近況
ベルギーの大学は対面授業を再開し、私の住むフランドル地方では*1屋内でのマスク着用義務もなくなったので、平常の生活が戻りつつあります。9月から学校も再開され、規制が弱まってきているのですが、感染者数も大きく増えることはありませんでした。ワクチン接種率は地域によって大きく異なります。ブリュッセルやワロン地域のように接種者が少ない場所ではCovid safe ticket(ワクチンパスポート、もしくは陰性証明)の使用が明日から導入される予定です。こうした証明書に対する批判もあるのですが、流れとしてはとにかく生活を元に戻す方向で進んでいます。私も大学の研究科で研究を進められるようになりましたし、戻ってきたスタッフと交流もできるようになったのでありがたいです。
ベルギーにきてよかったことは、自分が「修復的正義の研究をしてきてよかった」と思えることです。もちろん、日本でも「RJ研究会」という専門家の交流会はあったのですが、研究者の数は多くはありません。また、日本の場合、修復的正義に限らず、北米ベースの研究が強いのもあり、同じ方向で研究する人にはなかなか出会えませんでした。
これは私の印象ですが、米国の修復的正義の研究者は、「トラウマを癒す(ヒーリング)」「トラウマを作らない(防止)」ことに焦点を当てることが多いようです。それに対して、ヨーロッパでは「トラウマ記憶を共有する」ことに焦点を当てる傾向があります。これは、先日紹介したアライダ・アスマンの本でも、次のように書かれています。
さまざまな過去と出自の物語を無効にして、新しい幸せな未来を約束する〈アメリカン・ドリーム〉とは反対に、〈ヨーロピアン・ドリーム〉では過去と未来は密に交差している。アメリカン・ドリームは個々人に向けた成功の約束である。誰もがそれを夢見てよいが、わずかな人にしか実現できない。それに対して、ヨーロピアン・ドリームは諸国民の全体に関係している。それは敵対する隣人が、平和裏に共存する隣人にいかに変わりうるかを示す。この変身のプロセスは、そうこうするうちにとっくに、肯定的な歴史を持つようになった。ヨーロッパ人はその歴史をありがたく思うことができるばかりではなく、誇りにすら思うことができる。ヨーロピアン・ドリームはヨーロッパを変えた。(78頁)
このざっくりとしたアメリカとヨーロッパの対比は正しいのか、また、これはヨーロッパ中心主義の再来ではないかなどの疑問はありますが、確かに修復的正義について国際会議で報告を聞いていると、アスマンの言いたいことはわからなくもありません。私は、トラウマは癒すべきものでもなければ、なくすべきものでもなく、人が生きていくなかで「付き合わねばならない過去」につける名前だと考えています。考えてみれば、私は大学の学部生時代の卒論では、川村毅の「ニッポン・ウォーズ」を取り上げ、日本の戦争責任を演劇作品の分析を通して「赦し」の可能性を検討しようとしていました。その作者の戯曲の一つを収録した『ハムレットクローン』という本には帯に「私は癒されたくはない」と書いてありました。
たぶん、私はずっと同じことを長い時間考えているのですが、その一つが「トラウマを消す必要はない」ということのように思います。それはトラウマを放置して良いということではなく、起きた出来事をともに記憶し、悼んでいくようなプロセスが、私たちが生きるうえで必要なのだということです*2。起きたことを否定せず、受け入れながら、どうやって未来へ進んでいくことができるのかを検討することが、今後も私の関心になるのでしょう。
ところで、修復的正義(司法)についての、演劇作品が11月に東京で上演されるようです。11月7日のアフタートークには、日本の修復的正義の研究を牽引してこられた高橋則夫教授(早稲田大学法学部)が登壇されます。残念ながら私は観ることが叶いませんが、ご関心のあるかたはぜひ以下のリンクより情報をご確認ください。まだチケットはあるようです。