近況

 4月の初頭から、ベルギーに滞在しています。かねてより計画していたルーヴェンカソリック大学での研究をスタートさせました。現在、ベルギーはロックダウンを段階的に解除している状態です。カフェ・レストランは閉まっており、自宅待機を要請されています。大学の建物にはほとんどスタッフがおらず、私も自宅で研究をしています。

 私の研究スタイルは、もともと自宅で資料を読んで、論文を書くことを基本としていますので、こちらに来てもあまり生活に変わりはありません。ただし、ヨーロッパに来たことで、関連団体のオンライン・セミナー等に時差の問題なく参加できるようになりました。また、少数の研究者とは野外で会い、交流をしています。5月以降、研究環境がどう変化していくのかはわからないのですが、まだ英語に不安のある私としては、在宅で研究をしながら新しい場所に慣れていくのはありがたいと、今は思っています。

 そして、私の英語論文(査読付き)'Imagining a community that includes non-human beings: The 1990s Moyainaoshi Movement in Minamata, Japan'がThe International Journal of Restorative Justice, 2021 (1)で公刊されました。1990年代の水俣では、コミュニティ再生の事業である「もやい直し」が推進されます。「もやい直し」に積極的に関与した患者たちは、いわゆる「人間のコミュニティ」だけではなく魚や鳥たち、死者たちも共にある「非ー人間を含むコミュニティ」を構想していたことを論じています。そして、そのとき、非ー人間はコミュニティを再生させるためのシンボルとして機能していると、論文内で主張しています。思い切った提起になっているので、ご批判・異論もあると思うので、今後、フィードバックをもらいながら研究を続けていきたいと考えています。

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 現在は、英語論文・報告が主な研究発表になっていきそうです。論文は現在、2本用意しており、1本は近々、公開されそうです。私は英語での研究発表を始めると、スムーズに査読でのコミュニケーションが進み、「受け入れられている」という感覚も持てるようになりました。英語で苦労し続けている私が、日本語圏ではなく英語圏のほうが、論文を採用されやすいというのも変な話ですが。おそらく、修復的正義研究やグリーン犯罪学のように、学際的で開かれた分野とマッチしたのがよかったのだろうと思います。

 また、私は英語が苦手なだけに、言語に距離があるので、対象を突き放して問題を論じやすいのかもしれません。異なる文脈の人たちへ、繊細な被害者の言葉を伝えようとするときには、思い切った単純化をせねばならないことがあり、そのことへの葛藤はあります。それでも、たとえば別に地域の先住民差別や地域紛争の問題をやっている人たちと、水俣の話を繋げて考えていく回路が開け、新しい未来が見えてくるのならば、やる価値はあるのではないかと思っています*1。なので、今のところ、英語で書いていくつもりです。逆に、日本語では複雑で繊細なこと、情緒的なこと、文脈依存的なことを、丁寧に拾っていくようなものを書きたいとも思っています。

 それはそうと、私の日本語で書いた論文*2を、英語の本で参照していただいているのを発見しました。さっき見つけたところで、注文しました。

  私にとって、自分の書いたものが、本に参考文献として挙げられることは、初めてです。とても嬉しいです。どんなふうに言及されているのかドキドキしますが、届くのを楽しみにしています。

*1:私は漫画やBLについては、研究しようと思ったことはこれまでなく、エッセイなどの形で書いていきたいと思っていたのですが、英語であれば研究の中でも取り上げていきたいと考えるようになっています。

*2:http://www.philosophyoflife.org/jp/seimei201904.pdf