お金と幸せ

 ここ数日、まったく違う筆者の記事を読んで「あれ?似ている」と思った。以下の二つ。

pha「なんかなんもやる気しないんだよな」
http://d.hatena.ne.jp/pha/20130607/1370618579

ひろゆき『金』について語る – おいらがお金を持ってわかったこと」
http://logmi.jp/1101

 上の記事は、肩書「ニート」でブログを書いたり、シェアハウスを運営したり、本を出したりしているphaさんが書いたもの。phaさんは「できるだけ働きたくない」と言っているが、かなりの利益をあげる活動を行ってきた。そして、本を出して印税を手に入れた結果、何もやる気がしなくなったという。そのphaさんは次のように言う。

特に何をしないといけないというものはないんだけど、何かをしたいというものもなく、ひたすらだるい。なんだこれ。人間は多少何かに追われていたほうが幸せなのかなーということも思わなくもない。特になりたいものも目標もないんだよね。あえて言うなら心の安寧が欲しい。
http://d.hatena.ne.jp/pha/20130607/1370618579

 下の記事は、2ちゃんねるを立ち上げたことで有名な西村博之さんへのインタビューの書き起こし。西村さんはお金持ちになったことで、「金で幸せは買えない」ことを体験的に語れるようになったという。金で買えるものは、価格のあるものだ。そして人間が幸せになるために欲しがっているものは、価格のつかないもの(金で買えないもの)なんだという。西村さんは次のように言う。

昔から僕は知ってたんだけど、お金ができることとできないことって。でもやっぱりそれが実感として分かるかどうかって重要な気がするんだよね。ただ愛人を作れるから金持ちになりたい、残念それ幸せになれません。金で買った人であるっていうのは自分も分かってるし、相手も分かってるから、それやっぱ幸せにはなれないんですよ。結局、自分がなんでその人、相手の人が自分のことをなんで好きなのかっていうと「あ、金だからだ」って分かったら、そこに満足感を得られないんだよね。
http://logmi.jp/1101

両者の言っていることに共通するのは自分の体験を通して「お金が手に入っても、幸せになれるわけではない」という認識に至ったということで、特に反論するところはない。というか、よく言われることだし、別に働かないでギリギリの生活を試みなくても、事業を立ち上げて金持ちにならなくても、なんとなく体験的に知っていくことだ。
 多くの人が「もっと金持ちになりたいなあ」と思うとき、「幸せになりたい」というのは抽象的なことを考えているわけではないだろう。たとえば、私だったら、「裏の洗濯機置き場を修理したい」「本棚を買い換えたい」「新しい資料を買いそろえたい」みたいなことだ。すべて叶ったからといって、幸せにはなれないかもしれないが、それらの予算をやりくりしてねん出する面倒くささからは解放される。要するに、「金持ちになりたい」とは「こまごました金勘定や金策を考えずに生活したい」ということである。
 ただ、そういう平凡なことを考えていると、なかなか「できるだけ働かないで生きていくぞ」とか「匿名掲示板を立ち上げよう」とかは思わない。だから、金持ちにも、ニートにもならないのである。でも、金持ちとニートの二人に通底する、「だるい感じ」というのはよくわからない。インターネット版「だめ連」みたいなものだろうか。

 それはともかく、私は幸せになるための回路を考えるのが苦手なほうだ。たとえば、金持ちになっても、テレビをつけてガザが空爆されているのを見たら、やっぱり不幸な気持ちになると思う。私財をなげうって、何かの支援団体を立ち上げて不幸を減らそうとしても、世界中の暴力や貧困にさらされた人々を救うのは無理だ。
 そこまで大きなできごとでなくても、たとえば自分の友人がずっと恋人や親から暴力を受けていることを聞かされたら、幸せな気持ちではいられない。もちろん、金があれば何かの手助けはできるかもしれないが、傷ついた心を癒すことは一長一短にはできないし、暴力から抜け出すには長い時間がかかることもある。
 そうした出来事は、私の心を暗くするし、幸せだと感じることを遠ざけてしまう。でも、お金では解決できないし、平和に時が流れることはないだろう。私がつらくならない世界とは、私の思うままにものごとが進む世界だし、それは私が神様になれる世界である。私が幸せになるためには、神様になるしかない。もちろん、そんなことはできないし、自分もそうしようと思わない。
 そうやって理屈っぽく「私は幸せになれない」というようなことを言いながらも、実際には幸せだと感じることがある。「ある人が私に微笑んでくれたとき」「読んでいる文章が美しくて胸にしみたとき」「普段どおりのご飯がとても美味しくかんじたとき」言葉にすると陳腐だけれど、「ああ、よかった」と思うことがある。そういうことは、自分で「幸せになろう」と努力して感じたものではないし、偶然に自分に振ってきたような感情だ。もちろん、金では買えない。
 ただ、金がないと、こうした感情が振ってくるような余裕はどんどんとなくなる。毎日の金勘定や金策が、幸せだと感じる余裕を奪っていくから、貧乏はつらい。その上、金持ちへの嫉妬や、卑屈な気持ちがわいてきて、余計につらい。だから、本気で事業を立ち上げない人もやニートを目指さない人も、口癖のように「金持ちになりたい」と「幸せになりたい」がセットにして語るのではないか。幸せが金で買えないことは、きっとみんな最初から知っている。