「知りたい」けど、そこまで「知りたくない」?

 id:tyoshikiさんとのやり取りで、ちょっとした発見があったのでメモしておきます。tyoshikiさんは、ネット上で統一教会に対する恐怖心を煽る人はたくさんいるが、自分としてはよく知らないのでわからないと言います。そして、もっと情報発信すべきだと言います。そのなかで、私の記事にも言及があり、読んだけどよくわからないとのコメントがありました。

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 私はこの記事に対して、知りたいのなら実際に紹介した本を読めばいいし、ほかにも書籍はたくさん出版されているというコメントをしました。なぜなら、知らないのであればもっと調べればいいし、ネットでの十分な情報発信がないならば、書籍を読めばいいからです。もちろん、何を読めばいいのか分からない場合もありますが、私は参考文献もあげているのだから、そこから当たってみれば「知る」ことはできると考えました。

 ところが予想外にtyoshikiさんからは「私はぶっちゃけそこまで知りたいわけでもありません」という返答がきました。「知らない」から「わからない」ので「知りたい」けれど、そこまでは「知りたくない」という、私にとってはとても不思議な答えです*1

 しかし、しばらく考えていると「ああ、だからネット上にはこんなにまとめサイトが溢れているのか」と思い至りました。私は、何か調べるときにまとめサイトの情報が役に立ったことはないですし、Googleで検索した時に、一番に弾いていきます。なぜならば、多くのまとめサイトは、専門家ではない人が、情報の重要度を判定しないまま、アクセスを稼ぐために並べた情報の羅列だからです。

 たとえば、私はカルト宗教について、深刻に考えているほうです。私はそう考えるに至るまで、カルト宗教からの奪回支援についての書籍や、脱会者の体験談をたくさん読みました。なぜ、私がカルト宗教に興味を持ったのかというと、DVや児童虐待を受けた方の体験談をお聞きするとこに、幼少期に家族が閉鎖性の高い宗教団体に属していたというエピソードがしばしばあったからです。こうした宗教団体の問題と、暴力の問題が絡み合ったトラウマを抱えた方が、大変困難な状況にあることを知る機会が多かったのです。そこから、カルト宗教の問題は私にとって、とても重いものになりました。

 私にとって、カルト宗教団体の信者数や献金額等の概要など全く興味のないことですし、ネットで情報発信が必要だとも思えないことです。カルト宗教について知りたいのならば、ひとりひとりの体験者の声に耳を傾け、自分がどのように判断するのかを考えていくしかないと思っています。また、私が上のように抽象的に、具体的なエピソードを省いて書くのは、守秘義務があるからです。もし、このような困難について知りたいと思う方は、やはり書籍で脱会者の体験談を読むのが一番良いと思います。そのひとつとして、今回は統一教会の話だったので、仲正昌樹さんの書籍を紹介しましたが、やはりご本人の文章を直接読む方が、その重みが伝わることは言うまでもありません。

 tyoshikiさんのように*2、そこまでは「知りたくない」という人が、今は増えているのでしょう。その断絶はこれから深まっていくのかもしれません。ただ、これは、テレビが出てきた時に「最近の若者は本を読まない」という嘆く年長者が多かったのに似ているかもしれません。実はテレビというのは「尺」の問題があるので伝えられる情報量がとても短いのです。いまは、ネットでも文字ベースから動画ベース(YouTube)に移っていますから、ますます「伝える情報をコンパクトにすること」が求められるかもしれません。

 そう予測はしたものの、私は長い文章を書くのが好きですし、今後もまとめサイトのような情報発信はしないことでしょう。そういう意味では私は、そこまで知りたくない人には「知らせたくない」側なのかもしれません。他方、私が発信するような、個別的で掘り下げた情報を求めている人は、減ったとしてもいなくなりはしないと思うので、これからもコツコツと書いていくつもりです。

*1:研究者は、知りたいことがあると何年でも調べ続けるので、そっちのほうが不思議なのかもしれませんが。

*2:と言いつつ、tyoshikiさんは閉鎖的な宗教団体で育った子どもたちの漫画を読まれていろいろ考えておられ、そこまで「知りたくない」とも私には思えず、そこにズレは感じた。その漫画の延長線上で、「統一教会についても調べればいいのでは?」と思うが、そこは何か違いがあるのだろうか。

https://www.tyoshiki.com/entry/2021/10/03/221837