危険性について、多くの紙幅を費やしている。そのうえで、アスマンは「対話」の必要性を強調する。

 この本を読みながら、私の中にもいくつもの記憶が想起してきた。自らの記憶の語り、誰かの語りを継承したいと思ったこと、被害者同士が自分の優劣を競うような状況、歴史に残されなかった記憶を持つ人々の顔、そんなものが次々と脳裏に蘇る。アスマンは、記憶の語りは単なる歴史の知識ではなく、人々の感性を刺激し、巻き込んでいくような力があると言う。だからこそ、記憶についての言説は時に過熱し、激しい言い争いにもなる。そうした問題を、アスマンはできるだけフェアに、全ての立場の人の言い分を聞こうと心をくだきながら論を進めているようにみえた。非常にタフな議論を展開していると私は思う。

 それと同時に、本の最終部で気になったのは、「ヨーロッパの教養」が強調され、EUへの信頼が熱く語られることである。もちろん、戦後ヨーロッパにおいて、復興と平和な社会を目指してEUは樹立された。ホロコーストの記憶、共産主義の記憶などを、一国を越えたヨーロッパの記憶として再統合しようという試みはよくわかる。しかしながら、ヨーロッパ外の記憶はどうなるのだろうか。たとえば、パレスチナの人々の記憶は? それだけではなく、中東の、アフリカの、アジアの、南米の人々の記憶は? ヨーロッパは植民地主義により、多くの地域を自国の領土としてきた。戦後も、ヨーロッパの人々は何度もヨーロッパ外の地域で紛争の当事者となったり、介入を行なったりしてきたはずだ。それらの記憶を抜きにした、ヨーロッパの記憶とは、いかなるものであろうか。

 私は日本で生まれた日本人であり、もちろん、戦争加害国の責任の問題としてアスマンの提起を深く受け止めている。また、戦争責任の問題だけではなく、水俣病の問題を考える上でもアスマンの議論から大きな示唆を受けた。私の疑問はアスマンのこの本の素晴らしさをなんら毀損するものではない。それと同時に、私(たち)の存在や記憶は、もしかするとアスマンの視界に入っていないのだろうか、と最後に思ったのも、正直な気持ちである。

 加えて大変残念なのは、アスマンの『想起の空間』が絶版となり、古本価格は6万円と高騰していることである。翻訳者は『想起の文化』の安川晴基氏である。安川さんの文章は読みやすく、読者をアスマンの思考にやさしく招き入れてくれる。『想起の空間』はぜひ復刊してほしい*1

 

*1:復刊のリクエストは出してきました。